第11話

「ごめんなさい。ルカさん――折角、遊びに来てくれたのに、巻き込んじゃったね」

 すっかり日が暮れ、しばらく経った夜。

 クウヤたちの家には、ルカとシンクが二人きりでお茶を楽しんでいた。

 もうすでに、誘拐騒ぎは解決――それでも不安がる子供たちのために、クウヤとステラたちはクルセイド寺院に泊まっている。

 まだ知り合って浅いルカは、遠慮してクウヤの家に戻ってきた。

 ルカは紅茶を口にしながら、少しだけ目を細めて首を振る。

「ステラの家族のことなら、私のことでもあります――私は、彼女のことを家族のように思っていますから」

「ふふ、嬉しいな。あの子は、昔から何でもかんでも抱え込んじゃう子だったから」

 シンクは安楽椅子でゆっくりと吐息をつくと、ルカを穏やかな目つきで見つめる。

「――これからも、ステラのことを、よろしくお願いね。ルカ」

 敬語のない言葉。それは自然としっくり来る。ルカは笑みを浮かべて頷いた。

「もちろんです。シンクさん」

「ん、よかった……そういえば、私の話したウェルネス王国物語、どうだった?」

「あはは、面白かったですよ。ただ、お父様が美化され過ぎている気もしますが」

「仕方ないよ。シズマさんは、私たちの英雄なんだから」

 静けさが満ちる夜の中、二人はひっそりと笑い合う。ランプの揺れる火が、シンクの穏やかな微笑みを見つめながら、ルカは訊ねる。

「それにしても――本当に、クウヤさんとシンクさんはすごいですね。いろんな発明をしたり、武術に秀でていたり、物語をいろいろ作ったり」

「んん、本当はそこまですごくないんだけどね。私たちは、知っているだけだから」

「……知って、いる?」

「うん……他に発明した人がいて、私たちはその発明を知っているだけ」

 シンクは少しだけ寂しそうな笑みを見せる。その表情の動きに、ルカは言葉に詰まった。これ以上、踏み込んでいいのだろうか。

 わずかな迷いの後に――ルカは口を開いた。

「どういう、ことなのでしょうか」

「……踏み込むんだね。ルカは」

「はい……ステラのこと、少しでも知りたいから」

 それが些細なことだとしても知りたい。ステラの大好きな、人たちのことを。

「……ん、そっか」

 その答えに、シンクは嬉しそうに目を細めた。紅茶を口にし、一つ吐息をつくと穏やかな声で続けた。

「私たち――クウヤくんと私はね、別のところから来たの」

「……海外、っていう意味じゃないですよね?」

「どうだろう? とにかく、この大陸でもなければ、海の彼方でもない。時間も空間も隔てた、別の世界――いわゆる、異世界ってやつ」

「……異、世界……」

 突拍子もない話に、思わずルカは目をぱちくりさせる。

 くすっとシンクは笑みこぼしながら、首を傾げて訊ねる。

「信じられない?」

「その、にわかには……」

「うん、私たちも信じられなかったよ。でもね、私たちの世界は、別にある」

 シンクはゆっくりと目を閉じ、思い出すように語る。

「何十階建ての塔のような建物。ガラスで覆われたような家。地面はコンクリートっていうすごく固い粘土で全て舗装されている。その上を、自動車が通っていく。自動車っていうのはね、鉄でできた荷車が馬なしで動くの。それが、たくさん、たくさん通る」

 それは、まるで夢見物語のようだ。想像つかない言葉の数々に、ルカは言葉を失い――なんとか、絞り出すように言う。

「想像、できません……」

「そうだよね。だけど、私たちはそこから来た。そこにあった知識が、ここにある」

 シンクは指先で自分の頭を突いてゆっくりと微笑む。

「オルゴールも噴水も、源氏物語も平家物語も、爆薬の作り方も、蒸気機関の仕組みも――私たちは知っている。だから、私たちのやっているのは発明じゃなくて、技術の再現でしかないんだよ」

 その途方もない事実に、ルカは黙り込んだ。

 しばらくの静けさ――ランプの火だけが揺れて、二人の影が小刻みに揺れていく。やがて、ルカは小さく口を開いて訊ねる。

「これは――ステラたちは、知っているのですか?」

「知らない。知っているのは、アウレリアーナ女王と、シズマさん――あと、アスカさん。貴方のお母さんは知っているかな」

「そう……ですか。なら」

 ルカはひっそりと微笑みを返して穏やかに言う。

「今聞いたことは、私の胸の中に収めておきます。ステラにも、誰にも言わずに」

「――あら、信じてくれるのかな?」

「ステラの両親ですもの。無意味な嘘は、つかないはずです。それに」

 紅茶を一口のみ、一息つきながらシンクを見つめて言う。

「シンクさんにどんな過去があろうと、シンクさんは、シンクさんです」

 シンクがわずかに目を見開く。そこに、ルカは小さく苦笑いをこぼして言う。

「これ、ステラが言っていたんです。どんなことがあっても、貴方たちを信じているんだな、と実感して――少しだけ、羨ましくなってしまいました」

「そっか、ステラが……子供は、大きくなるのが早いなあ」

 彼女はしみじみと言いながら、ゆったりと椅子の背もたれに背を預けた。ゆらゆらと椅子を揺らしながら、シンクは小さく言う。

「……ステラはね、私たちが寺院を開いて何年か経った頃、知り合いの人から預けられたの。まだ、ほんの小さい赤ん坊だったんだよ」

 懐かしむように天井を見上げて語るシンクを、ルカは見守る。

「まだ、ソラも生まれる前だったから、本当に大変だったんだ。いろんな人に助けてもらって、当時の寺院の年長の子で代わる代わる面倒を見て――私が生んだわけじゃないんだけどね、本当に娘みたいに思っているんだ」

「――ステラも、二人のことを両親のように思っていますよ」

「うん、それが本当に分かってきて……ああ、幸せだな、って思ってね」

 シンクはルカに視線を移し、こぼれるような笑みを浮かべて潤んだ瞳を揺らした。感情があふれそうなほど、潤んだ瞳で――ささやく。

「この世界に来て、本当によかったな、って思うよ」

「……はい、ステラもそう思っていると思います」

 ルカは微笑んで太鼓判を押す。シンクはうん、と頷いて目を閉じる。

 その目から一筋涙がこぼれ――頬を伝って落ちていった。


 しばらくじっとしていたシンクは、やがて目を開き、少し照れ臭そうに笑う。

「ごめんね、お母さんの物思いに付き合わせて」

「いいえ、気にしないでください。シンクお母さん」

「ふふっ、ルカから言われると、なんだかくすぐったいかな。久しぶりに、アスカさんに会いたいな」

 彼女は背伸びをしながら小さくはにかむ。くすりとルカは笑って頷いた。

「お母様に伝えておきます。多分、すごく喜びますよ」

「それなら嬉しいけどね。あ、そうだ、ルカ、ちょっと聞きたいことあるんだけど」

「なんですか? なんでもどうぞ」

 そう言いながら、ルカは紅茶を口にする。シンクは目を輝かせながら、身を乗り出した。

「ね、ステラと付き合っているの?」

 ――危うく、紅茶を吹きそうになった。

 ぐっとこらえながら、ルカは紅茶を飲み干し――軽く咳き込む。

「な、なんですか、藪から棒に」

「ん、なんとなく少し気になっていて。だって、ステラがあれだけ浮かれているのだもの。なんか、特別な関係なのかな、って」

「ち、違いますよ。シンクさん――ステラは……ただの……」

 それを口に出そうとして、わずかに胸がちくりと痛み――それでも、言葉を押し出す。

「ステラは……ただの、副官です」

「ん、そうなの? それは残念ね。ルカが本当に娘になってくれるのかな、って少し期待したんだけど」

 シンクは頬に手を当てて首を傾げる。その悩ましげなため息に、ルカは半眼になりながら訊ねる。

「第一、私とステラは、女の子同士なんですけど」

「ん、そうね。でも、それに支障はあるの?」

 きょとん、と首を傾げるシンク。え、とルカは思わず口ごもると、シンクは穏やかな笑みを浮かべて諭すように告げる。

「同性同士で好きになるのは、別に珍しくない話だよ。少数派だからって、遠慮する必要はないと思うな。私は」

「だ、けど……子供も、できませんし……」

「私とステラ、血のつながりはないけど、親子よ?」

 シンクに真面目な顔で言葉を返され、思わずルカは黙り込んでしまう。そこでシンクは目を細めて仕方なさそうに言う。

「ルカは真面目な子みたいだから、悩んじゃうかもしれないね。それはいいことだと思う。だけどね――ルカ、これだけは約束して欲しいな」

「……なん、ですか?」

「誰かを好きって気持ちだけは、偽らないで欲しい」

 シンクの真っ直ぐの眼差しと共に、言葉が胸に浸み込んでくる。ルカはしばらく黙り込んでいたが――ただ、小さく頷いた。

 ここで首を振ってしまえば――きっと、好きという気持ちを偽ることになるから。

(あ――そっか……そう、だったんだ……)

 ふと、ルカの胸の中で、すとん、と気持ちが落ち着く。

 ステラにキスして以来、落ち着かなかった気持ちが、心の中に居場所を見つけたように、落ち着いて――どこか、穏やかな心地になる。

 ふと、シンクは優しい笑顔で頷き、眉尻を下げた。

「ん、ルカの気迫が、なんか定まったね」

「……ほんと、シンクお母さんには適いませんね」

「ふふ、お母さんには何でもお見通しよぅ……折角だから、ルカ、ステラの幼い頃の話を聞いてみる?」

「あ、是非。最近、ステラにからかわれ放しなんですよ」

「ふふ、それならとっておきの話をしないとね」

 ルカとステラは視線を合わせて微笑み合う。その笑みはとても穏やかで――だけど、どこか共犯めいた色合いが込められていて。

 二人はその後、真夜中までステラのことを話していた。

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