#36 元カノの新相方

大学で同学年の水城みずしろから、みっここと辰巳たつみみつ子がイラストでメジャーデビューした小説、「いもうとが僕の恋のジャマばかりするんですけど!」の作者ハマダマハがおなじく2年の濱田はまだであると聞かされ、僕は二重の意味でショックを受けた。


ひとつめは、濱田がライトノベルを書いているなんて、まるで初耳だったことだ。


彼は文芸系のサークルには、所属していない。普段はテニスサークルに参加して、けっこう忙しくしていると聞いたことがある。


にもかかわらず、その一方で、いつのまにそんなことをやっていたんだ?


ふたつめは、みつ子と濱田のつながりも、まったく予想が出来なかったことだ。


みつ子は文学部、僕たちは経済学部。キャンパスもかなり離れた場所にある。


ライト文芸サークルという橋渡しの「場」があったからこそ、僕とみつ子の縁は初めて生まれたと言えるのだが、僕と直接の交友関係もない濱田が、どうやってみつ子と知り合えたのだろう。不思議である。


「そ、そうなんだ。濱田のヤツ、やるじゃないか。


ライトノベルって、僕もサークルで少し書いていたから知ってるけど、最近デビュー希望者が急増していて、メジャーデビューは相当な競争率だって聞いたことがあるぜ。


濱田は新人賞にでも、選ばれたんだろうか?」


僕は水城に尋ねてみた。


「俺も詳しいことはよく知らないんだが、たぶんそういうことなんじゃないかな」


「そうか。コネで出版にまで漕ぎ着けられるものでもないだろうしな。


なんにせよ、すげーことだな。濱田のこと、テニスばかりやってるチャラだとばかり思っていたけど、見直したぜ。運もいいんだろうけど。


「そうだな。まったくうらやましいヤツだ。


おや、先生がお出ましだ。真面目に授業を受けるとしようぜ」


僕たちの噂話は、そこでおしまいになった。


とはいえ政治経済学の授業に入っても、僕はしばらくモヤモヤした気分のままだった。


濱田とみつ子がなぜライトノベルの仕事でペアを組むようになったのか、その背景についてあれこれ考えた末に、僕はこういう結論に至った。


「濱田は特にどこのサークルや同人にも所属せずに、一匹狼で小説を書いていた。


そして、出版社の新人賞に応募して首尾よく入賞し、作品出版の権利を手に入れた。


出版社はかねてより声をかけていて、デビュー準備中だったイラストレーターみつ子と濱田を組ませることを決め、それがふたりのデビュー作となった。


つまり、同じ大学で同じ学年のふたりがペアとなったのは完全に偶然であり、現段階ではふたりはまだ顔合わせすらしていないのかもしれない」


そう考えれば、いくつかの謎もぴったり辻褄が合うような気がしてきた。


モヤモヤも一応収まってきた。


ってゆーか、なぜ僕は既に過去完了形にした恋人ひとのことで、あれこれ気を揉まねばならないのだろう?


これは、嫉妬心の現われなのだろうか?


僕は、僕に代わってみつ子との縁が出来た濱田にいているのだろうか?


いやいや、断じてそんなことはない。


これまでもずっと言ってきたことだが、僕はいまさらみつ子と復縁したいとは思っていないし、濱田とみつ子はあくまでも仕事上「組まされた」ペアだろうから、そのふたりが私生活でもペアを組んでいると考えるなんて、妄想、邪推以外の何物でもない。


もし僕が妬いているとするならば、おそらく初めて書いたであろうライトノベルの作品であっさりデビューを決めてしまった濱田の「才能」「実力」の方に嫉妬しているのだろう。


たしかに、ライトノベルで作家デビューするということは、今となってはどのジャンルの小説よりも難しくなってきている。


文庫レーベル、あるいはノベルスレーベルという「受け皿」がここ10年ほどで何倍にも増えたとはいえ、志望者の方も幾何級数的に増えているので、競争率は年々上がる一方だ。


誰でも参加出来る、ネットの小説投稿サイトという「養成所ファーム」を経て、出版社からのメジャーデビューを果たせる者は、作家を目指す者全体の1パーセントにも満たないはずだ。


そういう意味で僕と濱田の間には、今のところ、無限の隔たりがあった。


現世の僕、天国の濱田、そのぐらいの埋めがたい距離感があるのだった。


まぁ、僕がまるで寓話に登場する狐のように、


「あれは酸っぱい葡萄だから、いらねーや」


うそぶいてしまえば、「彼のような商業作家になりたい訳じゃない」と言い切ってしまえるのならば、彼に対してなにも引け目を感じなくていいのだろうが。


しかしそれは、自己欺瞞ぎまん、自己韜晦とうかいというものだろう。


そのくらい、僕にも分かっている。


正直に言うならば、高いハードルを乗り越えて曲がりなりにも「プロ認定」された濱田のことがうらやましかった。


出来れば、自分もそのポジションにつきたかった。


もちろん商業作家という仕事は、チャンスを掴んで運良くそれになれたからと言って、以後一生安泰、というほどお気楽な仕事ではない。


つまるところは人気商売で、売れなければ、売れなくなれば、不本意でもやめざるを得ないシビアな仕事である。


何より、書かなければ、ずっと書き続けていかなければ成立しない仕事なのだ。


「不労所得」の発生する余地はない。まさに働かざる者、食うべからず、である。


適当に休みながら「たまに」仕事をしているそこいら辺のサラリーマン連中の方が、よっぽど優雅な生き方をしているという気がする。


思うに濱田という男は、一生締め切りに追われ、売り上げの数字に一喜一憂する商業作家という人生をこれからの道として選ぼうとしているわけではあるまい。


せいぜい「学生時代の記念」として一冊出してみた、そんなところだろう。


それは他ならぬ僕自身がそういうことを考えていたから、十分に推測出来るのだ。


明応めいおうの経済を出ていれば、たいがいの有名企業には入れる。そこそこ高収入でネームバリューもあり、女性ウケもわるくない優良企業に。


いったんそこに入れればよほどのポカでもしない限り、死ぬまで安泰に生きていける道と、たしかにやり甲斐はあるものの死ぬまでしんどい思いをしなくてはいけない道が示されたとして、つい前者を選んでしまうのは、人情ってもんだろ?


たしかにそこには一発逆転、一攫千金みたいな旨みはない。夢らしい夢もない。


しかし、格別の天賦の才能に恵まれているわけではない人間モブが取るべき道としては、至極真っ当な選択肢だと思うのだ。


大して才能もないくせに自分の才能を過信して、プロの小説家だのミュージシャンだのアーティストだのになりたいと夢を追い続けた結果、破滅の道を歩んでしまうやからが世の中にゴマンといる。


それを知っている僕は、商業作家というものに憧れながらも、そういう憧れを持つ自分を戒め、いさめているのだった。


ただし、その一方でこうも考えていた。


たった一度、一冊だけでいいから、自分の著書が世に出て世間の人々に注目され、読まれるのならばどんなに素晴らしいことか。誇らしいことか。


それを弱冠20歳はたちで軽々と成し遂げた、濱田のことが心底うらやましかった。


だが、彼をねたみひがむダークな感情は、不思議と僕にはなかった。


「うらやましいのなら、自分も同じことを成し遂げて、彼と同じポジションにつくしかない」


僕はそう思ったのだ。


昨日、詩乃しのの言葉に刺激を受けて「やるならば、今のタイミングしかない」、そう考えていた僕にとって、濱田の件はむしろダメ押しの一打となった。


時間の余裕はあまりないが、それを書かない理由にしているうちは一生書くこともないに違いない。


ナウ・オア・ネヴァー。


今度、濱田に会って話を聞くのもいいかもしれない、そう思う僕だった。


      ⌘ ⌘ ⌘


政治経済学の授業が終わった。


教室を移動する前に、僕は念のため水城に「そのうち濱田に出版の話を聞くかもしれないから」と言って彼のメアドを教えてもらい(ノート貸しの見返りってところだ)、そしてそこで別れて僕は別の校舎に向かった。


次の授業、西洋哲学はあまり人気のある科目ではなく、出席率も低いせいか、広い教室に人かげはまばらだった。顔見知りの学生もいない。


授業開始前にダベったり、情報収集をする相手が見つからなかったので、僕はスマホのチェックでもすることにした。


メールが一件。送って来たのは……。


誰あろう、辰巳みつ子だった。


以前いったん登録から削除したものの、先日メールが久しぶりにきて以来、現在の名前で登録してあったのだ。


このタイミングで、何か特別な用でもあるのだろうか?


若干の不安を覚えながら、僕はそのメールを開いたのだった。(続く)

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