第19話 生身の愛へ12 家出の顛末

 「お待たせしました」


 50代半ばと思われる夫婦が、ラウンジにやってきた。夫の上着の左側には、よく目立つバッジがついている。妻のほうは、少しばかり派手な色合いの服装だ。

 「三宅義男の妹の、三宅愛美と申します。現在は結婚して坂崎愛美と申しまして、岡山市内の病院で看護師をしております。こちらは、夫の坂崎勝巳です。夫は、私がくすのき学園にいたときに通っていたM中学の同級生です」

 「愛美の夫の、坂崎勝巳です。現在、兵庫県で弁護士をしております。今日は大宮さんご夫妻に、養護施設のことで妻が取材に応じるとのことで、同席させていただきます。私自身は養護施設で過ごしたことはありませんが、愛美よりいろいろ聞かされていますし、愛美の他にも、養護施設にいた子といろいろ話したり、遊んだりしたこともあります。そう言えば、O大の後輩で、司法試験の勉強を一時期一緒にした養護施設出身の方もいました。彼は結局合格できず、今は作家になっていますけどね」

 まさか、あいつ・・・?

 「今日はお呼び立てして申し訳ありませんでした。どうぞよろしくお願いいたします」

 平静を装って、お二人にあいさつした。

 この後ぼくらは、愛美さんと夫の勝巳さんから、当時のお話をいろいろ聞いた。

 まずは愛美さんが、稲田園長とともに伯父の会社に行った日のことを話してくれた。


 稲田園長と伯父の会社に行って、その後私をどうするかという話もまとまり、その日は園長のクルマで、くすのき学園に戻りました。伯父の会社にいる間も、戻ってくるまでも、とにかく、平静を装っていましたが、くすのき学園の自分の部屋に戻った途端、何とも言えない気持ちが高ぶってきました。しばらくして、先生たちの目を盗んで、私は自転車に乗って外に出ました。誰か先生に言ったら止められると決まっていましたから、当然、無断外出です。

 手持ちのお金、2000円ぐらいはありました。

 

 私はまず、勝巳の家に行きました。彼はちょうど帰ってきたところでした。

「どうした?」

「転校することになった」

「誰かの家に引取られるのか?」

「倉敷の叔母さんの、家にね」

「そうか・・・、じゃあな」

「元気でね、勝巳」

「愛美も、な」

 簡単に別れの挨拶をして、私は自転車でさらに街へと出ました。

 自転車は、岡山駅前のパチンコ屋の前に置きました。岡山駅からバスに乗って、備前市の方面に向かいました。このままどこかに行ってしまいたい。できれば都会へ。そう思いました。

 

 兄と愛子先生が結婚した・・・。

 前から「できて」いた・・・。


 悔しさとも何とも言えない気持ちを抱えて、バスに乗って東へと向かいました。

 木綿のハンカチーフなんて、気の利いたものは持っていません。腕で涙をぬぐうしかない。あの頃、松田聖子の「風は秋色」という曲が流行っていたでしょう。あの曲を、一人でぼそぼそと歌いながら、バスに乗っていました。

 私には、腕の中で旅をさせてくれるような人は、いませんでしたけどね。

 ふと思いました。バス代を使ったら、小銭がほとんどなくなる。あとはこのお札2枚しかない。でも、遠くに行きたい。

 私は、赤穂線の香登駅前のバス停でバスを降りました。まだお札は使っていないから、2千円かそこらはある。あたりはすでに暗くなりかけていました。あとは、ヒッチハイクでもして大阪に出よう。無理なら、最終の電車で東へ向かおう。

 

 まずは、何か食べようと思った。

 幸い、駅前の道路沿いにドライブインのようなレストランがありました。

 そこには、広島ナンバーのトラックが停まっていました。

 運転手は、20代の若い男性でした。

 彼に、声をかけられました。

 「おねえちゃん、どこへ行きよる?」

 「大阪」

 「よかったら、飯でも食わんかな」

 「ええのん?」

 「ええがな。飯ぐらいおごっちゃる。オレはスグル。ネエチャン、名前は?」

 「マナミ。愛に、美しい、って、書くの」

 「可愛らしい名前じゃのう。まあ、とにかく飯じゃ」

 スグルさんに、夕食をおごってもらいました。

 私たちは、カツ丼を食べました。

 彼は、いろいろと身の上話をしてくれました。

 スグルさんは、広島生まれの広島育ち。家庭の事情で、中学を卒業するまで広島市内の養護施設で過ごして、中学卒業後は鉄工所で働いていました。その後大型トラックの免許をとって、2年前からトラックの運転手をしていると言いました。

 食べ終わって、コーヒーを飲みながら、スグルさんが聞いてきました。

 「ところで愛美、おまえ、どこから来たんや?」

 「岡山。実は私も、養護施設に・・・」

 その言葉に、スグルさんがとっさに反応しました。

 

 「まさか、養護施設から「家出」してきたなんて、言わんよな・・・」

 「ほっといてよ」

 「そうも、いかん。実はオレな、広島に戻るところじゃ。おまえがホンマにヒッチハイクでもして大阪に行くんやったら、誰かに頼んでやらんこともねえが、そういうわけにもいかんようだな。ところで愛美、おまえ、今何年生なら?」

 「中2」

 「じゃあ今は、養護施設におるんか? どこの施設に、おるんなら?」

 「・・・くすのき、がくえん・・・」

 「くすのき学園か。聞いたことあるで、その施設。岡山市の西のほうにあろうが」

 「う、うん・・・」

 しばらく、会話が途絶えました。

 ちょっと、トイレに行ってくると言って、スグルさんは席を外しました。

 

 「あんたがマナミちゃんか。家出はあかん、さっきから聞きよったけど、もう暗いさかい、うちに帰った方が、ええ。養護施設じゃ言うけど、それでも今は、あんたの家なんや」

 30代半ばと思えるおじさんが、私の目の前にきました。

 「ワイはこれから、大阪に戻るところや。家に帰ったら、嫁さんと子どもがおる。あんたぐらいの男の子や。今中3でな、名門のK高校受ける、言うとる。岡山なら、A高校みたいなところや。わしに似んとえらい賢こうて、眼鏡もかけよるけど、なんやかんやで、可愛いもんや・・・。ほら、泣きなさんな、ベッピン、台無しやで・・・」

 そう言って、おじさんがハンカチを1枚、私にくれました。

 「これな、この前嫁はんが、買うてくれたハンカチや。これ使い」

 そのうちに、スグルさんが戻ってきました。

 「ありゃ、堺の○○運送の吉田さんじゃがな! お久しぶりっす」

 「おお、スグル。元気しよったか」

 「何とか、生きていますわ」

 「それならええ。でな、スグル、おまえ、広島、戻るんやろ。岡山、通り道やないけ。この子、送ったりや、夜やさかい」

 「そのことじゃけど、吉田さん、とにかく今から、104で電話番号を聞いて、くすのき学園っていう、岡山の養護施設なんじゃけど、そこへ連絡しよう、思っとるんです」

 「せやな、はよ、連絡したり。警察が入ったら、厄介になるさかいな」

 スグルさんは、店の公衆電話に向かいました。

 

 「うちの会社の社長はなぁ、戦災孤児で養護施設育ちじゃけど、一代で身を立てて、今は立派に、○○運送の社長やっとる。わしは、社長の中学の後輩で、社長に頼まれて専務やけど、事務仕事嫌や言うたら、ほな、トラックに乗ってくれ言われて、時々、トラックに乗っとる。あんたも、頑張りや。家出なんかしても、何も変わらんどころか・・・」

 「やばいことになるんやろ、おっちゃん」

 「わかっとったら、最初からせんときいな。でも、何でまた、家出したんや?」

 「18になる兄がな、施設の時に担当してもらった保母さんと結婚したんじゃ」

 「ほう。その人は、あんたのおる施設に勤めとるのか?」

 「園長に兄が好きなことがばれて、辞めさせられた。今は、保育園に勤めとるけど、2年前から、お兄ちゃんと、倉敷のアパートで一緒に暮らしとる。お兄ちゃんは、伯父さんの大工の会社に勤めとるけど、大工やるより、不動産の営業ばっかりやっとる」

 「さよか。兄ちゃん、担当しとった保母さんと一緒になった・・・、ちゅうことは、姉さん女房やないか。うらやましいのう。お兄さんの奥さんは、何歳になるん?」

 「今年で26・・・」

 「エエやないか。姉さん女房もろうて、お兄ちゃん、しっかりしよるで。そこに来て、マナミちゃんよう、家出なんかしとる場合か、ホンマ。今日はスグルさんに会えたからよかったようなものの、変なのに会いでもしてみ、どこ連れて行かれるかわからへんで」

 スグルさんが、私たちの席に戻ってきました。

 「くすのき学園さんに電話がつながった。みんな、心配しとる。わしがくすのき学園まで送っちゃる。警察や児童相談所には、まだ連絡はしとらん、ゆうちょった」

 「さよか。スグル、この子、頼むで。なんかあったら、ワイの会社に電話入れてや」

 「わかりました、吉田さん」

 「じゃあ、愛美、いくで」

 「は、はい。吉田さん、ありがとう」

 「ええってこっちゃ、マナミよ、兄ちゃんらに、これ以上、心配かけんなよ」

 結局、スグルさんに連れられて、私はくすのき学園に戻りました。帰りがけの駄賃で、岡山駅前に止めていた自転車を、スグルさんがトラックの荷台に乗せてくれました。

 

 学園に帰ったら、夜の9時を少し過ぎていました。

 スグルさんは、荷台に積んでいた自転車を下ろし、稲田園長や職員の皆さんにあいさつして、広島へと帰っていきました。園長は、去っていくスグルさんのトラックが見えなくなるまで、深々と頭を下げていました。私は、スグルさんのトラックが見えなくなるまで、ずっと、手を振り続けました。

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