#46 助けられたり助けたり
午前の授業のあと、僕と
よく「恋人関係になろうとする男女は、まず相手のことを知ろうとして、質問を頻繁に繰り返すものだ」とか言うけど、僕たちってただのクラスメートだよな、名越?
「そういえば、さっきのサークル会誌、いくら払えばいいかしら?」
不意に名越が僕に尋ねてきた。あっ、そうか。彼女、先週これを「買いたい」って言ってたんだよな。
僕は頭をかきながら、返事をした。
「うーん、ごめん。実は手元にその1冊しか見当たらなかったんだ。僕自身の分がなくなるから、それを名越さんにあげるわけにはいかなくなっちまった。
でも、しばらくは名越さんが持っていて構わないよ。もし、余分にあるのが見つかったら、そのまま
「事情、分かったわ。ありがとう。
しばらくは借りているね」
名越はにっこり笑ってそう言った。そして、サークル会誌「ふゅーちゃー・うぇーぶ」をトートバッグから取り出して手元で眺め始めた。
「モブくんの小説って、表紙に大きくタイトルが出ている3つのうちで、どれなの? 教えて」
「うっ、それはね…『僕の初恋が金髪転入生と黒髪幼馴染とクール委員長の争奪戦になってます』ってタイトルのやつだよ。
いかん、自分で言ってて恥ずかしくなっちまった」
冷や汗を流さんばかりの僕を見て、含み笑いをする名越。
「モブくんのペンネーム、
「あぁ。急
「いいじゃない、べつに。ライトノベルの作家さんたちのペンネームって、そういう軽いノリでつけたジョークっぽいものが多いよね。
絶対、文学賞の授賞式にはその名前じゃ出席出来ないだろ、みたいな。
でもわたしは、そういう気負いがまるでないところ、自分が無名であることを素直に受け入れて誇りとしているところに、むしろ好感が持てるんだけどな」
「そういうものかねぇ」
「それにしても、表紙で一番フィーチャーされているんだね、モブくんの小説。すごいね」
「うん。というよりは僕の作品のイラストが、と言うべきなんだろうな」
「この『みっこ』さんというペンネームのひとね。
名前から察するに、女性のかた?」
ズンズンと名越のツッコミが進む。予想された事態ではあるが。
このままだと僕の過去のプライバシーが全部白日のもとに
「あぁ、そうだよ。サークル内の、イラスト専門で描いている子だった」
「で、この作品で組んだあとは?」
「前に言ったように、僕はそのあとしばらくしてライト文芸サークルを辞めてしまったから、コンビもそのまま自然解消になった」
「学内で顔を合わせることもないの?」
「学部が違うからね。完全に没交渉さ。
今どうしているのかも、僕がサークルを離れたから、全然知らない。ほかの書き手と組んでいるんじゃないかな」
「ふぅん、そうなんだ」
名越は納得したのだろうか、あいまいな笑みを浮かべている。
イラストレーター女子の学部名とか、サークルにまだ所属しているのかとかも一切聞かれなかった。
彼女のツッコミが、予想したほどにはしつこくなかったことに僕は半ば拍子抜けし、半ばホッとしていた。
その時、何かを思い出したかのように目を大きく開け、名越は新たな話題を振ってきた。
「そう言えば、モブくんは聞いてる?
「濱田? 教養科目のクラスで一緒だった濱田のことかい?」
うぇ、濱田の作家デビュー情報が、ここにも伝わってたのか。なんだか、イヤな予感しかしないな。特にイラストレーター方面の件で。
「そうよ。彼、最近メジャーな出版社から声がかかってライトノベルの本を出したって」
「それってすごいな。濱田ってテニスやって女子にモテモテの、リア充の典型みたいな男だろ。
そんなやつがオタッキーなライトノベルを密かに書いていたのがまず驚きだし、いきなりメジャーデビューを決めちまったのも驚きだ。二重のサプライズだな。
またナベあたり経由で得た情報か、それ?」
「そう、今週に入ってから
やっぱり、水城が水源か。しょうがない、人の口に戸は立てられないな。
「とはいっても、濱田くんの作品はまだ目にしていていないから、どんな作品なのかはよく知らないの。タイトルとかも。
あくまでも渡邊くんから聞いた、最近本が出版されたというざっくりした情報だけ。
モブくんも初耳みたいだから、とうぜん見たことないよね?」
「あぁ、まだだよ」
露骨なウソを
そのかわり、こう言ってウソをカバーした。
「でも、興味は大いにあるな、濱田の書いたラノベ。
そのうち、濱田に直接タイトルとか聞いてみるわ。
そうしたら書店で探してみる。きょうびは、アマゾンみたいな通販で買うって手もあるし」
「じゃ、見つけた時はわたしにも貸してね。
モブくんの作品同様、濱田くんの作品にも興味があるの、わたし」
「オーケー」
名越がそこまでライトノベルに興味があったとはな。ちょっと意外だ。
それにしても、ここまで濱田の情報が僕の近辺で広まっていると言うことは、みっここと
僕がいろいろトボケて情報を堰き止めてみたところで、そのうち大学の生協あたりに濱田の本が「本学の学生の作品です!」という手書きのPOPとともに平積みされる日が来るんだろう。そうしたら、みっこのことも同時に有名になる。
あまりみっともない小細工を弄するのはやめておこう、そう思った。
仮にそれらのことがすべて明るみになったところで、僕の日常が特に変わることなどあり得ない。何しろ、僕とみつ子はいまは完全に他人なのだから。
すべては過去の出来事、そういうことだ。
そうスッパリと割り切ることで、僕はようやく目の前の名越彩美との会話に集中出来るようになった。
妙なモヤモヤを抱えたまま話を続けても、相手に悪いしな。これでいいのだ。
「ところで、今度は僕から聞くけど、前に名越さんが一緒に行かないかって誘ってくれたお台場のイベントがあったじゃない。『ビジネス・アヘッド』だったっけ。
それはもう、行って来たの?」
名越は一瞬、ひるんだような表情をした。
「あ、そのイベント? ま、まだ行ってないわ。しばらくやっているから、急がなくてもいいかと思って。
(ひとりじゃ、意味ないし…)
そのかわりに…」
「ん?」
「きょうからスタートの予定だった
もちろんそれは臨時シフト扱いで、きょうももちろん行くんだけどね」
「そうなんだ。それはありがとう」
「どういたしまして。店長の
彼、とても仕事の出来る人ね。モブくんの話していた通りだったわ。
あのお店は、彼のように万事スーパーなひとがいるから、あとはアルバイトスタッフだけでも十分やっていけるのでしょうね。
櫻井さんって、ほかのビジネスをやっても絶対成功するタイプだわ」
「まったく、同感だよ。僕も彼の下で働くことで、学校で学ぶこと以上のものを得ているような気がするもの」
「その気持ち、わたしもよく分かる。
火曜日の夜だったかしら、彼から突然メールがあったんだけど、それが『ダメ元でお願いいたします。ひとりスタッフが体調を崩してしまったので、可能ならば明日臨時で入っていただけませんか?』というお願いだったの。
水曜日はそのイベントに行くつもりで空けてあったんだけど、べつに今週で終了するわけではないから延期にして、人助けだと思ってその話をお受けしたわ」
「そういうことだったんだ。それは店長も助かったと思うよ。本当にありがとう」
「お店を切り盛りする立場のひとにとっては、人手の確保って死活問題だしね。
わたしも、ウェイトレスとか時々やっていたから、よく知っているの。
そうやって人助けをしておけば、逆に自分が病気になるなどでピンチになった時に助けてもらえることもね」
名越はそう言って微笑んだ。
「一昨日は週半ばということもあって、お客さんもさほど多くはなかったので、わりと時間に余裕が出来たの。
それをうまく使って、店長からいろいろチュートリアルを受けることが出来たわ。日々の業務内容は大体
忙しい金曜日から入っていきなりオーダーの嵐に追い回されるよりは、余裕のある水曜日からスタートして結果的にはマルだったわ。
それから、櫻井さんってホントに人気あるみたいね。スタッフの女性にウケがいいだけじゃなくて、お客さんにも隠れ店長ファンが結構いるんだって感じたわ。
『これ、店長に渡してください」って、お菓子の小さいパッケージを手渡しされたりとかね。
もっとも、後で店長のところに持って行ったら『僕は甘党じゃないんだけどね』とか言って、結局それはわたしがもらっちゃったんだけど」
そう言って名越は小さく笑った。
「でも、彼のようなひとと付き合うのはとても大変そうね。
なかなか本音を言ってくれないっぽいし、ライバルもすごく多そう。
わたしは遠慮しておくわ」
ん? ということは店長みたいなひとに少しは興味があるってこと?
相手の出方によっては、付き合ってみてもいいってこと?
気にはなったものの、そこにツッコミを入れるとおそらくヤブヘビになりそうだ。僕はあえて、その問題発言を聞き流した。
名越が付き合いたい男性って、いったい誰なんだろうな。(続く)
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