なっとうのねばねば


 僕はなっとうが大好きだ。なぜなっとうが大好きかというと、ねばねばにお醤油の味がくっつくのが好きだからだ。


「なっとーう、なっとおーう、ねーばねば」


 ほかほかごはんは美味しいよ。でもほかほかごはんに何か乗っけるともっと美味しいよ。


「なっとおーう、なっとおおーう、ねーばねば」


 しろいごはんにぷちぷちごま塩美味しいよ。しろいごはんにさらさらふりかけ美味しいよ。しろいごはんにねばねばなっとう超美味しいよ。


「なっとおおーう、なっとーう、ねーばねば」


 まずなっとうのパックを開く。これがけっこう難しいんだ。僕はまだ四歳だからうまく開けられず、ふたをパキッと割ってしまうんだ。


「おかあさん、開けてー」


 そんな時はおかあさんの出番だ。さすがおかあさん。なっとうの壊れやすいパックをきれいに開けて、ねばねばがくっついて取りにくいくしゃくしゃフィルムもすっとはがしてくれる。


「あとは自分でできる?」


「うん。自分でできるから自分でやるー」


 おかあさんはお箸をくるくると回して、フィルムにくっついたねばねばの糸を綿あめみたいにお箸にくっつけている。すごい上手だ。


 でも、僕だって上手なんだ。お箸をくるくると回して、クレヨンで車のタイヤを描くみたいにくるくるとねばねばの糸を空中に振り回してやるんだ。


「そうだ。なっとうのすごく美味しい食べ方、知ってる?」


 おかあさんが僕にちょっとニコニコしながら言った。おかあさんがちょっとニコニコしている時って、僕がまだ知らないことを教えてくれる時で、新しいことを覚えられて僕もちょっとニコニコしてしまう時なんだ。


「なっとうはね、たくさんまぜるとたくさん美味しくなるんだって」


 おかあさんがお箸をぐるぐる。なっとう回る回る。糸がたくさん絡まって、たくさん美味しくなるためにたくさんぐるぐる、ぐるぐる回る。


「たくさんまぜるとたくさん美味しくなるの?」


「そうよ。たくさんまぜられる?」


 回る回る、なっとう回る。


「うん、僕もたくさん美味しくしたいからたくさんまぜる」


 回る回ーる、なっとーう、ぐるぐる。ねばるねばーる、なっとおーう、ねばねば。


 一回転目。なっとうはまだひとかたまり。


 二回転目。なっとうはかたまりからゆっくりと形を変える。


 五回転目。なっとうはばらばら、ねばねばはもこもこ。ねばねば糸が増えてくる。


 十回転目。いつも僕が食べてるくらいのねばねばっぷり。まだだ。まだまだだ。


 十五回転目。ねばねば糸がぐるぐるしすぎてあわあわになっているように見える。


 二十回転目。ねばねば糸とねばねばあわでなっとうの豆が見えなくなる。


 三十回転目。ねばねばにお箸が持っていかれる。いけそうだ。


 四十回転目。なっとうは可能性の有機発酵体なのか。


 五十回転目。なっとうの渦から重力波を検知した。


 六十回転目。時計回りの過密な渦はアミノ酸と糖質の糸を際限なく紡ぎ出し、高密度有機結晶体の気配を漂わせた。


 七十回転目。なっとうの糸を紡いだ複合螺旋構造体はいよいよ加速度を増して、空気分子のストリームとアミノ酸が撹拌された摩擦により熱源を得た。これにより自生エネルギーは次なるステージへ到達する。


 八十回転目。螺旋の渦はさらに重みを結して、重力波の干渉と重みの相乗効果により遠心力が重力加速度と均衡した。螺旋の回転速度は第一宇宙速度の秒速7.9kmに達して、自重は重力と反作用し合い、ついに時間の支配領域から離脱した。


 九十回転目。理論的には速度に限界はない。光すら時間と重力で変加速し得る。複雑化した多層螺旋は時計回りに加速し続けて第三次元を超越する。重さと速度による時空突破だ。新世界の物理法則はいよいよ宇宙、或いは本質の純度を濃ゆくするだろう。


 百回転目。お醤油を三滴、いや四滴垂らそう。立ち昇る香りは芳醇さに満ちている。


 二百回転目。時計回りの多層螺旋構造の内部にさらなる極小螺旋の渦が確認できた。有限の際は遥か遠く、内に秘めた可能性のコロニーはミクロに展開してパラレルな次元を構築する。新宇宙の誕生だ。


 三百回転目。僕は自分のミスに気が付いた。なんてことだ。なっとうパックに入っていたタレを入れ忘れていた。あと新宇宙の回転軸が時計回りだ。この第三次元宇宙は左巻き、反時計回りだというのに。僕はなっとうの回転方向を反対にしてしまった。


 四百回転目。新宇宙に満ちている熱エネルギーがアミノ酸と糖質のコロニーに進化と変化を促して、新宇宙の中に恒星、惑星が織りなす銀河が多数生まれた。やがて新たな生命を宿す惑星も誕生するだろう。しかし新宇宙は逆回転により反転している。光すら反転した新世界にて、反転した生命はどのような命の火を灯すのだろうか。


 五百回転目。おかあさんがなっとうの渦巻きになっとうのタレを投入した。有限の膨らみと無限の重みを見せたなっとうの螺旋構造体はかつお出汁のタレに洗われて、普通の第三次元なっとうへと再構築された。


「さあ、たくさんまぜまぜしたなっとうをたくさんごはんにかけてね」


「反転した宇宙に生まれた生命はタレの大洪水に流される。これでよかったんだよね」


「な、何を言ってるのかな?」


 ま、いいか。たくさんまぜたなっとうごはんは、たくさん美味しいに決まってる。反転した新宇宙まるごといただきまーす。

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