5 茨の魔女と王妃の陰謀

 遙か昔の輝く蕾の都ターリアには、生来の呪いにより身体が茨で包まれたお姫様が生まれました。

 抱くこともままならない彼女はずっと、疎まれ隔離されていました。

 

 呪われたお姫様をなんとかしようと、最初のうちは王様もお妃様も様々な人に相談しました。

 しかし、手掛かりは見つかりません。呪いが伝染するといけないと、お姫様を家族たちは避け続けました。

 しかし、末の妹だけはこっそりと彼女が閉じ込められている薄暗い塔へ遊びに来ていました。

 お姫様は、その妹と遊ぶときだけが唯一の幸せな時間でした。

 そして、南の森に住む魔女は、彼らを可哀想に思い相談に乗ってやることにしたのです。

 魔女は言いました。「お姫様は、森の神からの祝福のろいを受けている。お姫様を決して殺そうとしてはいけない。姫を殺せば、災いが起きてこの国は滅びる」と。

 しかし、愚かな王は、それに怒りました。せっかく忠告をしてくれた魔女の首を切って、古井戸の中へ捨ててしまったのです。

 お姫様の呪いは解けない。そうとわかった王様は、お姫様が16歳――成人を向かえる誕生日に、彼女を処刑することに決めました。


 そこで、悲劇は起きたのです。


 魔女の予言は当たっていました。処刑人の大きな斧で、首を切られそうになった時、姫の背中に生えた茨が蠢きました。

 姫の身体からは、大量の真っ黒な茨が噴き出すように生え始め、城全体を覆いました。

 大切な妹だけを残して、城の人間を皆殺しにした姫は、妹にふさわしい人が現れるまで彼女を守ることにしました。

 妹を幸せにしてくれる人間を、気の遠くなるほどの時間待ち続け、やっと妹は清らかな心の王子様と出会い、幸せに暮らしました。


「呪われたお姫様はどうなったんだ?」


「それは、後で話をしてあげる」


 久し振りに見た輝く蕾の都ターリアの城は、丸い月の光を受けて薄らと青く輝いている。

 冷たい石畳の上を、茨を引きずりながら歩く。閉じられた城門の向こうには火と槍を持った兵士たちが緊張した面持ちで佇んでいた。


「我こそは、南の森に住む茨の魔女」


 大きな声を出すと、兵士たちの身体が竦む。

 そっと辺り一帯を見回すと、元気そうな彼の姿を見てほっと胸をなで下ろすような仕草を見せる者がいた。


「幾千年の時を経て、再びこの城へ舞い戻るとは思わなかったが、いいでしょう。さあ忌まわしき人間共、死にたくなければ下がりなさい。王子を呪ったという汚名を晴らすために私は来た」


 ここには、新王妃の息がかかった者は少ないらしい。

 安全だと判断した私は、彼を地面に下ろした。

 片足を引きずりながら歩く彼が、閉じられた門の前に立つ。すぐに、巨大な柵が大きな音を立てて持ち上げられた。


 城へ足を踏み入れる。私を閉じ込めた大人たちが住んでいた場所。

 この手で全てを呪ってめちゃくちゃにした場所。


 この城で育った彼と共に、広間を抜けて階段を駆け上がる。

 誰も私たちを止めようとしない。

 片足を引きずりながらゆっくりと歩く彼の後ろで、周りに注意しながら茨を這わせながら付いていく。

 城の中は徐々に蝋燭灯っていき、私たちの進む先を照らし始めた。


 私を魔女だと決め付けた憐れな人間たち。

 この森に住んでいた魔女は、とっくの昔に人間たちの王によって処刑されてしまったというのに。

 魔女が輝く蕾の都ターリアを呪うどころか、守ろうとしたこともみんな知らない。


 古井戸の中へ放り込まれた魔女は、頭を銀の杯に、身体は水を出す魔法の杖に変えて、魂は宵闇あちら側の世界へ還っていった。

 私は、大いなる森の神に愛されただけの存在。「茨の魔女」とヒトは言うけれど、私には魔女たちの様な叡智えいちはない。

 それでも、ここに戻った私にはすべきことがある。


「ねえ、宝物庫にあると話してくれたボロボロの木と錆びたさかずきを取ってこれるかしら?」


「それなら、ここにあるさ」


 彼は、背負っていた袋から二つのものを取り出した。


茨の魔女あんたから聞いた昔話を覚えていたんだ。もしかして……と思ってさ。城を出るときに拝借しておいた」


 懐かしい。

 ぼろぼろと表面が剥がれる木製の杖を撫でる。


起きなさいCodwch.水を噴きCangen yn出す小枝さんchwistrellu dŵr


 指で撫でてやると、杖は本当の姿を取り戻す。

 魔法の杖は、放っておくと枯れてしまうけれど、声をかけて祈りの言葉を唱えればあっと言う間に息を吹き返す。


目覚めDewchynときôlですよ yn fyw 大地Gwaedynllifo o'r受けるddaearGreal


 赤錆と煤だらけになったさかずきにも、祈りの言葉を唱える。一瞬でさかずきを覆っていた赤錆はあっと今に消えた。元通り、周りの景色を映し出すほど美しい銀色に戻ったさかずきは、傾けると真っ赤な葡萄酒が湧き出した。


「魔女だっていうのは本当だったのか」


 首を横に振りながら、私は彼の羽織ったマントの胸元に銀のさかずきをしまう。


「いえ、魔女と私は在り方がちがう。これは、祈りの言葉を知っていれば誰にでも使える道具よ」


 首を切られた魔女が、宵闇の世界へ帰る前にそっと教えてくれた祈りの言葉。

 私はそれを、眠っている妹へ伝えた。

 魔女たちはナワバリはあれど、思うがままに生きている。空を歩き、水中を飛ぶように泳ぎ、月の光を浴びて踊る。それに、身体が死んでも魂は宵闇へ還るだけ。

 彼女たちが、人のことわりに縛られることは無い。


「私は、森の祝福のろいを得て、定命の運命さだめから逃れただけの存在よ。便利だから茨の魔女と言われても否定しなかっただけ」


「呪われたお姫様がどうなったか、教えてくれよ」


 彼は私の話を聞いていたのかいないのか、立ち止まると振り返って笑った。

 義理の母から裏切られ、家臣から殺されそうになっていたとは思えないほど穏やかな笑みに、心の中に渦巻く怒りの炎はひっそりと勢いを増す。


「そうね。あなたが王様になったら話してあげる」


 彼に「危なくなったら胸に忍ばせた銀のさかずきをうまく傾けなさい」と耳打ちをして、ひたすら城の中を進んでいく。

 しばらく歩いていると両開きの扉の前に到着した。そこで止まった王子は、扉の左右に待機している衛兵たちを見る。

 彼らは、私たちを止めること無く、無言のまま扉を開いた。


 扉を開き、夏の木々に繁る葉のような深い緑色をした絨毯の続く先には、二つ並んだ玉座がある。

 濃い亜麻色の髪をキツく結い上げた新王妃は、切れ長の赤褐色の目で王子を睨んでいた。

 その隣には、どこか落ち着かない様子で王が座っている。彼の薄い灰色の瞳も、金色の髪もどことなく私の父に似ている気がした。

 王子は木に変わってしまった脚を引きずりながら二人の前へゆっくりと進んでいく。


「義母殿、話が違うではないか。あの誓いは嘘だったというのですか?」


 いつもとは違う少し畏まった口調の王子を、扇で口元を隠した新王妃は汚らわしいものでも見るような目付きで一瞥した。


「あなた、これは王子ではありません。欲深い茨の魔女が王子を奪うだけでは飽き足らず、この城を奪いに来たのですわ」


 よく回る口だ。

 しなだれかかり、甘い声でそう訴える新王妃の言葉を聞いた王は、口元に蓄えた髭を両手で何度か撫でる。

 隣の女の顔色をうかがっているばかりで、王子の話を聞こうとしているようには見えない。


「父上、話を聞いてくれ。私は王位をこれから生まれるであろう弟へ譲ろう。ただ、森へ手出しを……」


「さあ、あなた……茨の魔女まで来たのなら、やるしかないわ。南の森を切り拓くためにも、わたしたちの未来の為にも、魔女と王子を葬ってしまいましょう」


 王子の言葉は、王妃によって遮られた。

 最初から話を聞くつもりがなかった。そして、突然の訪問にも拘わらず、なんの抵抗もなく通された王座。

 強い違和感に考えを巡らせる。


「ううむ……しかし、相手は茨の魔女だぞ」


「魔女の一人がなんなのです。こちらには強力な魔術師がいるのですよ。さあ、命令をするだけでいいのです。あとはわたしが全て良きようにしてさしあげましょう」


 両開きの扉がバタンと大きな音を立てて閉められる。

 ハッとして振り向いた王子の足下へそっと茨の蔓を這わせながら、私は思わず口元を緩める。

 ああ、最初からこの女の中では、私と王子がここに来ることまで織り込み済みだったと言うことか……それなら手加減はいらないな。


「わかったよ、愛する我が妻。茨の魔女と、魔女に操られた王子を処分しろ」 


 王がそう言うと、玉座の後ろに控えていた衛兵たちが二人を背後にある扉から外へ逃がす。

 二人を追いかけようとする王子の手を取って、こちらへ引き寄せると、さっきまで王子が立っていた場所へ一本の弓矢が突き刺さった。

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