第39話

 初めは、ただの憧れ。

 中学の頃、合唱部での宮子に、目を奪われた。

 こんな綺麗な人が、この世にいるんだって。


「あの時、すごく輝いて見えたんです。わたくしと違って。私には、何も無いから」


 静流から、宮子は、まるで世界の中心に見えた。

 平凡な雪川静流しずるには、主役になんてなれない自分には、手の届かない星のように。

 どうしようもなく尊いモノのように。


「それから、火蔵かぐらさんを追っかけて、知っていくうちに、ますます憧れました。火蔵さんは何でも出来て……まるで、お話の中の人のようで」


「静流……」


 今は静かになった夜の浜辺。

 寄せては返す波の音に、耳をくすぐられながら、静流は想いを吐露していく。


「分かってはいるんです。同じシャンプー、同じボディソープを使っても、貴女にはなれないって。それでも近付きたいって、願わずにはいられないほど、火蔵さんは綺麗で、私は見てるだけでドキドキして……」


 かぁっと頬を染め、うつむきながら語る静流が、いじらしく、可愛らしくて、宮子も頬を染める。


「……だのに貴女は、どうしようもなくエッチだし。素行不良のダメ人間だし」


「……んん?」


「天使だと思ったのに! ええ、ええ、まさに悪魔。堕天使ですっ。不潔。変態。学校内でも平気で、エ、エッチしてるし。そんなの、学生として許されません!」


「ちょっと待ちなさい。この流れで、なんで、わたくしへのダメ出しになるの?」


 宮子がストップを掛ける。

 ここは、長年秘めていた恋心を告白する、美しいシーンではなかったのか。


「美人で綺麗な火蔵さんは好きだけど! エッチな貴女は嫌いなんです!」


「何それ! 好きなのは、わたくしの顏だけだって言うの!?」


「べ、別に、顔だけだなんて言うつもりは……」


 じゃあ、顔以外に良いところを挙げて、と宮子に睨まれ、静流は考える。

 火蔵宮子の良いところ。

 容姿以外。美人で……は顏だし。モデルみたいなスタイル……も容姿だし。


「……」


「何か挙げなさいよぉぉ!?」


「う、浮かびませんけど。浮かびませんけどっ……。とにかく、エッチなところさえ改めれば、貴女は完璧なんです」


 静流の言葉に、宮子は肩をすくめる。


「また理想の押し付けかしら? 考えてみなさい。エッチじゃないわたくしなんて、つまらなくてよ」


 エッチじゃない火蔵さん。

 静流は想像してみる。

 品行方正で、真面目で、勉強も運動もできる。その上に容姿端麗な、パーフェクト美少女……!


「……素敵。理想のお姉さまです♡」


「そう来たか……」


 理想と現実。その隔たりは、果てしなく深い……。

 でも、静流の胸には、綺麗な人には、清らかであってほしいと、そんな願いが有って。

 その気持ちを吐き出すと、宮子は。


「……お生憎様」


 後ろ手に、少し屈み込んで、くるっと一回転。

 長い黒髪をなびかせて、静流へ向き直ると。

 ぺろっと舌を出し、ウインク。

 ……天使の笑顔を見せた。


「何が綺麗かは、わたくしが決めるわ。他の誰にも、『火蔵宮子わたくし』を決めさせたりしない」


 ……ああ、これだ。この表情かおが好きなんだ。

 静流は、胸が大きく高鳴るのを感じて、やっと理解した。

 いつだって自分が運命の主役。世界の中心なんだと、信じて疑わない……一番星の煌めき。

 宮子さんの、そこにこそ、私は惹かれて……。


 なんて、ときめいていたら。


「まあ、でもやっぱり、カラダの相性は大切なの。わたくし、昨夜ゆうべはエヴァお姉さまの手伝いで、久々にエッチしてないし。我慢の限界というか……やっぱり、静流と試してみたいなーって♡」


 ハァハァする宮子さんに、静流、怒りの警笛ホイッスルを吹き散らかす。

 ピー! ピー! ピー!

 ……やっぱり、雪川静流と、火蔵宮子は、相容れることは無い。


 それでも。


「ふふ。わたくしのこと、嫌い?」


「……嫌いだけど、好きです」


 少しずつなら、きっと、溶け合うこともできる。

 キャンプファイヤーの火も消えて、すっかり静かになった、夜の海辺。

 夏の星空の下。


「ね、今度は貴女から、キスして。それで今夜は……ううん、3日は、エッチなコト、我慢するから。他の子とも、しないから」


「3日じゃなくて。……ずっと、我慢してください」


 火が消えないように。氷が蒸発しないように。

 恐る恐る、触れ合いながら。少しずつ溶け合って、綺麗な水となるように。

 氷の女王に、お熱いくちづけを。


 ※ ※ ※


 3日目。朝ごはんを食べたら、感謝の気持ちを込めて、皆で宿泊所のお掃除。

 それが終わったら、庭で星花の校歌を歌い……りんりん学校も、お終い。

 バスで星花女子学園に帰ってから、解散となる。


「『♪ 限界なんて無い ボクたちは、いつだって無限大 ♪』」


 バスの中、3日間の疲れでぐったりな生徒も多い中、何人かは底抜けに元気。

 アイドル美滝みたき百合葉の代表曲「インフィニティ×インフィニティ」を、百合葉本人と一緒に歌うのは、高等部3年のエヴァンジェリン・ノースフィールドだ。

 夏コミ原稿は、今朝やっと終わった。


「エヴァちゃん元気やね……。もう、何回言うたか分からんけど」


 恋人でルームメイトの藤宮恋葉このはに、


「エヴァが一番寝てないはずなのに……あいつ、おかしくね?」


 理純りずみ智良ちらたち高3組が、ぼやくのを聞いて、


「寝てないからこそ! Highハイ!!なのですわ♪」


 めっちゃ元気なエヴァンジェリン。

 心はもう、逆三角形の建物へと飛んでいる。


 目の下にクマをこしらえた、前生徒会長の御津みと清歌きよか


「……何かもう、わたしたち、エヴァさんに色々、吸われた気がするわね」


 その呟きに、恋葉が赤くなって、唇を押さえる。吸われたらしい。


 窓の外を流れていく、山と海の景色。

 夏の景色が過ぎ去っていくのに、目を細めながら、金髪の天使エヴァンジェリンは、にっこりと微笑んだ。


「ええ、とっても。楽しい、夏でしたわ」




 別のバスでは。

 昨日の夜、心霊写真を撮ってしまった写真部組を囲んで、意見を交わす高等部の1年生たち。


「……幽霊なんていません。いないったら、いないんです」


 演劇部の双子の片割れ、泉見いずみ司。

 アイマスクをつけて、おやすみモード。話題の輪から早々に抜ける。

 ……顔が、青ざめている。


「そそそそうですわ、泉見さんの言う通り! 偶然、そう見えるだけ! 心霊などでは、ありませんわ!」


 ガタガタ震えながら、高笑いをしてみせる、1年2組の学級委員長、御神本みかもと美香。

 同じ2組、美術部の桶屋春泥が、ペンタブで絵を描きながら言う。


「日本画家の娘としては、興味深い題材よね。丸山応挙が有名だけど、浮世絵でも一番難しいジャンルだって言うし。……その写真、よく撮れてるわ。あたしは、本物だと思う」


 それを聞いて、美香が恐怖で泣き出した。


「さ、沙羅ぁぁー!!」


「桶屋さん。お姉さまを、怖がらせないでください」


 1組所属の義妹、御神本沙羅が、美香の頭を撫でながら、睨んでくる。


「ごめんってば。悪気は、無かったんだけど」


 若干重くなった空気を、


「そんなことより! ほら、ここ見てください。猫さんの尻尾が映ってるんですよ!! 可愛いですよね! ね!?」


 1年3組、猫山美月。他のクラスや部の子の前だと、ですます口調が抜けない彼女だけど、猫のことだとハイテンション。

 瞳をキラキラさせて、怖がる皆に写真を見せる……。


「うん、そこに注目するのは、猫山さんだけだと思うよ?」


 撮った本人の塩瀬あきら


「だ、だいじょうぶか、晶さん? アビー先輩のところで、お祓いでもしてもらうか?」


「あそこは、そういうオカルトは、取り扱わないんじゃないかなぁ?」


 いとこの塩瀬日色に心配されるけど、晶は首を横に振る。

 猫山さんの猫語りを昨夜ゆうべから聞かされて、もはや心霊写真への恐怖が消滅している……。


「もー! 皆して写真のことばっかり! 私の『∞×∞』を聴いてよ。練習したんだから!」


 カラオケで熱唱していた、1組の二宮ひさぎが抗議の声を上げる。

 楽しいりんりん学校の帰路だ。

 皆、幽霊騒ぎは忘れて、明るい話題へシフトしていく……。


 と、写真を回されていた、3組のみとちー(百合葉命名)こと川蝉弥斗みとへ、晶が声を掛ける。


「ああ、ごめん。弥斗さんは、こういうの平気だった?」


「あ、ええ。私は、平気です」


 何でもない顔で、ぼそっと、


「……生きてる人間の方が、よっぽど怖いですから」


「急に激重な話題、やめてくださいます?」


 御神本美香が、また涙目になった。




 そんな、賑やかな家路。

 学園へ向かうバスの旅で、宮子と、静流はと言うと。


「熟睡してますね……」


 風紀委員の後輩たちが、肩を寄せ合って眠る、2人の顔を覗き込む。

 ……その手は、固く繋がれている。


「やっとくっついたのか、この2人は」


 静流と仲の良い、厨二少女の荒神世音ぜのん、深々とため息。

 静流が宮子を好きなのは、風紀委員の後輩たちからも……いや、学園の誰から見ても、バレバレ。

 当の静流本人だけが、誰にも気付かれてないと思っていたのだ……。


「ふふっ。『氷の女王』の名付け親たる、余が言うのも何だが」


 静流の寝顔を見ながら、世音が苦笑する。


「静流先輩……見た目以外は、ちっとも『氷』ではないな」


「えへへ……宮子さん……♪」


 幸せそうな寝言に、呆れ半分。

 でも、そんな所が可愛いと、後輩たちは微笑ましく思った。


 夏が終わり、実りの秋が来る……。

 

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