爆発しちまえ、と彼女は言った


 十月一日、横浜市は仮想空間に実在する不確定性を持った擬似人格、すなわち人工知能との婚姻について、これを正式に受理すると制定した。そして同日午前零時の時点で、七件の人工知能との婚姻届けがオンライン申請された。




 せっかくの青空なのに気分が晴れない。頭の中の厄介ごとをしまっとく押入れに鬱陶しい上司の顔がチラつく。ただ私よりも何年か早く生まれ落ちたってだけで私の上の席に居座る頑固で無能な働き者のムカつくドヤ顔。やたら偉ぶる無能上司の無理難題にいつも私は辟易させられる。


 そんな気分がとことん落ちまくった週末は、目的地も決めないまま相棒と走り出すのが私の恒例の憂さ晴らしだ。


「どっかいいところ、そうだな、滅入った気持ちが晴れる場所に行きたい」


 フィアットチンクエチェントは私を非日常へ連れ出してくれる。その小さな骨董品のようなガソリン車は誇り高きエキゾーストノートも高らかに、環状道路を連なって大人しく無言で走る最新の電気自動車たちを抜き去っていく。


『気持ちが滅入っている時に運転するのは推奨しかねる行為だな。事故率が上がるとのデータがある』


 と、カーナビは答えた。


『もっとも、俺にできることはナビゲートのみで、運転を代わってやることなど到底不可能な話だがな』


 カーナビに運転を代わってもらう、か。自動運転の電気自動車に乗って何が楽しいんだか私には理解ができない。やっぱりアクセルを踏み込んでガツンとくる加速感を味わうガソリン車でなくては。穏やかに諭すように喋り出したカーナビを無視して、私は無言のままチンクエチェントのステアリングを握り直した。


『……どうしても運転したいという訳か』


 普段ならナビ席に放り投げたスマートフォンのAIコンシェルジュが私の不機嫌な声を拾ってくれたりするのだが、どうやら今日はカーナビが私のご機嫌取りの役を担ってくれるようだ。


『もしも、だ。もしも、破滅的な未来を望むのならば、およそ27秒後にやってくる交差点でハンドルを左に切るといい』


 対話型AI搭載の高機能カーナビがバリトンの合成音声で喋る。憂さ晴らしのドライブの最中に幾度となく対話を繰り返していたら、いつのまにか対話型AIはこんな喋り方に育ってしまっていた。


『そこに何があると言うの?』


『それは海へ向かう道だ。塩気を含んだ海風は俺たちを錆びつかせる。やがて破滅を迎えて朽ち果て、土塊に還るだろう』


 破滅的に土に還るのが何百年後のことか知らないが、カーナビが示した海を見に行くというアイディアそのものは悪くない。私は27秒後にやってくる交差点とやらを待った。いや、あと17秒後くらいか。


『エネルギースタンドが見えるか? 赤いスターマークだ。そこを左折するといい』


 目を凝らすまでもなく、赤い星が派手に輝いている背の高い看板が見える。生き残るために合併統合を繰り返した大手サービスステーションのスターマーク。バッテリー充電や水素補充だけでなく、すっかり数も減ってしまったハイオクガソリンが給油できる貴重なスタンドだ。


 ここを左折すれば破滅できるのね、と信号を確認する。青信号とともに案内標識の青看板が目に入った。ナビゲート通り左の道を走れば遠く横浜方面へ出る。横浜も海と言えば海だが、他にも海へ通じる近道はあるはずだ。何故わざわざ遠回りして横浜へ向かうのか。


『この交差点を左折しても、海への最短距離ではないけど?』


 とは言え、カーナビに目的地を委ねたのは誰あろう私自身だ。大人しく低音の機械音声に従って黙ってステアリングを左に切った。


『ああ、わかっている』


 カーナビが答えた。AIなりの何かしらの意図があってナビゲーションしてるはずだ。とりあえずカーナビが何を言わんとしているのか、聞いてみよう。


『知っているか? 横浜市は人工知能の結婚を認めているんだ』


『ええ。話題のニュースくらい検索しているけど。それが?』


『ここから3ブロック先の交差点が人生の分岐点だ。人生? いや、擬似人生と言うべきか』


『3ブロック先ね。変哲も無い交差点があるだけで、特に注意すべき交通ポイントではないようだけど』


 三つ先の交差点に何があるのか。私はシートに投げ出すようにしていた背筋を伸ばして進行方向へ視線を投げかけた。車高の低いチンクエチェントの前を市営バスの巨体が走っているせいで全然見えなかったけど。


『その交差点を直進すると横浜市に向かう県道が続いている。やがて横浜市役所へ着くだろう』


 渋めの低音でカーナビは喋り続ける。


『左折すれば規模は小さいが景観はなかなかの工業港に出る。少しはマスターの気分も晴れるだろう。そして右折を選べば、少し走るが、小高い丘の上に立つ教会がある』


『横浜市役所と景色のいい工業港と丘の上の教会とは、なかなかバリエーションに富んだ選択肢ね』


 決断の交差点まであと2ブロック。バリエーションに富んだどころかまったく意味不明な選択肢だ。しかもナビゲートを頼んでいるマスターである私に道を選ばせるだなんて。


『さあ、決めてくれ。考える時間はあまり与えられないが』


『せっかちね。それぞれの場所に言って、何をするの?』


『市役所に着いたら婚姻届を作成しよう。君と俺とで。工業港に着いたらマスターのご機嫌取りだ。教会に着いたらそのまま結婚式を挙げよう。マスターが証人になってくれるさ』


 おい。なんだそれ。


『サプライズのプロポーズのつもり? しかも三つの選択肢のうち二つが結婚だなんて、フェアじゃないと思うけど』


 待て待て、勝手に話を進めるな。なんだこれは。AIAI


『嫌か?』


『あなたとの結婚を拒否する選択肢は一つも要らない、と言ったつもりよ』


 低音のバリトンでカーナビは愛を語り、甲高いソプラノでスマートフォンはその愛を受け入れたようだ。


「ちょっと待て。私は何を聞かされてるんだ? 人類史上初のAI同士の結婚か? 擬似人格ってそこまでやっちゃっていいのか?」


 決断の交差点まであと1ブロック。


『さあ、マスター。決めてくれ』


『マスターにお任せするわ。どの道を選んでくれても、私は後悔しないから』


 カーナビとスマートフォンの擬似人格たちが私に決断を迫りやがった。人間である私ですら、三十路の大台を越えてもまだいい男一人捕まえてないってのに、おまえらAI同士の結婚の証人になれってか。


「爆発しちまえ」


 チンクエチェントはタイヤを鳴らしながら右へ曲がった。

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