第5話 冒険者ギルド


 やけにふわふわとした寝具でぐっすり眠ることができず、朝、起きると首が痛くて目を覚ました。どうやら昨夜、寝違えてしまったようだが、疲れはそれほど残ってはいない。野宿など日常茶飯事だったのだ。十分な栄養補給と、真面な寝具で寝れただけで体力は回復する。これも慣れというものだ。


 今日、ギルドとかいう場所に行くことになっているが、いつもの日課をこなしておこう。

 伸びをして、夕べ必要になるかもと思い持ち手の部分を削っておいた木刀を持って庭に出る。

 毎朝、日課にしている素振りの稽古だ。いくら首を痛めようと、これだけは蔑ろにするわけにはいかない。修練は持続させなければ腕が落ちる、そして気の緩みが生死を分ける。だからこそ日々の努力は疎かにできない。

 使用人たちが寝ている間に日課を済ませ、手ぬぐいで汗をぬぐいながら部屋に戻ると、扉の隙間に手紙が挟まっており『朝食の準備はできていますので、いつでも食堂にいらしてください』と書いてあった。

 こんな時間にサイラス家の奉公人たちは起きているのか、流石だ。

 その後、食堂で朝食を食べ、さっそく昨日、情報を仕入れたばかりのギルドという場所に向かうことにした。手続きなり、方法なりは既に奉公人たちから聞き及んでいる。

 手続きにどれだけかかるかわからないので昼食の用意はいらないと伝え、洗濯が終わった衣服を身に着ける。仄かに花の香りがした。腰に木刀と刀を差して準備万端だ。サイラス家の門番たちに挨拶をして外に出た。

 門番たちは某の顔を覚えていたらしく『いってらっしゃいませ』と声をかけてくれた。

 屋敷の立ち並ぶ通りは、まだ住民たちが寝ているのか、ひっそりと静まり返っている。

 ちなみにギルドとは仕事を斡旋してくれる口入屋のようなもので、腕さえあれば流れ者にも仕事をくれる奇特な場所らしい。

 仕事内容は多岐に渡り、街の住民からの依頼が主で、簡単な困りごとの解決から、中には戦うこともあるらしいが、それこそ『ゲンノスケさんにぴったりな仕事です』と奉公人たちに言わしめた理由らしい。

 ちなみに奉公人たちを仕切っている侍従長も、かつてはギルドに所属していた冒険者だとか、世間は狭い。それほどこの界隈ではありふれた職業なのかもしれない。

 それは暗殺の仕事も含まれているのかと念のために確認したところ『闇ギルドでもなければそんな仕事はありませんよ』と笑われてしまった。

 一応、そう言った仕事もあるにはあるようだ。拠点も定かではなく、所属しているギルド員の数も不明、ただ闇ギルドに依頼する方法だけがあらゆる方面に伝わっているらしい。盗みや殺しなど、表ではできないことを生業としている闇ギルド、関わることはないだろうが、正規の冒険者ギルドとは敵対関係にあるらしいので、意図せず巻き込まれてしまう可能性はあるかもしれない。


 冒険者ギルドで仕事を始めるにあたっては冒険者登録なるものが必要になるらしく、そのための費用は既に屋敷の者たちから借り受けている。

 懐に仕舞っておいた銅貨二枚を手に取ってまじまじと眺める。精巧な彫り物が両面に施されている。明らかに某が知っている銅銭とは違う。

 某は手の上で転がしていた銅貨を再び懐に仕舞い、意気揚々と路地を曲がる。そこには活気に溢れた露店街が広がっていた。

 露店の立ち並ぶ通りに足を踏み入れると、人の声が怒涛の如く押し寄せてきて、あまりの迫力に胃がひっくり返りそうになった。

 人通りが多く、行き交う人々でほぼ通りは埋まっている。

 両側に並んだ露店に犇めくようにして押し寄せている人の数の所為で、通りは見た目以上に狭く見えた。

 某は人の流れに身を任せて進んだ。

 人だかりができている露店からときおり、商品を売り込む店主の高らかな声が聞こえる。随分とにぎわっているでござるな。


 こういう活気づいたところを歩いていると不思議とこっちの気分まで高揚してくる。ときどき人と肩を軽くぶつけながら通りを進む、左に目を向けると、露店の店主が毛がふさふさとした白いウサギの耳を掴み、高らかに持ち上げていた。

 『こいつは今朝獲れたばかりの雪ウサギだ。買った買ったああ!』


 雪ウサギ? 確かに雪のように毛がモコモコとしたウサギだ。

 ウサギという種類の動物は日本にもいた。確かに毛の形状が少し違うが、耳も長いし、同じ種類である可能性は高い、やはり日本とまったく因果関係がない場所というわけでもなさそうだ。


 さらに人の流れに身を任せて進んでいくと前方から背に大剣を担いだ男がのっそりと現れた。左手に持った果物を齧りながら迫力のある視線を周囲に向けている。

 某には目もくれずに通り過ぎていった。

 一瞬だけ目が合ったがかなりの迫力だ。彼のモノノフとしての強さが一瞬だけだが垣間見えた。おそらく達人の域だろう。

 どれだけの修羅場をくぐって来たかは一目見れば大抵わかるようになった。先日のサイラスグラードはわかりやす過ぎたが、今の者も相当だ。

 常に戦いの場に身を置いている者の目だった。あれが屋敷の者たちが言っていた冒険者なのだろうか。

 それにしても、あれほどの大きな得物を軽々と……すごい貫禄だ。

 いつでも武器を抜けるように利き腕を敢えて自由にしているあたり、侍に通じるところがある。

 

 さらに通りを進むと広場に出た。広場の中央には噴水があり、その周りを建物がぐるっと取り囲んでいる。冒険者ギルドはこの広場のどこかにあるらしい。

 事前に聞いていた絵の看板を探す。

 二つの剣が交差している絵で、確か……。

 それを噴水のちょうど真向いに見つけた。ちょうど日陰になっている場所でひっそりと佇んだ建物だ。だが人の出入りが多いので陰湿な雰囲気というより盛況な感じがする。

 さっそく建物に向かい、重厚そうな鉄の扉を押し開ける。扉は見た目通り、開けるのにかなり苦労するほど重かったが、ギイギイと動かしながらなんとか中に入った。

 さきほど軽々とこの扉をくぐっていた冒険者たちは、いったいどんな腕力をしていたのか。

 建物に入ると扉が閉まった音に気付いて、机で談笑していた鎧を着た冒険者たちがこっちを見てきた。よっぽど某の髪色が珍しかったと見え、びっくりしている。

 だが、それは少しの間だけだった。少ししたらみんな某への興味をなくしたのか、それぞれの談笑相手へと視線が戻る。

 その理由はすぐにわかった。ギルド内には某の黒髪など気にかける必要もないくらい奇抜な姿をした生き物たちがいたからだ。

 子供のような背丈しかない壮年の男。尖った耳にギザギザの歯、鋭い目つきをした浅黒い肌を持つ女、トカゲの顔を持つ男。どれも普通の人間には見えない。

 某は夢でも見ているのだろうか? まともな人間の方が少なかった。

 街の住民たちは普通の人間だったし、サイラス家にいた人々も同様だ。人間離れした見た目をしているのはギルドの人間ばかりなのか。そう思えるくらい圧巻だった。


 急にがやがやと騒がしくなった室内で左に目を向けると、どうやら多くの冒険者たちが談笑しているのは酒場だとわかった。某から見て右がギルドで左が酒場、どうやら室内でつながっているようだ。


 朝っぱらから罵声が飛び交い喧嘩紛いのことをしている連中もいる。部屋の隅っこで管をまいて飲んだくれてる冒険者もいた。

 ただ彼らは生き生きとしており、この場所が彼らにとってかけがえのない場所だとわかる。


 そうか、これがギルドか……。

 どのような姿をしていようと、彼らは心で通じ合っている。某の容姿に関心が向かないはずだ。某もつまらないことにいつまでも気を割くのはやめよう。

 某にはなすべきことがあるのだから。

 事前に聞いていた通りに冒険者登録をするため受付に向かった。

 すれ違う冒険者にときおりじろりと見られながら、気にせず進み、大きな看板が立っている場所に人が群がっているのを見た。

 どうやら屋敷の人間たちが言っていた『くえすとぼーど』なるものらしい。

 看板にはやたらめったらと紙が貼り付けられており、そこから自分に合った依頼を選んで、破りとって受付にもっていくようだ。

 受け付けは三列に分かれており、人がまったく並んでいない一番右端の列を進む。

 看板の文字は読めなかったが、以前まで登録手続きは右端だったとサイラス家の人たちが言っていた。

 他の二列は仕事関係の受付なのか、冒険者たちでごった返している。

 新しく冒険者を志す者が少ないためか、あっさりと受付の前まで来られたが、受付には誰も立っていない。反応もないので奥に声をかけると、しばらくして、仕切りの向こうに人の気配が現れた。


「はあい、少々、お待ちを……」


 ごそごそと音がして、そのあとに返事が返ってきた。

 右側の列には滅多に人が並ばないらしく、常時、人を立たせているわけではないようだ。

 しばらくしてぴょこんと、いかにも頭のよさそうな奇妙な器具を両目にかけた背の低い少女が顔を出した。

 一瞬、子供かと疑ったが、どうやらそういう種族であるらしい。顔も童顔なので子供にしか見えない。


「なんです? 妖精族がそんなに珍しいですか?」

「い、いや……」

「ま、いいですけど、では登録手続きでしたね」


 どうやら受け付け台とは身長差があるらしく、顔を出すのにわざわざ踏み台を用意しなくてはならなかったようだ。それで手間取っていたのか。彼女が受付嬢……。


 受付嬢は目にかけた(丸い二つの鏡がちょうど両目の前に配置された奇妙な)器具の中央部分を中指と薬指で押し上げながら、こちらを値踏みするかのように見て、台の上に少し皺の寄った厚紙のようなものを広げた。

 皮で出来た紙……。

 そして小さくため息をついたのを某は見逃さなかった。

 某の恰好を見て少し落胆した様子だった。確かに周りの冒険者を見ても某のように軽装の冒険者は一人もいない。

 少なくとも鎧なりなんなりを身に着け、そうじゃなくても豪華な武器を持っていたり、宝石の嵌った杖を持っていたりもする。

 それに比べて某の恰好はあまりにもみすぼらしかった。薄着一枚で、武器らしいものといえば腰に差した木刀と、刀が一本。迫力に欠ける。

 受付嬢はあまり期待していないというような顔で、とりあえずの笑顔を浮かべた。役人仕事に徹底するといった感じだ。


 「では審査手数料として銅貨一枚をいただきます、登録料は別途、うちの所属になるのでしたらその時に……少しお時間をいただきますね。それまでこちらの羊皮紙に必要事項を記入してお待ちください」


 捲し立てるように言った受付嬢は、銅貨一枚を回収し、紙を置いて立ち去ろうとしたので思わず呼び止めた。

 紙に文字を書き入れるための筆も何も渡されていなかったからだ。だが、それを伝えると受付嬢は再び、例の器具の中央部分を中指と人差し指で持ち上げ、フンと鼻を鳴らす。

 『なるほど、こちらのシステムをご存じない、よろしい、説明いたしましょう、ずばりこれはつい最近、開発されたばかりの魔法が施された羊皮紙でして、画期的でしょう? うちでもようやく採用することになったんですよ、使い方と致しましては――』受付嬢は得意げに滔々と語った。

 初めから語りたかったのではないかと思えるほど流暢に話した後、息をつく。


「ふう……というわけでして――わかりました?」


 つまり某が渡されたこの紙には自動筆記という魔法がかけられているらしい。

 だから、ただ紙に触れるだけで触れた人間の個人情報とやらが映し出される仕組みのようだ。だからそもそも紙に何かを書き入れる必要性がなく、そんなものは今時ではないと。

 受付嬢は一通り説明したことで満足したのか意気揚々と引きあげていく。

 一人残された某は、ためしに紙をこすってみた。すると紙から煙があがり、受付嬢の言っていた通り黒い文字がくっきりと浮かび上がる。

 これが魔法か、確かにすごい。同時に受付嬢の話では魔法が勝手に浮かび上がらせている情報なので本人から必要事項を聞き取る必要がなく手間も省けると一石二鳥、しかも魔法の書き出す情報には嘘がないため、経歴詐称の防止にもなるとのこと。言っていることはよくわからなかったが……つまりは某がわざわざ辻褄を合わせる手間がいらないということだろう。

 ただ、嘘がつけないばかりか、本人が知り得ない情報まで網羅してしまうと怖い気もする。なにか不都合な情報まで表示されたら、不採用になるかもしれない。


 楽しさ半分、不安半分で紙をこすっていると、見られている気がしたので顔を上げた。酒場からこっちを見ている若い冒険者と目が合った。

 隣の受付の列がなくなり、丸見えの状態になっていることに気づかなかった。

 恥ずかしいところを見られたと下を向いて誤魔化す。

 平静を装いながら、お呼びがかかるのを静かに待った。

 

「シバハラ様、お待たせしました……三番窓口にお越しください」


 さきほどと同じ窓口から、さっきとは別の受付嬢の声がした。見ると、先ほどの受付嬢よりも親切そうな、いや、見た目だけではわからないが、柔和な笑みの、とても理知的な受付嬢が顔をのぞかせる。

 某を見ても馬鹿にしたような態度や仕草はしない。

 いかにも役人っぽいが、誠実な感じがする。心に余裕があり優雅さが伴っている。斜め九十五度のお辞儀も丁寧で、なにより綺麗だった。

 『それでは羊皮紙を拝見します』と言ってきたので、文字が浮かび上がった面を表にした羊皮紙を台の上に置くと、受付嬢はそれを手元に引き寄せ『それでは確認作業に移らせていただきます……』と言って念入りに文字を吟味し始めた。

 各項目に目を通しながら、時折うんうんと頷き、読むのに多少時間がかかっている箇所はあったが比較的すらすらと視線を走らせていく。


「なるほど、すでに固有ジョブをお持ちとは素晴らしいですね。

 固有ジョブは修行や鍛錬ではなかなか身に着かない真の才能と言われていて……冒険者としてのポテンシャルは十分……犯罪歴も無いようですし、このままうちに所属する気があるのでしたら登録手続きに、と、ちょっと待ってください、あれ?」


 受付嬢は羊皮紙の一点を見つめたまま黙り込んでしまった。

 話はトントン拍子に進みそうだったので、なにやら嫌な予感がする。やはり変なことでも書かれていたのだろうか、犯罪歴はないと言っていたため、それ以外のことでなにか……。文字が読めないため、羊皮紙に書かれている内容がわからない。ごくっと喉が鳴った。


「シバハラ様、つかぬことを聞きますが、戦いのご経験は?」

「戦い……うむ、それならば多少は……」


 戦いの経験があるかどうか……いったい何が問題なのだ。さっぱりわからない。某は何に引っかかっている。昔から自分を売り込むのは下手だったが、こんな緊張を味わうのは初めてだ。質問の意図すらわからない、心臓が口から飛び出しそうだった。

 受付嬢は眉間の皺をさらに深くする。


 『戦闘経験は多少……なのにレベル1……う~ん、これは――』


 戦闘経験はないと言った方がよかったのだろうか、いや、どう答えたところで納得などされなかっただろう。戦闘経験の有無が問題ではない気がする。すでに羊皮紙上では、某の個人情報とやらは詳らかになっているはずなのだから。

 受付嬢は羊皮紙を握り締めながら、隅から隅まで視線を走らせた後、『レベル1、レベル1、どうしてレベル1?』と繰り返している。羊皮紙を持ったまま立ち上がった。


「なにか問題でも?」


 いきなり受付嬢が立ち上がったので、びっくりして尋ねると、受付嬢は『いえ……』と一端、否定したものの明らかにその顔はなにも問題がないといった様子ではなかった。なにやら歯切れの悪い対応をされては、こちらも心穏やかではいられない。

 受付嬢は『ちょっと待っててください、上司に確認を取ってまいります』と言って、明らかな愛想笑いを浮かべ、そそくさと奥に引っ込んでしまった。


「はあ……」


 まずい、まずいぞ。

 これが大ごとになって役人でも呼ばれたら仕事どころではない。サイラス家の人々に連絡がいって迷惑をかけてしまうかも。それだけは避けたいが、何が問題なのかもわからない時点で逃げるわけにもいかない。

 おかっぴきや同心を連れて来られたら逃げよう、そう思い、待つことにした。


 金は払ってしまったし、取り戻せないのはつらいが、サイラス家と関係のある人間だとバレて迷惑をかける方が某としては気が重い。

 某のことで親身になってくれた屋敷の者たちを裏切ることはできない。

 それにしてもあの慌てっぷり、いったいなんだ?

 犯罪歴はない以上に重要なことか? 思い当たる節はないが……。


 戦々恐々とした気持ちで待っていると、しばらくして受付嬢がその背後に男を伴って帰って来た。受付嬢の頭上から長身の紳士がのっそりと顔を出し、某を見下ろしている。

 再び受付嬢が広げた羊皮紙をのぞき込み、次に某を見る。

 厳かな雰囲気で、皺ひとつない黒い服、物静かな男だった。かき上げられた髪……身なりは整っていながら、荒くれ者すら力でねじ伏せそうな雰囲気を漂わせている。目の奥の眼光は鋭かった。

 それにしても寡黙な男だ。受付嬢が説明を始めてもただ黙って聞いているだけで口を開く様子がない。


「申し訳ありませんシバハラ様、一、二点、確かめたいことが、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「う、うむ」

「あまり前例のないことなのでお聞きします。固有ジョブをお持ちの方が、その……レベルが1というのがこちらとしましても不可解でして……これはどのような経緯で会得したものかをお聞きしてもよろしいですか?」

「けいい?」

「ええ、たとえば一子相伝の技を誰かから伝授された、もしくは特有の家系に発生する特殊なものだとか……照会しましたところ、シバハラ様の固有ジョブは、とても珍しい……というか、情報がありませんでした、しかもこれは……」

「マスターと名がつく固有ジョブは、長らくそのジョブを鍛え、頂に至った者のみが体得し得る最高クラスのジョブだ。初心者レベルの冒険者が身に着けられるものじゃない」

「主任、まだそうと決まったわけでは」

「おそらく外法でも使わなければ、そのような方法は――」


 二人はなにやら言い合いを始める。途中、二人の会話に<闇ギルド>という単語が混ざっていたようだが、聞き違いだろうか?


「すいません、昨今、固有ジョブの中にはあまり表では見かけないものが増えてきていて、そういったジョブには比較的、危険を伴うスキルが多いんです。そして、その所持者が多くいるのが――」


 <闇ギルド>主任の男が小さくつぶやいた。

 受付嬢は誤魔化すように、わざとらしく咳をする。


「別にジョブの出所を詮索するわけではありませんが、ジョブの特性を確認できればと」


 とくせいのかくにん……とはつまり、どうすればいいのだろう?


「では……某はどうすれば?」


 ぽりぽりと頬を掻きながら訪ねると、受付嬢が羊皮紙のある一部分を指でなぞった。


「ここを見てください、浮き出た文字が文字化けして判別しにくくなっています、ここがスキルの名前で、こっちが特性です、これではスキルの名前はおろか、スキルの危険性も判別できません」

「つまり某のスキルが問題のないものであるなら、よいのでござるな?」

「はい」


 だがここで一番の問題がある。スキルというのは何かという根本的な問題だ。

 受付嬢は背後に立っている上役の男を紹介する。


「こちらは主任のハロルドと申します。彼は鑑定眼の持ち主なので同席してもらっているのですが、どうでしょう?」


 ハロルドと呼ばれた男は首を振った。


「やはりそうですか……この羊皮紙にかけられている自動筆記の魔法には嘘を見抜く機能がある。というより嘘が書けません、だから鑑定眼スキル持ちの彼に直接、視て貰ったのですが、やはり結果は同じだったようです」


 つまり解決には至らなかったと……。


「レベル1で固有ジョブを取得するのはそれだけ稀なケースなんです、主任も、あまり彼を睨みつけないでください、闇ギルドがうちにスパイを送り込む気だなんて、そんなこと――」

「そもそも成人した大人がレベル1というのが不可解だ、いまどき子供にだっていない」


 受付嬢がやんわりと嗜めても男の視線が緩むことはなかった。

 ハロルドという男は受付嬢と違って、あまり敬語が得意ではないらしい。ときどき『です』が一拍遅れで聞こえてくる。敬語がなければ流暢だ。得意でないからあまり口を開こうとしないのかもしれない。


「戦闘経験はないということでしたが、ここに記載されている二つのスキルも、共に使用したことがないということでよろしいですか?」

「う、うむ」

「ちなみに見せていただくことはできますか?」

「見せる?」


 スキルとは見せられるものなのか、それすら某にはわからなかった。

 ここは正直に言ってしまった方がいいかもしれない。


「あのう、つかぬ事を聞くが、このスキルというものなんだが――」

「?」


一通りの事情を説明し終えると、二人は呆気に取られていた。別に下手なことを言ったわけではない、ただ某はジョブもスキルもわからない、ずぶの素人なのだと伝えただけだ。自分がどこから来たのだとか、そういった込み入った事情は話していない。だが二人とも、それ以上の反応をした。こいつは正気かといった顔だ。

 二人はいぶかし気にこちらを眺め、警戒し始める。特に男の方は眉間にしわを寄せたまま黙り込んでしまった。すでに説明を放棄したに等しい。


 受付嬢は後ろを向き、男に『シバハラ様はレベルが1で……何も理解されていないのでは?』と苦し紛れの補足を加えているが、全くの無反応だ。


だが、ハロルドはそれまでの不可解な現象、某の行動、すべてに一つの推論を導き出した。何かに気づいた、そんな顔をすると、やがてゆっくりと口を開く。

 その不確かな推論を、ゆっくりと噛み締め、確かめるように。

『まさか、そうとばかりは限らないが、お前が、そうなのか?』 ハロルドは低い声で、そう言ってきた。


「主任?」

「この羊皮紙に表示された文字がこれで正確だというのなら、逆に納得もいく、の、だ……」

「この文字化けのように滲んだ文字がですか?」

「ああ」


 そうは言っても、ハロルドは自信があって言っているようには見えなかった。そういう風にしか考えられないといった、仕方なく達した結論であるらしい。


「私にその手の知見はあまりないが、専門家に見せれば多少はなにかわかるかもしれない、これが古代文字かどうかぐらいはな――」

「古代文字?」

「すでに失われた言語、です。古くはまだこの大陸が二つの領域に分断されていた頃の……」


 あまり聞くことのない言葉なのか受付嬢が驚きの声を上げた。


「魔女の眷属という言葉に聞き覚えは?」

「魔女?」


 やはり某にはなんのことを言っているのかさっぱりわからない。受付嬢もただ困惑している。


「魔女の存在は単なる伝説とされているが、古い文献には彼女らがいたとされる痕跡が残されている。その場所は、今は前人未到の地とされているギルドで最も危険なダンジョン<魔境>

 万年雪に覆われた雪山の洞穴。

 雷鳴が常に轟く平原に建った雷塔。

 炎の魔女が身を投げたとされる火山に開いた爆炎抗。

 この街の近くにも……」

「迷いの森……」


 受付嬢が搾り出すように言った。


「あそこにあるのは知っての通り、森林の魔女が眠りについているという伝説……」


 受付嬢の顔は半信半疑だった。

 迷いの森はその名の通り、中に入れば必ず迷う、そして二度と外の世界に出ることができないとされている森、ならばなぜ迷いの森という言い伝えだけが残っているのか、それは森林の魔女が眠りにつく際に言い残した言葉があるのだとハロルドは語る。『我が眠りを妨げる者に死を……森は永遠に人を惑わし、人の魂を養分として取り込むたびに拡大していく……この世のすべてが森におおわれるその日まで』


 迷いの森? どこかで聞いたことのある名だ。そうかあの森だ。盗賊たちが話していた。確かにあれは得体のしれない森だった。某はなんとか出られたが、留まり続けたら危ないと思った。それなら確かに信ぴょう性はあるが……。


「ですが主任、彼がどうして魔女と関係があると――」


 受付嬢が当然な疑問を投げかけると、ハロルドはぎょっとするぐらい目を見開いて、某を見つめた。

 それはなにかを見極めようとする目なのか、嘘を見抜こうとする技能者のそれだったのかはわからないが、ただそれは彼自身がその探究者であり、答えを求めているがゆえの好奇心のようなものにも見えた。

 某が黙っていると、ハロルドは溜息を吐いて腕を組んだ。


「まあ、これは単なる推論だ。彼がスキルを知らないのも、ただ単にこれまでスキルに触れ合う機会がなかっただけかもしれない、ただ一点、無理やり事情をこじつけても腑に落ちないことがある。

 あなたも知っているだろうが、この羊皮紙にかけられた魔法は強力だ。真実を正確に表示する、嘘を見抜く力がある。それはどのような嘘も見逃さない、その一点だけに重きを置いたこの魔法を歪めるには、それこそ魔女が関わるほどの強力な魔法が必要だ――つまり』


 それこそハロルドが某を見て、魔女が関わっているかもしれないと結論付けた根拠だった。


「本来記載されるべき文字が古代文字に置き換わる。魔女が関わっているがゆえにその強制力によってこれが行われたとすれば、羊皮紙にかけられていた魔法を無理やり捻じ曲げたことになり、このような読みづらい文字になったと考えられる……」

「普通の文字を古代文字に無理やり変えようとしたから文字化けしたと?」

「だがそれは羊皮紙にかけられた魔法を想定して意図的に――というより彼女らの影響力が現代の魔法に適応しなかっただけという可能性が高い……だから全体ではなく一部分の文字だけが歪んだと考えられる、それに彼が身に着けている異装の理由にもなる。魔女はたびたび眷属を別の世界から喚びよせるそうだ――ですから」

「?」

「魔女がなぜ、そんなことをするのかはわかっていない。魔女の望みがなんなのかも、だが、古い文献には魔女には必ず不特定多数の眷属がいたとされている。現代の魔法使いたちのように……それは魔法使いにとっての嗜みのようなものなのか、不可欠なものなのか、そうであればどうして今なのか? という疑問もある。ただ彼女らは、今でいう魔法使いたちの頂点に君臨し、神の如く力を振るった古の魔法使いだ。魔法のみを使って身を守り、それには限界があるため、肉弾戦を得意とする眷属が必要だったともいわれているが、本当のところはわかっていない」


 そう語ったハロルドの目は、かなり真剣で、怖いくらいだった。まるで解き明かせない謎を前にして怒りを感じているようでもある。


「眷属って、彼のように人間の形をしているのでしょうか」


 男は受付嬢に言われて眉間にしわを寄せる。現代の魔法使いたちは皆、彼女の言った通り、人ではなく魔物や動物を眷属にして使役しているケースがほとんどだ。人の形では成しえない仕事をさせるために。

 なのにどうして古の魔女はわざわざ人を眷属にしたのか、そこに疑問が及ぶのは当然のことだった。ハロルドは少し顔を強張らせて。


「私のように長命のエルフでもそれは知り得ないことだ。ただ、魔女たちは人間の形態というより形を気にしない者が多かった。だから様々な形態の眷属がいたらしいという考察もある。何ぶん、魔女が連れていた眷属に関しては資料なども残っていないので確かなことは言えないが、エルフが語り継ぐことを恐れ、何世代にもわたって放置してきた問題だ。わざわざ私が故郷を離れ、人間の多くいるこの都市に身を寄せているのも、仲間たちが長命を理由に放置し続けてきた世に蔓延る疑問を究明、白日の下に晒すため……魔女の探求、彼女らがどれほど恐ろしい存在だったかも、その中には含まれている」


 普段は口数の少ない男の、ある意味、興奮した姿に、受付嬢の喉がごくっと鳴った。『では』と続けようとした受付嬢の声は少し震えて、声高だった。動揺が隠しきれていなかった。


「とりあえず原因はこの際、置いておいて本題に移りましょう。

現時点でシバハラ様の冒険者登録が難航している理由は、この二つのスキルがどういったものなのか判明していないからというのが一点……。

 もう一点は道義的な問題、うちでは初心者の冒険者さんには必ず仲間とパーティーを組んで冒険にあたるようにと勧めております。報酬はその分減りますが、安全性が上がりますので、最初のうちはソロでの活動を認めていません。

 シバハラ様の場合は特にlevelが1なのでパーティーを組んでいただかなくてはなりません、なのに持っているスキルが不明。

 効果のわからないスキルはとても危険です。組んだパーティーメンバーにどのような影響があるか……スキルには様々な効果を及ぼすものがあり、たとえば暗黒騎士の邪黒オーラなどがそれに当たります、あれは周囲の人間の生気を吸って自身の力を高めるといったもので、使用には特別な状況下によると制限させてもらっています。確かに単なる決まり事ですのでルールを守るかどうかは当人次第、ただスキルの危険性を知ってパーティーを組むのと、スキルの仕様を知らないでパーティーを組むのとでは、受け入れるパーティーメンバーの心理的なハードルも変わりますので」


 某の冒険者登録が進まない理由は、単純なものではなく、いくつもの事情が重なりあって問題となっているようだ。

 受付嬢の口ぶりだと、スキルの効果が判明すること、若しくは実力が認められることが登録を行う上での大前提ということらしい。


「つまり、どちらかの条件がクリアされない限り、シバハラ様の登録は難しいということです。単独で仕事を請け負える実力があればよし、スキルの効果が判明し、仲間とパーティーを組めると太鼓判を押せればそれでも構いません――そのどちらかですね」

「なるほど」

「確かにどれだけルールを徹底していても事故はありえます。ただ、うちのギルドのモットーは安心安全に仕事を行うこと……未然に防げるリスクは極力排す、を信条にしております。それは自己責任とは別の意味で我々が蔑ろにできない誓約なのです。元をただせば我々が依頼難易度によってランク付けをしているのだって、それと同じことなんですよ」


 だが、受付嬢はそう言った後、身を乗り出した。


「ただ、うちといたしましても固有スキル、それもマスタークラスの人材を逃すのは惜しい、なのでこういうのはどうでしょう主任――」


 受付嬢は、某に、そして主任にと、満面の笑みで提案した。





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