第34話 紗希

「で、凌太はこの子の何がきっかけで好きになったの?」


「この話まだ続くの?」


 どうやら両親の興味関心は一向に途切れる気配がない。ガッデム!


「飽きたら終わるから、早く言ってよ~」


 このまま無視し続けても無意味に終わる、どころか余計に面倒くさくなるのはわかっているので、さっさと白状することにした。


「え、笑顔かな……」


「アオハルだな~」と母さんは思春期真っただ中の息子をニタニタしながら面白がっている。


「そういえばこの子名前何て言うんだ?」


 不意に父さんが質問してきて、名前くらいなら僕が辱めを受けることもないだろうと気軽に答えることにした。




 しかし、まさか僕のこの発言が大きな波乱を巻き起こすことになるとは、この時の僕は知る由もなかった。





「冬知屋紗希って名前なんだ。珍しいよな」


 そう言ったとき、父さんと母さんの表情が険しくなった。いや、母さんの方はどちらかというと驚きが強く、ネガティブな感情は浮き彫りになっていなかった。


 一方あの誠実で真面目で僕の自慢の父さんは……


「凌太…………酷かもしれないがその子とは距離を置きなさい」


 一瞬何を言われたのか理解ができなかった。あまりに唐突すぎて。さっきまでのバカ騒ぎがなかったかのようで。


「今……何て?」


「冬知屋紗希には今後関わらないようにしなさい」


「ちょっとあなた。何もそこまで言わなくても……」


「直美は黙っててくれ!」


 なんだ?何が起きているんだ?


 まるで父さんは紗希に恨みがあるかのように嫌悪感をむき出しにしている。


 僕は開いた口が塞がらなかった。志望校に合格して喜んでいる最中に、突然冷や水をかけられ、不合格だと告げられたかのような気分だ。


 まず事態の把握に努めよう。


「何でそんなこと言うんだよ、父さん。理由を教えてくれよ!」


 すると、父さんは数秒ほど瞑目してから重々しく言葉を紡いだ。


「凌太……これはお前のためなんだ。あの子は近くにいる人を不幸にする。きっと疫病神か何かなんだ」


 気が付けば僕はあれだけ慕ってきた父さんの胸倉を力任せに掴んでいた。


「父さんに紗希を悪く言われる筋合いはねえ!!」


「あるよ!!!」


 今まで基本的に僕の意見を尊重してくれた父さんとは思えないほどの怒りと気迫だった。こんな父さん初めて見た。


「俺の……俺の大切な親友は……あの子に殺されたんだ……」


「は……何を言って……」


「それだけじゃない。お前も覚えているだろ、直美が……母さんが脳梗塞で倒れた時のこと」


「ま、まあ。あれは僕が小学校三年生くらいのときだよな」


「あれもあの子の仕業なんだ……」


 パチンッッッ!!!!


 という甲高い音が空間を裂くようにリビングに響き渡った。


 音の鳴る方へ視線を向けると、というか元々向いていた方向でそれは起こったのだ。


 父さんの右頬を母さんが鋭く平手打ちしたのだった。


「あのことにあの子は関係ないって前から言ってるでしょ!?まだそんな馬鹿なこと考えていたの!?」


 母さんは涙目で無表情の父さんに訴えかける。


 だが、父さんは考えを曲げる様子を見せない。


「関係あるさ。俺は目の前で二度も見せつけられたんだ。人づてに聞いた話なら他にもある」


 特に声を荒げるわけでもなく、思い出話を語る口調だった。それが事実であることが決して揺るがないと主張しているかのようだ。


 そのまま父さんは言葉を続けた。


「弁護士の俺が言うのも気が引けるが、あの子だけはみんなと生きることを許されない存在なんだよ」


 限界だった。なぜ父さんがこれほどまでに紗希を敵視しているのか皆目見当がつかなかったが、これだけは理解できた。


 父さんは言っちゃいけないことを言ったということを。


 怒髪天を衝き、自分が何をしたのかよく覚えていない。


 把握できるのは、父さんの顔面へ向かおうとしている僕の左拳が容易く受け止められていることだけ。


「胸倉を掴むのはナンセンスだと教えなかったか?」


「ッッッ!!!」


「怒り狂った相手は思考が単調になるとも教えたぞ」


 そう言うと、僕の左腕を捩じりながら引っ張ることで全体のバランスを崩し、その隙に軽く足払いをかけ、僕は完全に体勢を保てなくなった。


 いつの間にか胸倉を掴んでいた右腕は僕の背中と接するように組み伏せられていた。


 今、僕は地に這いつくばった状態で父さんに拘束されている。警察が犯人を取り押さえているみたいに。


 僕がなんとかこの拘束から抜け出そうと試みるが、がっちり固められていて、身動きが全く取れない。


 すると、何やら父さんがソファーに置きっぱなしになっていた僕のスマホを拾い上げ、操作し始めた。


「あなたやめなさい!」


「直美は近づくな。けがをする。危ない」


 父さんは鬼気迫るオーラで止めようとする母さんを制した。


「なるほど。このアカウントがあの子のだな」


 僕は写真を見せるとき、紗希に直接送ってもらったものを見せたので、画面上は紗希とのトークルームのままになっていた。だから、父さんはすぐに発見したのだろう。


「は、離せ!」


「少し大人しくしてろ」


 そう言うと、父さんはガバっと僕の口を手のひらで塞ぎにかかった。


「んんんんん~~~~ッッッ!?!?」


 僕は父さんの動向を指をくわえることもできず、ただ見上げることしかできなかった。僕のスマホを耳に当て始めたのだ。


 まさか、電話!?


 しばらく待つこともなく、ツーコール目で紗希は電話に出たようだ。


『どうしたの?凌君?次、遊びに行く予定のこと?』


 僕たちはプールの帰りにまたどこかで五人で遊びに行こうと約束していたので、たぶんそのことで連絡してきたと紗希は思っているのだろう。


 電話の相手が僕の父親であることも知らずに。


「すまないが、私は凌太の父親の敏雄というものだ。と言ってもはじめましてではないんだがな」


『え、えっと……凌君……凌太君のお父さんですか?』


 父さんは家だと一人称は俺だが、外向きだと私と呼び方が変わる。というのは今はどうでもいい。


 気になることを言ったぞ。はじめましてではない?父さんは紗希に会ったことがあるのか?


 おそらく紗希も僕と同じように戸惑っているのだろう。誰?身に覚えがないんだけど?といった感じに。


「そうだ。私は電話での長話は好まないので、端的に言わせてもらう。この言葉を聞けば、君も思い出すだろう」


 父さんはスラスラと冷淡に言葉を並べた。







『ッッッ!?!?』


 電話越しでも何となくわかる。紗希がひどく動揺していることは。その証拠に、


『あ……あの、もしかしてあなたは……』


「思い出していただけて何よりです。手間が省けました。なら私が言いたいこともわかりますよね?」


『あ……その……』


「もう金輪際、凌太には近づくな」


 それだけ言って、父さんは一方的に通話を切った。


 それから不気味な静寂がこの空間に漂ったが、僕の口が自由を取り戻すと、リビングが僕の罵声で溢れかえった。


「ぶっとばす!今から表、出やがれこのクソ野郎!!」


「凌太が俺に敵うわけないだろう。直美、凌太を落ち着かせてやってくれ。俺は今日は事務所に戻るよ」


「……わかったけど、あなたもあなたよ。少しは頭を冷やしてきなさい」


 父さんは踵を返し、玄関へ向かった。


 僕は母さんになだめられながらも、最後に言葉の槍を父さんに突き刺した。


「親のすることじゃねえ。絶対許さないぞ」


 それを聞き、父さんは振り返ってこう返答した。


「親が子を守って何が悪いんだ……」


 そして再び玄関へ向かったのだが、その背中には言い知れぬ哀愁が纏っているように見えた。

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