第2話 剣と魔法の世界



「ここはいったい……」


 光に包まれたかと思うと、気が付けば森の中だった。

 見たこともない草花が辺りに生えており日本ではないとわかる。

 鬱蒼とした森で、ひざ丈まで伸びた草。ふくらはぎや脛をチクチクと刺激する。森の中の少し開けた場所で、空にぽっかりと空いた穴から日差しが射し込んでいる。


 幻想的な場所だ。だが山崩れはどうなった? どうして某は無事なのだ……まさか天国なんてオチではあるまい。身体には傷一つなく、さっきまでの体験がまるで嘘のようだった。某は山崩れに巻き込まれ、その身を岩石の波へと投じた……。

 あれほどの苦しみ、つらい体験がすべて夢だったのか、いや、ありえない。目がつぶれる感覚があった、歯が折れる痛みも……。口の中は鉄の味しかしなかった、それが何一つ残っていない。痛みを感じた余韻すら。


 狐か狸に化かされたのだろうか、だったらあれは幻だったのか?

 この光景が幻覚だとは思えない。現実味がある。空気も澄んで清々しい。ただ、なんとも異様な空間だ、身体が引きつる感覚がある。ただの森には見えない、本質が違う、霊場かなにかか? 厳かな雰囲気だ。空気も澄んで、確かに神聖さを感じるが……それ以上に、ここは人が足を踏み入れてはならない神の領域のようだ。焦りから矢継ぎ早に不安が湧く。

  たいして信心深くもない某がこうまで威圧されるのだ。法力のある坊主がこの状況に置かれたとしたら発狂しているかもしれない。

 こんな場所からは早々に出た方がいい。


 さて、どちらへ進むか。山ならまだ傾斜があるぶん下りる方角に見当はつくがここは完全な平地だ。適当に進めばもっと深部へと向かってしまう恐れがある。そうなればもう下手に引き返せなくなる。だがいつまでも立ち尽くしているわけにもいかないし……。


 とりあえず歩くしかないと足を一歩踏みだそうとすると足の先に違和感があった。足元でガサガサと音がする。目を向けて身体が硬直した。

 巨大なテントウムシに似た生き物が足の先にすり寄っていたのだ。

 思わず、かじられたと思い、無様な悲鳴を上げて飛び退った。だがその生き物は足を齧っていたわけではなかった。

 なにをそんなに驚いているのだといわんばかりに、その生き物は某を臆病者扱いして、何食わぬ顔で茂みの奥へと這っていく。


 なんなんだあれは……。虫にしたって大きすぎる。

 この森にはあんな生き物がごろごろいるのか? 

 辺りに生えている草花も某の知らない種類ばかり……種類もそうだが大きさもだ。それにやけに蒸し暑い……温暖だ。土壌がいいのか葉にも十分な栄養が行き届き、みずみずしい。さっきまで某がいた場所は冬になりかけた秋の山道だった。木の葉が舞い、木は元気を蓄えるために葉を散らしていた。時間を飛び越えた? いやそれだけではない。


 某は確認のために腰に手を伸ばした。あんな生き物がゴロゴロいる場所だ。得物がないと不安になる。しまった、そういえばと思い出した。木刀は童を助けるときに投げ捨ててしまっていた。つまりは丸腰か……。

 どんな化け物が現れても対処のしようがない。だがなぜかその指先が冷たく硬い何かに触れる。なんだこれは……。


 言い知れぬ不安感に手が震えた。触れてよい冷たさではなかった。物理的にではなく精神的にくる圧迫感、なにやら無性に嫌な予感がする。まるで得体のしれないなにかが腰にしがみつき、それに触れている。……そんな恐ろしい錯覚に――爪の先がカタカタと音を立てた。

 だが実際に見て、この目で確かめぬわけにはいかない。たとえ腰にしがみついたのが何であろうと、お前を離さぬ、どこにも行かせぬぞと声を発しようとも……。

 不安になりながら目を向けると、そこにあったのは一本の見知らぬ刀だった。

 漆塗りの見事な鞘に、蛇腹に編まれた柄、だがまったく見覚えがない。

 それに刀を所持していたのに某の心は、まったく晴れず、安定もしなかった。益々、不安感に駆り立てられ……むしろ悪寒すら感じた。

 こんな刀を拾った覚えはない。直前までの記憶を掘り起こしてみても、まったく身に覚えが……。だが一つの言葉が脳裏をよぎった。赤椿……。

 知らない言葉だ。なのに口にした覚えがある。

 それにしても見事な刀だった、思わず刀に見惚れていた。

 某は無意識に刀を抜いていた。不気味さはどうあれ美しい刃紋を見て心を奪われた。刀とは、本来なら命を預ける相棒だ。切れ味のよい刀を持つのは、すべての侍が根源的に持つ欲求。

 荒々しい波を想像させる疾走感のある刃紋。人口に作り出すのが困難な、不規則で、まるで人の恨みつらみを詰め込み完成させた、血が飛び散った形に見えなくもない。某も武士の端くれだがこんな刀を見るのは初めてだ。

 しかも刀身が真っ黒だ。黒いといっても炭化しているわけではなく金属だとわかる輝きがある。材質はまったくの不明。

 刀身の中に夜空が広がり、星が散りばめてある。これが刀? 陶器の美しさも併せ持っている。

 通常、刀の材料は玉鋼だ。だがこれは材料からして違う。この輝きを出すために、この刀を作り出した刀工は、なにを思い、どんな試みで作り上げたのだろう。

 刀の美しさに見惚れれば見惚れるほど、これがまったくわけのわからない不気味な代物だと気づかされる……。

 鍔に目をやると、そこには刃と調和のとれた、だが刀身の巧みさと比べると明らかに短絡的な花の細工が施してあった。刃を見た後では衝撃も霞む、だが悪くない細工だ。


「これは椿の花か?」


指先で、そのくり抜き細工に触れた瞬間。ふわっと花の香りが辺りを包み、かと思うと周囲の景色が一変した、血のように赤い花びらが宙を舞い踊る。


 気が付くと目の前に大きな橋がかかっており見慣れた風景が広がっていた。

 ここは日本……懐かしい屋根瓦に煌びやかな街並み……遊郭か?

 軒下に赤い提灯を下げた家屋が連なり、そこに赤い紙傘をくるくると回しながら花魁が一人、歩いていた。

 カラン……コロン……と道の中央を堂々と小気味のよい音を響かせながら高下駄の三枚歯を寝かせ、転がしながら――。三枚歯の高下駄は位の高い花魁が履く履物だ。

 だがお付きの者は誰もおらず、道を歩いている人間もいなかった。妙な気配だ……。


 不意に花魁が背後にいる某の気配に気づいたのか、赤傘を傾けてこちらを振り返る途中で止まり、横顔を覗かせながら口元を動かした。血に濡れたような紅い唇がわずかに動く、聞こえてきたのは鈴の音のような声。


  『これは殿……ご機嫌麗しゅう……』


 殿? まるで心に直接語り掛けるかのようだ。戸惑うと、その隙を見越したであろう大量の赤い花びらが視界を覆う。『ふふふ……殿は永遠にあちきのもの……』


 気が付けば花魁どころか町の風景も消えていた。あんな大量に舞っていたはずの椿の花弁も一枚も落ちていない。

 なにがあったのか理解するのに数秒かかった。

 いったいどれほどの時間、立ち尽くしていたのか。握り込んだ拳はじっとりと汗をかいている。

 なんだ今のは……刀が見せた幻? この刀は普通じゃない、もしや……妖刀なのでは……。

 この世には摩訶不思議な力を宿す妖刀と呼ばれる刀が存在しているらしいと、某はとある刀匠に聞いた。妖刀にはさまざまな神通力が宿っており、所持者に非業の死を齎すらしい。おかしな幻を見せ、狂わせ、ときには祟り、所持者の性格を著しく歪めてしまう物もあったらしい。

 中には邪や鬼、この世ならざる者を斬ったと伝わる代物もあるらしいが。等しく所持者に破滅を齎す物として危ぶまれている。

 単なる与太話だと信じてこなかったがもしこの刀が妖刀なのだとしたら……。

 だとしたら、こんな物を持ち歩いていては危ない。剣の腕を磨く前に呪い殺されては堪らない。

 だが冷静に考えると、巨大生物がゴロゴロいるかもしれない地で丸腰はまずい。

 それこそ自殺行為だ。今しばらくは仕方がないか……。

 某は刀がしっかりと腰帯に結わえ付けてあるのを確認して大きく息を吐いた。なんにしても落ち着こう。


 そのとき風が吹いたわけでもないのに刀がチャリンと不気味な音を立てた。

 顔が引きつった。理由は、刀には鈴の音を立てる装飾がなに一つなかったからだ。だったら今の音はなんで聞こえたのか。

 間違いなく妖刀だ。でなければ説明がつかない。

 もしくは幻聴が聞こえるほど某の頭がおかしくなったか。


 とりあえず移動しなくては始まらない

 だが足を踏み出そうとした瞬間、今度はどこからともなく女の悲鳴が聞こえた。誰だ、人か。

 女の悲鳴に聞こえたがさきほどから幻聴ばかり聞いているので確証はない。すでに自分の耳が信じられなくなっていた。

 ただ誰かが助けを求めていた場合、無視もできないので耳を澄ませた。だが静まり返っている。争っている音もしない。

 仕方がない、確かめるか。

 某は最初に音が聞こえてきた方角に見当をつけて走った。どんな化け物と対峙するかもわからない森の中へと――。

 



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