第28話

 夜10時30分。

 りんりん学校の消灯時間だが、前生徒会長、御津みと清歌きよかが引率の教師たちに許可を取っているので、原稿作業は継続中。

 エヴァンジェリン・ノースフィールドが首席を争う優等生なのも、先生たちがNGを出さなかった理由である。


「むむむ、やはり難しいですね。もう少しで、こう、コツが掴めそうなのですが」


 雪川静流、下書き済みの背景の、ペン入れをタブレットで挑戦中。

 美術の成績は悪くないけれど、やっぱり、簡単なはずもない。


 ふと隣を見ると、宮子が珍しく真剣な顔で、画面に向かっている。


「ふふっ」


 何だか嬉しくなる静流。笑みをこぼすと、宮子が振り向いた。


「? なあに、急に笑ったりして」


「いえ、火蔵さんはもっと、いい加減な人と思ってましたけど。先輩の為なら、慣れないコトも真剣にやるんだなぁって」


 好感度アップです、なんて言っちゃって、赤くなる静流。

 宮子が描いている絵を覗き見ると。


上手うまっ! 普通にキャラクターも描いてる!?」


 さすがに下書きはエヴァ先輩だけど、人物のペン入れも余裕でこなす宮子だった。


「ふふ。わたくし、基本何でも出来るもの」


「おのれ火蔵宮子……!」


 私、要らなかったのでは?と、静流は頬を膨らませる。

 その頬を指でツンツンして宮子、


「あら、ねちゃった? けど、黙々と作業するのって、わたくし向かないし。雪川さんのおこり顔をでながらでないと、ね?」


「私、ペットじゃないのですけど」


「空気を吸うようにイチャイチャしますわね、貴女たち……」


 御所園咲瑠えみるが死んだ目で睨んでくる、そんな深夜11時。


 深夜12時。

 助っ人に駆り出された、1年2組の桶屋春泥しゅんでい

 画家を父に持つ癖っ毛少女は、ぶつぶつ言いながらも、手は止めない。


「……ったく、何であたしが。うちのクラスなら、立花さんだっているじゃん。万年2位のあたしよりさぁ……」


 この場にいない、同じクラスの天才少女画家へ、劣等感丸出しな言葉を呟きながら、でも作業は丁寧。

 エヴァの大まかなラフから、しっかりと背景を描き込んでいく。


 そんな彼女へ、前生徒会長の清歌がにこっと微笑む。


「ありがとう、桶屋さん。私たちを手伝ってくれて。……先生から、1年に出席率の悪い子がいると、聞いてはいたのだけど。目を見れば分かるわ。貴女は、本当は優しくて、真面目な子なんだって」


「はぁ。どうも……」


 ぶっきらぼうに答えつつ、赤くなって目を逸らす春泥。

 集団行動が嫌いで、クラスでも孤立しがちな彼女だけれど。

 学園のカリスマとも言える清歌に褒められたのは、照れ臭かった。


 やがて彼女と友人が、教師に目を付けられた時、清歌が助け舟を出すことになるのだけど、それはまた後の話。


 ……深夜12時。皆、口数が減ってきた。

 まだまだ元気なのはエヴァンジェリンと、体力おばけで知られるアイドル、美滝百合葉。


「エヴァさんっ、このページ、ペン入れ終わりましたぁっ! 次はどこですか、私、色塗りだっていけますよ!」


「まあ素敵! 百合葉さん、声優もやってらっしゃるけど、絵も描けるのですね」


 感心するエヴァへ、


「それはもう、BL同人誌で勉強……げふっ、ごふんごふん!! アニメの制作現場訪問、なんてお仕事も有りますから。プロの現場を見てるので!」


 百合葉が言うには、今度またテレビ番組の企画で、老若男女に人気の某国民的アニメスタジオにお邪魔するらしい。


「どうしよう、監督と話が弾んで、あのスタジオのアニメに、出演してくれーとか、頼まれちゃったら♪」


 ちなみに、本当に出演することになった。


 深夜2時。百合葉さえも、もう喋らない。


 深夜3時。ペンの音だけが広間に聞こえる。


 深夜4時。……。


 5時。夏の朝の陽光が、障子の向こうから差し込んでくる。


「やぁっと……終わりましたわー♡」


 エヴァンジェリン、可愛らしく万歳する。周りは死屍累々だ……。


「いえ、まだ全部終わってはないですけど。目途がついたというか。後は、わたくしと恋葉このはちゃんと、智良ちらちゃんに清歌さん……3年生組がカンヅメすれば、どうにか間に合いますわ♡」


「終わっとらんのかい!」


 理純りずみ智良ちらのツッコミに、エヴァと連れ添ってきた藤宮恋葉が、全てを受け入れた笑顔で(けれど、眠気で死んだ目で)。


「……まあ、うちは最後まで手伝うけどな。エヴァちゃんと一緒にいるの、楽しいし」


「付き合ってらんねー! あたしは部屋に戻る!」


 立ち上がる智良へ、エヴァ、


「そんな!? わたくしを見捨てますの!?」


 スカートを両手で掴んで止めたので、智良は転んで、おぱんつが丸見えになった。


「きゃぁぁっ!? で、でもこれは……会心の、ラッキースケベ!!」


「……嬉しそうね、智良」


 清歌がとっても冷たい眼で、そんな姿を見下ろす……。


「異常に元気ね、この先輩たち」


 宮子の疲れた呟きに、静流も完全同意だった。


 ともあれ3年生以外は、これで解散に。

 エヴァ、皆に頭を下げて、天使のスマイル。


「……ありがとう、皆さん。今日だけじゃなくて、3年間、色んな人に助けられて。わたくし、星花に来て、本当に良かった」


 感極まったのか、ふにゃっと泣き顔になって、涙を零しちゃう。


「ふぇぇ、わたくしは幸せ者ですわ。皆さんに出会えて、良かったぁぁー!」


「もう、エヴァちゃんってば、泣かんといてよ……」


「そ、そうだぞ。あたしまで、泣けてくるじゃんか」


 あと半年で卒業する3年生たちが、皆泣き始めるので。

 静流も思わず、もらい泣きで目尻に涙を溜めながら、微笑んだ。


「……私たちこそ、先輩たちには感謝しかありません。皆さんがいたから、今の楽しい星花が、あるんですもの」


 宮子も、いつもの小悪魔スマイルでなく、純真な笑顔で、


「ええ、わたくしたちこそ、先輩に出会えて、良かった。お姉さまたちが卒業しても、わたくし、忘れませんから。ふふ、忘れたくても、忘れられるような人たちじゃないですけど?」


 ……何だかまるで、星花女子学園の引継ぎ式みたいになってきた。

 最後は3年生と、後輩達と、お互いに深々と頭を下げて、


「「ありがとうございました!」」


 ※ ※ ※


 朝食までの短い時間。

 宮子と静流は、布団に入る前に、朝風呂でサッパリしようかと、露天風呂へ。


 朝焼けの太平洋と、日本一の霊峰が一望できる大パノラマを楽しみながら、熱々の温泉……と思いきや。

 静流の華奢な肩に頭を預けて、宮子が寝息を立てている。


(な、なんで私、こんなドキドキして……!?)


 露天風呂。裸で密着。数センチの距離に、宮子の綺麗な寝顔。

 ……柔らかそうな、薔薇色の唇。


「……美味しそう」


 頭がぼんやりするのは、寝てないから? 温泉にのぼせたから?

 それとも……。


 とくん、とくんと弾む心臓の、規則的なリズムに、より眠気を誘われながら。

 唇へ、唇が吸い寄せられていく。

 触れたような、触れてないような。吐息の掛かる感触に溺れたまま、静流の意識も、微睡まどろみに堕ちた。


 朝食前に、同じく朝風呂に来た風紀委員の後輩、世音ぜのんに起こされた2人。

 宮子が伸びをしながら、


「危なかったわね、お風呂で寝ちゃうなんて。溺れたら、大変だったわ」


「そ、そう、ですね……!!」


 宮子に溺れちゃったかもしれない静流。

 唇に微かに残ったような感触に、ひとり真っ赤になる。

 息が触れた感触か、あるいは。


(キ、キス。して、ませんわよね……!?)







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