#43 継妹の取り越し苦労

ビキニアーマースタイル(プラスカーディガン)の辰巳たつみ姫子ひめこへの授業は、その後しばらくはつつがなく進んだ。


彼女は僕が出題した英文和訳、そして和文英訳の問題を持ち前の語学力でソツなくこなし、「わたしの友人」というテーマを設定しての英作文でも、本場アメリカ仕込みのボキャブラリーを駆使して、僕などではとても書けないようなネイティブっぽい文章を書き上げてくれた。


僕はそれら解答の中では、英文和訳の日本語表現としてちょっとおかしい箇所を直すことぐらいしか出来ることはなかった。


自分が教師と名乗るのが気恥ずかしくなってくるぐらい、姫子の解答はほぼパーフェクトだった。


「きみに教えることは、もはやなにもないんじゃないか、英語に関しては。最強だよ」


僕がそう言うと、姫子は手を振りながら答えた。


「いえいえ、わたしが英語に強いなどというのは、アメリカ人の小さな子供に『英語喋れるんだ。凄いね』と言っているようなものですよ、モブ先生」


「そういうものかなぁ」


「はい。普通の日本人とはまるで違う言語生活を送ってきたんですから、できて当然なんです。そのかわり、肝心の日本語のほうは、少々お粗末になってしまっていますから、プラマイゼロってとこです」


「なるほどね」


「だから、先生が教えられることは、まだまだいっぱいありますよ。


わたしがあまり得意といえないのは、日本語そのものというよりは、日本文化なんだって気がします。


ほら、成長期の子供って遊びとかエンタメの情報を交換することでコミュニケーションをとるところがあるじゃないですか。


漫画とかアニメとかゲーム、それに映画とテレビドラマかな、そういった文化の情報を共有することが、彼らの日常では一番大切なんだという気がします。


ところが幼少期のわたしは、そういったコンテンツはほぼ全部アメリカ製でしたから、日本に戻ってきても周囲の友人と話題がまったくかみ合いませんでした。それこそ自分と同じ、帰国子女でもない限り。


「10年前、こんな漫画が流行っていた」とか「あのゲームのあの場面はこうやってクリアした」なんて話に、まったく入っていけないのです。


普通の日本人が共有している記憶が、わたしにはすっぽり抜け落ちているわけで、これをわたしは『失われた10年』と呼んでいます。


約10年、わたしは日本人であって日本人じゃなかったのです。


このツケをわたしはその後、延々と払い続けているんですよね。とにかく仲間たちが当たり前のように見てきたもの、読んできたものを後追いで味わうようにしてます。


幸い、今は過去のアニメやヒット曲のようなコンテンツもネットで自由に見られるのものが増えているので、それらに助けられて『失われた10年』もだいぶん埋め合わせられてきましたけどね」


「そういうことか。つまり、どんな雑談めいた話でも、姫子くんにとって初耳であれば、それは十分きみに対する授業になりうるということだね」


「その通りです。だから、モブ先生がわたしに教えられることは、それこそ無尽蔵にあるのです」


姫子はにこりと笑った。そして、こう続けた。


「ところで話は変わりますけど、先日、モブ先生にわたしの新しいお姉ちゃんを紹介したじゃないですか。


大学生だけどイラストも描いて最近注目されているという」


「ああ、みつさんだね」


「さすが先生、美人の名前は一発で覚えますね」


姫子はいたずらっぽく笑った。


「いや、こんなのフツーだろ」


「そうかなぁ、一度聞いたきりで興味がなかったらすぐに忘れていると思いますけど」


僕はそれに何も答えられず、苦笑いを浮かべた。


「で、ですね。みつ子お姉ちゃん、なんとライトノベルのお仕事で、プロのイラストレーターみっことしてデビューすることになったんですよ」


「おお、それはすごいね」


僕の生返事を聞いて、姫子は不満げに頬を膨らませた。


「なんですか、リアクション薄いじゃないですかぁ。せっかく先生を驚かせると思ってたのに、ガッカリ。


もっとビックリしてくださいよ。『えぇーーーっ!!』って」


「いや僕、お笑い芸人じゃないから」


またも苦笑いしながら、僕は答えた。


「でもホント、すごいと思ってるよ。メジャーな出版社から出る本なんだろ。イラストを描く人なら、全員が夢見ることだぜ」


「そうなんです。仕事の依頼メールが九段なんとかという出版社さんから来た時は、一瞬目を疑ったってお姉ちゃんが言ってました。


えっと、この本です」


そう言って、姫子は机の引き出しから1冊の文庫本を取り出した。


表紙イラストは、姫子によく似たポニーテールの少女。タイトルはもちろん、「いもうとが僕の恋のジャマばかりするんですけど!」だった。


つまり、僕もいましがた三田町みたまち書房で買い求めたばかりの1冊。


姫子は嬉しそうに語り始めた。


「まずこの表紙のイラストが最高ですよね。もちろん、モデルはわたしです。


一昨日だったかな、出版社さんから何冊か見本が届いたんですけど、お姉ちゃんはそのうちの1冊をモデル料がわりだと言ってわたしにくれたんです。


読み始めたばかりなのでまだ4分の1ぐらいしか読んでいませんけどね」


「タイトルから推測するに、ブラコンの女の子の話、なのかな?」


僕は自分もその本を読み始めているなどとはおくびにも出さず、無知を装って姫子に尋ねた。


「ブラコンって、ブラック・コンテンポラリーじゃなくって、ブラザー・コンプレックスの略称ですよね?」


妙に流暢なネイティブな発音で尋ねてくる姫子に、僕は黙ってうなずいた。


「たぶん、そういう女の子ですね、この子は。


彼女がお兄ちゃんのことが好きすぎて、ついついお兄ちゃんの恋愛を邪魔してしまうお話です。


もっともわたしはお兄ちゃんじゃなくて、お姉ちゃんラブ❤️ですが」


「だろうな、姫子くんの場合は」


いささか呆れ顔で、僕は皮肉っぽく言った。


「でもわたしは、お姉ちゃんの恋愛は妨害したりはしませんよ。


むしろ、後押しすることに生きがいを感じるひとです。


お姉ちゃんの幸せは、わたしの幸せ。これがわたしのモットーなのです」


そう言って、姫子はニカッと笑った。


やれやれ、「あねえ」の症状がさらに進行しているわ、この子。


すきあらば、僕と姉をくっつけようとして来る。


それは僕にとってはただのはた迷惑に過ぎないのだが、それをまた口にしたりすると話がいよいよややこしくなるばかりなので、何も言わないけどな。


「ともあれ、これ、イラストはもちろんいいし、中身も面白そうだね。


僕も1冊買って、微力ながら本の売り上げ増に貢献することにするよ」


「ありがとうございます。お姉ちゃんも、ぜったい喜びます。


わたしは学校でも本のPRに務めるつもりです」


どんだけ姉好きなんだよ、きみ。学校でも布教﹅﹅に精出すって。


「でもね、ちょっとだけ気にかかることがあるんです」


ふいに表情を曇らせて、姫子がそうつぶやいた。


「この小説の作者のハマダマハさんって、女性みたいな名前だけど実は男性なんだそうです。


お姉ちゃん、本を出すまではその人と一度も会うことなくネットでのやり取りだけでイラストを描いたんですけど、本の売れ行きが好調なので、編集さんがお祝いを兼ねて来週あたりで一席持ってくれることになって、作者さんと共にお姉ちゃんも出席するそうなんです。


つまり、作者とイラスト担当者の初顔合わせ。


みっこファンクラブ会員第1号のわたしとしては、そのハマダさんがどんなひとなのか、とても気になるんです。


ライトノベルの男性作家さんって、女性と付き合ったこともないのに妄想ばかりは人一倍で、作品にそれをすべてぶつけて欲求不満を解消するキモいひとが大半っていうじゃないですか」


「それはまたひどい偏見だな。全員が全員、そういう人ってわけじゃないって」


「すみません、言い過ぎました。


でも、最近いくつかのライトノベルをネットで試し読みした限りでは、そんな作風のものばかりだったので」


「作品イコール作者とは限らないだろ。読者のニーズに合わせた結果、そういう作品になった、そういう考え方もあるからな」


「わたしとしても、そうであって欲しいと考えているんですけどね。でも不安です。


もしハマダさんが変なひとで、お姉ちゃんのことを気に入って交際を迫られたりしたらどうしよう。そう考えると夜もおちおち寝ていられません。


その会合にはわたしも一緒に出席できないものか、真剣に考えているぐらいです、お姉ちゃんのボディガードとして」


「やれやれ、大袈裟だな、姫子くんは。


そういうのを、取り越し苦労というんだぜ。


お姉さんも立派な大人なんだから、ハマダさんがどんなひとであったにせよ、きちんと大人の対応をするに決まっているさ。心配は無用だよ」


「そうでしょうか」


僕がいくら説き伏せようとしても、まだ不安をぬぐいきれない様子の姫子であった。


きみの懸念、それはたぶん杞憂きゆうに終わるはずだよ、なぜならハマダとは実は僕も知っている人間で、こういう人となりのヤツだから大丈夫だと説明してやりたかったものの、それをやってしまうと僕とみつ子の過去の関わりまで説明せねばならず、また別の面倒ごとの元となるのは必定だ。


そう、辰巳みつ子は子供ではないし、僕の彼女でもない。自らの意思で動くひとりの人間。僕が余計な介入をするべきではない。


僕はここはおとなしく、静観を決め込むことにしたのである。(続く)

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