4 茨の魔女と呪われた王子

「……あんたが助けてくれたのか?」


 翡翠色の瞳を丸くしながら、こちらを見ている彼に気が付いて、私は慌てて茨で身体を隠した。

 身体を起こした彼は、木に変わってしまった右脚を引きずりながら近付いてくる。


「ああ、そうだ。晴れた日の空みたいな色。宝石だと思っていたが、あんたの目玉だったのか」


 彼は、自分の手が茨の棘で少し切れるのも気にしないで、木に変わっていない方の手を伸ばしてくる。

 そっと頬に触れた彼が笑うと、太陽に照らされているみたいに心地よい。

 助かってよかった……と思うと共に、彼を呪った相手に憎しみが沸いてくる。

 私が振りまく呪いでも無ければ、森の祝福のろいでもない。一体誰が、何のために……。


「王子様、あなたを呪ったのは森の神でもなければ、茨の魔女わたしでもない」


「そうなのか? 義母の紹介でやってきた魔術師は、茨の魔女が住む森の呪いだと言ったんだがな」


 彼は、頭を掻いて腰を下ろした。私も彼の隣にそっと腰を下ろす。落ち着かないので顔を茨で覆うと彼は「やっと見慣れた姿になったな」と微笑んだ。

 

 私と最後に会った日から、大切に持っていた御守アミュレットを無くしてしまったことや、無くなった御守アミュレットが、いつのまにか新王妃の手の中にあったこと、そして、それが焼かれて処分されてしまったことを彼は話してくれた。

 

「せっかく俺のために作ってくれたのに、すまないな」


 謝っている場合では無い。どれだけ人が良いのかと呆れている私に気が付かずに、彼は話を続ける。


「それから少しずつ、体調がかんばしくなくなった。寝込んでいる俺を診るために義母殿が、魔術師と医者を遠くから呼びつけてくれてな。その苦労に報いることが出来ず、俺の呪いは進んで……そこで言われたんだよ。俺の呪いは茨の魔女のせいだってな」


 頭の芯がぐらりと煮えるように熱くなった。

 わかりやすい謀略ぼうりゃく。新しい王妃が、自らの子に王位を継がせるための……。

 王が気付いていないはずは無い。もしかして、実の父である王ですらグルなのか?と考えると頭がカーっと熱くなる。


「自業自得だと思った。あんたの忠告を聞かずに森に何度も行ったむくいだと。こんな見た目だ。もう王位は継げそうに無い。だから、せめて義母殿を喜ばせたくて、まだはらにもいない弟に、王位を譲ると伝えたのが今朝のことだ」

 

 どうすればいい。

 一抹だけ残った理性で考える。

 ああ、許してはおけない。浅ましい人間め。疑うことを知らない子供を簡単に切り捨ておって。


「あんたが俺を呪っているのなら、仕方ないと思った。最後に会えるのならと、狩人が俺を連れ出す時も協力してやった。でも、そうでないのなら……」


 彼の横顔が、夜空を仰ぎ見る。

 彼が、このまま私と過ごしたいと言うのなら、復讐をやめて彼と森で過ごそう。

 人間が一人死ぬまでの間くらいあっと言う間に過ぎる。彼が望むなら、穏やかな余生を送らせてやろう。

 そう思っていると、何やら焦げた匂いがする。それが煙だと気が付いた時には、夜空に鳥たちが羽ばたき、木を切り倒す大きな音が夜の森に響き渡っていた。


「見逃してやったというのに……恩知らずの人間め」


 立ち上がって、背中から生えている茨を伸ばす。燃えている箇所の木をなぎ倒した。火の手が回るのを、少しでも足止めできればいい。


「どういうことだ? 俺を森に還して終わりのはずだろう?」


 茨の前方を開いて彼を抱えようと手を伸ばす。一度立ち止まった彼は、私の手を取らずに、身を屈めた。

 自分を包んでいたボロ布の中を弄った彼は、なにやら大きめの袋を手に取って背負う。


「行こう」


 差し伸べた手を引っ込めようとしたけれど、その必要はなかった。

 行くのを拒まれるかと思って心配していた私は、自分の手を取ってくれた彼を、再び抱きしめる。

 そして、腰から下の蔓を伸ばした。土を抉りながら進めば二本の脚で走るよりもずっと速い。


「王子様よく聞いてちょうだい。あなたは新しい王妃にハメられた。あいつら、あなたを厄介払いして、ついでにこの森も焼き払うつもりよ」


 焦げ臭い煙が肌に纏わり付いて不快だ。

 赤く燃え上がり始めた場所を目指して駆ける。

 倒れる木々を見ている彼の返事は無い。


「私の森を燃やす恥知らずの人間め。誰の差し金だ」


 森の入り口付近で火矢を放つ男たちを見つけた。

 顔を頭巾で隠しているが、やたら良い身なりを見ればすぐに王家の手のものだとわかる。


「ひぃ……! 茨の魔女……それに王子……あんた死んだはずじゃ」


 王子の元気そうな姿を見て、男たちの中の一人が腰を抜かして座り込む。

 

「俺はこの通り元気だ。早く火を消せ。この呪いは、茨の魔女がかけたものじゃない」


 彼は、そんな男たちに哀れみの視線を送ると、両手を広げて言葉を掛ける。

 しかし、彼の言葉はやかましい男たちの声で遮られた。


「そんなこと知ってるんだよ! あんたを呪ったのは新しい王妃だからなぁ!」


「王妃様が言ったんだ! あんたを確実に殺せるように森へ火を放てって」


「じき生まれる王子様が王位を継げば出世させてくれるとさ!だからあんたには死んで貰うぜ」


 腰を抜かしていた男は、別の男の手を借りて立ち上がる。そして、彼らは火の付いた矢を私たちへ向けたまま腕に力を込める。


「そんな……。王位を譲れば義母殿は茨の森には手を出さないと」


 頭が沸騰しそう。あの時みたいに。

 腰の下から広がる茨を一本だけ持ち上げて、凪いだ。

 茨の一本が激しく燃え上がる。少しだけ痛むが、たいしたことは無い。

 弓を構えていた男たちは棘に貫かれながら地面を引きずられ、あっと言う間に絶命する。

 火の勢いは弱まっている。このまま放っておいても森は無事だろう。


「頼みがある。聞いてくれるか?」


 挽肉になった男たちを見ながら、彼は静かに言った。

 私は頷きながら彼を抱きしめる手に力を込める。


「城へ帰る。一緒に来てくれないか?」


 私は頷く代わりに、腰に生えた茨をめいいっぱい伸ばして進んだ。風が私たちの身体を撫でていく。

 頭は沸騰しそうなくらい熱いし、彼を抱きしめている身体は、さっきから早鐘のように脈打っている。


「じゃあ、あなたに別の昔話をしてあげましょう。可哀想なお姫様と魔法使いたちの話をね……」


 彼は、無言のまま頷いた。

 何を思っているのかはわからない。けれど、彼には全てを話しておくべきだ。そう感じた私は、遠い遠い昔の記憶を思い起こす。

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