#39 まじめなエ◯トーク

明けて水曜日。その日は朝イチから大学の授業がみっちり詰まっていたので、僕は昨日以上に早起きをして家を出た。


学生としては、1週間の中でこの水曜日がいちばん忙しいかもしれない。


そしてもちろん、授業の後はおにしま家での家庭教師の仕事が待っている。


前回の月曜日は、ラブコメラノベの話題に始まり、僕のもうひとつ決まった家庭教師先、つまり辰巳たつみ家の話、そして詩乃しのがやっている表現部の活動、彼女が何を表現したいかといった話に至るまで、およそ授業らしい授業を出来なかった。


でも、詩乃が僕という家庭教師に求めているものは、いちいち事細かに勉強を教えることではなく、そういった取りとめのない雑談の相手をすることなのだ。


それは彼女自身がそう語ったのだから、間違いないだろう。


だから、月曜日のようなやり方で基本的には問題ないのだ。それはいわば台本もリハーサルもなし、ぶっつけ本番でやるアドリブトークみたいなものだ。


毎回、想定外の展開になることは必定。


でもその困難さも込みでの、破格の高報酬だと言える。


カテキョのプロとして、弱音は吐いてられない。ガンバ、自分!


そう言い聞かせて僕は、一番町いちばんちょうの鬼ヶ島邸におもむいたのだった。


午後4時。きょうは詩乃が先に帰宅して、勉強部屋にひとり座って僕を待っていた。


「ごきげんよう、モブ先生」


相変わらず無表情ではあるが、いつになく上機嫌のようだ。声がはずんでいる。


「こんにちは、詩乃くん。何かいいことでもあったのかい」


僕が尋ねると、詩乃は長い髪をかきあげながら、少し視線を逸らしてこう答えた。


「特に理由はないわ。たしかに、きょう返ってきた英語の小テストで満点をとったけれど、そんなのはいつものことだし。


そうね、強いてあげるとするなら、きょうはモブ先生に会えるということかしら」


「そいつぁ光栄の至りだな。お世辞でもうれしいよ」


僕が冗談めかして言うと、詩乃は意外な反応をした。


「んっ……わたしは、世辞追従せじついしょうの類いは言わないバカ正直な人間よ。茶化さないでほしいわ」


少しだけ、ムッとした表情になった詩乃だった。


基本クールで無表情な彼女にも、そんな瞬間があるんだな。ちょっとした発見だった。


こういう時は、素直に非礼を詫びるのが一番。すでに詩乃の性格をおおよそ把握している身としては、そういう判断が即座に出て来た。


「失礼しました。お言葉、真摯に受け止めたいと思います」


「よろしいわ、それで」


いかにも詩乃らしい、タカビーな返答だ。


そしてようやく、普段のクールな笑みが詩乃に戻ったのだった。


「ところで先生、この記事ってご覧になったこと、ありますか?


ネットで拾ったんですけど」


そう言って、詩乃は一枚のB5サイズの紙を差し出してきた。


そこには、こんな記事が印刷されていた。


右肩には「胸の大きさはほぼ[15]歳で決まる」という大きなキャッチコピー。


左側には、高校生と思われるセーラー服の女子生徒のイラスト。自分のバストを手で押さえながら「ち、小さいなぁ…」と溜息をついている。


キャッチの下の説明文には「女性の胸の発育は初潮の約1年前から始まり、約4年で成長が落ち着くので胸自体の成長はほぼ15歳で終わります。」うんぬんとある。


「いや、これは初めて見たけど……」


僕はとりあえずそう返事して、詩乃の様子をうかがった。


彼女の口調は、どこか寂しげな雰囲気を醸し出している。


「これって、ほとんどの女性について言えることなんでしょうかね?


だとしたらわたし、けっこうブルーなんですけど。


わたしは初潮を12歳で迎えているので、その計算だと15の時には胸の成長が終わっているわけでしょ?


もはや、勝負はついたってことかしら?」


そう言って、詩乃は自分の胸を見下ろした。


たしかに17歳の彼女の同年代の平均よりは、ちいさ…いや、なだらかなそれであった。


それにしても初潮年齢を公言してしまうとか、少々オープン過ぎないか、詩乃?


一応、僕も男性だぞ?


僕はちょっと焦りながら、答えた。


「いやぁ、あくまでも平均的なケースってことじゃないかなぁ、4年で成長が終わるというのも。


個人差で、その4年が5年、6年以上にわたるケースもありそうだし。


それに説明文にもこうあるしね。


『その後太って脂肪細胞の大きさが変化したり、月経周期や妊娠などで女性ホルモンのバランスが変化することでサイズが変わります』って」


「まぁそうなんでしょうけど、わたし、学年全体の中でもBMI、体脂肪率ともに一番低い集団にいるんです。


どちらかと言えば『痩せの大食い』なわたしが、これからさらに食べて太ろうとしたって、限界があるような気がします」


「いや、別に無理して太る必要はないんじゃないのかい。せっかくスリムな体型なのに。


それよりはさ、く、くわしくは知らないけど、雑誌や新聞にマッサージの広告とか出ているじゃない? い、いく…」


「育乳マッサージというヤツね」


詩乃が代わりに言ってくれた。正直、助かった。


「そうそう、それそれ」


「けっこうお高そうだけど、ひとによっては明らかに効いたケースもあるみたいね。一度試してみる価値はあるのかも知れない。


でもわたし、いくら同性のひとが施術してくれるといっても、かなり抵抗があるわ」


「まぁ、そうだろうな。普通に恥ずかしいよね、見られたり触られたりするのは同性でも」


「いえ、それはさほど恥ずかしくないのだけれど、むしろ、そういうことをされて、百合の道に目覚めてしまうんじゃないかと思うと、心配なのよ」


「そっちの心配かよ!!」


僕の渾身のツッコミが炸裂した一瞬だった。


「それにしても、こんなエロい話をしてもけっして息ひとつ荒げていないモブ先生って大したものだわ。呼吸法を体得した仙人なんじゃないかしら」


「どういう感心の仕方をしているんだ、きみは」


「だって、これまでの先生たちときたら、わたしがこのネタを振ると、たいてい心拍数が上がって息が荒くなったものよ」


「このネタ、繰り返して使って来たのかよ!」


「さすがハーレムの王、下ネタ耐性がハンパないわね」


「ハーレム言うな。それに胸は下半身じゃない、上半身だ」


「あら、これは一本取られたわね」


こんな益体やくたいもないやり取りで、きょうの「授業」は始まったのだった。


詩乃はその話題が一段落すると、しみじみとこう言った。


「これまでの先生たちって、少し色っぽいネタを話そうとすると、わたしがそのひとに気があるんじゃないかって意識し始めるひとばっかりだったのよね。


わたしはなんの下心もなく、まじめなエロトークをしたいだけなのに。勘違いも甚だしいわ」


『いや、それはきみの感性がおかしくない?


まじめなエロトークって』


僕はそうツッコみたい衝動を、かろうじて抑えた。


「結局、そういうひとたちは、わたしとの会話に耐えられなくて、皆さん降りていってしまわれたの。


どうして、エロ話を純粋に楽しく交わすことが出来ないのかしら、この国の男たちは」


いや、どこの国にもいないと思うぞ、たぶん。


とはいえ、僕だけはかろうじて、彼女の特殊なノリについていけてるってことか。


エロ話に興奮して実力行使におよぶタイプ、いろいろと自己規制が働いて実力行使にはおよべないが悶々とするタイプ、そのどちらでもなく、ただ淡々と詩乃のボケにツッコミを入れていくだけの僕は、いったい何者なのか。


ただの人畜無害なヘタレ、あるいは去勢された宦官かんがんなのかも知れない。


まぁ、すぐに口説いたり襲ってきたりするような肉食系の男よりはそういうヤツの方が、詩乃が安心して時間と場所を共有できるのは間違いないようだ。


それはそれでいいんじゃない。家庭教師の仕事を続ける上では。


僕はそう思うことにしたのである。


「これまでの話では、息を荒げる家庭教師もいたってことになるが、きみ自身、身の危険を感じたことはなかったのか?」


少し気になったことを、僕は詩乃に尋ねてみた。


「正直、感じたことは、あるわ」


真顔で詩乃は答えた。


「でも、常にドアは開けた状態だし、母もそのあたりはちゃんと心得ていて、必ず家にいてわたしと先生の様子をうかがっていたから、さほど怖くはなかったわ。


まさかの時はわたしが大声を上げれば、それですべてが終了。


先生が手を出せる状況ではないわね」


要するに雇用主である詩乃のほうが、絶対強者なのだ。生殺与奪の権利は、彼女が握っている。妙な行動に出たとたん、その者は即解雇される。


だから「間違い」は起こりようがない。見事なまでの危機管理体制だなと思った。ちょっと怖いぐらいの。


「でも、間違っても変な行動に出られないということが、その先生の大きなストレスになり、蓄積されてしまった。


これは計算違いだったわ。


ストレスを溜め込んで、自ら辞めてしまう先生がここまで続くとは思わなかった。


だから、今は少し反省しているの。


わたしが自己を解放出来ても、その分相手を抑圧してしまったのでは、いい結果を生まない。


だから、エロトークは1日1ネタだけ、ほどほどにしようと」


僕は、それを聞いてようやく安心した。この子も、単なる自己中じゃなかったんだなと。


「そうか、了解したよ。何事にも節度は大切だからな」


僕がそう言うと、詩乃はかすかに笑みを浮かべて言った。


「じゃあ先生、きょうのエロネタの締めくくりに、あとひとつだけ」


「ん、なに?」


「モブ先生は巨乳派? それとも貧乳派?」


「!?」


「正直に教えないと、大声を上げるわよ」


くそ、おどしてきやがった。さっきの安心を返せ。


「分かった。正直に言うから。


僕は……断然、巨乳派だ!」


「あらそう。がっかりだわ。好感度ストップ安だわ」


「何を言うか。これできみの身の安全は保証されたようなものじゃないか。僕はきみを襲う危険性はないってことで」


「それはそうだけど……。


でも、なんだか悔しい。


試合に勝って、勝負にけた。そんな気分だわ」


客観的に見ると、ほぼほぼセクシャル・ハラスメントみたいな会話を僕たちは繰り広げていた。でも、当事者たちがそれをハラスメントと感じていなければ、問題はないのだろう。


そして、詩乃には絶対内緒だけど、僕はひとつウソをついた。申し訳ない。


本当のことを言うと僕は巨乳派ではなく、どちらかといえば貧乳派だ。


「どちらかといえば」というのは、巨乳も別に嫌いではないが、こだわりのポイントとはしていないという意味だ。つまり、胸だけを見て女性を好きになったりはしない。


話の流れから判断して、ここは巨乳派と名乗っておけば詩乃も安心して僕と対峙できるだろうということで言ったまでなのだ。


巨乳な女性のみなさん、そこんとこよろしくご理解を。(続く)

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