第三場 薔薇の娘

~~大聖堂地下3階~~


 階段を下りて向かった先に、うずくまる人の姿があった。見覚えのあるプレートメイルに、ライラたちはすぐに駆け寄る。


「アン! 怪我してるの? 大丈夫!?」

 腕や顔の大きな傷から出血している。そしてライラたちの顔を見ると泣き出した。あの気丈なアンがである。痛みのせいではないだろう。


「すまないっ…私にはなにもできなかった。宝珠オーブもウィリアムも奪われて、ウィリアムが、ウィリアムが死んで…」

 あの時マーガレットへ投げつけた剣は空を切るだけで、傷一つつけることすらできなかった。


「ウィリアムが…?」

 癒しの魔法をかけるマシューが表情を凍らせる。彼は正気に戻ったビアトリスと女子会にもみくちゃにされた後、緋色のウィリアムの部下に救出され、ライラたちと合流していた。


「私を逃がすために自ら犠牲になって…それなのに私は宝珠を守れなくて…」

 しゃくりあげるアンをライラは抱きしめた。ウィリアムが死んだ…しかしまるで現実感は無く、ただ嫌な動悸だけが体を打つ。


「あっ…おい!」

「うん、アン、ライラ!」

 トニーとマシューが何かに気付くが、二人には聞こえていない。


「私が誤ってスイッチを押してしまったから…!」

「アンのせいじゃないよ、わたしだってさらわれなければ…」


「ライラ! アン! ウィリアムだぞ! 生きてるって!」

 トニーの声にも反応なし。手を振って近づいてきたウィリアムはガリガリ頭をかいた。


「死んでた方がストーリー的にはよかったかな」

 その声にはっと、アンが顔を上げる。そして、

「…ウィル」

また大粒の涙をこぼした。


「肉1ポンドを取られて死んだかと…」

「魔法だよ。アンジェロに助けられた」

 ウィリアムの服は腹の部分に大きな穴が開き、アンの持つハンカチと同じ血に染まっている。本当に危ないところだったのだ。


宝珠オーブ奪われちゃったの?」

「すまない…」

 安堵とともにうなだれたアンの頭に手を乗せ、ウィリアムは日なたのような顔で笑う。


「アンも、ライラも、全員無事でよかったよ。あんたのおかげかな? ウィリアム・セシル」

 全員の視線を受けて、緋色のウィリアムは口を開く。


「大主教が王権転覆を企む証拠を掴み、イングランドの平和を守るためだ。お前の方こそ、女王の任務を遂行すべきではないのか」

 バーリー卿ウィリアム・セシル。女王の秘書長官というイングランドの中枢人物だ。


 信仰の象徴たるカンタベリー大主教が暗黒に染まるという、国家の存亡を揺るがしかねない前代未聞の不祥事は秘密裏に対処せねばならない。それがこの超大物が自ら動いている理由である。


「お前は女王の密偵、秘密警察の一員だろう、シェイクスピア」

「さすがよくご存じで」


 ライラに見つめられ、ウィリアムは視線をそらす。けれどライラは立ち上がり、しっかりとオレンジの瞳を見た。


「最初から全部知ってたの? それでわたしに近づいたの?」

「…知ってたよ」

 続きの言葉を待つライラに、ウィリアムは決意する。


「ライラ、君はエリザベス女王の娘、そして父親はヨーク公の子孫だ。おれの任務はライラを大主教から守り、女王のもとへ連れていくことだよ」


 さっき、緋色のウィリアムからも同じことを聞かされた。しかしウィリアムの口からもう一度言われても、どう反応すればいいのかわからない。


「女王は独身でしょ…間違いじゃないの?」

 現在48歳のエリザベス女王に婚姻歴はなく、処女王ヴァージン・クィーンと呼ばれているのだ。


「君を一目見て、女王の娘に間違いないって確信したよ。その髪色も、鼻の形も口の形もうり二つだ」


 ライラが知る女王の肖像画はお面のような白塗りで、人間らしさが一つも感じられないものだ。そんな人の娘だなんて言われても、嬉しくも何ともない。

 しかも、なんでよりによってヨーク家の———


「ヨークに連なるものは粛清されたんじゃなかったのか」

 マシューも震える声で問う。


「いたんだよ。ヨーク公の四人の息子のうち、17歳で戦死したラトランドが死ぬ直前にもうけた子が」

 結婚はしていないから、歴史の表には現れない子だ。だから粛清の中も生き延びた。


「そんなのっ…! じゃあ本当かどうかなんて分からないじゃない」

「そうだね。しかし女王の前に現れた男は、これを持っていた」

 ウィリアムが取り出したのは、古びたメダルのような金属だった。白薔薇の徽章、そして1443年5月17日と、1460年12月2日と刻印されている。


「ラトランドの生まれた日と、もう一つは子が生まれた日だそうだ。ラトランドは1460年12月30日に戦死しているからね。きっと自分の子を産んだ女性に渡したんだと思う」


 これがあれば、ヨーク公爵家の庶子として援助を受け生活していけるはずだったが、歴史はそれを許さなかった。女性は白薔薇の徽章を隠し、子を守るため逃げながら暮らしたのかもしれない。


「これを持って現れた男は、自分がヨークの生き残りだと隠さなかった」

「シェイクスピア!」


 緋色のウィリアムにきつい口調で止められたが、

「ライラには知る権利がある!」

と強い剣幕で言い放った。


「女王は話してくれたよ。男がヨークの汚名をそそぎ復権を狙うため近づいてきたと知ったうえで、恋をしたと」

 ウィリアムは穏やかな顔をライラに向けて続ける。


「そして男の方も同じだった。目的は女王の暗殺だと明かし、なお愛していると告げた。暗殺を首謀したのは———大主教だ。だが、まさか二人が愛し合い女王に子供ができるとは予想できなかった。この辺はあんたの方が詳しいだろう?」

 緋色のウィリアムが続きを受ける。


「許されぬ妊娠が分かってなお、女王に後悔は露ほども無かった。妊娠は家臣にも、特に大主教には極秘とされ、出産翌日には女王はいつも通りの公務をこなしていたよ。産まれた女の子は二週間後に女王の手を離れ、赤子を失ったばかりのガラス職人の子として育てられるよう、私が手配した」


「お父さんとお母さんは…」

 ライラの生みの母を知っていたのだ。そしていつそれが明るみになり、連れ戻されるのかと恐れていた。あの時、国教会に連れ去られたライラを助けてくれなかったのは、ついにその時が来たと悟ったからだ。


「しかし君の存在を大主教に知られてしまった。大主教の狙いは女王を脅し、そしてヨークの血を引く君を王座に据えることだ」

 そうやって利用されるから、女王はライラを捨てたのだ。自分は厄介で迷惑な存在なのだという思いだけが膨れる。


「結局邪魔なんでしょ! わたしなんかが産まれたから女王もあなたもみんな困ったんでしょ!? ヨークの男だって殺されたんじゃないの!? わたしのせいで!」

 混乱して呼吸が苦しい。泣きたいのに泣けない。こんな気持ちは初めてでどうすることもできず、自分の髪を両手で強く引っ張りブチブチと音を立てていた。


「ライラ、やめろ」

 トニーに手を取られるが、振り払ってしまう。


「お父さんだって女王の子なんてきっと迷惑だった! お母さんだって…」

 もう一度トニーはライラの腕を取る。

「やめろ、違うよ。血は繋がってなくても本当の親だと、他でもないライラが思ってるんだから親だって一緒に決まってるよ」


 家族の中で自分だけよそ者だと言っていたトニー。彼も一緒だと思いたいのだ。それが分かったから、今度は素直に頷けた。女王の髪色と同じ艶のある赤茶の髪が、指の間にたくさん抜けている。


「女王ってね、『余にも赤子に乳を飲ませた経験があるから、自分の乳を吸う赤子がどんなにかわいいものか知っている。しかしやる時は、余の顔を見上げて笑っている赤子の柔らかい歯ぐきから乳首をひったくって頭をかち割り、その脳味噌を叩きだしてみせようぞ』とか言う人なんだけどさ。そんなおっかない人にも男を愛し愛され、子を慈しむ心があった。おれはそれを聞いた時嬉しかったよ」


 ウィリアムはライラの視線の高さに顔を合わせる。


「女王は君を産んだ時、確かに君を愛していた。邪魔ならおっぱいなんかあげずにすぐ捨てるか殺すはずさ。女王が処女王でいるのは政治判断で、許されない相手との子を手放さなければならなかったのは事実だ。

けどおれにはね、女王が国民の前で白塗りの面を崩さないのは、男王として国民を愛し、王座争いの内乱は二度と起こさないという決意であり、愛する人と子を手放したという生涯癒えることない悲しみを一人、固く胸に秘めるためだと思えるんだ」


 オレンジ色の瞳は優しく、ライラの渦巻いた感情が一気に涙となり溢れる。ウィリアムに肘でどつかれたトニーが一歩前に出て、顔を覆ったライラへそっと腕を回した。


「そして自分の子でなくなっても、女王はずっとライラのことを気にかけていた。そうだろ?」

 緋色のウィリアムが頷く。


「女王は君が体調を崩した時には薬を届けさせ、5歳で馬車にはねられ骨折した時には、はっきり取り乱していたよ。私は両親と定期的に会い、君の成長を女王に伝えていた」


「…知らなかった。わたし、何も知らなかったよ」

「それでいい。何も知らず平凡な娘として幸せに暮らしてほしい。それが女王とお前の両親の願いなのだ」


「あんたもな」

 ウィリアムに言われて、緋色のウィリアムは口角をちょっと上げる。


「おれは、君を大主教から守り女王の元に連れて来るよう命じられてる。そして、君がいいと思うなら会いたいと女王は言っているよ。ライラはどうしたい?」

 ライラは顔を上げた。側にはトニーの顔、そしてアン、マシュー。ちょっと心配そうな複雑な表情をしている。


「…女王になんて会いたくない。家に帰って、お父さんとお母さんに会いたいよ」

 それを聞いて、みんな微笑んだ。

「そうだよな。約束だもんな」

 二人のウィリアムも同じ顔だ。


「ライラぁ…! うえっ、ううぅ~っ! 大好きだ!」

「パック? どうしてそんなに泣いてるの?」

 小さな小さな涙をこぼしながら、パックは全身でライラの顔に抱きつく。パックの体を撫でながら、この温かさがウィリアムの魔法なのだと思った。


「じゃあ、ライラは家に帰るために。おれはキャラたちを取り戻すために」

 ウィリアムが伸ばした手に、ライラも手を重ねる。


「俺は大主教のじいちゃんの目を覚まさせるために」

「私はウィルを守るために」

 二人も手を重ねると、全員の視線がマシューに注がれる。


「わ、私は…なんだ…回復役と、そうだ、ウィリアムの物語の続きをみるために」

「なんかマシューちゃんだけ軽いんだけど」

「うるさい!」


 五人が重ねた手の上に、緋色のウィリアムの大きな手がかぶさった。

「では私も、ライラをヨークの血から守り無事に家へ帰すために」


「わたくし感動しましたわ! そして打倒マーガレット!」

 エレノアが体温のないかわいらしい手を乗せた。たとえ大主教の魔法だろうと、今は誰も異論ない。


「僕たちも入れてもらえる?」

 振り返ったライラはあっと声を上げる。


「ハムレット? 地下二階からは動けないんじゃなかったの?」

「言わなかった? 僕たち上には行けないけど、下には行けるんだよ」

 相変わらずぬいぐるみを抱いたまま腰には剣を下げて、斜め後ろにはホレイシオ。逆側には見るからに武将といった甲冑姿の男二人を引き連れている。


「マクベスだ。ライラ殿にはコリオレイナスの暴虐パワハラから救ってもらった恩がある」

「同じくオセロだ。ライラ殿のため、尽力致す」

 彼らが輪に入り手を重ねると、最後にパックがちょこんと座る。


「ボクもライラが家族のところへ帰れるように」

「パック…ありがとう。わたしも大好きよ」


 パックは勢いよく舞い、全員にキラキラのシャワーを振りかける。それはまるで星が降るよう。

 人は星の配置の元に運命が定められる。そして魔法の源は星の雫———。しかし今は希望の形だと思った。


「運命は星次第かもしれないけど、きっと努力でどうにかなるものよ」

 自分に言い聞かせるようなライラに、ウィリアムが応える。


「もう一度始めようか、シェイクスピア劇場を!」



※「余にも赤子に乳を飲ませた経験があるから、自分の乳を吸う赤子がどんなにかわいいものか知っている。しかしやる時は、余の顔を見上げて笑う赤子の柔らかい歯ぐきから乳首をひったくって頭をかち割り、その脳味噌を叩きだしてみせようぞ」『マクベス』第一幕第七場 マクベス夫人


※「運命は星次第かもしれないけど、きっと努力でどうにかなるものよ」『終わりよければすべてよし』第一幕第一場 ヘレナ

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