第42話 終盤戦

「人というのはどこまでも身勝手でわがままで横暴で、そしてバカな生き物なんだよ」


 父さんはさぞ今まで多くのそういう人を見てきたかのような……。いや、違う。


 これは自分語りだ。自分がどんな人間なのか、いわば自己紹介と言っても過言ではない。


 そんな父さんの言葉を否定できるほどの強さも人生経験も僕にはない。


 お前はまだまだ子供だ。子どもは大人しく大人の言うことを聞いていればいいと暗に示しているようだ。埋められない経験の差を感じる。


 嫌だ。紗希が笑えない人生なんて僕は送りたくない。送らせたくない。


 嫌だ。父さんの本気の気持ちも無視したくはない。でも僕たちの気持ちを押し殺したくはない。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。




 僕って何なんだ……


 何がしたいんだ……


 僕に何ができるんだ……



「理不尽の前では人はどこまでいっても無力だ……凌太」


 僕が無力感に打ちひしがれているのを見抜いたのか、父さんがそう言った。


 紗希も俯いたままだ。


 もうどうしようもないのか。


 懊悩している僕に父さんは嘆くように言った。


「さっきのお友達がここにいなくて良かったな。こんな話聞かれていたら間違いなくその子から離れていっただろう」


 さっきのお友達とはおそらく黒野や千花さんたちのことを言っているのだろう。ここに来るまでにすれ違ったのか。


 それに対し、僕はそんなことないとすぐさま反論したかったが、内容が内容なため、あいつらの気持ちを勝手に語るのに躊躇を覚えた。


 父さんの言う通り、人は根底では打算的なのかもしれない。黒野たちが簡単に裏切るようなやつらじゃないとわかっていても、いざ、窮地に立たされたら、どうなるかわからない。


 僕が黙ったままでいたときだ。


 突如、バタンッと勢いよく扉が開き、怒っているような顔をした千花さんとそれに続いて黒野、衣鳩先輩が騒がしく入室してきた。


「ちょっと羽衣さん落ち着いて……」


「オヒョヒョ!千花さん豪快すぎンゴ〜。主人公かよっ!」


 何やら千花さんがドスンドスンと不機嫌そうに歩いてくる。


 多分、ドアの傍で耳をそばだてていたのだろう。


「お、お前ら聞いてたのか……」


「ま、まあな悪いとは思ったんだけど、つい……」


「黒野一旦黙って」


 どうやら千花さんは相当頭にきている様子だ。


 そして、ため息をついてから、こう言った。


「ほんと、親子だね」


「千花さん?」


 すると、千花さんがいきなり、ずいッと前に出てきて、思いをぶつけた。


「ずっと聞いていましたが、紗希ちゃんといると不幸になるとか、そんなくだらないことをあなたたちは話に来たんですか?聞いて呆れました」


 その口調は千花さんらしくダウナーな雰囲気を纏っているが、言葉には確かな力が宿っている。


「言わせてもらいますけどね。あなたがどう言おうが私は紗希ちゃんの友達です」


 「それに……」と付け加え、一瞬唇を噛みしめてから、神に誓うかのような真剣な眼差しで、こう言い放った。


「紗希ちゃんは芦谷君の隣にいるべき女の子です。他の誰かなんてありえない!」


 千花さん……


 僕は熱のこもった演説に心を打たれていたが、まだ千花さんは続けた。


「私は紗希ちゃんのが好きです。でもでも判断しません。私にとっては紗希ちゃんのが大切でかけがえのないものなんです!」


「俺も同意見です、凌太のお父さん」


 そう言ったのは、黒野だった。


「確かにお父さんが懸念することもわかります。人は一人だと醜いのでしょう。でも、僕はこうも思います。モザイクアートと同じで、一つ一つはいびつでも、みんなが集まれば素敵な何かを生み出せるんじゃないかって。人は信頼できる誰かと共に生きることで初めて素敵な存在になると……」


 黒野の顔にはいつものおかしな様子は垣間見えない。クラスメートが見ても、こいつが黒野だと信じられないだろう。


 まだ、黒野は言葉を並べた。


「仮に、これから凌太たちや俺らが不幸に見舞われたとしましょう。そんときは俺らが何とか助けるし、それに、こいつらならなんだかんだで乗り越えられると思います。見ててうっとうしいほど甘々なんで、ハハッ!」


「私も何かお力添えできることがあれば尽力しますよ」


 衣鳩先輩も優しい微笑みを浮かべて、投げかけた。


 最高だ。


 黒野たちのおかげで大事なことに気づけた。


 こんなこと忘れていたなんて、僕はバカだな。


 一人で悩まなくてもいいってことに。


 黒野たちを一瞬でも疑った僕を殴りたい。


 でもそんなことはできない。だからこの罪悪感はこれからみんなに恩返しすることで償っていこう。


 罪悪感に向き合うには自分の気が済むまで恩を返し続けるしかないからな。


 すると、隣から、「う……うぅ……」とすすり泣く声が耳に入った。


「わ……私……一人じゃなかったんだぁ……ひぐっ……もうみんなに……遠慮しなくても……いいんだ……ああぁ……ひぐっ……」


 一方で、父さんは激しく狼狽えていた。


「なぜ!?なぜ君たちは無条件に信じることができるんだ?」


 そんな父さんの決死の問いかけに逆らって、紗希が未だ目を赤くしながら、生まれ変わった心境を吐露した。


「私、やっと自分のことを好きになれた……。昔お父さんが言ってたの大切さが今わかった気がする」


 紗希がそう言った瞬間、僕はあることを一気に思い出し始めた。


 そう。たまに見る夢の続きだ。




「かっこいい人になるには九十九パーセントの優しさと一パーセントの自己愛が大事なんだよ」


「じこあいー?」


「自分のことが好きかどうかって意味だよ」


「ぼくはぼくのことだいすきだよー」


「ジシシっ。それは頼もしいな」


「それにぼくはいつもみんなにやさしくしてるよー」


「そうかそうか。それならなおさら君に任せたくなったよ」


「なにをー?」


「それはね………………だよ。君と同じ二年生なんだ」


「けっこんしろってことー?」


「君は嫌かい?」


「いやじゃなーい。けっこんするー」


「いいな。さすが敏雄の息子だ。俺には時間がないから助かるよ」


「じかんー?」


「あ、いやなんでもない。それよりおじさんとさっきのこと約束してくれるかい?」


「するよー」


 そして僕は紗希の父さんと指切りをして誓ったんだ。


 家で初めて顔を合わせた時は緊張して上手く話せなかったけど、紗希の父さんが手品をしてくれて、それがきっかけで話すようになったな、そういえば。


 思えば紗希の父さんはあのときから未来予知のことを信じていて、自分が死ぬということを悟って焦っていたのかもしれないな。


 ていうか結婚って。スケールでかくなったな。このことは誰かに漏らすわけにはいかない。


「なっ……その言葉……こ、光司の……」


 父さんはどうやら紗希の発言を光司さんに重ねて、唖然としている様子だ。


 そうだ……僕は光司さんから自分を曲げないことの大事さを学んだんだ。自分を好きでいること。簡単なようでできている人は少ない。空気が重んじられる現代ではなおさらだ。


 光司さんとの会話は今の今まで忘れていたけど、心では自己愛が僕の行動原理になっていたんだな。


 今、ジシシっという特徴的な笑い声が耳朶に響いた気がした。


 あとは眼前で一人苦しんでいる敏雄だけだと。敏雄に一発ガツンと目を覚ますような一言をかけてやれと笑顔の光司さんに背中を押された……と思う。


「父さん」


 そう言うと、父さんは呆けた表情でこちらを見た。そして僕はこんな言葉を投げかける。


「僕は父さんに守られる気は毛頭ない。ったく。父さんは


「………………ッッッ!?!!?」


 スーッと一筋の涙がキラリと光りながら、父さんの頬を伝っていった。


「そうか……そこにいたのか……光司……お前はずっと君たちの中で生きていたんだな……」


 父さんは僕と紗希を同時に抱きしめた。


「す、すまない……俺はなんてことを……本当にすまないっ……紗希ちゃん……ごめんね……」


 父さんの抱きしめる力は強かった。それが今までの償いかと思うほどに。


 隣で、プルプル泣いている紗希は優しく語りかけた。


「いいんです。凌君といられるならそれで。でもそれだけじゃありません。私はあなたにも感謝していることがあるんです」


「俺に?」


 何だろう?紗希が父さんに感謝?


「私、お父さんになんで医者になったか尋ねたことがあるんです。そしたらこう答えてくれました。『昔、勇気をだしていじめられっ子を助けたことがあって。その時に初めて人を救う素晴らしさを実感できた。それで医者を目指そうと踏ん切りがついたんだ』と。だからお父さんが医者になったのはあなたのおかげなんです。かっこいいお父さんの娘にしてくれてありがとうございました!」


 紗希の泣き顔は隠れてしまい見えない。涙は液体だから蒸発するのは当たり前だ。


 でも、そんなわけないのに、衣服についた染みは一生消えることがないと断言できる。それは成長の、人が前に進んだときの勲章だから。

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