#44 これってシンクロニシティ?

木曜日夜11時前、僕は自宅に戻ってきょうの辰巳たつみ家での出来事を思い返していた。


英語の授業から例の濱田はまだが書いたラノベ本の話へと脱線したものの、その後はおおむねきちんと授業が出来たと思う。


国語や世界史はもちろんのこと、姫子ひめこ的にはほとんど力を入れていない数学や生物についても授業範囲を広げた。そして、それらの科目で赤点だけは取らない、うまいコツがあることを彼女に教えてあげた。


それは言うまでもなく、僕自身が受験期に実践していたことだ。要するに過去の問題を徹底的に分析、繰り返して出題される分野だけは﹅﹅﹅確実にマスターしておくというやり方。


部屋のそうじは手抜きで四角い部屋を丸くいて終わりにすると叱られるが、受験勉強ではむしろそういう「合理的な取捨選択」をした方が、限られた時間を有効に活用出来る。


姫子は「実にいい方法を教わったわ」と言わんばかりの満足気な表情をして、僕の話を聞いていた。


辰巳家をおいとまする前に、僕はもう1回だけ姫子に釘を刺しておいた。もちろん、姉みつが作家ハマダマハや編集者との会合に出ることに、余計な介入をしちゃダメだという件だ。


「お姉さんはあくまでも仕事として行くんだからな。そこを勘違いしちゃいけない。 


下手なことをすると、かえってお姉さんに迷惑がかかりかねないぜ。


それこそ、そのラノベに出てくるっていうはた迷惑な妹と同じになっちまうだろ。きみの場合は、兄貴じゃなくてお姉ちゃんラブだけど」


姫子は「そうですかねぇ〜、やっぱり不安なんですけどぉ〜」と、まだ未練ありげな口ぶりだった。それでもまぁ、これだけ僕から辛口のアドバイスを聞いていれば、いざというときに思いとどまってくれるだろう。


僕の言葉がどこかで姫子の暴走を防ぐストッパーになることを祈りつつ、僕は辰巳家を後にしたのだった。



自分の部屋に入り、僕はショルダーバッグからきょう買ったばかりの濱田の本を取り出した。


『明後日も姫子の家庭教師だし、彼女に僕もこれを買うって約束した以上、次回もまた話題にしてくるのは間違いないから、寝る前に少しは読んでおくか』


そう思いながら、僕は「いもうとが僕の恋のジャマばかりするんですけど!」の、しおりはさんでおいたところから読み始めた。


高校1年生のヒロイン、いぬいゆみえは真性のブラコンだ。その愛らしい容姿ゆえ、幼い頃に周囲の子供たちから嫉妬され、いじめを受けていたのだが、そんな彼女をいつもかばって助けてくれたのが、ひとつ年上の兄、真平しんぺいだった。


そして彼の「ゆみえは一生、僕が守る!」という言葉を愛の告白だと勘違いしたゆみえは、年々兄への想いを募らせるようになる。これはそう言った兄の側にも、かなり責任があるよな。


思春期となりガールフレンドも出来た兄を、ゆみえはどうしても許せず「お兄ちゃんの隣りにいていいのは、わたしだけなんだからぁ!」と、その仲を破壊する行動に走るようになる。


「法律では、2親等同士の結婚は禁じられているですって?


そんな理不尽な法律、改正すればいいのよ。わたし、法律改正のため、国会議員にだってなってやるわ!」


一念発起して政治家になるため、猛勉強を始めるクレージーなゆみえであった。


とまぁ、ほぼほぼ予想のつく展開が続く。でもその文章は、都内の有名進学校、開名かいめいから明応めいおうに進み、今も熱心に授業を受け、成績も悪くない(らしい)濱田だけあって、非常に練れた達意のものである。


ちょっと手すさびで書いてみました、なんてレベルではなく、相当多くのヒット作品を読み込んで、自分なりに消化した上で書かれた文章だなと感じた。自分もラノベ書きの端くれだっただけに、それはよく分かる。


小説をしばらく読み進めていくうちに、こんなシーンに出くわした。例によってゆみえに恋路を邪魔され、あえなく失恋した真平が、また新たな想い人となる女性と出会う場面だ。ちょっと抜き書きしてみよう。


「僕は放課後、ただひとりで図書室の片隅にいた。


ここは当番の図書委員以外、いつも人気ひとけがなくて、顔見知りの人間に誰にも会わずに済む場所なのだ。辛い時、心が痛んだ時、僕は必ずここにやって来て、ひとりの時間を過ごす。


その日も僕はテーブルに顔を伏せるようにして、物思いにふけっていた。


きょうは誰とも会いたくない。もちろん、ゆみえとも。


あいつは僕のことを好きなあまり、僕がほかの女子と付き合おうとするのをことごとく妨害する。


悪意ではなく、好意ゆえの間違った行動。


そんなゆみえを、許しちゃいけないと思っていても、あいつにテヘペロをやられるとつい許してしまうバカな兄。つくづく、情けない。


そんな僕の耳元で、とつぜん、涼やかな声が響いた。


『あと10分で閉室ですよ、乾真平くん』


僕がおもてを起こすと、見覚えのない顔立ちの女性が立っていた。長い黒髪、色白で目鼻立ちがはっきりとしている。誰?


『きみは……。なぜ僕の名前を知っているの?』


『わたしは、図書委員の瀧本たきもと逸実いつみですよ。同じ2年の。


あなたがときどき図書室ここに来て、過ごしているのを見ているうちに、あなたのことを覚えたんです。それに……』


『それに?』


『あなたの妹さん、1年生のゆみえさんって超がつくぐらい、有名ですからね、本校では』


『そんなに有名なの、僕の妹?』


『ですです』


僕は顔から火が出そうだった。妹が有名だとしたら、それは当然、あのなりふり構わない奇行によるものだろう。そして、僕もその関係者として知られてしまっているってことじゃないか!」


その後、真平と逸実はその図書室での出会いがきっかけで仲良くなるのだが、僕はこのくだりを読んで、似たようなシチュエーションのシーンを、かつてどこかで読んだことがあるような気がしてきた。


このシーンって、どこかのラノベに似たようなのがなかったっけ?


いや、もしかして……。


僕は部屋の一角にある本棚ににじり寄り、かつて自分が所属していた「ライト文芸サークル」の会誌を探した。あった!


「ふゅーちゃー・うぇーぶ」というタイトルのそれは、B5判で200ページほどの冊子だった。表紙のメインのカラーイラストは、みっこ。言うまでもなく、当時川瀬かわせ姓だったみつ子の手によるものだ。


金髪美少女のイラストの脇に、僕の書いた小説のタイトルが添えられている。「僕の初恋が金髪転入生と黒髪幼馴染とクール委員長の争奪戦になってます」だ。今考えると、このタイトルってスゲーな。ベタ過ぎる。


作者名は、阿野あのにます。説明するのも野暮だが、英語のAnonymous(匿名)をもじった、かつての僕のペンネームだ。実に慎ましいと言うか、いじましいというか、地味極まりないペンネームである。


今だったらこんな名前、絶対名乗らないだろうな。


それはともかく、しばらくページをめくっているうちに、該当箇所と思われるシーンにたどりついた。こんな感じだ。


「僕は放課後、校舎の屋上に来て、沈みゆく夕陽をボーッと眺めていた。


僕の周囲には、誰もいない。


転入生と幼馴染、ふたりの女子とのすったもんだに巻き込まれて、僕はすっかり疲弊していた。


今はふたりのどちらとも会いたくない、そんな思いで僕は人気のない屋上へと避難したのだった。


ここにいると不思議と心が落ち着き、安らいだ。


僕はあのふたりが、別に嫌いってわけじゃない。


転入生の瑞希みずき、幼馴染の朋世ともよ、ふたりはそれぞれに可愛らしい容姿をしてるし、ともに僕に好意を抱いているようだ。


しかし、問題はその性格だ。


瑞希は欲しいものは他人から掠奪してでも手に入れるような激しいところがあるし、朋世は異常なまでのヤキモチ焼きだ。あのふたりの相性は最悪過ぎる。


あぁ、あのふたりでなく、僕に癒やしを与えてくれる、女神さまはどこかにいないのだろうか。


僕が屋上の金網にもたれてそんな取り止めもないことを考えていると、ふと後ろに人影が立ち、僕に澄んだ優しい声をかけてきた。


菅野かんのくん、そろそろ下校時間ですよ』


振り向くと、そこにいたのは僕のまったく知らない女子だった。


ボブカットにした髪は日本人にはまずいない、アッシュグレー。


顔立ちも、純日本人ではないみたいだ。まるでロシアからの留学生のような端正な目鼻立ち。


本当にこんなひと、この高校にいたっけ?


僕が返す言葉もなく困惑していると、彼女は僕の心中を察したかのようにこう言った。


『あ、ごめんなさい、わたしは清野せいのエレン。風紀委員長をしています。


菅野くんのことは、学内で最近噂になっていたので、わたしのほうは存じ上げているんですよ』


そう言って、にっこりと微笑んだ。


ちょっ、待って。学内で噂って、もしかして僕とふたりの女子とのこと、そんなに知られちゃってるの!?


つまり僕って、清野委員長の中では二股をかけるスケコマシキャラ?


僕は冷や汗をかいたが、それを直接問いただすのは、もし『その通りです』と答えられたら心が折れそうなので、とても出来なかった」


うーん、ふたつの小説はかなりの部分が似ている。読み比べてみて、僕はそう感じざるをえなかった。


とはいえだ、僕自身のストーリーにしたところで、世に無数にあるラノベの「よくある展開」のひとつ、いわばテンプレ通りに書かれたものとも言える。


そこに格別なオリジナリティはない。囲碁における定石のようなものだ。


つまり、この2作の類似性は、濱田が「僕の初恋が金髪転入生(以下略)」を読んでそれを真似たというよりも、たまたま似た、つまりシンクロニシティ(偶然の符合)であると考えるべきなのだろう。


濱田が僕をお手本にしたのだろうなんて、どんだけ思い上ってるんだよ自分、ってことである。濱田に対して失礼過ぎる。


また、百歩譲って仮に濱田が僕の作品を読んでいて、それを念頭においてこのストーリーを考えたのだとしても、彼の文章のほうが質的にずっと上だという気がする。


本家よりも上手い模倣者のほうが、より本物だと言われる。


それは芸術の世界では、当たり前のことなのだ。


だから、いずれにせよこの類似性については、無名の僕がとやかく言える問題でないことは明らかだった。


濱田は確かな実力であっさりとプロ作家デビューを勝ち取ったし、僕はまだ実力不足なので何者にもなれていない。ただそれだけのことだ。


『でもな、このまま遅れをとったままでいる気はないぜ、濱田よ。


そのうち、きみと同じレーンについてやるからな。待ってろよ』


僕は、心の中でそう固く誓ったのだった。(続く)

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