第四幕

第一場 虎の女

~~大聖堂地下3階~~


 アンは走った。ウィリアムが身を呈して作った隙にその場を離れ、はぐれたマシュー、トニーと合流するために。そして———

宝珠オーブを渡してはならない」


 宝珠はアンが所持していた。5人の中で最も戦闘能力が高いからである。国教会の兵士であるアンを、全員が信じてくれた。

 上階へ向かう階段を探すが、迷路のような地下空間に、あてもなくさまようのは危険だとすぐに察知し、一本ずつ道を確認しながら進んでいる。


 しかし気は焦るばかりだった。

「ここも違う!もうっ!」

 早く合流して助けなければ、ウィリアムの命が——!そう急くほどに、この地下空間に嘲笑われているような気がしてくる。


「あんなに怯えていたではないか…」

 兵士として、常に命懸けで相手と対峙し戦ってきたアンには分かる。彼は戦いたくなどないのだ。オレンジの瞳の奥へ懸命に恐怖を押し込めていた。


 更に、キャラを作って動かすのはとても消耗するとも言っていた。サザーク教会の戦いではハル王子、フォールスタッフの二人を同時に、そしてアンを逃す為にもまた魔法を使っている。


「一刻も早くしなければ…!」

 ライラの救出はもちろんだが、それと同じかあるいはもっと強くそう思っていることにも気付かぬほど、アンは必死だった。


 人の気配に剣を構える。現れたのは白と金のドレスにピンク色の豪奢なショールを纏った長身の女だった。女だろうが何だろうが構わない、前に進むのみだ。

 だが薄暗い中で斬りつけようとして、アンの膝から力が抜け、その場に崩れて動けなくなる。


 女は生首を抱えていた。生首の顔は向こう向きで見えないが、ふわふわのこげ茶の髪で———

 やがて女が目の前に立ち、冷たく見下ろされる。ゆるく波打つ金髪までもが怜悧な刃のようだ。生首の正体を想像して、体の芯が震えて歯がカチカチと鳴る。


「おまえが宝珠オーブを持っているのだね。出しなさい」

 目を逸らさないだけで精一杯だったが、アンは抵抗を示した。すると、マーガレットと名乗った女はおもむろにハンカチを放る。


 アンの膝に落ちたそれは、一面赤茶けて鉄臭い。まだ乾いていない血のハンカチと、向こう向きの生首を交互に見る。

「そんな…っ!ウィル!!」

 堪えようもなく涙が溢れる。


「死んだ男のために涙を流すというのなら、そのハンカチで濡れた頬を拭くがよい」

 肉1ポンドが取られてしまった。死んでしまったものはもうマシューの力でも癒せない。


「体が千切れるほど悔しいだろう?口を開けばその胸は張り裂けてしまいそうだろう?せいぜい悲しんで、猛り狂うがよいわ」

「黙れっ!!女の皮を被った虎の心め!」


 震えながら剣を握り立ち上がろうとするが、マーガレットに人差し指一本で額を押さえられ、金縛りにあったように動けなくなる。


「私の愛するサフォークはヨークに殺された。リチャードという奴が殺すまで、私にはエドワードという息子がいた。リチャードという奴が殺すまで、私にはヘンリーという夫がいた。その元凶は全て、リチャードの父親ヨーク公だ」


 言いながらアンのプレートメイルの下、腰につけたポーチから宝珠を抜き取る。どんなに抵抗しようとしても、腕を動かすことも身をよじることもできなかった。


「ヨークの奴をやっと殺したと思ったのに…!」

 言いながら生首を抱きしめる。


「忌まわしき血統はヨークの息子リチャードへ、より色濃く受け継がれた。親の仇を討つためにその子が仇の子を殺す。そんな戦だった。私は我が息子を目の前で殺されたよ」


 マーガレットが生首の顔をアンに向ける。思わず目をつぶるが、一瞬見えた顔に違和感があった。おそるおそる細く目を開けると、口ひげが生えている。目は閉じているが、明らかにウィリアムよりも歳上で、別人である。その首の髪に顔をうずめたマーガレットは、うっとりして続ける。


「私はヨークのためになど、断じて動くつもりはない。しかし大主教さまは、女王を倒しこの世界をイングランドのものにしたら、彼と息子を生き返らせると約束してくださった。愛しいサフォークが生き返ったなら、ヨークが支配するイングランドなど捨て、どこか遠くで二人で暮らしたい。おまえはどうだ?大主教さまに仕えれば、ウィリアム・シェイクスピアを生き返らせられるのだよ」


 首は別人だったが、ウィリアムは既に死んでいるのはやはり違いないのか。宝珠オーブも奪われてしまい、もうできることなどない。絶望が重くのしかかる体に、マーガレットの言葉が甘い蜜のように流れ込み、全身を縛っていく。


「生き返って欲しいだろう?復讐に飢えているだろう?どちらも十二分に味わえ。さすれば大主教さまの魔法がお前を取り込む」

 大主教の魔法に取り込まれる。大主教の物語の登場人物になるのか。一滴の血もないあんな体になって、呪いのセリフを吐くのか。


「そんなのは嫌だ」

 アンの涙は止まっていた。


 ——私はウィリアムの魔法にかけられたのかもしれない。今は、もっと続きが見たいと思っている。

 サザーク教会でマシューが打ち明けてくれた言葉は、アンにとっても全く同じだと、今ならはっきり言える。私はウィリアムの描く物語を見ていたい。誰よりも先に、誰よりも側で。


「あなたの悲しみを否定はしない。他の結末を求めたい気持ちは分かる」

 剣を持つ手に力がこもる。

「しかしヨークが世界を支配するのだぞ?どこへ行こうと、あなたと愛するサフォークに安息の地などない。なぜそれがわからない!」


 束縛に生じたほころびを見逃さず、アンは剣を振り上げ、生首を持つマーガレットの腕を切り落とした。腕と首は離れずに地面を転がる。


「あなたとて、ヨーク公とその息子を殺したではないか!憎しみの連鎖を産むのに一役買った、その報いは受けなければならない。それが物語とは違う、現実だ」

「悲しみの中、落ちぶれて惨めに生きるのがどんな思いかお前にわかるものか!いつまでも死に損なって、亡くなった我が子を悲しむのがどんなものか!」


 マーガレットの悲痛な叫びは凶器となりアンの体を切り裂き、腕から顔から出血する。けれど負けるものか。こんなところで諦めるわけにいかない。


宝珠オーブを返してもらう…!」

「黙れ。お前にこれ以上用はないわ」


 アンは立ち上がる。マーガレットの姿は消えかけている。

「たとえ肉1ポンドが切り取られていても、宝珠とウィリアムは渡さない!」

 手にした剣を思い切り投げつけた。



※マーガレット(再掲)

『ヘンリー六世 三部作』と『リチャード三世』の4作全てに登場するキーパーソン。ヘンリー6世の妻で、赤薔薇派サフォーク公の愛人。愛人の生首を持って宮廷内を歩く。「自分が死んだら王座を渡す」とヨーク公に約束してしまった夫に代わり、全軍を率いてヨーク公と徹底的に戦った。

ヨーク公の息子ラトランドの血に浸したハンカチを、捕えたヨーク公に優しく渡し、なぶり殺しにするという劇的な場面は『ヘンリー6世 第三部』。マーガレット自身もヨークを刺すが、乃木の演出だと眉一つ動かさずメッタ刺し。そのぐらいやる人だよ…。


※「女の皮を被った虎の心め!」『ヘンリー六世 第三部』第一幕第四場ヨーク公リチャード

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