10・エリスの気持ち

 リアーナ兵との乱戦、エリスからの任務失敗で心身ともにヘロヘロになった俺は、何とか森を抜け、住まいのある広場に辿り着いた。


「はぁ……」

 日はすっかり落ちてしまっていた。空には雲一つ無く、月明かりが煌々と草原を照らしている。


 中央に聳える巨木の脇の馬小屋に馬を入れてやり、餌を大量に桶に入れて持ってくる。すると桶が置かれた途端にがっつき始めた。


「お前にも苦労かけるな……」

 声をかけて撫でてやると、心配するな、とでも言いたげに馬は鼻を鳴らす。


 さて、ここからは自分の心配をしなくてはならない。彼女への言い訳の仕方によっては今夜は飯抜き、且つ戦闘の傷の手当のために薬を貰えるか、術を使ってくれるかどうかさえも怪しくなってくるのだ。


 どう切り出したものか……

 思案しながら戸のノブに手をかける。いや、まだ行けない……しかしそろそろ……


 ガチャ、ガチャ、ガチャ……

 俺が戸を開けるか否か葛藤する度に、ガチャガチャと音が鳴る。そうこうしている内に玄関の異変に気付いたのか、中からトテトテとこちらに向かってくる音が近づいてきた。


 まずい!

 まだ言い訳の内容も固まらない内にガチャッと戸が開かれ、エリスが胸に体当たりしてきた!


「アスタ!」

「グハァッ!」

「もおぉ、遅い!どうせまた寄り道でもしてたんでしょ、心配し……って、わぁ!どうしたのこの傷!?」


 一気に捲したてられる彼女の言葉が一瞬詰まり、さらにこちらに迫ってきた。

 その淡い金の長髪を撫でてやりながら弁明する。

「や、ちょっとな。巻き込まれたと言うか、突っ込んでいったと言うか……それでだな、その、なんだ。頼まれていた菓子は……」


「それは後で聞くから。ひとまず手当してあげるから、こっちおいで!」

 どうやら手当無しの事態は免れたようだ。彼女が俺の手を引っ張りつつ居間へと向かう。


 木組みの小さな家の中は橙色の明かりで満ち、暖かく二人を迎えた。

「そこに座っててね、一応上も脱いでてちょうだい」

「エリスの術で手っ取り早く治してくれないのか」

「傷薬の残りがあと少しだから、使い切っちゃいたいの。取ってくるから」

「うげ、あり得ないほど沁みるじゃないか、あれは……」


 抗議する俺を置いて、彼女は作業部屋へと走って行ってしまった。

 止む無く上着を脱いで待つ。意外に、乱戦ではあったが体のほうに目立った傷は見当たらない。戦況的には袋叩き状態だった筈だが……


「いちち……」

 机の角に腕の傷口をぶつけた。机の分際で……痛いじゃないか。


「アスタ、お待たせ」

 俺が顔をしかめているとエリス薬箱を抱えて戻ってきた。中から取り出した瓶にはドロリとした濃い緑の物体が。


 先に消毒を済ませて、彼女は瓶に指をつっこむ。

「さ、本番いくよ。ちょーっと沁みるよ〜?」

「お、お手柔らかに……」

「えいっ」


 彼女が容赦なく傷口に薬を擦り込んできた。

「いだだだっだだ!」

「ふふ、反応が……」

 遠慮なく笑ってくる。


 この薬は戦闘後に幾度となく経験してきたつもりだったが、やはり痛みに慣れるということは出来ないわけで。

「いづづづづ!擦り込みが強いんだよ!」

「大丈夫かな?痛かったら言ってね」

「痛い!」

「はい、我慢してね〜」


 そんな理不尽な……

「どうせまたお菓子買いそびれたんでしょ!他にもそろそろ食材が切れそうだからて言ってメモ渡してたのに!」

「いでで、菓子に関してはすまんと思っているが、メモなんて貰ってないぞ!」

「うるさい!くらえっ」


 グリグリグリ……!

 傷口に指をねじ込んできた!


 たまらず急ぎ謝罪を入れる。

「たたたたっ、わ悪かった、全部俺のアレだから!」

「……分かればよろしい」


 やっと解放してもらえた。包帯を巻いてもらい、よいしょと立ち上がると彼女が上着を渡してくれる。

「順番が反対になっちゃったけど、軽く身体を流してきてね。包帯を濡らさないようにすればいいから」

「おう、ありがとな……痛かったけど」


 ツンとそっぽを向く。

「ふーんだ。痛み分けだから」

 楽しみにしていた菓子にありつけなかった心の痛みか。


「それとご飯は用意してあげる……色々あったんでしょ?後でちゃんと聞かせてね……今日は、もうゆっくりしよ?」

「……そうだな。それじゃ入ってくるぞ」

 エリスの寛大な処置に感謝しつつ、俺は浴室へと向かった。


 ひとまず難を逃れることが出来たと安堵しつつ、一風呂浴び、その後無事に空腹を満たす。

 流しで二人して食器を片付けながら、今日起こった事を頭の中で思い返していた。


 今日はゆっくり、と言われてはいるが、やはりこの事については早めに喋っておきたい。

 俺がなぁ、と声をかけると、彼女がこちらに目を向ける。


「今日、レタラモシリの人間と遭遇したぞ」

「おぉ、同盟を結びに来てた人達のこと?ついに何かめぼしい情報でも?」

 手を泡だらけにしながら詰め寄ってきた。


「む、すまん。接触はしたんだが……」

「えぇー。何も分かんなかったんだ」

 その不満げな表情に少々申し訳ない気分になる。


「や、何やら軍の上の奴らと繋がってそうな気はしたな……」

「もしかして、今日あった戦いも使節の人絡みなの?」

「かも知れないな。どう絡んでくるかは謎だが」

「いずれ分かるといいな……それより、その人も戦ったの?」

 あぁと頷く。


「物凄く強かったぞ。女だからって少し心配してたんだが、ただただ失礼なだけだったな……む?」

 今なにか、凄い失言をしてしまった気がする。


「そっか、女の子だったんだぁ。道理で帰りが遅いと思ったら……!」

 エリスが泡だらけの手を振りかざし、こちらに襲いかかってきた!


「おわっ!?って、だれもやましい事なんかしてないぞ!」

「ぐぬぬ、わたしに拾われた分際で……っ!」

 怒れる少女をなんとか宥めすかし、食器を洗い終えた。拾われた分際で、なんて言わなくてもいいのに……確かにその通りではあるのだが。


「別にいいもんだ。わたしと過ごす安らぎのひと時を思い出させてあげる」

 部屋中の片付けを済ませると、彼女はそんな事を言いつつ一足先に寝室へと向かう。


 寝室の明かりは既に落とされ、カーテン越しの月明かりが、室内を微かに青白く染めていた。

「ほら、こっちこっち」

 布団の中でもぞもぞ蠢めくエリスに催促され、俺もその隣に潜り込んだ。


 彼女の見事な金髪がベッドの上に広がり、琥珀色の瞳は周囲の闇と混ざり合って弱く揺らめく。その光景は年の割に幼く感じる彼女の姿と対照的で、美しかった。もうかれこれ三年は見てきたはずなのに、そんなに時が経っても俺の鼓動は速さを学習しようとはしない。


 こちらに手を伸ばす。

「ほら、ぎゅうってしてあげるから。おいで?」


 誘惑に耐え切れず近づく俺の身体を、首に腕を回し優しく抱きしめる。

「む……布団よけていいか?今夜ちょっと暑いだろ」

「あは、照れちゃって……可愛い」

「ぬ……」


 少し下から、彼女がこちらをじっと見つめる。まだ熟しきっていない果物のような甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐった。


 彼女の瞳が少し揺れる。


「あれ、キミ、ちょっと太った?」

「エリスの手料理が美味いからじゃないのか?」

「もう……そう言うのだけ上手くなってく」

 そう言いつつも、その顔は満足げに微笑んでいる。


「ね、アスタ」

「ん……?」

「わたしね、アスタに会えてよかった」

「どうしたんだ、急に」


 彼女の瞳が少し揺れる。


「アスタに会うまで、ずっとつまんなかったんだもん。戦ってばっかりだったし、父親も母親も戦争に巻き込まれたりして、悲しい事だらけだったし」

「そっか。そうだったんだな」


 彼女の瞳が揺れる。


「この森に移ってからはね、楽しい事がだんだん増えてきた。アスタと一緒にご飯食べたり、薬作ったり、色んな人を診たり……普通の人が聞いたらくだらない事ばっかりだけどね」

 クスクスと笑う。


「……そうだな。エリスに会えてよかったよ」

「ほんと?……嘘じゃない?」

「あぁ。記憶を無くしてエリスに拾われたのも、案外悪くない運命だな」


 彼女の瞳が揺れる。


「……わたしも、アスタに会えてよかった。……これは本心から。これだけは、嘘でも偽りでもなく……本心から」


 彼女の瞳が揺れる。

 俺はそれに吸い込まれるようにして、そのまま彼女の温もりに身を預けた。

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