第33話 両親

 夢を見ていた。


 たまに見る夢。


 小さい頃の僕が出てきて、誰かにかっこいい人について説かれる場面。


 誰なのかはわからない。


 それに最後のセリフを聞き終わるまでに必ず夢が覚めてしまう。覚えていないだけかもしれないが。


 寝ぼけ眼を人差し指でこすりながら、壁に立てかけている時計を確認すると、時刻は二十一時になっていた。


 晩御飯を食べて眠くなったので、ほんの三十分だけ自室で眠りについたのだ。


 僕はまだ眠気を感じながらも、ゆっくりとした足取りでリビングへと向かった。


 ここは僕の家なのだが、そこは普段と異なる様相を呈していた。


 なぜなら、今日は仕事でいつもはいない両親が帰ってきているのだ。


「あら。凌太。やっと起きたの?」


「やっとって三十分くらいしか寝てないだろ」


 そう僕に言ったのは母の直美だ。


 母さんはマスコミ関係の仕事をしていて、四六時中何かを追いかけているので、自宅に戻ることが難しいのだ。


「久しぶりに帰ってきたと思ったら、ちょっと太々しくなってない?反抗期?」


「反抗期かどうか息子に直接訊く親がどこにいるんだよ」


「ここにいるけど?」


 そう言って母はおどけた雰囲気で茶化した。


 見ての通り、母は基本的にふざけるのが好きで楽観主義。ノリがいいと言えば聞こえはいいが、悪ノリと捉えられる恐れもある。


 まあ、僕は慣れたので、不快感は催さないが。


 僕はリビングのソファーに腰かけ、クイズ番組を視聴している父さん、敏雄としおに話しかけた。


「この問題わかる?」


「ああ。答えはホーブラだな。シマウマと馬の交配種だと聞いたことがある」


「さすが」


 テレビの画面上では父さんの言う通り答えはホーブラだと示されていた。ノーブラではない。


 以前紗希にも伝えたことがあるが、父さんは弁護士で法律には精通しているのだが、それ以外にも、その有能な頭脳には様々な知識が詰め込まれていたりする。


 一言で言えば、頭がいいのだ。なのに、気取らないし、勉強についても自由にさせてくれるので、鼻につくこともない自慢の父さんだと思っている。


 母さんもそうだったが、僕の一人暮らしを後押ししてくれたのだ。


 母さんも父さんもかなり忙しい職業についていることは子供ながら理解はしていた。ゆえに、昔から、せわしなく家に戻ってきては、すぐに仕事に向かっている両親の様子に気を遣う部分はあった。


 その頃から料理や洗濯など家事はそれなりにこなしてはいた。


 そして、僕は両親に一人暮らしを提案したのだ。両親の負担を軽くするために。


 もちろん最初は二人とも反対していた。高校生では不安な点があるのも頷ける。


 誰が見てもわかるくらいに心配してくれて、恵まれているなとしみじみ感じたことだ。


 だが、僕の両親の助けになりたいという思いの強さを最後にはしっかり受け止めてくれて、承諾してくれた。


 今日みたいに時々、様子を見に来ることを条件に。


「晩御飯食べてから少し眠ったみたいだが、それだけ楽しんだんだな」


「ああ。友達とプールに行ってた」


「安心したよ。凌太が学校生活を楽しんでいそうで」


 いつもは家にいなくても、こんな風に僕のことを気にかけてくれる。


 父さんはソファーに深く腰掛けながら、誠実に答えた。


 そんな僕たちの会話に母さんは口を出した。


「でも凌太が少数のお友達とだけ仲良くするところもこの人に似てきちゃってさ。どうせ今日遊んだ子も全員男の子なんでしょ?」


 僕は思わず、ギクッとしてしまい、言葉に詰まった。


「…………いや……何人かはその、女の子だった……けど……」


 頭をカリカリ掻きながらそう言った瞬間、両親の目つきが変わった。それはもう将棋で言う、前しか進めなかった歩がと金に成り、まるっと存在が変わってしまったかの如く。


「え!女の子いたの?何人?」


 母さんの目がやばい。完全に決まっちゃってる。


 僕は母さんの勢いに気圧されて、正直に答えざるを得なくなっていた。


「え、えと。五人で遊びに行って。そのうち三人が……女の子だったけど」


「女の方が多い……。凌太…………いつの間にそんな子になっちゃったの?私そんな子に育てた覚えはありませんっ」


「べ、別に変なことはないぞ。ただテスト終わりのお疲れ様的なやつで……成り行きに従ったらこうなっただけだ!」


 僕が変な誤解をされまいと慌てて主張しても、母さんは全く聞く耳を持ってくれそうになかった。


「もしかして、その中に彼女とかいるの?」


「まだ彼女じゃないよ!」


 言ってから、自分の失態に気づいた。失言をした政治家もこんな気持ちなのだろうか。


「まだ!?こ、これはスクープだ。明日の朝刊に載せてもらおう。それで役所に一年間貼り続けてもらおう」


「拷問か。新しい拷問かそれはっ!」


 職業病出てるよ。それも悪質な傾向の。もう止まらない暴走機関車だ。助けて、父さん。


 切実に願っていると、奇遇にも母さんも父さんに泣きついているようだ。


「ねえあなた~。凌太が色気づいたぁ~」


 そう言って母さんはソファーに座っている父さんに密に抱きついている。


 仲良いのは結構だが、年考えてくれ。高校生の息子の前だぞ。何か恥ずかしいわ。


 へらへらしている母さんとは逆に、真剣な目つきをしている父さんは微動だにせず、僕に質問を投げかけた。


「どんな子なんだ?写真はないのか?」


 あれっ?まさか父さんも気になっちゃってる?僕って孤立無援なの?四面楚歌なの?


 写真はみんなでプールの帰りに二、三枚は一応撮ったのだが、そんなの見せてしまうと、絶対母さんにはいじられてしまうので、隠し通すことにした。


「あ、いや、ないよ……」


「あるな。父さんの前で嘘は通じないぞ」


 だからそこで職業病出すのやめてぇぇぇ。父さんのハイスペックさを初めて恨んだかも。


 見透かされたので、これ以上の嘘は見苦しいと考え、スマホに入っている写真を大人しく差し出すことにした。


 その画像を父さんとそれを興味津々といった様子で母さんが上から覗き込んでくる。中学生か。


「うわっ。本当に女の子いる。妄想じゃないんだ」


「自分の息子に対してその疑いはひどくない?」


「それにしてもみんなものすごく可愛いじゃない。ねえあなた?」


 ニヤニヤしながら、母さんは父さんに感想を促す。


 父さんはさっきから値踏みするようにじっと写真を見つめている。まるで美術館で作品を矯めつ眇めつするかのように。


 そして一言。




「…………………………恐れおののいたよ」


 古語出ちゃった。まじめなトーンで古語出ちゃった。父さん?


「それで……どの子が凌太の彼女候補なんだ?」


 親にこう聞かれると、むずがゆくて今すぐ立ち去ってしまいたい。


「え、その……僕の左隣の……この子だよ」


 僕が指を差した所を父さんが視界に捉えた刹那、グハッと吐血したような素振りを見せ、大げさに仰け反りだした。


「やばい~これはやばいよ~」と真面目な父さんらしくないなよなよした声音で呟きを漏らしている。




 父さん。頭のねじが一本取れました。




「かわえええええええええええ!!こんな子と仲良くさせてもらってるのか?」


「そうよ。凌太。あなたこの子の弱音握ったの?それとも弁護士の父さんを笠に着てるの?」


「やっぱりひどくない?信頼ゼロなの?」


 あと父さんのバグった姿は見たくなかった。ガラガラと今までの父さんのイメージ像が崩れていく音がする。


「この子と付き合えたら、凌太……このおっぱい揉み放題だぞっ!」


「あんた何言ってんだっ!?」


 え?これ父さんなの?ドッペルゲンガーではないよな?


「ちょっとあなた。揉みたいなら私のでいいでしょ?」


「息子の前でそんな生々しいこと言うのやめてください。シンプルにきつい」


「俺は揉み放題より飲み放題の方が嬉しいよ。直美。日本酒持ってきてくれ。熱燗で頼む」


「あなた酔わないけど飲みすぎないでね。大学生の時も私だけ酔っちゃってその後……」


「そんなエピソード赤裸々に語るな。これ以上僕に心理的ダメージを与えないでくれ」


 今日だけで寿命が二年くらい縮んだ気がする。ドッと疲れが押し寄せてきた。


 すると、父さんはふうーと深呼吸し、気持ちを落ち着けてから良い笑顔でこう言った。


「まあ、なんだ。凌太が人生楽しそうで良かったよ」


 なんだろう。さっきの今だと全然響かない。

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