第21話 生身の愛へ14 ロマンとリアリズムの両輪

 2日後、私は倉敷の叔母の家に引取られました。転校して、本気で勉強に打込みました。勉強の遅れを取り戻すのに必死で、部活動どころではありませんでした。

 その後私は倉敷の高校から専門学校に進み、看護師の資格を得ました。

 

 勝巳君とは、その後も時々連絡を取合っていました。彼は岡山のS高校に進みました。ちょうど、兄がS高校の通信制を卒業してすぐの入学でしたから、兄とは入れ違いになりますね。3年後には、現役でO大の法学部に合格しました。自主留年と称して司法試験の勉強に励んでいましたが、その手をいつまでも使えないと言って、6年かけて卒業しました。

 私たちは、勝巳が大学を卒業したと同時に、24歳で結婚しました。

 彼が司法試験に合格するまでの1年間は、私が看護婦として働いて食べさせました。私の職場仲間からは、おたくのヒモ亭主は、などと軽口がてらに言われていましたが、私は、勝巳の合格を確信していました。


 口述試験という、1週間も東京に泊り込んで受ける最後の試験、ありますよね。その費用、私が出そうとしましたが、あの馬鹿息子の始末を愛美ちゃんに負わせるわけにはいかないと言われて、結局、義母が出してくれました。

 

 確か、試験の3日目の夕方の7時頃でした。出来が悪かった、

 試験官にボロクソ言われた、落ちたかもしれん、もう帰るって、東京のホテルから電話をかけてきました。


 「全部受けずに帰ってきたら、即離婚じゃ、この甲斐性なしのヒモ男がぁ! 」


と怒鳴りつけて、電話を叩き切ってやりました。

 横で聞いていた義母が大笑いしていました。

 「愛美ちゃん、これであの子は大丈夫じゃ」

 「でもおばちゃん、これはさすがにほっとけんよ。何かあったら、オオゴトじゃ」

 そういうわけで、しばらくして、こちらからホテルに電話をかけなおしました。


 ある弁護士さんの話では、この試験では、時にそういう気持ちになって自暴自棄気味になる人もいるようですが、周りが何とかなだめて、最後まで受験させれば、たいていは合格してきたそうです。

 でも、本当に帰ってきたら、また来年受験して、同じことになりかねない。いつまでたっても合格できませんでは、うちだって困りますよ。

 改めて聞くと、O大で一緒に受験していた人や、ホテルで知合った他大学出身の受験生の皆さんから相当なだめられて、気持ちを落ち着かせることができたって。

 その後、ホテルのロビーで他の受験生の人たちに私の電話の話をすると、みんな一斉に笑い出して、おかげで、雰囲気が和んだそうです。その話を聞いた人たちは、皆さん合格されて、裁判官や検察官や弁護士にそれぞれなっておられます。皆さんとは今もお付合いがあって、あの時の話は、酒の席の度に笑い話にされているそうです。


 結婚式は、彼が司法修習生になって東京に行く前に挙げました。意外でしたけど、式の費用は、東京にいる伯父が出してくれたばかりか、いろいろなアドバイスをくれました。


 この伯父は、兄夫婦のときは素っ気なく、身も蓋もないことばかりを言って弟の伯父や妹の夫になる叔父たちを散々呆れさせていましたが、それが今度は、岡山近辺の弁護士や裁判官や検察官、それから受験先で知った合格者の皆さん、それに東京や大阪方面からも何人か知合いを呼んで、すごいことになりました。

 上の伯父の要請を受けて、O大で司法試験を受験している人たちも、さらには私たちの中学時代の元不良仲間まで呼出して、世にも盛大な披露宴になりました。兄も義姉も、あまりの顔ぶれにビックリしていました。

 この時の、上の伯父の弁がまた、すごかったです。式の前日、私たちが打合せをしているとき、妹にあたる叔母の夫が、呆れたように尋ねました。

 

 秀和センセイよう、義男のときは、結婚式なんか法律上の婚姻において何の法的根拠もないとか、まして披露宴などするべき法的根拠もないどころか金の無駄遣いだとか見栄の張りゾコナイとか、アホどもがそんなことに数百万もかけよる間に、1年やそこら普通以上にええ生活ができるだのなんだの、毒舌まがいの悪態つき放題だったのが、今度は何ですかい、こうもド派手な大宴会をやらかさせる?

 倉敷の田舎のドン百姓で中卒のわしにはようわからんけど、あんた、どうみても、やることも言うことも矛盾しとりはしませんか?


 東京の伯父の回答が、ふるっていました。

 まるで、池上彰さんのテレビの解説でも聞かされているような感じでした。


 土屋さん、いいご質問です。お答えしましょう。

 私はね、義男と愛美の置かれた状況を分析した上で、具体的妥当性に鑑みて手を打っております。私にとっては、いささかの矛盾もありません。

 よろしいかな、愛美の夫になる勝巳君は、これから、法曹界で生きていかねばならんのです。これだけの宴会をしても、出席者各位からの祝儀などで費用のモトは取れるし、何より勝巳君にとっては、今後法曹界で生きていくうえでの貴重な人脈を作るきっかけが一瞬にしてできるという塩梅である。

 これは、姪の配偶者となるである彼のためだけではない。彼と同世代の若者諸君にも、そのきっかけとなるよう、私は抜かりなく手を打っております。私にとって両名の結婚式及び同披露宴は、安価にして、しかも効率もすこぶる良い投資なのですよ。

 それからもう一つ。確かに愛美は私の姪であり、かわいくないわけがない。

 しかしこれは、姪可愛さだけでやっておるのでは、断じてありません!

 これは、姪への投資ではない!

 未来の司法界を担う若者及び愛美の知人各位のための投資なのである。私は、その公益性に鑑みて、この披露宴を企図し、投資しておるのです!


 伯父はしゃべっているうちに感情が高ぶってきたのか、まるで、全盛期の田中角栄さんの演説に似た話しぶりになっていました。しかも、やっていることが、噂に聞く田中角栄さんと、何だか、よく似ているような気までしてきました。

 

 叔父はもとより、兄も愛子先生も、その弁を聞いて、唖然としていました。

 「うちはその点、5年分の生活費相当のお金を、贈与税のかからない限度額で分割していただいたけど、実にありがたかった。おかげで、愛美の養育費が助かって、酒も飲めた」

 兄が言うのを、義姉の愛子さんが、苦笑しながら聞いていました。


 生活には、ロマンとリアリズムの両輪が肝要である。

 義男への処置は、リアリズムに力点を置いた。

 愛美については、ロマンに力点を置いて対応させていただいておる!


 叔母夫婦は、開いた口が塞がらない様子で、伯父の「演説」に聞き入っていました。

 確かに、伯父の弁は当たっていました。私は、職場の同僚を何人か呼びなさいと言われていました。特に、独身の看護師や女性事務員をね。あとは、若くて独身の男性医師もいたらいい、って。どんな意図があるのか、すぐにわかりました。

 よほどお世話になっている人は別として、既婚者や結婚予定者はできるだけ避けろとも言われていました。

 案の定、勝巳が東京のホテルで知合った合格者の男性と、私の看護師の同僚が、この日の出会いがきっかけで、後に結婚しました。そのことを上の伯父に勝巳が東京で報告したら、伯父は何も言わず、ただ、ニヤリとしたそうです。もう一組、私が呼んだ職場の若い男性医師と、彼より少し年上の女性の司法修習生が、この日の出会いがきっかけになり、ほどなくして結婚しました。その話を私が伯父に電話で報告したら、よかった、よかった、これで来るべき少子化を少しは防げたと、笑いながら話していましたね。


 結婚式には、元園長の稲田先生もお呼びして、スピーチをしていただきました。私の家出の話もされましたが、このときはじめて、あの時のスグルさんが、あれから毎年、くすのき学園になにがしかの寄付をし続けてくださっていることを知りました。

 京都大の大学院生の吉田さんという、私たちより1歳年上の方が、結婚式に招待されていました。この人は司法修習を受けずに大学に残り、現在は京都のR大学の法学部で教授をされています。この人、ひょっとして、あの時の吉田のおじさんの息子さんかなと思って尋ねると、やっぱり、そうでした。

 稲田先生の後、彼がスピーチに立ちました。そのときのことは、彼のお父さんや、遊びに来たスグルさんからも聞いていたそうです。「K高校を受ける眼鏡をかけた息子さん」に、私はこの時、初めて会いました。

 しかも、勝巳が口述試験のときに電話をかけてきたときにも、同じホテルに泊まっていたそうです。

 彼が言うには、公衆電話の近くのソファーに座っていたら、世にもすさまじい女性の怒鳴り声と電話を叩き切る音が聞こえてきたが、それが坂崎君の奥さんだったとは・・・、と吉田さんが言うと、会場内は爆笑の渦でした。

 吉田さんが試験後に大阪の自宅に戻ってお父さんにその話をしたところ、あの時のマナミが、肝っ玉の据わった嫁さんになったか、ええこっちゃ、って、日本酒をあおりながら、しみじみと言っておられたそうです。

 東京の伯父が、最後に新婦の親族としてあいさつをしましたが、そのときのスピーチもまた、すごかったです。

 

 新郎の勝巳君は、これから法曹界で生きていくのであるが、法律家の世界は、世の中の紛争を相手にするところである。

 それを何ですか、試験ごときでビビって愛美に泣き言を言っておったようだが、実に情けない話である。

 そんなテイタラクでは、この世界は務まらん!

 どうか皆さん、私の姪である愛美の夫となる勝巳君に、ご指導ゴベンタツ、いや、そんな言葉は申しません。とにかく、ビシバシと鍛えてやってください!


 「おっさん、無茶苦茶や・・・」

勝巳が新郎席でぼやきながらビールをあおると、会場内に、大きな声が響きました。

 「鍛えるんなら、任せとけ!」

 誰かと思えば、中学時代の悪友仲間の一彦でした。

 当時の悪友仲間、今はみな、まじめになって仕事をしています。会社を興した人もいれば、公務員になった人もいます。

 「そうか、ニイチャンら、頼むで!」

 いつもの伯父らしくない返答に、皆さん、びっくりしながらも拍手していました。


 結婚式が終り、彼は2年間の司法修習に入りました。修習先が岡山だったので、その点は助かりました。しかも、司法修習生は今と違ってそれなりの給料が出ましたので、生活はずいぶん楽になりました。

 それまで「ヒモ亭主」などと軽口をたたいていた同僚たちは、

 「宝くじに当たったんだから、投資した分はこれからしっかり回収しなきゃね」

と言い出しました。

 でも、専業主婦になるのも嫌でしたので、無理のない範囲で、看護師を続けています。彼は司法修習を終えて、岡山市内の先輩の事務所で弁護士を始めました。それを機会に私は、夜勤のある大病院を退職しました。

 勝巳は、岡山で3年間、ある先輩の事務所に勤めた後、岡山から神戸に移って、同期の修習生だった神戸大出身で司法修習の同期の人と一緒に、事務所を開きました。

 最初は一緒に神戸に住みましたが、子どもも生まれていましたし、義母のすすめもありまして、2年ぐらいで岡山に戻って、今は夫だけが神戸に通う生活です。神戸に住んでいたときにいたアパートは、夫が仕事で出た際の寝泊まりに活用しています。

 現在は、大学を出た息子が、神戸に仕事場があるので、そこに住んでいます。

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