第16話 接近

「冬知屋さん……」


 僕は冬知屋さんの目の前まで歩を進め、手を差し出した。


「立てる?」


 へなっと座り込んでいた彼女は僕の手を掴もうとして……それを中断し、引っ込めた。そして自分の足で立ち上がった。


「う、うん。私は大丈夫だから……ありがと……じゃあね」


 冬知屋さんは居た堪れない様子でこの場を後にしようとしたが、僕がそれを許さなかった。


「ちょっと待って!」


 逃がさないと示しているようにガシッと冬知屋さんの手を掴んだ。


 彼女の手は、いや、全身がブルブルと何かを我慢するように震えている気がする。


「僕の話を聞いてほしいんだ」


 冬知屋さんは首を縦にも横にも振ることはなく、ただただ固まって動かないでいる。


「僕の腕を振りほどかないだけでも嬉しいよ。ありがとう。まず謝罪させてほしいんだ」


 すうーっと息を吸い、はあーっと息を吐いて、呼吸を整える。


「ごめん。あの日とこの一週間、冬知屋さんのこと守れなくて……本当にごめん!」


 千花さんはそんなことないって言ってくれたけど、冬知屋さんは本当は僕に失望してるかもしれない。


 だって、結局さっき僕が蹴りを入れられたとき、また心配させてしまった。また気を遣わせてしまった。


 今村と対面したとき、勢い余って、思いの丈を露呈しすぎたかもしれない。


 重い男だと思われたかもしれない。


 それでも、僕は逃げるわけにはいかなかった。なぜなら、



 まだ、資格がないから……


 諦めたくないから……



「チャンスが欲しいんだ。冬知屋さん」


 こんなこと僕から言うのは図々しいし、困らせるかもしれない。でもそれがどうした。


 両想いじゃない限り、好意なんて伝えられたら誰だって困るだろう。必死に相手のために考えるはずだ。


 人は困ることなしに、そして傷つかずに他者と関わりあうことはできないんじゃないだろうか。


 開き直りかもしれないが、間違っているとも思わない。


 だから僕は言葉を続けた。


「冬知屋さんが僕と付き合うことになるって言った、夏祭りまで待ってほしい。それまでに必ず、隣にいるための資格を手にするから!」


 こんなの告白同然だ。誰が聞いてもそう捉えるだろうし、もちろん冬知屋さんもそう解釈するだろう。


 僕は溢れ出る感情に流されて、思いを口走った気がしないでもないが、後悔は全くしていない。むしろ、言ってやったという達成感すらある。


「だからお願いだ!もう一度傍にいさせてくれ!!」


 きっと今どきの恋愛漫画のかっこいい主人公はこんな泥臭くて、盲目的で、プライドの欠片もないやり方はしないだろうな。もっとスタイリッシュに決めきる。


 でも、僕にはこんなやり方しかできないんだ。今まで、恋愛とは縁遠い人生を送ってきた僕には、器用な立ち回りなんか期待できない。


 ただ、思ってることをストレートにぶつける方法しか知らないんだ。


 冬知屋さんは目に涙を浮かべたままだったが、先ほどのそれとは違い、何かを望んでいるような印象を与えた。


「芦谷君はさ……どうして私なんかと一緒にいたいと思ってくれるの?未来が見えるなんて意味の分からないことを言ったり、いっぱいからかったりしてるんだよ?」


 涙交じりの掠れた声で必死に訴えかけてくる。


「そんなの今更じゃないか」


「今更で済まされないよ。そのせいで芦谷君にはたくさん迷惑かけちゃったし……」


「迷惑だなんて思ってないよ」


「それは芦谷君が優しすぎるだけだよ。その優しさは私に向けるべきじゃない。ごめんね。私が付き合うことになるなんて言ったばかりに……」


 冬知屋さんの心がグラグラと揺れているのは感じ取れるが、どうも本音のようには不思議と思えない。根拠はないが。


 ただ、わかるのはひどく自分を卑下しているということだけ。


「僕が誰に優しさを向けるかは僕が決める。それでその相手は冬知屋さんからは揺らがないんだよ!」


「だからダメなんだって!私に構うとみんな不幸になるの!どうしてわかってくれないの!?」


 そんなに大きな声を出すところは初めて見たな。僕をキッと睨みつける眼光には怒気と、それに深い寂しさが含まれているように見えた。


 不幸か……千花さんに諭してもらう前の僕と同じこと言ってるな。なんだ、似た者同士じゃないか。こんなところに共通項があったのか。資格獲得までに一歩前進だな。


「それは違うよ」


「違わないわ!だから私にはもう近寄っちゃだm……」


「違うな。僕は冬知屋さんと一緒にいた時間を不幸だとは少しも思わなかった。今村に危害をかけられたときでさえな」


 冬知屋さんは両手で鼻と口を覆い、淡い桃色に染まったであろう表情を隠そうとした。でも、すぐに目を伏せ始め、元の暗い表情に戻った。


「でも、これから不幸になるかも……」


「冬知屋さんの隣にいられれば、何が起きてもそれは不幸にならないよ。約束できるぞ。僕の思いをなめてもらったら困る」


 僕がそう言うと、冬知屋さんは伏せていた目をバッと見開き、僕の目を射抜くように見上げた。


 その拍子で溜まっていた大粒の涙がボロボロと流れ落ちていた。そして「ううっ……」と声にならず、しゃくり上げ始めた。


 僕のどの言葉がそうさせたのかはわからないが、どうやら冬知屋さんを救う何かがあったんだなと思うと、ここまで好意をぶつけた甲斐があったってものだ。


 冬知屋さんが泣き終わるのを、温かい目で見守りながら待っていると、落ち着いてきたらしく、涙を拭った。


「君って重い男なんだね」


「冬知屋さんに言われたくないな」


 フフッとお互いが笑みをこぼした。


「まあ冬知屋さんが何を抱えているのか今の僕にはわからないよ。それは冬知屋さんが言いたくなった時に言えばいいさ。それまで待つし」


 僕が今思ってることを言ったらどんな反応が返ってくるか容易に想像できるが、避けられない本音なので、意を決して言葉を投げかけた。


「それでさ、冬知屋さんが今日みたいなシリアスな雰囲気だと、何か調子狂うんだよ。図々しい僕のささやかな願いを聞いてくれるのであればな。また前みたいに僕のことからかって楽しそうに振る舞う君に戻ってきてくれないか?」


 自分からからかってくれと言っているようなものなので、恥ずかしく、視線を彷徨わせていると、クスっという声が聞こえてきた。僕の知っている微笑だ。


「そう?じゃあ目をつぶって」


「お、おう。わかった」


 いやいやそれはベタじゃないですか?冬知屋さん。


 どうせ、僕の唇に指か何かを当てて、「本当にキスしたと思った?」とかドヤ顔で言ってくるパターンだろ?


 一週間空いたから、ちょっと、からかいスキルが鈍ってるんじゃないですか?


 え?


 頬になんだか柔らかい感触が……

 ほんのりあたたかいな。

 それに、ふわっと甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 ってなに余裕で堪能してるんだ。これってまさか……


 頬の熱っぽい感覚が離れてから目を開けると、眼前には例の小悪魔的な笑顔があった。


「こういう私がいいの?君は」


 そこには紛れもなく冬知屋さんがいたのだが、その吹っ切れた様子は新鮮で、前よりも魅力的に映った。


「ああ。嬉しい」


「ほ、褒めてもそう簡単に資格はあげないから……」


 冬知屋さんは意外と面倒くさい女の子なのかもしれないな。


 まあ、おかげでもっと好きになったわけだが。

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