第12話

 休暇の日々は、子供たちと過ごすうちに、あっという間に過ぎていった。

 休暇最後の日の早朝――馬を曳き出して、家の前に戻ってくると、そこにはクウヤとシンク、それに彼の子供たちが待っていた。

 ステラは苦笑いを浮かべながら、彼らの元へ戻っていく。

「――みんな、わざわざ早起きして見送りに来なくてもよかったのですよ?」

「そうもいかないだろ? ステラも、大事な家族なんだから」

 目を細めて笑みを浮かべると、クウヤはステラに歩み寄り、ぽんと頭に手を載せた。

「また、いつでも戻っておいで」

「――はい、ありがとうございます。お父さん」

 ステラは笑い返して頷き、その後ろにいる彼の子供たちに視線を向ける。

「ソラちゃんたちも、元気でね。お母さんを、しっかり支えて頑張って下さい」

「ん、もちろんだよ。ステラ姉」

 長女のソラがにっこりと笑いながら手を伸ばし、ぎゅっとステラの手を握った。

「身体、大事にしてね。体調を崩さないように」

「はい、分かっていますよ」

 ステラはしっかりと手を握り返す。他の子たちと握手をしていると、その間にルカが馬を曳いてきて、クウヤとシンクに頭を下げた。

「お世話になりました。二人とも」

「いや、こちらこそ、ルカさんにいろいろ助けてもらった。シズマさんに会う機会があったら、よろしく伝えておいてくれ」

「はい、確かに」

「ルカ、貴方も無理しないようにね。いつでも帰ってきてね」

 シンクはルカに小さく微笑みかけ、片目を閉じる。ルカも笑顔でそれに応えた。

「はい、もちろんです。また、ステラのかわいいところの話、聞かせてください」

「ふふ、もちろんよ」

(――なんだか、不穏な会話が聞こえた気がしたけど)

 別れを惜しみ、涙目になっている末っ子、レキの頭を撫でてからステラは一歩離れる。

「それじゃあ、ルカ様」

「うん、行きましょうか」

「はい――あ、お父さん、帰る前に一つだけ」

「ん、何だい?」

 目を細めるクウヤに、ステラは小さく訊ねる。

「途中にある、物見櫓――寄って行ってもいいですか? ルカ様に、景色を見せたくて」

「ああ、いいよ。寄って行って構わない」

「ありがとうございます……では、皆さん……また」

 去りがたい気持ちをぐっと堪える。そのまま、ぺこりと頭を下げると、ステラは踵を返す。ルカは小さくはにかむと、クウヤたちに軽く頭を下げて歩き出す。

 行きに来た斜面を、馬の手綱を引いて登っていく。

 途中まで登って振り返ると、クウヤたちはまだそこで手を振っていた。

 それに何度も手を振り返しながら、ステラとルカは帰り道を歩いていった。


「――いい、家族だったわね」

「はい、自慢の家族です」

 のんびりと山の切通を歩いていくステラとルカ。

 急に騒がしさから離れてしまったせいで、どこか寂しい気分だ。また引き返して、子供たちに会いたい――そんな気すらする。

 ステラは小さくため息をこぼすと、ルカはくすりと笑った。

「明日から、また仕事よ? 覚悟しなさい」

「はい、それはもちろん――ただ、急に離れると寂しくて、ですね」

「ん、それは分かるわ。本当に、にぎやかだったもの」

 そういうルカも少しだけ寂しそうだった。指先で髪をくるくると弄びながら――ふと、思い出したようにステラを振り返る。

「そういえば、ステラ、物見櫓がどうこう言っていたけど」

「あ、はい、実はここの近く――山頂の方に、クウヤお父さんが建てた、物見櫓があるんです。一年かけて作った、石造りのしっかりした奴です」

「――クウヤさんって規格外ね」

 まあ、背景を知っていれば納得だけど、と小さく言うルカ。

(……シンクお母さんから、何か聞いたのかな)

 シンクは、ルカのことをよく気に入っていた。夜遅くまで、お茶を楽しみながら二人きりでよく話していた。二人の楽しそうな笑顔を思い出し――あ、と思い出す。

「そういえば、ルカ様、お母さんから何か吹き込まれませんでしたか?

「ん? どうかしらね?」

 ルカは悪戯っぽく笑い返してくるのを見て、がっくりとステラは肩を落とした。

(やっぱり……私の子供の頃のこと、教えられたよね……)

 なんとなく覚悟はしていたけど――さすがに、恥ずかしい。

 だけど、ここでそれを確認すれば、墓穴を掘るようなものだ。

「――お手柔らかに、お願いしますね」

「それは、ステラ次第かもね」

 くすくすと彼女はおかしそうに笑う。その嬉しそうな綺麗な笑顔を見ると――なんとなく、まあ、いいか、という気分にもなった。

「あ、ルカ様、見えてきましたよ。物見櫓」

「あ、あれ……って、すごいわね、あれ……」

 木々の合間から見えてきた、その大きな物見櫓を見て、ルカは目を丸くする。やがて、拓けた場所に出て、その全容が明らかになると――彼女は小さく言う。

「これ、物見櫓というより――灯台じゃない?」

「ま、まあ、見た目はそうですね」

 地面についている部分は、石積みでできており、がっちりと組まれている。その上に、材木が積み重ねられ――高くそびえる塔になっていた。

 二人は馬から降りると、近くの木に手綱を結び、その灯台に歩み寄る。

「ねえ、ステラ、これ本当に一年で建てたの? すごくない?」

「すごいですよね。なんでも、騎士の人たちも関わったみたいですけど」

「じゃあ、もしかしたらお父様も建築に関わったのかもね」

 ルカの言葉を聞きながら、ステラは入り口の扉に近寄り、少し取っ手を動かす。

「――何やっているの?」

「防犯上の理由で簡単には開かないんです――」

 右に二回、上に三回、左に一回動かす。それで、がこんと音が鳴った。そのまま、ステラは扉を押し開け、ルカを振り返る。

「さあ、どうぞ――この上の景色を、見に行きましょう」


 その頂上に出た瞬間――ルカは、言葉を失った。

 遮るもののない、平原からの風が彼女の髪をくしゃくしゃに乱す。だが、それに構うことなく、ルカはその眼下に広がる光景に見入っていた。

「これが――ウェルネス、王国……」

「……はい」

 風が吹き渡る中、ステラもその横に並んだ。

 その目の前に広がるのは、広大な平原だった。山のすそ野から広がる、果てしなく広大な平原。畑や建物、木々が点々としている。

 間近な距離には、クルセイドの村が小さく見えた。

 動いている人影が、小さくしか見えない。それぐらい、高い場所にいるのだ。

「後ろにはフィラ丘陵――右手の遠くを見れば、天気がいいと街が見えます」

「王都まで、見えるかしら」

「それはさすがに――だけど、王都の近くの町、ツファイが見えるときも」

「……王国って、広いのね」

 ルカは目を細めて小さく言う。その澄んだ黒目は、どこまでも果てしない平原を見つめ――見入っている。そのルカの横顔に、少しだけステラは見とれる。

 いつの間にか、胸に響く鼓動に手を当て――その気持ちを噛みしめた。

 そうしながら、ステラはゆっくりとした口調で言う。

「お父さんがこの場所を教えてくれたのは、騎士団の入団が決まり、送迎会があった日でした。そして、この広大な平原を、教えてくれたんです」

「私たちは――この平原を、駆けて生きているのね」

「はい、そうです。これほどに広い世界で、私たちは生きています」

 ステラの言葉に、ルカはそっと髪を押さえて横目で微笑む。

「ありがとう。ステラ――こんな、贅沢な景色を教えてくれて」

「是非、ルカ様に見て欲しかったんです……あと、この場所で、お伝えしたいことが」

 そういった瞬間、口の中がからからに乾いてくるのを感じた。

 緊張で胸が高鳴る。足元があやふやになってしまいそうな感覚。

 それでも、ステラは深呼吸しながらルカとしっかり向き合う。彼女は少しだけきょとんとした顔をしたが、すぐに微笑んで頷いてくれる。

 その澄み渡る、真っ直ぐな瞳。それを見つめて――ステラは、勇気を振り絞った。


「好き……です、ルカ様」


 その言葉と共に、大きく風が吹いた。だけど、その音は聞こえない。

 目の前で、ルカが大きく目を見開く。その顔を見つめ、さらにステラは声を絞る。熱くなってくる頬を無視し、ステラは必死に続けた。

「大好きです……もう……この気持ちを、無視できません……」

「ス、テラ……」

「好きなんです……我慢しようと思いました。だけど、気づいてしまったんです……この気持ちが、抑えきれないほど……大好きなんだって……」

 夢中で言葉を紡ぐ。そうでないと、今すぐ逃げてしまいたくなるから。

 ルカの顔がわずかに揺れる。その彼女から目を逸らしたくなる。

 彼女の言葉が怖い。困惑と共に、ごめんなさい、と言われるのが怖い。

 身が震えそうなのを、肚の底に力を込めて耐えていると――不意に、ルカの表情がゆるんだ。揺れた瞳が、潤んでいる。

 え、と思ったときには、ルカの腕がステラの身体に抱きついていた。

「嬉しい――すごく、嬉しいわ、ステラ……」

「ルカ、様……」

 腕の中で、震えている身体。それにステラが固まっていると、ルカは小さく言葉を震わせる。

「もしかしたら――あのときのキスで、貴方を困らせてしまったのじゃないか……すごく、不安だったの。嫌だったんじゃないかな、って……」

 その言葉は不安げに揺れていて――それに気づいたとき、ステラはその身体を抱きしめ返していた。腕に力を込め、ルカを抱きしめながら言う。

「嫌じゃないです……恥ずかしくて、嬉しくて……気づいて、しまって」

 前々から気づいていて――それでも、改めて意識したのは、あの一件だった。

「ルカ様のことが、大好きってことに……気づいて、しまったんですよ……」

 あやすようにステラは髪をそっと撫でる。そして、少しだけ身体を離し、ルカの顔を見つめる。彼女の瞳は今にも泣きだしそうなほどに潤んでいて。

 その瞳には抑えきれない感情があふれているようだった。

 頬を染めたルカは、そっとステラの頬に手を当てて微笑んだ。

「私も――私も、貴方のことが好き。副官や側近って意味だけじゃない。女の子同士だけど――貴方のことが、好きで、好きで仕方がないの」

「性別なんて関係ないですよ。ルカ様――だって、私はこんなにルカ様のことが、大好きなんですから」

 二人で抱き合ったまま、見つめ合い――くすぐったい気持ちのまま、額をぶつけ合わせる。その額からお互いの熱が伝わってくるみたいだ。

 とても恥ずかしいけど、愛おしさがあふれるほど嬉しい。

 その熱のままに、ステラはルカの目を見つめてささやく。

「これからもずっとお傍で――ルカ様と、一緒に」

「ええ、私も貴方の傍で。大好きよ。ステラ」

 二人はそう言葉を交わし合うと、少しだけ微笑んで――そして、顔を近づける。

 どこまでも広がる平原を見渡し、吹き渡る風に祝福されながら。

 二人は、口づけを交わした。


 ~Season1 完結~

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