#29 セルフ・ヘルピングは成長の証

「よう、俺だ。久しぶりだな、ヨシト」


わが兄、隼人はやとはこう切りだした。


「あぁ、兄さん、久しぶり。


お正月以来だったっけ。


えらく突然だけど、どうしたの?」


「いやさ、きょう、ちょっと気になる話を聞いたもんでな。


いま、オヤジはそばにいないよな?」


「あぁ、僕はいま自分の部屋にいるから、オヤジに聞かれるようなことはないよ」


「そりゃよかった。


じゃあお前に聞くけど、『モブアンドカンパニー』が解散するって話、本当のことなのか?」


僕はそう言われて、ここ数日、自分の中では完全に「既定事項」となっていたモブ社解散の件が、いまだ世間的にはまったく知られていないのだということを思い知らされた。


てゆーか、オヤジのやつ、自分のもうひとりの息子にもまだ知らせていなかったのかよ!


深い配慮の現れなのか、それとも単に頭が混乱していて忘れてしまっただけなのか。


そんな思いが頭の中を巡って、僕は一瞬、返答が遅れてしまった。


でもまぁ、ほかならぬ実の兄に隠しておく必要もないだろう、そう判断して、事実を話すことにした。


「実は……そうなんだ。


その通り、『モブアンドカンパニー』は7月末で解散する。


オヤジ、そのことまだ兄さんには伝えていなかったんだな。


僕は木曜日の昼にその話を聞いたんだが、兄さんにはいずれメッセか何かで伝えようと思っていた。


それが僕もその後いろいろとバタバタしていて、すっかり後回しになっちまった。


申し訳ない」


「そうか、それはまぁいいよ。


こういう話って本来はオヤジ本人からあるべきだから、ヨシトに非があるわけじゃない。


それより、解散の事情を聞きたいんだが、オヤジはどんなふうに説明していたんだ?」


「最初にその話を聞いた時は電話でだったから、詳しい事情まで教えてくれたわけじゃないんだ。


ただ、ここ数年の業績不振と、今後の赤字拡大を考慮して、傷の浅いうちに解散するって説明だった。


その後、特に詳しく話をしてくれたってこともない。


でも、ここ数年の売り上げ不振の理由はメディアでも報じられていて、僕も知っていた」


「『ファビュラス・スター』との件、だな?」


「うん。三年ぐらい前から、モブ社の扱いを横取りしてのし上っているって話。


売り上げが半分以下になるとか、ファビュラス社も相当えげつない営業をしていたんだろうな」


「あぁ。俺もオヤジと同じ業界の人間だから、そういう情報はよく入ってくる。


でだ、ヨシト。携帯電話で長話ってのもなんだからさ、久しぶりに外で会って話をしないか?


夕方5時くらいからでいいから」


「夕方5時……ならいいかな。


昼間のうちに、ちょっと済ませておきたいことがあるんだ」


「分かった。悪いけど、場所は俺の会社の近くでいいかな?」


「構わないよ。恵比寿だったっけ?」


「うん。恵比寿駅東口近くのカフェ、『シャンドン』に来てくれ。


場所はネット検索すれば、すぐ分かるから」


「オッケー」


「じゃ後ほど」


僕はそこで携帯電話を切った。



この1日、僕はのんびりと次回の家庭教師の準備をして過ごすのかなと思っていたが、そうはいかないようだった。


とりあえず、気合いの入れ直しだ。


先ほどからダラダラと取りかかっていた辰巳たつみ姫子ひめこのほうのもろもろの課題をきっちりと片付けて、火曜日の授業に備えることにした。


明日のおにヶ島しま詩乃しののほうは、特に課題も出していないし、まぁ出たとこ勝負でいいだろう。


というか、詩乃との授業はいかんせんアドリブの連続なので、予習のしようがない(溜息)。


       ⌘ ⌘ ⌘


さて、午後5時。


僕が恵比寿のカフェ「シャンドン」の、少し照明が落とされて落ち着いた雰囲気の店内で待っていると、ほぼ定刻に兄隼人は現れた。


ポロシャツにチノパン。少し伸びた髪、濃い口髭ひげ顎鬚あごひげを蓄え、一匹狼のように精悍な風貌をしている兄は、姿を見せた瞬間に彼だと分かる。


彼は僕の向かいの席に座った。


僕はふたり分のコーヒーを注文する。


「元気そうだな、ヨシト」


「うん、兄さんも変わりないようで何より」


「で、さっきの話の続きだが、F社ってホント、やり方があざといらしいんだ」


そばで誰が聞いているか分からない。


当然ながら兄はファビュラス社といわず、イニシャル・トークで始める。


「俺の知り合いに、オヤジの会社以外でF社に扱いを取られた会社のヤツがいるんだが、F社の営業マン、相当露骨なやり口らしい。


常に『弊社ならライバル会社の値段の1割から2割は安く出来ます』と請け合うそうなんだ。


つまり、ダンピング。


そんな値段じゃろくに利益も出ないに決まっているんだが、初期の赤字などむろん覚悟の上のこと、扱いさえ奪っちまえばこっちのもの、みたいな感じで攻めてくるらしい。


しかも、営業マンは必ずアシスタントを同行していて、それがまたえらくソソるタイプのいい女らしいんだ。


成約のあかつきには、こちら﹅﹅﹅もオマケしますよといわんばかりの色目を使われちゃ、そりゃ扱いを移したくなるだろうよ、まったく」


兄はいきどおっているのか、うらやましいのかよく分からないが、むやみに鼻息を荒くして語る。


「それでもだな、F社の作る製品、つまりシステムがオヤジのM社や知り合いのヤツの会社と同じクォリティなら、まぁ許せる。


同じ品質の製品なら、より安いものを買うというのが健全な経済行動だと言えるからな。


しかし、何人もの話を聞いてまとめるに、F社のシステムのクォリティは相当ヤバいらしい。


もともとF社は、システムに関してはまったくの門外漢だったある食品メーカーが、経営不振で瀕死の状態だったシステム開発会社を買い取った上、他社から何人ものSEを引き抜いてきて補強したという、多国籍の傭兵部隊みたいな会社なんだ。


その営業部門は、本社の生え抜きの営業マンが出向して指揮をしているとも聞いたことがある。


だから、とにかく製品の質なんて二の次、売り上げ第一、開発部門は営業の言いなりなんだ。


クライアント側の苦情も、実は相当多いらしい。


システムにバグが多くて、毎度その対応におおわらわみたいだぜ。


だから、少し値段は高くても、以前の会社に戻したほうがいいんじゃないのって話もよく出るようなんだが、結局この不況のご時世、コストカットこそが正義ということでいつも立ち消えになるらしい。


それにしても、M社が廃業を余儀なくされるところまで追い込まれていたとは、思わなんだわ……」


そう言って、兄は溜息をつき、運ばれてきたコーヒーをすすった。


「まったくだね。僕も、売り上げ不振とは聞いていたけどオヤジの会社が、こうもあっさりと白旗を上げるとは思ってもいなかった。


会社って、意外ともろいものなんだね」


そう言って遠い目をしている僕に、兄が単刀直入に聞いてきた。


緊張した面持ちで。


「でだヨシト、俺が今回一番気になっているのは、俺たちの三田みたのあの家は、大丈夫なのかってことなんだが」


「俺たちの」って言うからには、自分が離れて久しいあの家をまだ「自分の家」であると思っているんだな、兄は……。


そう感じながら僕は答えた。


「兄さん、それは大丈夫だよ、たぶん。


オヤジがそう言ってた。


8月以降も、そのまま住み続けられるって」


兄は険しかった表情を緩めた。


ひとまず安心したようだった。


「そうか。それは何よりだ。


俺は心配していたんだよ。


オヤジがあの家、彼にとっては唯一の資産と言える家を売ることで、この苦境を乗り越えようとするんじゃないかって。


もしそうなると、一家の住む場所も大きく変わるだろうし、暮らしぶりも今までと同じようにというわけにはいかなくなる。


下手すると、お前もあの学費の高い大学に行けなくなるかもしれない、そう思ったんだ」


僕はその言葉を聞いて、そろそろ学費のことについて話すべきタイミングかもしれない、そう思った。


そこで、こう切りだした。


「実は兄さん、今までとまったく同じようにはいかなくなったのは事実なんだ。


聞いてくれ」


僕がそう言うと、兄は露骨に顔をこわばらせた。


「来月までに大学に支払わないといけない学費、今回の会社解散のために資金をまわすので、オヤジからは出せなくなったんだよ。


オヤジのたっての頼みを引き受けて、僕が自分で稼いだ金で払うことになったんだ。


だから、今回、佳苗かなえ伯母おばさんにお願いして、家庭教師のアルバイト先を2件、紹介してもらったんだ。超高給のやつを。


来週からフル稼働で頑張るつもりさ」


「お前、それ、本当のことなんだ……」


「あぁ」


僕の返事を聞く兄の目は、妙にウルウルとし始めている。


「すげーよ、ヨシト、お前って。


俺だって結局、大学卒業までは親ががりだっだからな。


奨学金のお世話にもならず、すべてオヤジさまのすねをかじって卒業までこぎつけたからな。


当時の俺は、それを特別ラッキーなこととも思っていなかった。


だって、俺の周りには自分で自分の学費を出している友人なんていなかったんだからね。


でもさ、自分が会社を経営する身になってみると、カネってものがそうたやすく手に入るものじゃないことがよくわかってくる。


同じ経営者の立場になってみて、オヤジの苦労が初めて身に染みて分かるようになった。


今は純粋に、感謝しているよ。


何の恩着せがましいこともいわずに、最後まで学費を出してくれたオヤジに。


だから、そんなオヤジがヨシトに頭を下げて学費支払いを頼んだのは、よっぽどのことだと言える。


以前のオヤジなら、子どもに自分の弱さを見せたりしなかったもんな。


そして、それを文句も言わずに引き受けたヨシトもすげーよ。


しばらくのうちに、えらく成長したんだな、お前」


僕は、兄の言葉に何となくこそばゆいものを感じて、手を左右に振った。


「そんな大したことじゃないよ。


兄さんだって、こういうピンチに遭遇していたら、たぶん同じことをやっているはずさ。


たしかに、ハンパな金額ではないけど、自分のために使うお金なんだから、むしろ自分で出して当然だと思えるようになってきた。


たぶんオヤジは、自分の給料を減額してでも、会社の解散のための資金を増やすほうが、家族の将来のためにもなると判断したんだよ。


家族なんだから、苦しい時は助け合うのは当たり前なんじゃない?」


兄の目はいよいよウルウル度を増してきた。


決壊寸前だ。


「だから、そういうことをさらりと言えるようになったのが、成長の証拠なんだよ。


昔のお前なら、もうわけが分からず、判断停止だったかもな」


兄にそう言われると、たしかに思い当たる節はあった。


大学1年の時、最初の家庭教師を降りてしまったあのケースなどは、まさにそういうことだったのだろう。


そう考えれば、僕も少しはひととして成長しているのかもしれない。


ここ数年はほとんど会話をしてこなかった兄と、ひょんなことがきっかけで、ここまでお互いの奥底の部分まで立ち入った話をすることになるとはね。


おそらく、初めてのことだろう。


僕はとても不思議な気分を味わっていたのだった。(続く)

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