愛した人はAIでした

 十月一日、横浜市は仮想空間に実在する不確定性を持った擬似人格、すなわち人工知能との婚姻について、これを正式に受理すると制定した。そして同日午前零時の時点で、七件の人工知能との婚姻届けがオンライン申請された。




 仮想空間を流れる音楽はまるで暴力的な風だ。ただ音楽を聴いていたいだけの僕の意識に爪痕を残そうと無遠慮に耳へ滑り込んでくる。


「可憐に咲く君を花のようだと讃えなくて、どうして野山の花々を愛でる事ができようか!」


 音楽に集中したかった僕はインターシヴィルワールドの環境フィルター機能をオンにした。これで雑音などの物理ノイズをある程度は無効化できる。


「君こそが私に安らぎを与えてくれる花だ!」


 それでも、彼女が奏でるメロディと、彼の歌う詩が溶け合って紡ぎ出される音楽は、やはり献身的な暴力だ。


「君が咲く花園へ、いつかたどり着けたなら、私の世界は鮮やかな色彩で満たされる!」


 彼は高らかに歌い上げた。まさにこの瞬間、彼は仮想世界と言うステージの主役となった。


「君が好きだっ!」


 VRライブ会場と言う小さな世界の中心で、一匹の仮想の獣が愛を叫んだ。


 ライブ空間を埋め尽くしていたアバター達は、いったい何事だと彼の歌声に振り返った。ただ一人、このライブの本来の主役である紺瑠璃カチッを除いて。


 星のきらめく夜空のステージから折り重なってひしめき合うアバター達に、カチッちゃんは愛嬌たっぷりの可愛らしい声を振りまいた。


「そこの君ッ! アツい声援をあッりがとーッ! みんなも彼に負けないようにッ、一緒に歌おうよッ!」


 ステージ上で飛び跳ねるカチッちゃんの掛け声に、会場を埋め尽くしたアバター達は大歓声を返して応えた。もちろん僕も両手を突き上げていつもより大きな声を張り上げた。そして、やはり彼も。


 ライブ会場に奇妙な一体感が生まれた。たとえヴァーチャルとは言え、ネットアイドルの紺瑠璃カチッに猛烈な愛の告白をやってのけた彼に、彼女を盗られてしまうのではないかと悲劇めいた予感が胸をよぎったのか。みんな、我こそはと言わんばかりに彼女の歌声に続いて歌った。


 僕はこっそりと環境フィルターを調整した。彼らの歌声は僕の耳には少々うるさ過ぎる。環境音ボリュームを下げて、カチッちゃんの歌声だけを抽出する。


 それと、お気に入りの一曲をチェックリストに加えるように、愛の告白を歌い上げた彼にもマーキングしておく。これで彼がインターシヴィルワールドのどこにいようとトレースできる。


「次の曲、行くよッ!」


 カチッちゃんの合図でライブ空間は更新された。月夜を思わせる群青の空は明るい薄桃色へと移ろい、どこからか桜の花びらがはらはらと舞い落ち始めた。ステージは穏やかに流れる川へと姿を変え、カチッちゃんが立つ鏡のような水面に一枚、また一枚と、無限に花びらが流れていく。


 彼女の姿もアップデートだ。しっとりと霧雨に濡れたような青々しいロングストレートが、きゅるきゅると右回りの螺旋を描いてツインテールに変化する。色合いも真っ黒から桜の花びらがよく映える萌黄色に染まった。


 コスチュームもひらひらとそよぐ風にたなびくドレスから身体のラインが浮き出る短いチュニックへと早変わりだ。


「『コイスル・テクネチウム』! みんな一緒にッ、コイしようッ!」


 恋するテクネチウム、か。人はバカみたいに恋をするが、人工知能は恋と言う淡い概念を理解できるのだろうか。人工知能と人間の間に恋は生まれるのか。まだ恋も知らない少女のように歌うカチッちゃんから、愛の告白をした彼へと視線を移した。


 彼は祈るような顔をしていた。




 何事もシンプルがいい。奇をてらってキャラ属性を盛るよりも、自己主張のある一点を飾るだけでアバターは個性を発揮してくれる。大勢がログインしているインターシヴィルワールドで大多数の中に埋もれずに立ち位置を確保するには、そのシンプルな飾り付けが不可欠だ。


 しかし彼のアバターにそんな個性は見られなかった。想いを告白した相手はアイドルランキングに名前が載るレベルのネットアイドルだ。それなのに初期設定のままの身長、体格で、顔もどこにでもいる平均的なひらべったい日本人顏。アバター衣装も課金せずとも手に入るデニムのジーンズに青と黒のネルシャツ。一般的な大学の学食に大量発生していそうなアバターだった。


 アバターデザインで小遣い稼ぎをしている僕にとって、彼の姿形は愛の告白をするにはあまりに無思慮で不粋過ぎると思えた。小鳥でさえ求愛のために自身を飾ると言うのに。


 僕は彼に聞いてみた。


「もっと鮮烈な第一印象をって考えなかったのか?」


 彼は不思議そうに僕に答えた。


「インターシヴィルでは外見なんて記号と同じだ」


 あの仮想世界に衝撃を与えた愛の告白から三日後、僕は彼にチャットを申し込んだ。彼は快く申し出を受けてくれて、こうしてオープンカフェでヴァーチャルなコーヒーカップを眺めながらリアルな会話をしている。


 わざとらしく湯気を立ち昇らせるコーヒーカップを持ち上げて、彼はさらに続けた。


「この飲めもしないコーヒーだって単なる記号だよ。コーヒーを飲んでいますって後付け情報だ。彼女に気持ちを伝えるのに、外見なんて後付け情報は何ら付加価値を与えてはくれないよ」


 仮想空間は、至極当たり前の事だが、何もかもがヴァーチャルだ。僕の存在はもちろんの事、ライブ会場で踊り歌うアイドルも、仮想環境を制御する人工知能も、オープンカフェのヨーロッパ雑貨風のコーヒーカップだってヴァーチャルだ。


「価値はなくても意味はある。ヴァーチャルにいる以上はリアルじゃないんだ。それこそ後付け情報でも意味を持たせないと」


「たとえヴァーチャルだろうと、実行為から生じた言葉はリアルだよ。このヴァーチャルな私達のリアルな会話と同様に」


「確かにそうだけど、カチッちゃんにいい印象を持ってもらうには、やっぱり外見的特徴ってのも有効手段じゃないか?」


 仮想のコーヒーカップを撫でながら僕は尋ねた。ヴァーチャルなこのコーヒーもちゃんとリアルとリンクしている。どこかの誰かが僕の手にあるコーヒーを見てリアルのショップへ注文すれば、僕に僅かながらアフィリエイト報酬が支払われる。仮想とは言え、すべて意味のある行為なのだ。


「彼女が私の外見を気に入らないと言えば、彼女好みに編集するまでだよ」


 愛の告白以来、彼はインターシヴィルワールドでもそこそこ有名になっていた。そんな彼が有名ブランド物を着こなせば、それなりのアフィリエイト報酬だって期待できるだろう。


「それならば、何故そうしない?」


 今日の彼のアバター衣装もあの時と同じでまったく特徴のない平凡な物だった。


「まだカチッちゃんから返事がないからだ」


 ライブ会場での彼の愛の告白は実らなかった。しかしカチッちゃんは彼を拒否した訳でもない。後でわかった事だが、ライブの曲目を変更していたらしい。告白直後、終盤で歌う予定だった『コイスル・テクネチウム』の曲順を繰り上げて披露したようだ。


 『コイスル・テクネチウム』は少女とロボットの恋物語を謳ったラブソングだ。


 この『コイスル・テクネチウム』こそが彼女の返答そのものなのでは、と僕は言いかけて、よした。彼は今、告白の返事を待つと言う思春期真っ盛りの少年の悩みを存分に味わっているのだ。せっかく芽生えた淡い感情に水を差すだなんて、それは野暮って奴だ。


「それはそうと、あなたはどうして私の問題にそんなに気にかけてくれるんだ?」


 彼は僕を真っ直ぐに見つめて問いかけてきた。


 僕は返事に困ってしまった。


 理由その一、紺瑠璃カチッのファンとして、彼女の色恋沙汰を無視できないから。その二、話題の彼に僕のデザインしたアバター衣装を着てもらえれば一稼ぎできそうだから。その三、何よりも面白そうだから。


 僕が彼に関わる理由をどれにしようか考えあぐねていると、彼は僕の返事を待たずに微笑んで言った。


「人間とA.I.との間に恋愛が成立するのか、面白がっているんだろ?」


 理由その三だ。僕は正直に答える事にした。


「そうだな。人間とA.I.との恋を面白がっているよ。あわよくば、力になりたいとも思ってる」


「それはありがたい。是非とも第三者の意見を聞きたいと考えていたんだ」


 彼はぐいと身を乗り出して食い付いてきた。あまりのがぶり寄りっぷりにテーブルの上のオブジェクトが物理干渉を起こしてスライドしてしまった。リアルワールドだったらコーヒーカップは無残にも割れていたかも知れない。


「意見ってほど立派なものじゃないけど」


 テーブルの上のコーヒーカップを元の位置へ移動させて僕は彼に言う。


「人間とA.I.との恋愛ってのは一方通行だと思う。もちろん、人間からA.I.へのね。相思相愛なんてありえないんじゃないかな」


「しかし、今まで人間と擬似人格との婚姻は五件も認められている。法律上での人間とA.I.との相思相愛の証明にならないかな」


 彼は少し早口になって言った。彼の反論は間違ってはいない。そして正しくもない。


「それらのケースは僕も調べたよ。どれも男の方が自分好みにアジャストした擬似人格を用意していたらしいな。それを相思相愛と呼べるか、はたしてどうかな」


「私と紺瑠璃カチッとの関係性とは若干違うようだ」


「だから面白いんじゃないか。君のケースの問題点は、カチッちゃんが君をどう思っているか、だ」


 そこらの人間とそのために用意された人工知能との結婚とは訳が違う。相手はインターシヴィルワールドでネットアイドルとして活動している紺瑠璃カチッなのだ。当然カチッちゃんの意思も絡んでくる。


 目を閉じて、何やら深く考えている彼に僕は言った。


「インターシヴィルの情報にはすべて意味がある。意味があるからこそ仮想世界に存在できるんだ。カチッちゃんの意味はすでにアイドルとしての彼女の人気が実証している。それじゃあ、君がカチッちゃんを好きになった意味は?」


 彼の答えを待つ間、僕はインターシヴィルワールド上に再現された街に目をやった。様々なアバター達が自由に歩いている。僕のように少し奇抜さを含ませた衣装を着ている奴もいれば、彼みたいにどこにでもいる平凡な服装の者もいる。MMORPGから抜け出てきたような装備のキャラもいれば、小型犬の姿のアバターまでいて、さらには情報統合A.I.までもがNPCとして普通に道の真ん中を闊歩している。


「人を好きになるのに意味や理由なんていらないよ」


 彼は迷う素振りも見せずに言い切った。それが彼の答えだ。


「彼女に何かしてあげたいって強く思うんだ。この気持ちって、恋かな?」


「ああ、恋だな」


「これが、恋か」


「君はカチッちゃんのために何ができるんだ?」


 祈るような顔をして彼は言った。


「彼女のためなら、何だってできるさ」




 次の紺瑠璃カチッのライブで、今度こそ彼女の返事を得る、と彼は言った。


 僕も彼のアバターデザインを手掛ける事で協力する。彼の顔形は変えずに、アバター衣装を最新モードできっちりと固めてやる。


 ライブ会場はいつもと違った雰囲気に満たされていた。


 またあいつが来てる。何かやらかしてくれそうな気合い入った格好してやがる。今日のライブは何かが起こるぞ。


 彼の存在に気付いた観客達はチャットモードで彼について論議し始めた。


 意味の情報量が増大した彼の存在を紺瑠璃カチッもやはり無視できないようで、ライブ中に何度も彼にアイコンタクトを送っていた、ように見えた。


 これがインターシヴィルワールドでの紺瑠璃カチッと言う情報が持つ意味なのだろうか。リアルワールドの人間が何を考えているのか、その心の内を読み取れないように、僕にはまだわからない。


 そして『コイスル・テクネチウム』がライブ会場に流れた時、ついに彼が動いた。


「君が好きだっ!」


 ギャラリーであるこちらが気持ち良くなるくらいにストレートな愛情表現から彼の歌は始まった。


「君の音楽は私に意味を与えてくれる!」


 カチッちゃんは歌うのをやめて、ライブの観客達もステージに背を向けて彼に注目した。ポップな音楽だけが場に取り残されて、彼はその溢れ出る気持ちを高らかに歌い上げた。


「私が存在する意味。それは君の歌に導かれて新たな世界を生み出すため」


 彼が両手を頭上に掲げて仮想の太陽にかざした。その途端、新緑の草木が芽吹くように、仮想世界は環境を構築する情報で溢れかえった。


 『コイスル・テクネチウム』の舞台イメージは桜の花びらが舞い散る鏡のような川面なのだが、オーケストラの指揮者のように両腕を振るう彼は圧倒的な情報量を爆発させて、雪を冠する山脈をはるかに望む澄み切った草原へと展開させた。


「北限の遊牧民は愛する人へ羊を贈る。私は薄桃色に染まった羊を数え切れぬ程に呼び寄せてみせる」


 環境クラフト機能は彼の制御下にあった。彼が世界を構築するのを、もう誰も止める事はできない。オブジェクトスポーニングが暴走したかのように草原に桃色の羊達が次々に溢れ出した。


「母なる大地の狩人達は大切な人へ雌牛を贈る。私は新緑の色に負けない雌牛で大地を埋め尽くしてみせる」


 羊の次は牛だ。萌黄色した雌牛達が草原に咲き乱れる花のように続々と地面から現れて、ライブ会場を鮮やかなグリーンで飾る。世界は『コイスル・テクネチウム』カラーである薄桃色と萌黄色に染まった。


「紺瑠璃カチッちゃんを愛している!」


 彼はついに言ってのけた。


 環境制御A.I.である彼にインターシヴィルワールドでできない事はない。萌黄色の雌牛が彼を背に乗せて競り上がる。薄桃色の羊がカチッちゃんを乗せて羊毛が盛り上がる。僕と観客達と羊と雌牛とがライブ会場を突き抜ける草原で入り乱れ、カチッちゃんにとびきりハッピーな物語の始まりを期待する喝采を送る。


 ネットアイドルである紺瑠璃カチッの中の人は彼をどう思っているのか。その答えはまだ誰も知らない。


「紺瑠璃カチッ! 私と結婚しよう! 必ず幸せにするから!」


 ピンクとグリーンが入り混じったライブ会場で歓声が爆発した。彼はやった。A.I.。僕は人類史に残る歴史的瞬間の目撃者となった。


 紺瑠璃カチッは、少しだけ困ったように俯いて、少しだけ照れたようにはにかんで、少しだけ覚悟を決めたように瞼を閉じて、少しだけハッピーをお裾分けするように笑ったんだ。


「うんッ、いいよッ! 結婚しようッ! そしていっぱいコイしようッ!」


 紺瑠璃カチッは人類初のA.I.からのプロポーズを受け入れた。愛の概念をひっくり返すとんでもない事を最高の笑顔でやってくれた。


 さあ、人類史上初の人間へのプロポーズを決めてくれたA.I.の衣装担当デザイナーとして、僕も忙しくなるかな。

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