第6話 ギルドの洗礼


 受付嬢と主任の男、二人のギルド職員に案内され、ギルドの裏に通された。そこは子供が四、伍人で走り回ってもまったく問題ないくらいの広場があった。

 藁で作った人形らしきものが立っていたり、的の書かれた木の板が置かれている。

 ここが彼らの言う簡易訓練所、通称<裏庭>と呼ばれる場所らしい。裏庭では本格的な訓練は行われないが、ギルドに所属している冒険者ならいつでも利用可能で、互いの連携の確認など、体を少し動かす程度の運動ならば、この広さで十分だと考えられているようだ。怪我をした冒険者が回復後、以前と変わらない動きができるかを確認するのもここで、現役復帰のための準備運動をする場所に使われたりもする。

 裏庭の仕様や使われ方を一通り聞きながら裏庭の奥に目をやると、露出の高い服を身に着けた褐色肌の少女がこちらに手を振っていた。


 今回の試みは、某にスキルを発動させるための訓練を施し、実際に目で見て確かめようというものだった。彼女はそのために雇われた冒険者だ。

 依頼はわざわざギルド名義で出されたもので某は一銭も支払っていない。

 それだけ期待されているということなのだろうが……そんな期待に見合った働きができるか些か不安だ。


 少女の左右の腰には、それぞれ短剣が差さっており、動きやすそうな露出の多い服装をしているので、なんとも目のやり場に困る。

 ただ可動域を邪魔しない程度に抑えられた露出で、おそらくは防御よりも攻撃寄りの戦いを得意としているのだろう。

 防御を犠牲にした速度特化、他に重い鎧などを身に着けていない点からも、攻撃重視だとみられる。間合いは短剣が届く超接近戦。格闘も多少はできるように見える。

 簡単に懐に潜り込まれるくらいの速さだったら厄介だが……幸い飛び道具は見当たらない、手に持った短剣のどちらかを飛ばしてくる可能性もあるにはあるが……それはなんとも言えなかった。

 日に焼けた健康的な肌、淫靡さよりも、むしろ快活さが勝っている。

 背丈は一般的な成人女性よりも少し低いくらいで童顔だった。受付嬢が紹介を始める。


「こちらが今回シバハラ様の指導をつけてくださる冒険者の――」

「カンナだよ、よろしくね!」


 <かんな>と名乗った少女は再び笑顔で手を振った。こちらの反応が薄いので、無理やり注意を向けようとしているようだが、如何せん某は社交的ではない。

 相手が女子というのも気後れする原因だった。それも目のやり場に困るほどの露出の高い服装と、明るい笑顔、すべてが眩しすぎる。


 失礼になってはならないとも思うが、なにより黙ってお辞儀をするほかない。他になにをやっても不器用になってしまう気がした。

 某のことはどうか、路傍の石か、そういう人間だとでも思ってほしい。早々にとっつきにくい相手だと諦めてくれた方が無難なんだがと思っていると、彼女はようやく、某がそういうことを苦手としていると気づいてくれたようで、必要以上に笑顔を振りまくことはしなくなった。

 戦いの場に身を置き続けたことによる弊害か、某の人に死に寄り添い過ぎた。彼女のように天真爛漫な性格とは付き合いずらい、馴れ合いは苦手なのだ。


「芝原源之助でござる、よろしくお頼み申す」

「そんなかしこまらなくていいよ、スキルを使うのなんてそんなに難しいことじゃないんだ、リラックスしてないとかえって難しくなることもあるからね。自然体が一番いいんだよ、僕も精一杯教えるから一緒に頑張ろう」


 なんとも心強い言葉だ、おそらく後輩を指導し慣れているのだろう、人を元気づける言葉が巧みだ。彼女の元気な様子を見ているだけでこっちも元気になってくる。彼女の面倒見のいい性格が垣間見えた。それに素直に応えられない自分の不器用さが不甲斐ないほどに。冒険者としての彼女はきっと仲間たちにとってなくてはならない(ムードメーカー的な)存在なのだろう。


「だけど君ってよっぽどうちのギルドに見込まれてるんだね、滅多にないよ、スキルの使い方も知らない新人のスキルを確認したいからって、それを手伝う仕事なんてさ、ギルドが報酬を出してまで引き留めたい相手なんてこっちも俄然、興味が湧いちゃってね、引き受けたってわけ」


 かんなはおちょくるようにギルド職員二人に目を向けた後、けらけらと笑った


「そもそも君、まだうちに入るって決めてないんでしょ?」

「いえ、某はそのつもりでござるが……」


 ここまでしてもらって所属しないなんて不義理な真似はできない。すると安心したようなギルド職員たちと、カンナも途端に笑顔になった。


「そっか、なら後輩になるわけだ、なら、冒険者の厳しさを教えちゃるか、手加減しないからね」


 少女は、やる気を出したのか屈伸運動をした後、腰の左右に差さっていた短剣を抜いた。その短剣を器用にくるくると回し、刃を上にしたり下にしたりと、交互に持ち替えたりしている。


「とりあえずレクチャーしときますか、わざわざ依頼を出したってことは、いきなりやれっていったって無茶だろうし。

 君が持っている戦闘系のスキルは、ある意味、技術系のスキルよりは自覚しやすいよ、たぶん本番になれば勝手に使うことになる、けどそれは意識的にじゃなく、追い込まれたときだ。スキルはそういったときに勝手に発動する、スキルの一番の理解者は自分、スキルは会得した瞬間から君の血肉となっているんだ、君が意識的に認識していなくても……そういう自覚ないでしょ?」


 某が頷くと、かんなはそういうものなんだよねと言った。


「スキルは潜在的に危機意識と直結してる、そこで僕の出番ってわけ、僕なら君を追い込めるし、君がヤバめのスキルを発動したとしても対処できる。だから君は気兼ねなくスキルを発動させてくれたまえよ」


 かんながどんとこい、というように小さな双丘の胸を拳で叩いた。ならばお言葉に甘えてと木刀を構えると、カンナが眉を潜める。


「木の武器か……そっちの鉄製の武器を使ってもいいよ、本番と一緒の状態じゃなきゃスキルの効力がわかりづらいし」

「すまないでござる、これは使えない武器でして」

「ふーん、使えない武器を持ち歩いてるんだ、よっぽど愛着があるんだね」


 使えない武器というのは嘘だったが、かんなは納得してくれたようだった。

 こんな訓練で妖刀など使えない。使えばカンナに後遺症が残るほどの傷をつけてしまうかもしれない。彼女はまだ若い、これから結婚なども控えているだろうし、傷物にしてしまうわけにはいかなかった。

 そうとは知らないカンナは、少し納得のいかない顔をしていたが、しょうがないなあ、といった軽い様子で息を吐く。


「でもそれって耳が痛いな、僕も昔はそうだったんだ、いつも持ち歩いている武器に愛着があった。けどいつしか武器を持ち替えているうちに初心なんて忘れちゃったてね、そういうのは大事にした方がいいかもしれないな、うん」


 かんなはどうやら某の持っている武器が壊れているから使えないと勘違いしてくれたようだ。そう思ってくれるのならそれに越したことはない。否定せずに黙っておいた。


「それにしても結構立派な鞘に入ってるけど、値打ちものだったりする?」


 かんなはよっぽど見慣れない武器が気になるのか質問をしてきた。某は愛想笑いで追及をかわす。

 確かに言われてみれば、こんな値打ち物の刀、所有者がいないはずがない。いずれにせよ、これは某の持ち物ではない。持ち主が現れたら返さなくてはならないものだ。拾った当初は妖刀など持っていては危険だと思っていたが、今にして思えば、こいつには何度も窮地を救われている。手放すのが惜しいと思う程の愛着が湧いているのも事実だ。そんな思い入れが霞んでしまうくらい不気味な刀だが――。


「僕はこれから君のスキルを誘発させるために全力で攻撃するからね、君はなにも考える必要はないよ。危機感を感じたままに反撃すればいい、ただしこっちもただの威嚇じゃ意味がないから、それなりに攻撃するし、防がなきゃ怪我をするよ」


 カンナはスキルを発動させるための心得を伝えると、短剣を持った腕をたらりと垂らした。体のどこにも強張りがない。これは厄介な攻撃が来そうだ。そう判断した直後、少女が鎌首をもたげる蛇のように、弛緩させた身体、その凶器の先端のみに力を籠める。その瞬間理解した。

 殺す気だ。


 殺意は形骸化していた。そこに殺意を向ける相手がいてもいなくても関係がない。武器を向けたとき、それはすなわち彼女にとっての戦闘態勢、殺意は勝手についてくるものになっている。それは戦い慣れた者が到達する一つの終着点。

 ある者は無我の境地と呼び、ある者は達人の入り口だという。

 無我とは他の感情が一切入り込む余地がない集中状態のこと。彼女の場合は捕食者のそれ……自然の摂理というものを突き付けてくる。

 某は木刀を構え、摺り足でにじり寄りながら、相手の出方を伺った。


「大丈夫、君が強いのは知ってる……きっと僕が思う以上に……だけど冒険者の到達点はもっと先……容易にはたどり着けない場所にある」


 カンナの口調に少し違和感を感じた。悟りを開いたかのような言い方に、今までの友好的な顔とは打って変わって真剣な表情をしている。かと思うと次の瞬間、カンナの姿が掻き消えた。馬鹿な、いったいどこに!?

 姿が見えない。どこにも……だが、たとえ姿は見えなくても殺気は消えていなかった。

 カンナの位置を見極め、木刀を振り上げる。目には映らなくてもそこにいる、すぐ近くに迫ってきている。

 目を細め、周囲を俯瞰してみても意味はない。なぜか足音すら聞こえてこない、だがそこにいると確信が持てた。某が長年、培ってきた殺気を察知する力は確かなものだ。そう自負するだけの信頼性がある。

 しかし、その速さを捉えるにはまだ足りない、さらに神経を研ぎ澄ませる必要があった。右、いや左、高速で移動している。常人ではあり得ない速さで……。

 自分の感覚が狂っているのではないかと思うほどの速さだったが、相手が人間の範疇で測れる生き物ではないだけだ。

 下手な先入観など捨ててしまえば捉えられる。相手が女子であることを忘れ、ただ正確な一撃を叩きこむのみ。


 反撃を食うかもしれない相手、しかも見えない敵にこちらから仕掛けるのは勇気のいることだ。だがそれは相手も承知しているはず。

 だから敢えて<初手はこちらから攻撃>を仕掛ける必要がある。

 意表を突き、主導権を握る。打って出るしかない。

 そこっ!!

 一瞬のうちに相手がいると先回りして察知した感覚を頼りに木刀を振り下ろした。それは何もない空間だったが、カンッという甲高い音が鳴り響く。

 捉えた、そこに居た。立て続けに木刀を横に払う。だが、その攻撃は、ぶうんと風を切るだけで、虚しい音とともにカンナを取り逃がした。


「チイ、早い……」


 二撃目を繰り出すとき、一撃目で切り裂いた空気の裂け目に残像の中に消えるカンナの姿がはっきりと映った。

 カンナはなんらかの技を用い、薄い空気の膜の中に隠れていたのだ。そのおかげで足音も聞こえなかった。姿が見えないほどの速さで動き回っているのは確かだが、何重にも技を重ね、位置を特定されにくくしている。そんな大技を一朝一夕で使いこなしているとは恐れ入った。

 だがさきほど攻撃を当てたことが功を奏したのか、なんらかの技が切れたらしく、軽快な足音が隠されることもなくあたりに木霊している。今ならカンナの動きを音で追える。


 確かに人知を超えた力だ。これが冒険者の使うスキルというものか、受付嬢のスキルに対する過剰なまでの反応、その原因が今になってようやくわかった。こんなものを某も使えるようになるなんて信じがたい、そもそも使ってみたいと思えるか? こんな化け物じみた力、人の手には余るのでは……。

 確かにすきるを知っている者と知らない者とでは、実力差が顕著に表れるだろう、カンナが言った冒険者の到達点、それは人を越えたところにあるのかもしれない。

 冒険者にだけ見える景色……容易にはたどり着けない場所……確かにそうだ。


 だが戦慄を感じると同時に、某の胸にはいつしか、かつてないほどの高揚感が生まれていた。

 いまだかつて、これほどの手合いとは相まみえたことがない。強き相手との真剣勝負は心が躍る。相手が強ければ強いだけ。他人に自身の命を握られている状態だというのに……。


 カンナは、ズザザと地面をえぐり取りながら姿を現した。


「よく今の攻撃を防いだね」


 そう言いながらカンナは肩で息をしている。カンナも今の攻撃は全力だったのだろう。簡単に披露した技ではない。某の覚醒を促すために無理をしてくれたのだ。その志に冒険者が何たるかを多少は理解できた気がする。依頼人の願いを身体を張って叶える、そのためなら命を賭けることも厭わぬ仕事人。確かに金のためでもあるのだろうが、それだけではない。

 カンナの額にうっすらと浮かんだ汗の玉が、それを物語っていた。


 カンナは技を防がれたことに対しては悔しがってはいなかった、むしろ感嘆していた。乱れた呼吸を整えながら笑顔を見せ、ギルド職員たちに視線を向ける。


「私の<俊足>と<気配消し>の複合スキルを初手で看破するだなんて、確かに信じられない才能だよ、まさか反撃までされるなんて思ってもみなかった。けどこれで……」


 カンナは指を一本立て『今のが一つ目のスキルでしょ?』とハロルドに視線を向ける、ハロルドは鑑定眼の持ち主だ。スキルが発動したのなら、それがどんなものかを分析することもできるはずだが――。


「え? 」


 首を横に振るハロルドにカンナはいぶかし気な目をした。


「どうやら今のはスキルではないようだ、とても信じ難いことだが彼はその……スキルを使っていない、私の目にはカンナ殿のスキルだけが表示された、つまり……」

「スキルを使わず攻撃を察知してかわしたっていうの、そんな馬鹿な……姿も見えなければ音だってしなかったはずだよ、運よく振った攻撃が当たっただけなんて、そんな馬鹿みたいな奇跡、信じられるわけないじゃん」


 カンナの攻撃を防ぐタイミングもぴったりだった。全く見えていない、音も聞こえていないのであれば、それは奇跡というほかない。


「しかも私の攻撃を受けた後、この子、速いって言ってた――」


 それは実際に見えていたのではなく感じ取れただけ、だがその直感的な感覚を説明する術を源之助は知らなかった。


「ですが事実、私の鑑定眼が機能していなかったとは考えられない。カンナ殿が今言った複合スキルも、私の目には、はっきりと映っている……」


 スキル看破の性能は十分、ハロルドがダメ押しのように言うと、カンナはがりがりと頭を掻きむしり、そしてすぐに立ち直る。


「ああもう、わかった、こうなったら徹底的にやってやろうじゃないか!」


 カンナは気合を入れ直し、腕をぶんぶんと振り回してやる気を出す、すると、まさにそのとき、あたりを怪しげな空気が立ち込めた。

 某は、はっとなって背後を振り返った。

 そこには筋骨隆々の山のような大男が立っていた。

 いつからそこにいたのかわからないが恐ろしい気配を放っている。冒険者か?

 男は両手に小さな手斧を握っており、前髪は垂れて表情を隠し、髪の間から虚ろの目が覗いていた。

 ときおり焦点の合っていない目が不気味にぎょろぎょろと動いて、死んだ魚のように濁った目を向けてくる。カンナが舌打ちをした。


「ザンザ……」

「やってるねえ……」


 カンナは大男をにらみつけた。ザンザと呼ばれた男は、カンナを挑発するように、ニヤついた笑みを浮かべる。

 二人は知り合い? ただカンナとザンザからは、単なる知り合いというにはあまりにも不適切な険悪な空気感が漂っている。

 特にカンナの様子はあからさまで隠す様子も見られない。


「なあに、ちょいとそこで小耳に挟んだんだが、お前がどうやら新入りいびりをしてるっていうんでな、ちょっくら見学させてもらおうかと思って寄ったんだ」

「仕事の邪魔だよ、どっかいきな」

「つれないねえ」


 二人はなにがしかの因縁があるようだ。ザンザが嘲るように笑った。


「いっちょ前に後輩の指導とはえらくなったもんだなあ、カンナちゃんも、先輩面すんのは早いんじゃないか?」

「……」


 ザンザはカンナを挑発しているようだが、カンナはそれに応じようとしない。それは依頼を受けた冒険者として今は仕事に徹しようという心情の表れのように見えたが、ギルド職員たちが見守っているというのにザンザは口撃の手を緩めない。

 だが、そんな暖簾に腕押しの雰囲気も、次にザンザが発した一言で変わった。


「それじゃあ兄貴も浮かばれねえな」

「……」


 カンナの目つきが変わったと思うや否や、ザンザが意味ありげな嫌らしい視線を送る。手ごたえありといった様子で、カンナの心で燻り始めた怒りが燃え上がるのを楽しんでいるかのようだった。


「あんたなんかに――……お前みたいなやつが――」


 きっとそれは誰にも触れられたくなかったカンナの心の傷を抉る言葉だったのだろう。傍から見ても、今指摘された兄のことを言葉にしないくらい動揺していた。


 もはやカンナが怒り狂うのは時間の問題とばかりにザンザはカンナから視線を外すと、某に向かって視線を下した。見上げなければならないほどの巨体だ。

 山賊相手でもこれほどの体格差になったことは一度もない。規格外の大きさだ。カンナと比べると蟻と馬ほどの違いだろうか。


 某を睨みつけ『こいつがそうか』とつまらなげに吐き捨てたザンザに、すぐさまカンナが『新入りを威嚇してんじゃないよ』と声を荒げたが、ザンザは気にせず、顎を掻いた。

 彼の素行はギルド職員たちの間でも有名なのか、二人のギルド職員は呆気にとられながらも見守っている。

 ザンザは態度を改めようともせず、首をコキコキと鳴らした。


「で、やるのかやらねえのかどっちなんだ?」

「なんであんたなんかと――やり合う価値なんて――」


 一度、冷静になりかけたカンナだったが、声は迷っているのか震えていた。持っている短剣をあからさまにぎゅっと握り締める様子は、カンナの我慢を物語っている。


「はっきり言いな、兄貴の仇がとりたいんだろう? いつもは俺とは関わらないように距離を取ってたみたいだけどな、いくら大人なふりをしたって、その殺意は隠せてねえんだよ……ひひひ」


 カンナが『くっ』と息を漏らす。本心を言い当てられたことが悔しいのか、それとも殺意を隠す気もなくなったのか、続けて、持っていた短剣をだらりと垂らす。


「おやめなさい! 冒険者同士の私闘は厳禁、いかなる理由があろうとも許されません、即刻、武器を引かないと二人とも資格をはく奪しますよ」


 安全に対して過剰なまでの信条を持つギルド職員としての当然の言葉にも、ザンザとカンナは剣を引かなかった。武器を構えたまま相手のことを睨みつける。


「こいつは私闘じゃなくて、ちょっとした訓練だ、そうだよなカンナ」


 カンナは答えなかったが、そういう建前でザンザをヤル、その意気込みが垣間見えた。二人とも本気だ。本気で殺し合いをしようとしている。


「かかってこいカンナ、兄貴は利き腕を飛ばしてやったが、お前は逆の腕にしてやるよ、みじめに冒険者を続けられるようにな」

「死ね――」

「ふたりとも、止め――」


 カンナの堪忍袋の緒は完全に切れていた。すっと目が虚ろになったかと思うと、ザンザに肉薄するぐらいすさまじい速さで接近し、短剣を突き入れる。

 斬るなんて生易しい攻撃ではない。突き殺す、その正確無比な一撃はザンザの首、心臓があるであろう胸、人間にとって傷を負ったら致命傷になるであろう部位ばかりだ。

 カンナは、ゆらりと幽鬼のように身体を揺らし、ザンザの反撃を避け、手に持った短剣をザンザへと繰り出されていく。


 今までの彼女からでは考えられない、心を闇に堕としてしまったかのような変わり果てた姿だった。心が暗い想念に囚われ、本来の彼女ではなくなっている。

 最初に会ったときは、あれほど快活に笑っていた顔が、今では見る影もない。

 それが悲しいと感じると同時に、いつも心に秘めていた、剣の道を究めるために自身もずっとそのような心情だったことを否応なく想起させられた。


 背筋が寒くなるほどだ、一般人がこの気迫を受けたら吐き気ぐらいは催すかもしれない、そんな殺意を込めてカンナがザンザに躍りかかっていく。


「お二人とも武器をお引きなさい、このままでは本当に――!」

「うるせえ!」


 ザンザがいつまでも自分たちの戦いを単なる訓練と認めようとしないギルド職員たちに向かって吠えた。だが二人の様子が普通ではないのは誰の目にも明らかだ。これが単なる訓練とは誰が見たって違和感がある。


「そうだ、こいよ! 兄貴の仇を討ちてえだろう!」

「勘違いすんじゃないよザンザ、僕はね、前からあんたがめざわりだっただけさ」


 鋭く尖った殺意の言葉をザンザに向かって投げつけるカンナの顔は、すでに冒険者のそれとも違っていた。殺意の塊、闘争本能だけが彼女の身体を動かしている。


「さっさと死ねよ」


 おおよそカンナの口から発せられたものとは信じられないほどの起伏のない平坦な声が響いた。

 戦闘態勢に入った二人には、誰の声も届かない。広場中央付近で激しくぶつかり合い。互いの命を削り合う。見ていてぞっとするほどの攻防が繰り広げられていた。

 カンナの手に持った短剣が、ありえない軌道でザンザを襲う。まるで獲物を狩る蛇のように。

 それを防ごうと振り下ろしたザンザの斧が地面を穿ち、砂ぼこりを舞い上げると、カンナの姿が掻き消えた。

 某に見せたものよりも実用的な、それでいて今度は陽動フェイントも織り交ぜている、本気だからこそ遠慮のない狡猾的な攻撃。

 相手を仕留めるために正面からの攻撃だけでなく四方八方からも縦横無尽に迫る、流石のザンザもこれには――と思ったが、ザンザにもなにやら違和感があった。


 ザンザにはカンナの動きが見えているのか、カンナが来る方向を的確に捉え、手斧を振り下ろす。

 土煙があがる中、カンナが身を翻す姿が見えた。

 ザンザはおそらく某とは違う方法でカンナの動きを読んでいる。冒険者同士の攻防とは、それすなわち互いのスキルをぶつけ合う戦いだ。

 そこに勘が入り込む余地などない。これが本来の彼らの戦い方なのだ。

 そうやってできた隙に、カンナは慎重に攻撃を合わせる。ザンザは力でカンナを圧倒し、カンナはそれに速さで対抗する。

 そういう図式かと思われた。

 見ていて息を飲む両者の戦いは、まだカンナの方が優勢に見えた。

 主任の男と受付嬢が顔を見合わせて二言、三言、言葉を交わし、主任の男が人呼びにギルドへと帰っていく。


 すでに戦いは佳境だ、間に合うかどうかもわからない。このままではきっと。それに先ほどから感じているザンザの違和感が、某に焦燥感を抱かせた。このまま何事もなく済むとは思えない。

 実力者同士の戦いは、実力が拮抗していれば長引くかもしれないが、多くの場合は決着が早い、特に使用している武器が真剣であることは憂慮すべき事だ。そしてなによりザンザの攻撃はあまりにも一辺倒すぎる。


 かわされてもかわされても攻撃を繰り出し、まるでカンナに躱されることが想定内であるかのように馬鹿正直に斧を振り下ろす。

 これらの行動に意味がなければ、ザンザはよっぽど狡猾な相手ではないと思えるのだが、ザンザがカンナを戦いに巻き込むために発した言葉はどれもカンナの情緒をくすぐる位、考えられたものだった。

 ただの馬鹿ではカンナをここまで狂わせられない。


 ただ状況とは裏腹に、ツワモノ対ツワモノの戦いは見ているだけで血が湧き肉が踊った。どちらが善で、どちらが悪かなど関係がないくらい見入ってしまう。

 武人とは罪深い生き物だ。瞬きする時間も惜しいほど、二人の戦いから目を離せないでいる。


 そして何かがおかしいと感じていた、その違和感が徐々に姿を現し始めた。

 カンナは常に全力攻撃を繰り出しているため徐々に疲れてきたのか動きが鈍くなっている。

 それに感情的になっているぶん、体力の消費がザンザよりも激しい。動きに余計な力が入る。

 強張った身体から放たれた攻撃は、むしろ使用者に無駄な力を使わせる、そして普段の冷静なカンナなら気付けていたであろうザンザの攻撃に対する違和感も、今のカンナでは察することもできない。

 これがすべてザンザの思惑通りだったら――。

 いかん、この勝負――カンナ殿……油断めさるな。その男、思ったよりも策略家でござるぞ。だがその願いは虚しく、最悪の転機が訪れた。


「何度やっても同じ!」


 ザンザが大振りした手斧をかわしてカンナが吠える。だが二撃、三撃とザンザは手斧を大振りし続ける。そこにカンナがいないのに――。

 そのときになって気づいても遅かった。ザンザが何度も振り抜いた手斧によって竜巻が発生し、竜巻は地面に転がった無数の土くれを宙に舞いあげ、カンナをも飲み込んだ。


「うっ!?」


 ドスドスと竜巻の中で無数の石礫に襲われるカンナ。すぐには抜け出せないのか、竜巻に煽られ続ける。


「油断したなカンナ! いくらお前が早くても無数に襲い掛かってくるその礫は避けられまい! 早く動くことに集中しすぎて、見なくちゃいけねえものを見落としやがったな!」

「っ!?」


 カンナはなおも竜巻の中で苦しげな声を上げ、だがようやく竜巻の中から脱出した。


「ぐっ!?」


 だが脱出したものの、全身傷だらけで満身創痍、膝をついた。足を負傷した? これでは今までのように動けない。


ザンザは待ってましたとばかりに手斧を地面に突き立てると、すかさず両手を中央で叩き合わせた。そして口ずさむ呪文が土くれたちに意志を与える。


「土の精霊ノームよ、わが呼び声に応え、あらゆる力を跳ね除ける鉄壁の防御を授けたまえ――ストーンウォール!!」


 突然、四方から突き出た壁がカンナを囲った。

 カンナは足を負傷しているためどこにも逃れられない。さらに頭上を土くれが覆う、ついには土の檻に閉じ込められてしまった。

 これはいったい……。


「こいつは土の絶対防壁だ、魔法が使えないお前にはどうすることもできないだろ!!」


 カンナが抵抗しているであろう短剣によるものと思われるキンキンという音が壁の内部から聞こえてくる。

 だが壁はびくともせず、崩れる様子は一切ない。

 どうやらただの壁ではないようだった。物理的な攻撃が効きにくいような、おおよそ元が土くれだと思えぬような金属音を響かせている。

 この檻を破壊するのは至難の業だ。


「わかってねえなカンナ、魔力で強化された壁は単なる土じゃねえんだよ、内側からいくら攻撃したって壊せねえ、俺にこんな真似ができるなんて思わなかっただろう? それが油断って奴だ、冒険者は日々成長するんだぜ、技術力だけじゃねえ、人だって日進月歩、研鑽する。だからいつまでも以前と変わらないなんて思ってちゃ、今のお前みたいになっちまうんだよ」


 ザンザは調子に乗っているのか流暢に言葉を紡ぐ。ただ、これで済むとは思えなかった。ただカンナを閉じ込めるこんな嫌がらせをするためだけに、冒険者資格の失効、自分の進退まで賭けたとは思えない。

 ザンザはもったいぶっているがなにかをする気だ。きっとよくないことに違いない。まだ助けは来ないのかとギルドの方を見るが、誰かがやってくる様子はなかった。


「はああ……」


 そうこうしているうちにザンザが身体の中央で合わせた両手に意識を集中する。

 すると檻から嫌な音が……何かが崩れる音。

 檻が徐々に縮み始めた。檻の中から、カンナのうめき声が聞こえる。

 カンナ殿を生き埋めにする気か!?

 檻は内側から崩れながら、外側を縮ませていく。

このままではカンナが危ない、助けは来ないようだし命の危険がある、某が助太刀するしかない。

 某にとって生き埋めは、以前にもそんな憂き目に遭った生むべき所業。

 見ていることすらつらかった。あんなつらい目に今はカンナが遭っている。許せない。

 たとえこれが当人同士の真剣勝負であっても――カンナ殿……今、助けますぞ。


 木刀を振り上げ、土の檻を睨みつけた。

 一分一秒を争うときだ。そんな短時間で、この檻を破壊することができるか? おそらく内側だけでない、外側も刃を通さないほど硬いはず。

 おおよそ物理的な力ではどうにもできないだろう、だがやるしかない。

 やれなければカンナが死ぬのだ。

 一度は木刀を振り上げたものの、明らかに木刀では心許ないと思い、木刀を戻して、腰に差した刀、妖刀の方を引き抜いた。

 唯一、可能性があるとしたらこの刀だ。カンナの前では使えないと言い張ったが、この刀ならどうにかなるかもしれない……あの絶対防壁とやらを突破することも……。

 むしろ、狙いを見誤れば、檻の中にいるカンナごと真っ二つにしてしまう可能性がある。失敗は許されない。檻だけを斬るのだ。

 だが迷えば刀の切れ味は最大限に発揮されず、おそらく壁を斬るにも至れないだろう、どちらにせよ全力を出しつつ、カンナを救う、とても難しい、針に糸を通す以上の神経を必要とする。


 よしと刀を構え、意識を練り上げていく。某の潜在能力、そんなものがあるというなら、今こそ発揮するときだ。それがスキルでなくとも、どんなものでもいい、カンナを救えるなら力を貸してくれ。

 

『殿に大切なものなどいりませぬ、すべてを断ち切りなさいませ』


 くっ、邪魔をするな。

 頭の中に横やりが入る。せっかくカンナを救おうと気合を入れているときに、お前には何かを守る力などないと告げるように、力を欲するなら心を闇に閉ざしてしまえと誘うように。ええい、ままよ、なにも守れぬ力にどれほどの意味がある。某は修羅に堕ちた、だが堕ちたくて堕ちたわけではない。他に強くなる術が見つけられなかったから……命を賭した死闘でしか強くなれぬと信じたからこそ全身全霊をかけた。

 後悔などしていない、だが拾えるものは拾っていく。ゆくぞ、赤椿。


『あちきの名を……あなた様はそうやって……いつも、あちきの心だけを穢して――憎らしい……許しませぬぞ……』


 刀の柄を強く握り込む。意識を深く集中したおかげか、あたりの喧騒が徐々に静かになっていく妙な感覚に陥った。

 心の中までそっと静まり返っていく。これは――。無我の境地。

 剣術とは心で斬ること……斬れると思い込めばどんなものでも必ず斬れる……研ぎ澄まされた心で斬るのだ。


 『やめなさい! 危険です!』


 そのとき受付嬢が何かを叫んでいたようだが某の心には届かなかった。

 某は刀を振り上げた態勢のままカンナが閉じ込められている檻に向かって一気に駆けた。

 周囲の景色、そのなにもかもが一瞬のうちに通り過ぎる。そして極限状態から叩きこまれたその一撃は、振り抜いた瞬間、ある種の真空状態を作り出した。

 結果を見てすらいない某の心に確信が宿る。斬った……と。


「キエエエエエエエエエーーーーーイ!!!!」


 己の制限リミッターを解除するために放った全身全霊の咆哮が、巻き起こった爆音に紛れ、そして遅れて聞こえてきた。


 スキル<断の奥義>

 あらゆるものを切り裂く剣技。

 全ての防御力を攻撃力に転換して放つため使用者は完全な無防備となる。

 カウンター攻撃を食らえば諸刃の刃で死に直面するほどの大ダメージを負うが、その一撃は、文字通り命を賭けた必殺の一撃である。

 相手のあらゆるバフを貫通し、魔力を無効化することができるが、代償として、防御力がゼロになってしまう状態もまた、あらゆる回復アイテム、スキル効果をもってしても相殺できない。

 よって今日に至るまで、このスキルの使い手が世に勇名を馳せた歴史は存在しない。まさしく死と隣り合わせのスキルである。


 風圧がすべての音を吹き飛ばし、耳を劈くような音が返ってくる。それと同時に閉じられていたすべての感覚器官が戻ってくると最初に聞こえてきたのは受付嬢の叫び声だった。

 なにやら必死に叫びながらこちらの無事を確かめている様子だったが、某はそれよりも先に真っ先に砕けた土の檻に駆け寄った。砂の小山の前で立ち止まり、その中におもむろに腕を突っ込むと一心不乱に掘り返す。

 すると土の中からずるりと細い人間の腕のようなものが飛び出した。

 まぎれもなくカンナ殿の腕だ。周辺の土を一気に掻き出し、土の重みがカンナの身体を少し押し出したところでカンナの腕を引っ張り、胴体を出す、さらに脇に手を入れて一気に引いた。

 勢い余ってカンナごと後方に倒れてしまったが、砂まみれになりながらカンナを救い出すことに成功した。鼻先に指を持っていくと息はある。かなり浅いが呼吸はしていた。

 あまり身体を揺らさないように、ぐったりしているカンナ殿を背負う。受付嬢に向かってカンナの負担にならないよう煩く聞こえない程度の声をかけた。


「カンナ殿は生きておられる、早く医者に――近くに診療所はござらんか」


 受付嬢がはっとした顔で『こっちです』と言って案内し始めた。

 ザンザを横目に受付嬢の後を追う。ザンザは目の前の土くれに呆然とした表情を浮かべており、こちらを気にする素振りはない。いくら真剣勝負とはいえ、やり過ぎだ。ザンザは初めから命を取る目的でカンナと対峙した。技を研鑽するためでもなく、力を高め合う過程で起こった事故でもない。意図的、恣意的なとても不純な動機、武人としてあるまじき行為だ。


 それから数分後、ほぼ入れ替わりに主任の男が複数の冒険者を連れて現場に駆け付けた。だが戦いは既に終わっており、目の前には破壊されたストーンウォールの残骸が、崩れかけた無残な状態でおかれている……それを見上げながら主任の男は眉を顰めた。


「これはいったい」


 それがなんなのか鑑定眼を持つ男にはわかったが、どんな経緯でストーンウォールがそのような状態に置かれているのかが理解できなかった。

 下部は辛うじて原型を残しているものの上部は完全に破壊されている。

 その場には誰もいないので事情を聴くことさえできない。だが明らかに異常な光景だということはわかった。

 まだ魔力の残滓を漂わせているストーンウォールは破壊されて間もない、しかも破壊された状態を見るに、魔力で打ち砕かれたものではない。無理やり力で叩きつぶされたような……こんなことが人間に可能なのか? ストーンウォールを物理的に破壊することはできない、常識に考えればそうだ。だが目の前の光景は違っていた。

 主任の男は懐からハンカチを取り出し口元に当てると、未だ周囲に舞っている土ぼこりを気にしながら残骸を詳細に調べる。


 魔力で強化された防御壁を砕くにはその二倍相当もの魔力で練られた攻撃が必要だ。魔力には魔力、それが王道。

 だがそれを物理攻撃で行おうとすれば優に何十倍もの無駄な労力が必要になる。わざわざそれを行う意味などどこにもない。これを行った人物が、それを知らなかったというのでなければ。

 そんなごく簡単な仕組みすらわからない人間がいるだろうか?

 物理攻撃で無理なら、普通であれば魔力を使う、魔力を使えないのであれば諦める、それしかない選択肢で、あえてこれを行った人物は物理法則を捻じ曲げてまで攻撃を加えた。

 この都市に、こんなことが行える魔物でも入り込んだのだろうか?

 だが都市の緊急事態を知らせる鐘は鳴らされていないし、街に変わった様子は見られない。

 だとしたらますますわからない。そもそも結界で守られているこの城塞都市にそんな強力な魔物が入り込めるとも思えない。


 魔力を根源から叩きつぶすほどの凶悪な力、仮にもし、そんな魔物がいたとしたら、討伐するにはおそらく英雄級と呼ばれるA~Sランク相当の冒険者が数人は必要になる。だがあいにく今は出払っている。

 とりあえず一度、街の安全を確認しないと、そのあとに行方不明者の捜索か……。

 受付嬢に、カンナにザンザ、そしてあの新入りの男もいない。彼らはいったいどこへ……まったく、やることが多すぎる。

 主任の男は溜息を吐いて天を仰いだ。そのほとんどが杞憂であるとも知らずに。


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