#40 脱線と復線

「それじゃあ、雑談はいったん休止して、少しは授業らしいことをしようか、詩乃しのくん」


きわどいエロネタがこれ以上続いてはたまらないぁので、僕はわが生徒に気持ちの切り替えを要求した。


「いいわよ。『いったん』ということは、雑談再開もありって意味でしょうから」


詩乃がまぜっ返す。


「はいはい、そういう解釈で構いませんよ、お嬢さま」


僕はしかたなく最大限の妥協をして、講義を始めた。


「さっき、英語の小テストの話が出ていたけど、よかったら答案を見せてくれないか?」


「了解よ。わたしのパーフェクトな解答、とくとご覧あれ」


そう言って詩乃は、さっそく机の引き出しから答案用紙を取り出して、僕に差し出した。僕は問題文の冒頭を読み上げてみた。


「Hail to thee, blithe Spirit!


Bird thou never wert,


That from Heaven, or near it,


Pourest thy full heart


In profuse strains of unpremeditated art.


ふむふむ、これは詩の和文訳と、その解釈や鑑賞文を書かせる問題なんだな。作者名は特に書いていないようだけど」


「そうよ。これは19世紀の詩人、P・B・シェリーの『ひばりに寄せて』の一節なの」


「ふぅーん、またずいぶんクラシカルなアイテムを出題してきたもんだなぁ。とても高校の授業で扱う範囲じゃないような気もするが。


theeやthouみたいな古語も頻繁に使われているし、実に風雅というか、なんというか」


「担当の先生が、大学で英国詩を専攻しておられたのよ。もう霞をお食べになっているんじゃないかと思うくらい、浮世離れしたひとで。


彼曰く、『わたしは受験に即役立つような英語を授業で教えるつもりはありません。そういうのは皆さん、各自で参考書を読んで学習していただきたい。わたしはもっぱら、英語という言葉の美しさを皆さんに伝えたいだけなので』ですって。


その授業も、古風なシェイクスピアの戯曲やロマン派の詩を中心に進めるので、受験のことばかり気にしている生徒たちにはえらく不評なの。


でも、わたしは結構好きだなぁ。その授業で取り上げる英文学って、どこかわたしの好きなブリティッシュ・トラッド、つまり英国のフォークソングの世界とつながっていると感じるので」


「そうか。ふつうフォークソングというと、アメリカのそれを指すものだけど、詩乃くんはイギリスのが好みなんだ」


「そうなの。モブ先生はレッド・ツェッペリンってバンド、ご存知ですよね?」


「ああ。昔のロックにさほど詳しくない僕だって、さすがに知っているし、曲も聴いたことがあるよ。


70年代で一番成功したというイギリスのバンドだろ?」


「はい。そのツェッペリンって一般的にはハードロックバンド、あるいはヘヴィーメタルの元祖みたいに言われてますけど、それ以外にもさまざまな音楽的要素、たとえばブリティッシュ・トラッドだったり、中近東音楽だったり、いろいろ取り入れていて結構奥が深いんですよ。


彼らの4枚目のアルバムにサンディ・デニーという女性シンガーがゲストで参加しているんですけど、彼女が参加した『限りなき戦い』という曲がいかにもトラッドの匂いぷんぷんで好みなの」


「ああ、それなら僕も知ってる。アコースティック楽器だけで演っているフォーキーな曲だよね」


「うん。で、そのアルバムで初めてサンディのことを知り、さかのぼってかつて彼女が在籍していたグループ、フェアポート・コンベンションにも興味を持つようになったわ。サンディの参加した3枚のアルバムは、今でも愛聴盤よ。


彼女の鳥のような歌声を聴くと、そう、自分のくすんだ魂が洗われ清められていくように感じるの。


そういう清らかさや厳かさを持つ歌声、憧れるわ。


だからわたしも、いつかサンディのように歌えたらなぁって思ってる。たぶん、見果てぬ夢だけどね」


そうやって熱心に自分の趣味を語る詩乃は、どことなく昨日初めて会った女性シンガー、穂花ほのかを連想させるものがあった。


いや、特に顔立ちが似ているわけではない。ただ、何かに憧れを持っているひとに共通のまなざしが感じられたということなのだ。


詩乃は自分の歌の才能には見切りをつけた、みたいなことをを言っていたが、それじゃあもったいない。穂花のように、また人前で歌ってみればいいのに、僕はふとそう思った。


おっといかんいかん、また上から目線、というか自分がまるでプロデューサーでもあるかのような物言いになってるよな。


しかも授業という本筋から完全に離れて、詩乃との話がいつの間にやら雑談と化しているじゃないか。


やれやれ、詩乃の高度な誘導テクニックには勝てそうもない。


とりあえず僕は詩乃のひとり語りを尻目に、彼女の答案を読んだ。


に幸いあれ 陽気な精よ


なんじそらやその近くより


降り来った鳥にゆめあらず


汝の心より惜しみなくあふれり


自然なる旋律うたが」


そんな感じで擬古文体の訳文が続く。


和訳とはいえ、そのままメロディを付けて歌っても十分いけそうな詩になっていた。


「ひばりは一羽の鳥でありながら、鳥以外の何かでもある。


言うならば、青春の情熱の象徴。


舞い上がりながら歌い、歌いながら舞い上がるそのさまは、若さそのもの。


天国からの使いたるひばりは、29歳の若さで天に召された、シェリーそのひとに他ならない。


恋と芸術に我が身を燃焼させた人生を、凝縮した一編である」


その鑑賞文も、ズバリこの詩の本質を突いたものだった。文句のつけようがない。


「うーん、さすがだ。満点をとっただけある」


僕が感心して唸るように言うと、詩乃はひとり語りをやめ、少し紅潮した顔でポツリと言った。


「ほ、褒め殺しはナシでお願い。ツッコミが欲しかったんだけど……」


そうだった。こいつは褒められると返す言葉に詰まるタイプの子だった。


「いやまぁ、僕は無意味なツッコミは入れない主義なんだ。褒めるべきときは、素直に褒めるひとなのさ」


それを聞いて、詩乃は答えた。


「あ、ありがと。なんか、くすぐったいわね…」


僕は答案用紙を詩乃に返しながら、こう言った。


「それにしても、そんなやり方での授業が受け入れられているというのは、きみの通う高校のふところが広いということだろうね。


きょうび、大学受験に直接役に立たないような内容だと、生徒からよりも親御さんからクレームがつくっていうぜ。受験テクニックよりも一般教養こそ、長い目で見たら人生では必要だと思うんだけど、目先の利益にとらわれる親が実に多いんだよな。


だから、その英語の先生はとてもいい先生だ。大切にしたいひとだね」


「そうね。先生のことは、尊敬しているわ。(それに、あなたのことも……)」


ん? 後半は、ゴニョゴニョ言っててよく聞こえなかった。けど、どうせ大したことじゃないだろう。


「モブ先生、そういえば」


「何がそういえばだ。きみの話の脈絡は、よく分からん」


「いいのよ、脈絡なんて。話し言葉の半分は、意味のない『つなぎ』みたいものってよく言うじゃない」


「出典は?」


「いまわたしが考えた、出来立てホヤホヤの名言よ!」


「きみの名言かよ!」


「ようやく、モブ流ツッコミが復活したわね。ホッとしたわ。


このままだと先生、単なる『うなずきマン』になるかと思っていたから」


「ひょうきん族? ネタ古っ!!」


「そうそうその調子、ベリグゥよ」


「微妙にネタが重なってる?」


「で本題だけど、明日はまた、わたしに勝るとも劣らぬプリチーなJKのお相手をするんでしたよね?」


この子、興味はないとか言っているわりに、けっこうもうひとつのクライアントのこと、気にしているんじゃないの?


僕はそういうツッコミは胸の奥にしまいこんで、クールに返事をした。


「そういや、そうだったな。明日は木曜日だった。毎日予定が入っていると、日が経つのは早いな。


それに明日から、本格的な授業が始まるんだよ。きょう帰ったら、準備しとかないとな。


リマインダーになってくれて、ありがとよ」


「いえ、そういう意味じゃなくて…。まぁいいわ。明日もハーレム生活続行、ご同慶の至りだわ」


「言ってる意味が、よく分からないな」


「いいのよ、意味なんて。言葉なんてしょせん、その場しのぎの埋め草なんだから。


と、あぁ…また名言が生まれてしまったわ。『詩乃語録』に書き加えておかなきゃ。


忘れないうちに、メモメモっと…」


どうやら、僕が詩乃の近くにいることで、膨大な名言警句が生み出されるきっかけになっているようだ。僕がお役御免になる頃には、大部の著書となって出版されているかもしれないな、マジな話。


そんな調子で、その後定刻の10時まで、脱線事故と復線作業は延々と繰り返されたのだった。(続く)

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