第二場 何度だって

~~大聖堂地下3階~~


 気が付くと、ぼやける視界の向こうに見覚えのある男の姿があった。誰だっけ…祭服に身を包んだ…


「アンジェロ…か。なんであんたが」

「お前には借りがあるからな。もう少しじっとしていろ」

 手を当てられた腹部が熱を持っている。


 腹の中にタモラの腕を突っ込まれた。最初に感じたのは痛みではなく肉塊を掴まれた感触で、腕が引き抜かれ自分の血を見た途端に、例えようのない猛痛とショックに叫ぶこともできなかったところまでは覚えている。


「おれ、肉1ポンド取られたんだよね」

「そうだ」


「よく生きてたな~。人間ってすごいな、やっぱ神が作った最高傑作なんだな」

「少し黙っててくれ、ちぎり取られた肉を再生しているんだ」

「肉を再生?すっげー超高位魔法じゃん!あんた神に近づいてるんじゃない?」

「…静かにしてくれ」


 まんざらでもないらしく、アンジェロは口角をヒクヒクさせながら、口の中で聖書の文句を呟く。魔法を生成する『鍋』が十字架のロザリオなのが、敬虔なアンジェロらしい。


「大主教はお前の肉を食し、お前の魔法を奪ったぞ」

「そうみたいだね」

 なんとなく分かる。失った肉とともに頭の中に妙なスッキリ感があった。


「ライラが危ないな」

「あの娘は何なのだ?大主教も連れて来いと」

「ライラはライラさ。家に帰してやるって約束したんだ」


 再生が終わるとウィリアムは体を起こし、穴の開いた服の上からまじまじと傷痕を見た。少し違和感はあるが、痛みは全くない。

「恩に着るよ」


「どうするつもりだ。イングランド中の墓が口を開き、さまよい出た亡者の群れがロンドンの辻々で泣きわめく。血の露が降り、太陽の光はかすみ、潮の満ち引きを支配する月も完全に欠ける——この世の終わりかと思うような、それが大主教の世界だぞ。魔法を失ったお前に何ができるというんだ」


「もう一度作るさ」

 手のひらに指で文字を描く。何も起こらない。もう一度描く。やはり煙は出ない。


「頼むよ。エメラルドのように輝く大きな瞳、花びらみたいに淡い黄色の透ける羽根。早とちりでいたずら好きで、気に入った相手にはとことん尽くす、陽気な夜のさまよい人」

 もう一度、強く念じて手のひらに描く。


「来い…パック」

 すると小さな煙の中に、小さな体が現れた。


「おかえり、パック」

「ウィリアム…ボク、やだよ。あんな奴にこき使われて、人に悪い夢を見せるなんて」

「ああ、わかってる。よく戻って来てくれたね」


 涙ぐんだパックはウィリアムの顔にすがりついた。頬に当たるパックの感触が心地よくて、ウィリアムもしばし目を閉じる。

「いやだよ…ボクは誰なの?誰のものなの?ボクのこと手放さないでよ…」


「大丈夫。たとえ何度失っても、何度だっておれが描いてやる」

 そしてオレンジの瞳に力を込めると立ち上がる。


「アンジェロ、皆と合流したい。上階へ案内してくれるか」

「その役目、わたくしが引き受けましょう」

 軽快に靴音を鳴らして現れたのは、身なりの良い女性だった。小柄でかわいらしい顔立ちだが、目元や口元はツンと気が強そうだ。


「大主教の魔法かな?」

「ええ、エレノアと申します。あの生意気な女、マーガレットを打ち倒す為に協力いたしますわ」

「あれ、君は大主教ラブじゃないの?」


「嫌いではありませんわ。でもわたくしの夫は聖職者とは仲が悪くて、その記憶はしっかり残ってるんですのよ。それより憎っくきマーガレットを倒すことですわ!さ、参りますわよ。その手を伸ばして素晴らしい黄金にさわるんですわ。届かないなら、わたくしの手を継ぎ足しますわ!」


「いやべつに世界はいらないんですけど…」

 完全に主導権を奪われて後に続きながら、しかしこういうのも悪くないなとパックにこっそり言うと、小さな足で鼻を蹴飛ばされる。


「マーガレットって誰?どこの女?巻き込まれてんじゃん」

「大主教の魔法だよ。…戦うのは嫌だけど、どうせ避けられないんならさ、巻き込まれた方が効率いいよきっと」


「怖がりのくせに楽観的だよな。そういうところが好きなんだけど」

 それを聞いたウィリアムは嬉しそうに、パックを捕まえるとほっぺたでスリスリした。


「お前こんなかわいい奴だったっけ?ちなみにおれの見たところさ、本人たちは気付いてないのが気の毒だけど、ジャンヌダルクもタモラも捨て駒。マーガレットってのが大主教の本命だね」


「そんなのどうだっていいよ!離せ!」

 と、しかし、にやける顔は隠せないパックなのであった。



※エレノア 『ヘンリー六世 第二部』に登場。護国卿グロスター公ハンフリー(ヘンリー6世の叔父)の妻。マーガレットの愛人サフォークの奸計で失脚する。


※「人間って神が作った最高傑作なんだな」『ハムレット』第二幕第二場 ハムレット

※「イングランド(本来はローマ)中の墓が口を開き、さまよい出た亡者の群れがロンドン(本来はローマ)の辻々で泣きわめく、血の露が降り、太陽の光はかすみ、潮の満ち引きを支配する月も完全に欠ける、この世の終わりかと思う」『ハムレット』第一幕第一場 ホレイシオ

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