第10話 森の賢者

 

 アヴァロンで魔石を販売する際には必ず魔石ギルドに申請を通し、販売しても問題ないものかどうかのお墨付きを貰わなければならない。

 魔石ギルドは販売される魔石が安全なものかどうかを統括すると同時に、取り締まるときに武力を行使することもある国から魔石の取り扱いに関する一切の権限を譲渡された組織だ。


 よって専門機関のギルド長には、国も太鼓判を押すほどの優秀な人物が就任することが多く、魔石の販売に至ってはギルド長の監視の元、一切の妥協を許さない厳しい検査を義務付けている。それが徹底されているからこそ、今日まで小規模なものを除き魔石に関する大きな事件はトリステイン国内では起こってこなかった。


 ただ他国では、魔石の取り扱いに関する決まりごとが徹底されていなかったり条文化されていなかったりと緩い管理体制が目立つ。

 いまだに魔石使用が薬物使用による肉体の違法強化と同格と見られたり、特に鑑定技術の進歩が遅い分、鑑定士への風当たりも強い。


 トリステインではいち早く魔石の有用性に気づき取り入れた王の先見の明もあり、これまで魔石の一大産地を謳ってきた。そして多くの魔石が商人を通じてアヴァロンにも流れ込んでくる今の状態へと落ち着いたのだ。だが持ち込まれる魔石の多くは、他国では解析不能なもの、危険性の高いものが多い。

 魔石とは奥が深く、人が使っても害を及ぼさないと確認されている石は、まだほんの一部に過ぎない。

 使用すると危険な魔石は封印されるか廃棄処分される。だがそれはあくまで表向きで、その行きつく先はアヴァロンといえど一枚岩ではなかった。裏ルートに流れる物、秘密裏に買う者、需要と供給、魔石を使って仕事を効率的に進めたい者は、たとえ命の危険があろうと、そういったものに頼ってしまうのだ。冒険者、闘技者、そして多くは闇ギルドに。暗殺稼業は生業の性質上、常に対処しなければならない多くのリスクを抱えている。


 だが実際のところ魔石の正体は、これほど解析技術の進んだアヴァロンでさえ解明できていない。わかっているのは魔石が、魔物の体内から発見される石であること、魔物の器官であり、魔物の血肉と瘴気を浴びながら少しづつ形作られたもの、もしかしたら魔物の魂ではないかと分析する専門家もいる。

 だから国のお墨付きがつく程度では納得できない一部の市民が、魔石の使用を危険視し、魔石売り場の近くで看板を掲げたり、営業妨害や、デモ行為を行うのだ。

 彼らの過激な行動は日に日にひどくなり、今では、むしろ魔石が直接引き起こす事件よりも規模も質も悪くなっている。

 冒険者ギルドもこの点においては、危険な兆候だとして監視体制を強めている。



 通称、花畑と呼ばれるフィールドに着いた源之助は、周囲から爽やかな花の匂いが漂ってくることに感動し、大きく息を吸いこんだ。こんな長閑な風景を見るのはいつぶりだろう、冒険者になってよかったと心底思える瞬間だった。

 自然と戯れ、そこから金銭を得られるなど、なんとも幸せなことだ。

 ここは攻略難易度の低いフィールドで、ギルドでは初心者冒険者が必ず最初に通る登竜門と言われているらしい。

 アヴァロン出身の有名な冒険者たちも皆、この景色を眺めたのだろうか。


 広大な土地を持つ軍事国家トリステインの中でもアヴァロンは特に周囲を様々な景観で囲まれた、冒険者が腕を磨くには理想の地だ。

 魔物の数も多く、中には危険な魔物も多いが、その分布図は詳細に調べ上げられているので冒険者ギルドが配布している地図を見れば、ほぼ危険な冒険をしなくて済む。


 花々が踏み荒らされた形跡はない、見渡す限りどこまでも花畑だ、ミラが言っていた通り、地道なレベルアップが見込めそうだった。

 ちなみにレベルというのは、肉体的な強さを数値化したもので、一定の水準に達すると上昇していく。

 この世界ではその数値が人間の性能を図るのにもっとも信頼できる情報だとして重宝してる、そしてあらゆる場所でレベルの提示義務があるのだ。


 源之助がレベル1でギルド職員たちに驚かれたのは当然で、レベル1というのは生まれたばかりの赤子レベル、それなりに生きるための経験をしてきたはずの人間に表示されるレベルではなかった。つまりそこにはなにがしかの不都合が存在している。呪いか、はたまた仕様的なものなのか、少なくとも地面に直立不動で立てている時点で、レベル1というのはおかしいのだ。

 ただそんなものとは関係なく源之助には戦う力があると認められた。仮登録証を渡されたことがなによりの証だ。


 ただレベルアップに必要な能力値というのは、各ジョブごとに違い。かなりの高位なジョブであれば、レベルアップに必要な能力値が下位のジョブよりも高く設定されているものがあるらしい。

 だから一概にレベルが低いから、弱いということも言えないらしいが。そうはいってもレベル1というのは些か解せない。


 いやいや、そんなことよりも今は修行だ修行。修行のついでに金も入ると一石二鳥ではないか。

 とりあえずクエストに集中しようと、虹色のドロドロした魔物<フラワースライム、またはレインボー>と言われているらしい魔物を探す。

 お目当てである花の雫は確かに滅多に落ちないと聞いているが、魔物の方も出現率が低いとは聞いていない。もしかしたらそこら中に潜んでいるのかと思ったが、そういったことはなかった。

 というより何の気配もない。ただただ長閑な花畑が見渡す限り広がっている。ここが狩場だと言われなければ気が付かないほどだ。

 だんだん自分が仕事にきたのか修行に来たのかすら怪しく思えてきた。花畑のどこにも踏み荒らされた形跡もなければ、自分のほかに冒険者の姿もない。確かにここが花畑だとミラ殿には教えて貰ったが……。

 某は地図を広げて、この場所が花畑かどうかをもう一度確認した。

 ミラ殿に場所を教えて貰ったため、地図を見ながら来たわけではない、もしかしたらミラ殿の勘違いという可能性もある。


 いくら危険度の低いフィールドだからって、これではいくらなんでも長閑過ぎる。某はここへ物見遊山をするために立ち寄ったわけではないのだ。

 だが実際、地図を広げてみたが、なんとなくしかわからなかった。それはとても感覚的なものだ。ここがここで、あそこがここか? よくわからない。


 溜息を吐いていると、視線の先になにやら変わった木の実が落ちていた。

 屈みこんで拾ってみると、木の実というよりは木の塊に近いだろうか、丸く切り取られた塊の周囲には年輪らしき模様が見られた。

 クルミのようなものかと思って齧ってみたが、勇気を出してみたわりには硬すぎて歯が欠けかけた。

 なんだこれは……殻、なのか? 単なる木の塊?


 珍しいので、懐に入れておくことにした。道具屋にでも見せて、これがなにか教えて貰おう。


 魔物がまったくいないのは解せないが、もしかしたら時間が悪いのかもしれない。もうすこし遠くまで足を延ばしてみるかと地図を見ながら移動を始めた。


 だがそこで某はまったく見当違いな失敗をおかしていたことに気付けなかった。

 それは文字が読めない者にとってはまったく意味のない分析。

 文字が読めないので、どっちが北か南かもわからない、さらには文字が反転していたとしても、それが正常だと思い込んでいる。


 そうするとどういうことが起きるかというと、普通に道に迷う。

 描かれている絵も適当とは言えず、多くの冒険者はマップに書き込まれた文字の方で、その場所を認識しているのだ。

 一つの悪手がさらなる悪手を引き寄せ、取り返しのつかない問題となるように、某は長年に渡って培われたとても頼りない方角感覚を信じて足を進めた。

 文字も読めない方向音痴が、地図を手にして向かった先は……まさしく地獄だった。


 某の頭にあったのは、結構広いフィールドだし、回るのに一日、二日では足りないだろうという能天気な期待だけ。もしこの場に玄人の冒険者が一人でもいれば、そっちにはいかない方がいいぞと忠告して貰えたかもしれないが。


 某は、手汗でふやけた地図を握りしめ、警告のために立てられていた看板の先に足を踏み入れた。

 まあ、目に入ったところで看板の文字も読めない某には意味のないものだったが、とにかくその看板にはこう書かれていた『危険、立ち入るな、この先、毒蜘蛛の生息地』と。



 それから少しばかり時間が経過した夕刻頃、冒険者ギルドの扉を勢いよく開け放って騒がしい集団が入ってきた。集団は、そこらに落ちているような有り合わせの素材で組み上げられた担架を下ろし。ギルド内で大声を上げる。

 担架の上には一人の冒険者が横たわっており、荒い呼吸を繰り返し胸のあたりを掻きむしっていた。全身にかけて皮膚に湿疹が表れている。

 しかも湿疹の色は通常ではあまり見ることのない紫色だ。誰もが緊急事態を察したが、手をこまねいているばかりである。


 集団のリーダーと思われる冒険者が『この中にクリアを使える奴はいないか!』と叫んだ。担架の周りを取り囲んでいる冒険者が誰も手をあげない中、人垣をかき分けるようにして駆け寄ってきたのはリノアだった。リノアはギルドに所属する受付嬢だが、こういったことは本来の彼女の業務には含まれていない。


「いったい何事ですか? 怪我人なら病院につれていかないと」

「そんな暇はなかったんだ、中央広場にある病院まで持ちそうにない、毒にかかってる、すぐに魔法で解毒してくれ、命に関わる」

「毒の種類は?」

「西の森の毒蜘蛛だ」

「西の――。どなたか! クリアを使えるプリーストの方!」


 リノア・ブルックスの声に、人垣の中から幾人かのプリーストが手を上げた。一介の冒険者が頼むより、リノアが声をあげる方が協力者は集まりやすいのだ。リノアはギルドの顔である。ギルドに所属する冒険者なら誰もがその微笑みに一度は救われた経験がある。

 リーダーの男は、ほっと胸をなでおろした。


「出払っていなくてよかった……もしこの場にプリーストがいなかったらどうするつもりだったんですか」

「すまない、そいつは賭けだった、それしか手がなかったんだ」


 それにしてもと言いながらリノアは担架の上に寝ている冒険者の症状を検めた。

 自分の胸を掻きむしったであろう傷跡は痛々しく、相当、苦しんでいることが分かる。西の森の毒蜘蛛というとレッドスパイダーか。あれなら毒の効果は強力だが、毒が神経に作用したり、呼吸を止めたりするような質の悪いものではないから普通の解毒魔法で大丈夫のはずだ。


 治療を始めたプリーストたちが複数人がかりで呪文を唱えると、毒に苦しんでいた男の顔が少しばかり和らいだ。呼吸も正常に戻っていく。


 『助かりそうか?』と、心配そうに尋ねた男の声に、プリーストたちはどうともいえないような顔をした。プリーストはあらゆる回復魔法に精通しているが、別段、毒に詳しいわけではない。大抵の毒ならプリーストの使う解毒の魔法でなんとかなるが、リノアが危惧したような神経に作用するような質の悪い毒には、もっと上位のアイテムか大神官の使う奇跡が必要だ。


「西の毒蜘蛛ということは、レッドスパイダーで間違いありませんね?」

「全体が赤色で、腹の部分に黒い横縞の入った奴だ、興奮すると目が光ってた……たぶんそれだと思う」

「だったら大丈夫です、血を凝固させたり、呼吸不全や心不全を引き起こすような猛毒ではない。普通の奇跡でも大丈夫なはず」

「そうか……」


 リノアがそこまで毒に詳しいとは思っていなかった男は安心したように額の汗を拳で拭った。

 リノアは過去に冒険者を目指していたという異色の経歴を持つ。なので魔物の特徴や危険性を熟知しており、女の非力さをその知識でカバーしようとした過去が、この手の対処には役立っていた。

 だからこそ現役冒険者の心を支えるのに、これほど恵まれた人材はいない。そして彼女がギルド職員の中でも特に信頼されている大きな理由でもあった。


「でもおかしいですね、レッドスパイダーは日中、活動しないものですが、動物が巣穴にでも迷い込んで、出てきたのでしょうか……」

「確かにレッドスパイダーは、かなり興奮している様子だった、森の様子がいつもと違ったんだ」

「あなた方は森で襲われたんですね?」

「ああ」

「他の冒険者にも注意喚起をしておいた方がよさそうですね、とりあえずあなたのパーティーは全員無事?」

「いや――」

「?」

「殿に残っている奴が一人いた……あれが誰だったのか未だに思い出せないんだが『ここは任せるで、ござる』とかなんとか? 妙な口調の奴だったな、今日は定期メンバーじゃなくて野良で集まったんだが、あんな奴がいたかどうか――」


 リノアが『ござる?』と言って首を傾げた。ほかのメンバーが補足を加える。


「いや、そいつパーティーメンバーじゃないぜ、途中で加勢してくれた奴だ」

「そうだったのか、俺はてっきり――」

「それって……」


 リノアは、はっとしてメンバー全員の顔を改めた。

 その中に思った顔の人間はいない。だとしたらその場に取り残されていることになる。さあっと血の気が失せた顔で、リノアは声をふりしぼる。


「すいません! いま、手の空いている方にお願いがあるのですが!」




 小袖のいたるところに魔物の体液と見られる緑色の染みを付け、飛びかかってきた巨大な蜘蛛を刀で斬り払う。

 咄嗟に封印を解いて腰の刀を抜き放ち、木刀との両刀使いだ。刀を抜いたときにわかったことだが、某が刀に施した封印は、この刀に限定すればあまり意味のないものだった。

 刀の柄を握った瞬間、封印が自動的にはらりと落ちたのだ。まるで某の危機を感じ取って、力を貸そうとするかのように。


 蜘蛛たちは赤い目をギラギラと光らせ、周囲を取り囲もうとしていた、あまりにも数が多い、刀と木刀を使った二刀流とて、捌き切れるものではない。


「いったいどれだけ……」


 しかも蜘蛛たちは森の奥からぞくぞくと現れ、なお数を増やしていた。ガチガチと牙を打ち鳴らす数が多くなって、森が騒がしくなっていく。


 森の奥から這い出てくる蜘蛛の数は無尽蔵かと思うほど多い。彼らからすればたった一匹の獲物に対して、凄まじい執念だった。

 森の奥といっても彼らの現れる方向は一定ではない。縦横無尽に集まってくる。まるで指揮された兵隊だ。どこかに司令塔がいるのではないかと思わせるほど統率が取れている。このまま一人で戦い続けても、こちらの体力が減るばかりだ。

 助けた冒険者たちは逃げ切れたはずだが、今度は自分が逃げ道を失った。


 蜘蛛の大きさは蹴鞠ほど、主眼と複眼を赤く光らせている、ガチガチと威嚇するように打ち鳴らされた牙の間からは、とめどなく、どろりと毒を含んでいるらしい唾液がしたたり落ちている。それが前足や、それを操る糸にもついていることから、触れてはならないと警告された。

 さきほど助けた冒険者パーティーの一人に……。その警告がなければ某はとおに命を落としている。


 しかし必要以上に毒を気にしながら戦っているため息が上がるのが早い、身体は悲鳴を上げていた。精神的な消耗が特にひどく、この手の戦いを長引かせると、集中力が切れたときに取り返しのつかない攻撃を受けることになってしまう。

 毒の攻撃は致命的だ。それはさきほど担架で運ばれていた冒険者の様子からも想像は付いた。毒を食らえば足腰が立たないほどのダメージを受ける。こんな状況でそうなれば、無数の毒蜘蛛に集られ、蹂躙されるだけ。


 だが突然、蜘蛛たちの統率の取れていた動きが、そわそわと忙しないものになった。攻撃の手を緩め、森の奥を気にし始める。

 するとしばらくして森の奥から大きな何か、蜘蛛たちの何倍もある巨体が、森の闇を纏って近づいてきた。それは徐々に道を開ける蜘蛛たちの間を進み、目の前へ。


「む……」


 それは人間の女性のような上半身を持ち、下半身が蜘蛛の形をした生き物だった。蜘蛛たちに崇拝されている女王のようだ。女王が手を振ると、それまで興奮状態だった蜘蛛たちの目が一斉に、元の色と思われる黒色に変わり、ガチガチと煩かった牙の音が止んだ。一時的に戦闘態勢を解いてくれたようだ。


「この森の主か……」

『森に立ち入り、わしの眷属たちを殺したのはお前か? まだ兵士ではない幼子の命、その尊き命を奪った報いを受けよ……』

「すまぬが、それは知らぬ……確かに某は幾匹かの、貴方の言う眷属を殺したとは思うが……」


 蜘蛛の女王はどうやら人の言葉を解すらしい。女王は興奮冷めやらぬのか声を荒げる。


『兵士は戦い死ぬのが役目、子を守るため、未来を守るための役割を果たす、そのためなら喜んで命を捧げる、だがお前たちが奪ったのは、まだ兵士にもなり切れていない子の命だ、許されることではない、決して許さぬ』


 女王が針のようにとがった足を何度も地面に突き立てた、そのたびに蜘蛛たちが恐れおののき、女王を気遣うような仕草を見せる。


「魔物の女王よ、今一度、言う、貴方の言う子の命とは、某にはあずかり知らぬこと……さきほどの者たちがそれを行ったというのは――」

『仮にそれが本当だとして、お前はどうする? 碌な事情も知らずに奴らを逃がした、人間というのは同族意識が強い、仲間の罪は許してやれとでもいうのだろう? たかだか奪ったのは森に住んでいるような蜘蛛の化け物ではないかとな?』

「そのようなことは――」

『うるさい! 人間の口から出る哀れみの言葉など誰が信じるか! お前たちにとっては子も兵士も区別のつかぬ命だろうが我らには違う! そのような表面上の言葉など虫唾が走るわ!』


 女王はかなり興奮している。このような状態では真面な会話などできそうにない。女王の兵士たちが牙を治めている今、某もそれに習うべきだろう。某は持っていた刀を鞘に戻した。すると女王は、某の行動を見て、徐々にだが興奮を治める気になったらしい。


 子を想う母のような心、この魔物の女王には、人間のような知性と思いやりがある。もしかしたら話し合いで解決が図れるかもしれない。

 少なくとも女王は某が斬り殺した蜘蛛たち、彼女の言う兵士たちの命を奪ったことについては咎めていない。子と兵士の命を区別しているからだ。だからここまで子の命が奪われたことに憤慨している。彼らなりの道理があるからだろう。

 自然界では食うためにまだ動けもしない子供を襲うことはよくあることだが、彼女の口ぶりから、彼女の言う子供の眷属たちは、そういう殺され方をしたわけでもないようだ。だったら何のために? というのは某も気になる。


「冷静になってくれて感謝する魔物の女王よ、事情も知らずに彼らに加勢したことをここに詫びよう、ですが、あなた方の子供を彼らが殺したというのは本当に事実なのですか?」

『ああ、そうだ、奴らの仲間の一人が我が眷属を殺した、それを我が眷属たちが見ている』

「わかり申した、であるならば――」

『どうする、お前は今、危機的状況じゃ、我らの気持ちも分かる、当然じゃというて、この場を切り抜ける算段であろう?』

「そう取られても致し方ありませぬが」

『今すぐに仇が取れぬなら、せめてもの手向けにお前を殺す、わざわざお前を逃がす意味はない、我が眷属たちの怒り……そう容易く収まるものではないわ』


 魔物の女王の言い分はもっともだった。何より彼らを逃がしたのは某の加勢があったればこそ、某の責任は大きい。

 ここで何を言ったところで、ただの都合の良い言葉になってしまうだろう。だが、だからといって死を受け入れる気は毛頭ない。


「何とか信じてはいただけぬか……」


 彼らが戦闘態勢に移行するまで頭を下げ続けた。刀を抜く気配を一瞬でも見せれば、この謝意は伝わらないと、そう思ったのだ。

 すると少しして女王が『なら、どうするつもりだ?』と問いかけてきた。

 なにか心情の変化でもあったのか、某の気持ちが通じたのか、何があったのかはわからないが、某にとってそれは一筋の光明だった。


「某が責任をもって彼らに事の真相を問いただし……」

『あの者たちを引き渡すというのか?』

「罪を犯したのは彼らの中の一人……その一人で勘弁願えないだろうか?」

『それがどういう意味がかわかっておるのか? この数の眷属に、そのものはなぶり殺しにされるということだぞ』

「それも致し方のないこと」

『ほう』


 某の言葉など、人間の言葉を信じていない女王にとっては、ただの耳障りの良い言葉に聞こえただろう。だが女王は、先ほどとは違い、某の誠意を真っ向から否定はしなかった。聞き耳を持ったなにがしかの理由がある、某にはそう思えた。


『ふふふ、よかろう……確かにお前は面白い奴だ……』

「?」

『だがいかに面白くとも、ただの人間ではないというだけでは信用に足らぬ……』


女王は、口の端をわずかに釣り上げ、爪の伸びた凶悪な指をくいくいと誘うように動かす。


『腕を出せ……ではこうしよう、お前には、わしとの間に盟約を結んでもらう……』

「盟約?」

『切っても切れぬ絶対の誓いだ、約束を違えれば貴様の命は潰える。わしが招集したらすぐに駆け付け、約束を守れ、その働き次第で今回のことをどうするか決める』


 それは某にとって願ってもない譲歩であった。だがどうして女王がそんなことを言い出しのかまったくわからない。某のことを人間でないかのように言ったことも、なんのことだか分からなかった。

 女王の口から吐き出された糸が某が差し出した腕の、右手首の部分に巻き付いた。それはきついほど手首を締め上げ、次第に黒い模様と化す。


『その呪印は、これが単なる口約束ではない証だ、それはわしが認めぬ限り決して消えぬ。これでわしとお前との間には一時的にだが、主従の絆が結ばれた、これからはわしの眷属たちもお前を襲わぬ、だが盟約の日に誓いが果たされなければ、お前の肉は崩れ落ちて死ぬことになるだろう。それは生きながらにして肉を腐らせる地獄の苦しみと知るがいい、それもこれも安易に責任を取ると言ったお前の軽口が原因だぞ』


 女王は少し嬉し気に、左手あげ、某の後方を指し示す。


『さあ、行くがいい、出口はあっちだ』


 女王はそう言うと、暗闇に溶け込むように、眷属たちを引き連れて森の奥へと消えていく。

 女王が指を差していた方角を見ると、銀色に輝く蜘蛛の糸が道標のように陽の光を浴びて輝いている。どうやら出口へと続いているらしい。

 わざわざ自分を見逃したのだ。罠ということはあるまい。

 しかしそれはこれから始まる危険極まりない旅路のほんの序章でしかなかった。




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赤の剣豪、異世界を流離う 奏一騎 @seigan

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