第7話 仮登録


 「あ、ちょっと待ってください」


 意識を失ったカンナを診療所のベッドに寝かせて後のことを医者に託し、無関係な人間がいつまでも診療所に居座ってはいけないと思い、建物の外に出たところで、これまで某を診療所まで案内してくれた受付嬢に声をかけられた。

 振り返ると、突風に被り物、次いでひらひらとした衣服を抑えながら受付嬢が駆けてくる。

 駆け寄ってきた受付嬢が、おずおずと差し出してきたのは額当てのようなものだった。


「これは仮登録証です。本当は本登録証をお渡ししたかったのですが、主任がいなかったのでスキルの確認ができていませんから……」


 確かにそれはその通りだ。だがそれなら仮登録証だって渡すべきではないのではないか? と思ったが、受付嬢はそんな疑問をかき消すような清々しい笑顔を浮かべた。


「ゲンノスケさんの実力はわかりました、あれならおひとりでも、お仕事を請け負うことは十分に可能でしょう」


 受付嬢が仮登録証を持っていたということは、スキルを確認した結果次第で渡すつもりだったのだろう。もしかしたら本登録証も持っているのかもしれない。

 だが仮登録証とはいえ破格の待遇だ。てっきり今回のスキル確認は無効になったのではないか覚悟すらしていたので、この結果は喜ばしい限りだった。


「これで某もギルドで仕事を請け負えるということでござるか?」

「はい、基本的には通常の登録証とそれほど差異はありません、ただゲンノスケさんの場合は、まだ必要事項を満たしていませんので、仕事を請け負う場合はおひとりでとなります」

「ほう、それは某としても、とてもありがたいことではござるが……」


 そんなことを主任の男抜きで決めてもいいのだろうかと心配になった。後になってなんでそんな勝手なことをしたのかと受付嬢が怒られはしまいかと思ったが、受付嬢は某の心配していることをつぶさに感じ取り『ああ、大丈夫です』と両手を振った。


「私こう見えて信頼されているんですよ、主任も私の判断で構わないと言ってくれていたので――。手続きの時もあの人、見ているだけだったでしょう?」


 たしかに主任の男は、口を挟んできたりはしたものの、手続きは受付嬢の裁量に任せているようだった。本当に鑑定眼持ちという要因のみで同席していたようだ。


 仮登録証を受け取り、まじまじと見る。鉄製の通貨メダルのようなものに紐が通してあり首にかけたり腕に巻いたり、身に着けられ易いようになっている。メダルの中央にはギルドでも見かけた紋章が彫られていた。この紋章はギルドごとに違うのだろうか、そんな気がする。

 メダルはなんの金属でできているのかわからないがズシリと重い。冒険者の仕事の重みを感じさせる。


「そうだ、登録料を――」

「いえ、大丈夫ですよ」

「え?」

「今回、ゲンノスケさんにはいろいろと助けてもらいましたから、サービスしておきます」

「いや、しかし――」


 受付嬢は料金を受け取る気がまったくないようで抗議をしても暖簾に腕押しのような気がした。仕方なく仮登録証を懐にしまう。


「かたじけない」

「これからは同僚になるんですから、一緒にギルドを盛り立てていきましょう」

「うむ」


 しばし見つめ合い、どちらからともなく笑顔がこぼれる。なんともこそばゆい雰囲気が流れ、気が付いた受付嬢が、はっと息を飲んだ。


「あ、すいません、いつまでもお引き留めしてしまって」

「いや、こちらこそ……」

「ではゲンノスケさん、また明日」

「では、これで」


 ぺこりと頭を下げる受付嬢に別れを告げ、某は後ろを向いた。

 気になって時折、後ろを向くと受付嬢がにこりとほほ笑んで手を振る。いつまでそうしているつもりなのだろうかと思ったが、受付嬢は某が曲がり角に差し掛かり、姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。

 まったく奥ゆかしい人だ。そこまで気を使わなくてもいいのに……。

 受付嬢の仕事人気質に触発されつつ、まじまじと喜びを噛み締めた。

 なんとか冒険者になることができた。明日から忙しくなるぞ。

 自然と笑みがこぼれ、歩みが早くなる。早く吉報を、サイラス家の人々に心配をかけてしまったことを詫びなくては。


 いろいろとあってもう夕刻だ、空腹には慣れているとはいえ凄まじく腹が減っている。ギルド職員の二人にも某の訓練に付き合わせてしまったことで昼飯を抜かせてしまった、えらく迷惑をかけてしまった。この恩はギルドへの貢献でお返しせねば。


 ただ受付嬢と話してわかったことだが、某は人から受ける陽の雰囲気がかなり苦手だ。おそらく自分が綺麗な生き方をしてこなかったせいで、気後れしてしまうのだろう。彼女のような存在と話すことを負い目のように感じている節がある。

 うわついているというより、苦手意識かもしれない。

 なんて思いながら歩いていると、とある十字路に行き当たった。

 道は三つに分かれていたが、何も考えずに歩いてきたせいで、どっちに向かえばいいかわからない。受付嬢のことや冒険者になれたことで気が緩んでいたとしか思えない。帰り道も分からずに、ただやみくもに歩いていただなんて……つまり道に迷った。


 この歳になって道に迷うのは情けないことだが、この都市は初めて訪れた場所なので仕方のない面もある。

 ともすれば建物の建物様式なども見たことがなく、特徴を覚えづらかったことも、混乱して、迷子になった理由だろう。


 今更、引き返してギルドから道順通りに帰るのも面倒だ。どうしたものか。

 少し考えて、手っ取り早い方法を思いついた。少々、久しぶりだが勘は鈍ってはいないはずだ。

 山で道に迷ったときは、よくこの手を使っていた。

 十字路の真ん中に木刀を立て、木刀から手を離し、木刀を倒す。木刀が倒れた方向に進むという、古今東西、道に迷いし者達に脈々と受け継がれてきた由緒正しい占いだ。


「よし」


 木刀が倒れた先に目を向けると、道の両脇に鬱蒼とした林が生い茂り薄暗い、なんとも不気味な道が続いていた。

 見た感じ、あまり足を踏み入れたくない道だな、と思いながら木刀を拾い、その道に足を向ける。

 この占いを使って進む道を一度決めたら取り消しは利かない、御利益を失ってしまうからだ。にしても不気味な道だった。今にも幽霊が出てきそうだ。


 不意に生暖かい風が吹き、周囲の木々がさわさわと騒めく。

 風の仕業だとわかってはいるが、木々が風に揺れる姿は、ずっと見ているとなんだか人の顔に見えてこないこともない。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と念仏を唱えながら、自然と足が早くなる。

 某は幽霊など実体のないものを苦手としている。きっとこれまで手にかけてきた人間の怨念が某を付け狙っているかもしれないと心のどこかで思っているからだろう。

 確かに某とて人を斬ってきたことに関しては割り切って考えている部分もある。ただ人の持つ悔いというものは、そう簡単に消えないのではないか、そう思えて仕方がないのだ。

 某が山崩れに遭い死にかけたときにだって、多くの走馬灯が脳裏をよぎった。あれと同じことが某の斬り殺してきた人々の間では、なかったなんてことはない。

 きっと某以上に悔いが残ったはずだ。

 敗北して死を受け入れる、高みを前にして、そんな境地に至れるわけがない。

 強さを追い求めるがゆえに、真剣での勝負に殉じるしかなかった彼らの無念は計り知れない。

 だからこそ某も、彼らの無念からくる怨念を恐れるのだ。

 某が妖刀を過度に恐れているのもそれが理由だろう。


 ふと何者かの視線を感じ、足を止めた。

 右前方の木の影に誰かいる。これは殺気か……殺気を放っているということは幽霊の類ではない、と思いたいが――。


「何者でござる? 某になにか用でござるか?」


 声をかけてしばらくして木の裏手から見知った顔が現れた。

 巨体に似合わず策謀を巡らせる意地の悪そうな目をした狡猾な男、両手に持った小さな手斧は相変わらず、死んだ魚のような目は濁った光を湛えている。


「ザンザ殿と言ったか、なにゆえここに……」


 問いかけても、ザンザは勿体ぶるように何も言わず怪しげな雰囲気を放っていた。やがて不敵に笑う。

 あまりにも不気味なので、いつでも抜けるように木刀に意識を移した。いきなり斬りかかってくることも考えられる。

 不意打ちをするために潜んでいたのか? 待ち伏せがバレたため、大人しく姿を現したのだろうか?


 なにが目的かいまいちわからない。

 性格に難ありというのは先の一件でわかっていることだが――。

 正直、言ってあまり関わり合いたくない手合いだ。無視できるようなら無視してしまいたい。だがおそらく逃がす気はないのだろう。無視すればおそらく逆上して、背後からだろうがなんだろうが、お構いなしに襲い掛かってきそうだ。

 力がすべてだというザンザの思想を完全否定するわけではないが、ザンザのやり口は、少々いきすぎている。

 力を誇示するためならその他一切の事情を考慮しない。カンナを亡き者にするために勝負を挑むような冷酷な男だ。

 それに、あの、あまりにも配慮に欠けた煽り文句、聞いているだけで吐き気がした。カンナ殿の兄上を傷つけたことを、まるで誇るかのように、家族の前で堂々と……カンナを惑わすためだけに発した、あの所業は、少々、痛い目を見なければ反省したりはしないだろう。

 強くなりたいという渇望から戦いを選ぶのではなく、義のためでもない、ただ己の力を誇示したいがゆえに闘争の道を歩む、某に言わせれば動機が不純だ。

 付き合いきれん。

 だから、はっきり言ってしまえば、ザンザという男、見ているだけで癇に障るのだ。

 カンナとの勝負は見事だったが、どうにも礼節に欠けていた、わざわざカンナを冷静でいられなくするために彼女の兄すら愚弄した。

 勝つためになら何をやってもいいわけではない。全力の相手に勝ちたいという向上心がなければ、何のために人を傷つけるのか。

 むしろ相手を傷つけようとする雑念を抱いたまま戦って、いったい何が得られるというのか……遠回りして近づけるほど、強者への道のりは甘くない。

 某とて聖人ではない、強さの前に人の命を蔑ろにしている。真面な人生を送っている者からすれば決して理解されぬ血に塗れた人生だ。

 だからといってこのザンザという男と同列には捉えて欲しくはない。こいつは外道にも劣る愚か者だ。

 ザンザの殺気に怯えてカア、カアと、カラスが鳴き声をあげて飛んでいく。ザンザは依然、口を閉ざしていた。


「用がないなら、行くでござるぞ」

「まて……」


 ようやく口を開いたかと思えば、それは地を這うように低い声だった。ザンザは道を塞ぐように立ち、行かせる気はないようだ。


「あのとき、お前、俺の邪魔をしたな」


 邪魔をした。それは人によって解釈はそれぞれ違うだろう、某がカンナを救ったことをザンザはそのように捉えたようだ。

 見下げ果てた奴、命を無為に奪った方が自分のためだとでも言いたげに……ギルドでそのことが今後どのように処理されるかはわからないが、少なくともギルドの方針に反しているのではないか、ならば、なぜお主はそんなギルドに身を寄せているのだ。そんな疑問が湧いた。

 なんとも子供じみた理由に思えた。自尊心を守ることが仲間の生命よりも優先されることなのか。

 確かに考えてみればそうかもしれない、ここにやってきたということは某のことを診療所からずっと付けていたことになる。

 診療所にいるカンナの様子を気にすることもなく、命を奪ってしまったかもしれない相手のことを、路傍の石とでも思っているのだろう。

 同じ人殺しでも、こんな輩とは一緒にしてほしくない。

 謝ることはできなくとも、せめて人を思いやるほんのわずかな動揺すらこの男にはないのか……自然と拳に力がこもった。

 この程度の器しかない者が冒険者――。

 敬意を払うに値しない人間だった。このザンザという男には心がない、ただ力が備わっているだけで気高き精神性など皆無だ。ただ恐れを振りまくだけの存在など、某の視界に入れたくもない。


「某はカンナ殿を助けただけでござる」

「つまりは俺の邪魔をしたってことなんだよ、それでいったい何をしやがったんだ? どうやって俺のストーンウォールを――」


 技を破られたことが気に入らないのか、そんなつまらないことでカンナ殿を見舞うこともなく某を追ってきたというのか、どうだっていいことだ、そんなことよりもお主には他に気にしなければならないことがあるだろう?

 そうは思っても、当然ザンザが自主的にそんな気持ちを抱くわけもなく。


「ビビッて口がきけねえか?」


 拳を震わせていた某の挙動から、そんなふうに思ったらしい。

 怒りや呆れは抱けど、こんな男に恐怖心など微塵もない。悲しみとも憎しみとも知れない感情が、某の心に影を落とした。

 この男、某が受付嬢から仮登録証を受け取ったところも見ていたはずだが。


「某も晴れて冒険者、私闘に応じる気はないでござる」

「それはてめえの返答次第だ、さあ、応えやがれ」


 カンナ殿を焚きつけたことだって、わざとだ。そうまでして何を守りたいというのか。某をわざわざ追ってきて、斬られたいのか? 某は怒りに囚われそうになっていた。この傍若無人な態度をとるザンザという男、これまでの行動、カンナを生き埋めにしようとした、あの所業が何度も脳内で再生された。奇しくもそれは、某が最も恐れ、忌み嫌う苦しみだ。

 あのとき味わった。岩に潰され、暗闇の中、もがき苦しんだ、あの息苦しさをザンザは大したことがないかのように語る。

 カンナが味わった苦しみの幾分かも、この男は理解しようと努めない。想像力がなさすぎる――。


「耳が聞こえてねえのかてめえ……先輩が答えろって言ってるんだ」

「先輩でござるか……」

「ああ? 」

「でしたら某が今から実演してやってもよいぞ、さあ、武器を構えられよ」


 迷いなく木刀を抜き、その切っ先をザンザに向ける。

 ザンザは一瞬たじろいだ、おおよそ人を斬ることなどできないはずの武器を前にして、ただのぼうっきれを前にして気負っている。恐れている、あのとき自分のすとーんうぉーるが破壊された光景を脳裏に思い出しているのかもしれない。殺気と共に。


「はっ、そんな棒っ切れでなにをしようってんだ?」

「殺しはせぬ、仮にもお主は先輩でござるからな、ただ無傷というわけにはいかぬことを覚悟せよ……」

「てめえ……」


 ザンザが某の挑発に唸った。手斧を構えてはきたものの、しかしその眼には明らかな動揺が走っている。本物の剣士の放つ覇気に気圧され、怯えている目だ。

 自身のストーンウォールが何の変哲もない攻撃で破壊されたのを目の当たりにして、恐れを抱くのは当たり前、警戒するのも当然だった。

 ただの素人ではないと思ってはいる。

 だから手斧を持つ手が若干震えているのだ。いくら虚勢を張っても、その虚弱な心根は隠せない。心が弱いから勝利に固執する。意味のない暴言で人を傷つける。強者はただ力を示せばいい、威嚇も策略も、ただ強さを追い求める者には不要。

 恐れてさえ進まなければならない強者への道のりは、決して楽なものなどではない。目先の勝利に縋った弱者はお主だ。


 ザンザは自身が抱いた恐怖心を吹き飛ばすように、意気込んで、勢いよく手斧を振り下ろしてきた。某が放つ覇気にも挫けず攻撃してきた。腐っても冒険者か、確かに実力がないわけではない。


 だがザンザの攻撃が途中で止まる。

 その先に標的がいないことに遅まきながら気づいたザンザは呆気に取られていた。

 目を見開き、きょろきょろと辺りを見渡すが某の姿が見付けられないようだった。仕方なく、ザンザの視覚外からひょっこりと姿を見せてやると、ザンザがぎょっとする。


「ほう、や、やるじゃねえか……そんなところにいやがったのか……」

「動きが目で追えていなかったのではござらぬか? だとしたら問題外でござる、お主がカンナ殿の動きを目で追えていたのは、スキルを使っていたからだとお見受けするが、少々、頼り過ぎでは?」

「ひひひ、そこに気づいていたとはカンナなんかより見どころあるじゃねえか、だが今度は油断しねえ」

「そう……油断でござるか、確かに油断は厳禁でござるな……死にたくなければ気を抜かぬようにお願い申す」


 苦虫を噛み潰したような顔をするザンザに向かって、カッと目を見開く。


「可愛げのない野郎だ、そういうところはあいつとそっくりだな」


 きっとあいつとはカンナ殿のことを言っているのだろう、それとも兄上のことかな。ザンザはじりじりとにじり寄りながら、某の一挙手一投足に目を凝らしていた。確かに集中しているようだ、今度は隙が見当たらない。

 ザンザは某のさきほどからの態度がお気に召さないようで、取り乱すように手斧を振り回した。それらを掻い潜りながら声をかける。


「やはり考え直さぬか? このような勝負は尋常とは思えぬ」

「へっ、ビビったのか?」

「なぜだかよくわからぬが実力差がありすぎるように思う、それがお主の本気でござるか?」

「なんだと、舐め腐りやがって、普通に理屈を言いやがれ、よくわかりもしねえくせに実力差がありすぎるだあ」


 決死の覚悟で戦うことを真剣勝負というが、ザンザとの戦いに、そのような緊迫感はまったくなかった。

 カンナと戦っていたときのザンザは確かに強いと思ったし、戦えばきっと無事では済まないと覚悟をしたものだが、実際に手を合わせてみた今となってはザンザの精神性、小者感を大量に見たせいか、雑魚を見ているようだった。


 なんとなく……その理由が今は説明できない、単にザンザの精神性を見下しているだけとも思えぬのだが。

 そんなことをうつらうつらと考え込んでいる余裕綽々の某に向かってザンザが手斧を振り下ろす。

 だがそれは某に到達する前にガキンとすさまじい音を立てて受け止められた。

 まさかそんなことができるなんて某も思っていなかった。だがザンザの手斧を受け止めていたのは紛れもなく某が持っているただの木刀。

 まるでザンザを雑魚と侮る某の心情がそっくりそのまま再現されているかのような光景に、某自身が震えた。

 金属同士を打ち合わせたかのような音が響いたことも、ザンザの怪力をこともなく受け止めている自分自身にも驚きが隠せない。

 刃の芯をズラして往なしたわけでも捌いたわけでもない、真正面から真面に受け止めた。本来なら木刀が砕けて終わりのはずだ。

 そうか、これがスキルなのだ……。

 カンナ殿が言っていた、スキルは自身の中にある、あとは使うべき時期を見定めるだけだと。

 某がザンザを急に雑魚と侮ったわけは、スキルの覚醒が近かったからだ。その兆候を具に感じ取れたから心の中に余裕が生まれた。

 歯を食いしばってもびくともしない木刀に向かってザンザが額から滝のように汗を流しながら力を籠め、唸り声をあげていた。


「なんだこれは、魔法かっ!? びくともしねえ!」

「そうか……これが某の……」


 スキルなのだ。

 ザンザは今の状況が呑み込めていないようだった。魔法ならばザンザがストーンウォールを発動させたときのように詠唱が必要だ。だが某は詠唱などしていない。

 ザンザがもう一度、一心不乱に振り下ろしてきた手斧を今度は迷いなく木刀で切り上げた。弾かれた手斧が宙を舞う。

 自身のスキルにどんな効力があるのか、某は知らずに使っているというのに不思議と間違った使い方はしていない気がした。スキルのことは会得した使用者が一番よくわかっているとカンナも言っていた。そういうことだったのだ。


「ど、どうなってやがる!? こいつ!?」


 パッシブスキル:強靭なる意志。

自身が抱く想いの強さに応じて、いかなる物質の耐久性能をも上げることができる、付与する対象は自身と、自身が触れている物質のすべて。脆くもあり硬くもある、その力の本質は、固い信念に由来する。


 木刀を振り抜くと、ザンザのもう一方の手にあった手斧が真っ二つになって砕け散った。両方の手斧を失い、ザンザは訳が分からないというような顔をする。


「ど、どうなってやがる、てめえ何者だっ!?」

「某はただのしがない剣士、ただ、お主は」

「け、剣士、お前がただの――うごうッ!?」

「無傷では済まさぬと言っておいたからな……」


 ザンザは腹部に木刀での一撃を貰うと、膝をついて蹲った。腹を押さえながら顔を地面に叩きつけ、密着させた額から脂汗がにじみ出ている。目だけを動かしてこちらを見上げた。


「て、てめえ……」

「もう決着はついたでござる……」

「まち、やが、れ……おれを、ころさない、と、後悔するぞ――」


 木刀を仕舞おうとする某に向かってザンザは命一杯の虚勢を張ってそう言った。


「後悔? これが真剣勝負だからでござるか? おぬしの意気込みに水を差してすまないが、こんなものは勝負とすらいえぬ、お主はまだその段階にはない。

端的に言って実力差がありすぎるでござる」

「な、なんだと!?」


 自分が侮辱されたと思って痛みに耐えながらザンザがうめく。


「稀に対戦相手を殺してしまうのは実力が拮抗しているから、不慮の事故でござる。誰だって好き好んで対戦相手の命は奪わぬ。切磋琢磨とは命懸けなのだ。我ら侍はそのような生き方しかできぬ、腹を切り、自らの正しさを立証するような口下手ばかりだからな……生き方が不器用なのだ……」


 不思議そうな顔をするザンザに、某は口を開いた。


「馬鹿にされたと思うのならば実力をみがけ……某とて聖人ではない、どうしても許せぬ相手には凶刃を振るうときもある、だがな……」


 ザンザが某の声に合わせるように小さく身体を震わせた。


「ふざける、な……」


 ザンザが漏らした声はいかにも怒り、悔しさに満ちたものだったが。


「おぬしはその程度ではなかろう、馬鹿者」


 そう告げ、ザンザの元から去ろうとしていた足を今一度止めた、そういえば最後に言っておくべきことがあったのだ。


「それと、おぬしは、よもやカンナ殿が弱いからおぬしに負けたと思っているようだが、それは違うぞ。あの時のカンナ殿は冷静ではなかった。ゆえに心の隙を突かれたのでござる、本来であるなら、おぬしが勝てるような御仁ではござらん、ゆめゆめ勘違いはなされぬようにな……ご自愛めされよ」


 がっくりと気絶したザンザを置き去りにして某はサイラス邸に急いだ。

 ザンザならばあの程度で死にはするまい、仮にも冒険者なのだ。あれだけの啖呵を切ったのだから意地でも生還して見せるはず。

 医者を呼んでやるつもりはそもそもない。気が付けば足を引きずりながらでも自力でなんとかするだろう。どんな目に遭っても、ザンザが反省するとは思えぬが……。


 あたりがすっかり暗くなってから屋敷に帰り着くと、門番はなんとか某の顔を覚えてくれていた。

 『遅かったですね』と言って、心配そうに通してくれたが、先にノヴァに挨拶をするように言われた。某の帰りが遅いのでノヴァがずっと心配していたというのだ。確かに昼飯はいらないとは言ったが、晩飯までいらないと言った覚えはない。某も屋敷に帰りつくのがこんなに遅くなるとは思ってもみなかった。

 某はその後、ノヴァだけでなく、屋敷の奉公人たちにも口々に心配していたと声をかけられ、反省する一方、自分がそんなにも心配されていたことを不謹慎ながらも嬉しく思った。

 今まで誰かに心配されることなどなかった某にとって、それは暖かい気遣いだった。じんわりと胸が熱くなる。

 なにはともあれ、某の冒険者人生は、明日から始まるのだ。


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