11・道化師

 闇。

 明かりの消された大広間はとっぷりと闇に浸かり、壁一面の色硝子いろがらすからさえ光は差し込んでこない。


 男は見つめている。

「……」

「……あ、あの……」

 背後から遠慮がちに声が掛けられた。


「斯様な場所で、いったい何をしていた」

「あの、それは……」

「何故あの場に居合わせていたのだ」


「よ、余暇を満喫しようではないかと……」

「満喫したか」

 ううむ、と背後の声は唸った。


「う、うむ、したと言うべきか、させられたと言うべきか……」

「あれがそうなのか」


「いえ、私には如何とも推測しがたいもので……」

「あれは一人だったのか」

「私がお会いした時は、一人で来られました……」


「……あれで間違いはないだろう。しかし我の狙いはもう片方だ。あれに用は無い」

「……」


「三年だ」

「三年、でありますか?」


「短いようで長かった。足元の確認が疎かになりすぎていたのだ。余りにも息をひそめるものだから、てっきりのたれ死んだのかとさえ考えていた」

「……」


「課せられた責務を全うすることすら出来ず、あまつさえ情を移して逃げおおせていたのだ」

 闇に浸かった色硝子を見上げた。


「聖上の御慈悲も最早尽きた。やはり我自らが手折らねばならぬ。例えそれが、我が魂魄を捧げたお方の愛しき懐刀であったとしてもだ」

「……」


「いや、違うか。あれは弄ばれていたのだ、最後の最後まで。哀れな人生だ」

「……そうでありまするか」


「さて……行きずりの相手であったとはいえ、一度交友を深めた者に刃を向けることになるのだが」

「……致し方無いこと……指揮官殿に義ある限り、私は、共に行きましょう……」


「そうか……判った。あれを射るのは止しておこう。我も人だ」

「御厚意、痛みいります」


「一人は血を流さぬように。一人は殺す……また後日段取りを伝える。以上だ。早く国賓の館に戻れ。貴様はあくまで使節の一員なのだ」

「は……では、私はこれにて」


 背後の気配が消えると、やがて男もその場を立ち去った。






「商団の警護?」


 エリスが不思議そうに尋ね返す先には、いかにも怪しさ満載の衣装を身に纏った謎の男。


「はい、そうです、そうです」

 ニコニコと笑い掛けながらその男は言葉を重ねてくる。

「近々ヨモルに到着する予定の、とある商団に付き添って、その警護をお願いしたいのですよ」


 事は数時間前に遡る。


「アスター……そろそろ起きないと……死んじゃうよぉ」

「ん、んぅ……あと五分……あと五分で良いから」

 いつもと変わらず、朝をベッドの上でぐうたら過ごしていると、先に起床の決意を固めたらしい彼女に肩を揺すられた。


「おぉーい……キミの五分は人間界だと一時間に相当してるんだよ。午前中が無くなっちゃうよ」

「うるさい……そっちだっていつもはもっと寝てるだろうに……」

「それはそれだよ。ほら、起きて……ふぅぅー」

「うはは、耳は辞めろって」


 そう文句を言いつつ身体を起こすとエリスが笑いかけてくる。

「やっと起きた……おはよ」

「顔洗ってくる」

「うん、わかっ……ねぇー、おはようくらい言ってくれたって良いじゃない」

「すまんすまん、おはよう」


 数歩戻って彼女の頭をワシワシと撫で、洗面所に向かった。鏡に映った俺が動作を真似てくる。髪が伸びてきたな……後で切りに行っても良いかもしれない。

 居間に戻ると、彼女がフラつきながら台所に立っていた。


「あはは……昨日の夜は遊んだから、やたらとお腹すいちゃった」

「あぁ、空腹で目が覚めたのか」

 その言い方に苦笑しながら朝食の準備の手伝いをして、二人同時に席に着く。


「ね、アスタ」

「……ん?」

 頂きますをして二人で料理をつついていると、向こうから声がかかった。

「それで、昨日は何で買いそびれたのかな?」


「ぐっっ」

 パンが喉につまる。

 しまった!昨夜は買い物任務失敗の件についてはなし崩しで不問になったはずだが、赦されていた訳ではなかったのだ。


 ……とにかく、茶、茶だ!

 急ぎカップに手を伸ばすが、それを先読みしていたかの如く彼女の手が閃く。

「理由を説明してくれたらお茶あげる」

 喉が詰まってて喋れないんだよ!


 何とかしてカップを奪い取り、喉の詰まりを流し込んだ。一息ついてからしっかりと説明、もとい言い訳をする。

「むぅ、買うには買ってたんだね……その平野にほっぽってきたんじゃない?」

「そんな馬鹿な……」


 ホノカが帰り際に袋ごと攫っていった説は……無さそうか。

「もう……しっかりしてよね」

「とにかく、すまなかったです……」

 ひとしきり昨日の出来事についての報告を行い、改めて茶を淹れて一服していたところ……


「あのー、ごめん下さぁい」

 間延びした声とノックの音が同時に響く。二人して顔を見合わせた。


「ぬ……」

「お薬貰いに来た、って感じじゃ無さそうだね……はぁい、今行きます」

 少し怪訝そうな表情を見せながら、彼女が玄関へ向かった。

 聞いたことのない声、また、子連れや急患でも無さそうと来れば大方の予想はつくのだが……


「アスタ、お客さんだよ。おもてなししてちょうだいね」

「あ、あぁ、いや……」

 少女が居間に招き入れたその人間は、こちらを兵士として雇いそうな人物像からは随分とかけ離れていた。


 戸惑う俺を前に、男が帽子を脱ぎつつ道化のような辞儀をした。

「お初にお目にかかります、エリス様、アスタ様。わたくし、隣国のリアーナにて孤児院を経営させて頂いております……エドワードと申す者でございます」


 色白で痩躯。赤や白、青が混じった奇抜な服装、先がくるりと曲がった珍妙な靴。どこから見ても道化のそれだった。

 俺の視線に気づいたのか、ニコニコと笑って手を差し伸べてくる。


「わたくしの格好については、あまり。見た目通りの職柄ですので」

 孤児院を営む曲芸師なのだろうか。

「はぁ……それで、うちにどう言った要件で?」

 そう尋ねるとエドワードはまあ、と手で制した。


「そうですねぇ、ひとまずお茶を頂けないでしょうか。何しろ長旅だったもので」

「ごめんなさい、すぐに用意しますね」

 こちらを傍観していたエリスがパタパタと台所に走っていく。


「手伝うよ……そこにかけといてください」

 男を座らせ、俺も彼女の手伝いに走る。あまり近づきたくない、異様な雰囲気の男だった。




 エリスと俺、向かいにエドワードと名乗る痩せた男が座っている。

「……おやおや、中々に美味なお茶ですね」

「えへへ、そうでしょ。お客さんが来た時だけ淹れるんです」

「とっておきですか」


 端から見ればただの優雅なお茶会だ。

 彼女と男の間で「そうですか、そんな事が……」「えぇ、そりゃあもう……」と他愛のない世間話が続く。

 和やかな空気が広がるなか、俺は痺れを切らして尋ねてしまった。


「なぁ、あんた何者なんだ。俺達がどんな人間か、知らずにやって来たって訳じゃないんだろう?……いちちっ」

 エリスが腕をつねってくる。

「もお、ちょっと強引かな」


「いえいえ、構いませんとも。そうですな、そろそろ本題に移りましょうか」

 男は静かにカップを置き、俺達を見据えた。


「お噂はかねがね。貴方がたが、情にほだされずカネによってのみ働く、所謂〝傭兵〟さんだと理解した上でやって参りました」

「そうか……また急ぐように聞いて申し訳ないが、要件は」

「そうですねぇ……」

 エドワードが腕組みをし考え込む。


 やがて口を開いた。

「近々ヨモルに到着する予定のとある商団に付き添って……その警護をお願いしたいのですよ」

「商団の警護?」

「しかもヨモルって、確かランザッドの国だろ。出向くなら海を越えないといけないぞ」


 今までこういった依頼が舞い込むことはそこそこあったのだが、いきなりの話で戸惑ってしまった。

 ランザッドは雪と氷に覆われた大陸だ。同盟使節団員のホノカの祖国、レタラモシリもそこに存在している。


 エリスが聞き返す。

「それなら、わざわざこんな素性の知れない二人組を雇うよりかは、ヨモルの正規の兵を護衛につけたほうが良いんじゃないですか?」

「そうですね、そうなんですが……」

 男はそこで一呼吸置き、茶を口に含む。


「詳細な地名は出しかねますが……コルリアからも数名、今回の任務の為に雇っております」

 コルリア……灼熱の大地と呼ばれる南の大陸。どうしてそんな遠くにまで依頼を……


「待ってくれ。それじゃ答えになって……」

 俺の言葉を遮って、卓上に大きな鞄が置かれる。


「報酬は弾みます……こちらです」

「わわ、ものすごい額になりそうだね」

 中には大量の金銀が詰まっていた。通貨でなければカネの流れを辿られにくいのは確かだが……


「おいおい、どんだけイロ付けする気なんだ」

 男が首を振る。

「いえいえ、これとは別に、コルリア側と貴方がた……無事任務を成功させた側に、更に別途お支払い致します」


「えと、つまり、どういうことですか……?」

 二人でエドワードの色白な顔を見つめる。

 彼が訳を述べた。


「実はその商団、人身売買を生業にする人攫い集団なのですよ。警護はあくまで表向き。手段は問いません。捕らわれたお嬢様を救出して頂きたいのです」

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