第41話 中盤戦

 見慣れない天井。座ったことのない高級そうな椅子やテーブル。


 そして、僕、父さん、紗希という不自然な組み合わせ。


 唾を飲み込む音が明確に聞き取れるほど、ここは厳かな空気が流れている。


 緊張感、なんて一言では言い表せないほど。


 例えば、サバンナのど真ん中で、肉食獣に見つからないよう息を殺している場面を彷彿とするくらい、僕の神経はピリピリしている。


「私は仕事でここに来たはずだが。どうして君たちがいるんだ?」


 父さんが私と言うのは仕事モードの時だ。こうなった時はいつもの温厚さはなく、ただ事実を冷淡に述べるだけのマシーンのような印象を受ける。


「僕が父さんと紗希が集まるよう仕向けたんだ。どうしても父さんには言いたいことがあってな」


 すうーっと息を吸い、はあーっと息を吐く。気持ちを整える。


「……紗希のことをちゃんと理解はしようとしてくれていたんだな。見たよ。父さんが普段読まなそうなオカルトチックな本や関係ありそうな量子力学の本が数十冊並べられていたとこ。それら全てにびっしり付箋が貼られていたとこも」


 そう。あの日実は母さんに父さんの昔の書斎の写真を見せてもらっていた。それは、父さんが当時寝る間も惜しんで調べていたという軌跡だ。あるときは霊能力者みたいな人にもアポを取って話を伺っていたらしい。忙しい仕事の合間を縫って。


「……まあ結果は得られなかったがな」


「それでも、僕は父さんが何も努力せずに紗希を拒絶してるんだと勘違いしてた。ごめん」


「凌太が謝る必要はない。私こそ前は強引な手段を選んでしまいすまなかった」


「父さんが調査を止めた理由も母さんから聞いたよ」


「それはここでは言わない方がいいだろう」


「もちろんそのつもりさ」


 そりゃあ言えるわけない。


 父さんは当時、何かわかるかもと思い、冬知屋家付近を散策していたらしい。


 その際、偶然にも紗希と同級生と思われる下校途中の女子生徒たちのこんな会話を聞いたそうだ。




『ねー。隣のクラスの冬知屋さん、今度は田中君に飛び降り自殺の呪いかけたらしいよー。骨折で済んだらしいけどー』


『えーホントにー?こわーい』


『あの子に近づかない方がいいんじゃない?』


『そうだねー』




 それを聞いた父さんはわからなくなったようだ。自分のやっていることが正しいのか。紗希に関わるのが今後家族のためになるのか。


 ただ、こんなの紗希には聞かせられないと父さんが気を遣ったゆえに発言を止めさせたのだろう。


 それにしても、父さんがいくら調べても真相に辿り着けなかったのは当然だ。


 なぜなら父さんと僕たちで一つが存在しているからだ。


 その考えの相違を父さんに告げていいかと、僕は紗希にアイコンタクトで確認を取る。紗希は黙って首を縦に振ったので、父さんに一つの真実をぶつける。


「父さんは一つ勘違いをしている。信じられないかもしれないけど、紗希は呪われているわけじゃない。だけなんだ」


 よし、言ったぞ。これで父さんの思い違いを伝えられたから、多少は形勢がこちらに傾いたはずだ。


 そう思い、父さんが次にどう動くか注意深く観察していると、隣、つまり紗希が追い打ちをかけた。


「今、右手を顎において『なるほど』と呟こうとしましたね」


 未来予知は本物だと言わんばかりに紗希はその能力を惜しみなく発揮した。


 父さんは、少し驚いたのかピクッと眉根を歪ませ、


「なるほど」


 と、右手を顎に置きながら呟いた。


「つまり、その子は呪われているわけではなく、ただ悪い未来を予知していただけだと言いたいのか?」


「そうだよ。父さん」


 父さんは「ふーん」と深く考える素振りを見せてから、紗希にこう問うた。


「君はなぜそこまでして凌太に関わろうとする?理由を聞かせてくれないか?」


 それを聞いた紗希は一度深呼吸をし、しっかりと父さんの目を見ながら、昔を回顧するように発言した。


「私は凌君のお父さんが言うように、周囲から気味悪がられていました。言ったことが後に必ず現実になる現象はさぞ不気味だったんでしょう。子供に限らず、大人までもが私のことで噂するようになりました。特にお父さんが亡くなった時はひどかったです。あることないことを言われ続けました。実は娘がお父さんを殺したとか。お母さんが殺したとか」


 僕は絶句していた。紗希の口から出るエピソードはただただ壮絶で、当人なら絶対に目をそむけたくなる現実だ。でもそんなことは決してできない。その辛さの一端を想像するだけで、僕は鳥肌が立った。


 紗希はまだ、続ける。


「ある日、お母さんが周りからの悪意ある視線に耐えかねて倒れました。重度のストレスが原因でした。それでもお母さんは『紗希は悪くないからね。悪くないからね』と泣きながら抱きしめてくれました。でも、私は多分、お母さんとお父さんは未来予知について勘づいていて、その上で私を育てようとしてくれたことに子どもながら気づいていたので、お母さんを悲しませたくないと思い、それから人と過度に関わるのを避けました」


 父さんも僕も口を閉ざしたまま、紗希の言葉を一つ一つ丁寧に拾っていく。


「でもお母さんは悩んでいました。今も悩んでいると思うけど。昔のような明るさは取り戻せませんでした。なので私自身、自分のことは大嫌いでした。いるだけで、周りの人達が不幸になっていったから」


 そこまで言ってから、紗希は再び酸素を肺に送り込んでから言葉を繋いだ。


「でもね。高校に入学してすぐに彼に出会ったんです。彼はどことなく私のお父さんに似ていました。自分の正義を曲げないというか自分が信じたものに突き進む姿というか。私をどんなときでも守ってくれたお父さんに似た彼なら、もしかしたら私を受け入れてくれるかもと思ったんです。そして、実際、私に寄り添ってくれました」


 紗希は一番言いたかったであろう言葉を口にした。


「凌君は私に生きる資格をくれたんです。だから、私は凌君にこだわります」


 僕は紗希が抱えていたものの重さに思わず涙しそうになった。でも、紗希は泣いていない。頑張ってる。なら、僕がここで泣くのは違うだろ。


 溢れ出そうな涙をグッとこらえるために、僕は父さんの顔を素早く窺うことにした。これでどうだと言わんばかりに。


 しかし、当の父さんは小難しい表情を浮かべたまま、根拠を提示してきた。


「君の思いは十分伝わった。だがな。正直こんなこと言いたくないが、君が未来予知できることが本当だったとしても、不幸を呼び寄せる力を持っていないとは言い切れない。その疑念が拭いきれない限り、私は凌太と君を近づけるわけにはいかないな」


「た、確かにそれは一理あるけど……」


 僕が腹落ちしてないことを見透かしたのか、父さんはある例え話をし始めた。


「君たち二人は死刑制度に賛成か?反対か?」


「急に何の話だよ」


「いいから答えたまえ」


「僕は反対だ」


「私も反対かな」


「それはなぜ?」


「父さんが昔言ったんだろ。たとえ悪人であっても死刑が人殺しであることに変わりはないって。国が法律を盾に陰湿に人殺しをしていいはずがない。正しく罰を受けるべきだって」


「私もだいたい同じ理由です」


 父さんは一体どういうわけがあってこんな話を……


 そう考えていると、父さんが質問の意図を説明した。


「それは極めてロジカルな思考回路だな。そこに感情は入っていない」


「は?」


「私も昔は今の凌太みたいな考えを持っていた。でもね。弁護士の中でもよくいるんだよ。死刑反対だと言っていたのに、身内が殺されると、コロッと手のひらを返して、賛成だって言う人が」


「何が言いたいんだ?」


「人は論理だけでは行動を起こせないということだよ。身内があるいは自分が不幸を被ると、そこに感情が横入りしてくる。たとえそれが正しくなくてもだ」


「でもさっき父さんは不幸をもたらす可能性が拭えないとか何とか論理的に反論してきたじゃないか」


「違うよ、凌太。論理だけでは、と言ったろ」


 父さんは父さんなりに決意した表情で僕に言霊を放った。


「その子が凌太に近づくのがんだよ」


「???」


「頭では大丈夫だとわかっていても、心が不安だと叫んでいる。凌太の身に何か起こるんじゃないかと」


「そんなの……」


「もう二度と大切な人が傷つくところを見たくないと私の感情が絶叫しているんだ」


 それは文字通り父さんの心からの訴えだった。


 僕の気持ちも紗希の気持ちも、そして父さんの気持ちも本物だ。


 一体、僕はどうすればいいんだ。

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