#23 継姉萌え(アネモエ)

「日本語りょく、強化月間ですかぁ?」


辰巳たつみ姫子ひめこいぶかしげにそう僕に聞き返した。


「そうだ。きみの日本語力を大幅にアップさせること、それが当面の最優先課題だと思うんだ。


というのは、きみの英語力はまったく申し分ないんだが、日本語、特に書く力はもっとつけてもらわないと、第一志望校合格はちょっと厳しいかもしれない。


さっきもきみ自身が言っていたぐらいだから、それは分かっているよね?」


「はぁ、まぁ、そうですね」


姫子はうなずいた。


「でだ、きみの答案をチェックしていて一番目についたミスは、なんといっても漢字だ。


書き誤りがけっこうあるし、字体を間違えて覚えているケースも多いね」


「たしかに漢字は苦手です。


何千字もあるなんて、日本語ってハードル高すぎますよ」


「そうだな。外国生活が長い子は、日常的に漢字に触れる機会がとても少ないから苦手なのは無理もないと思う。同情するよ。


だからといって、試験の答案を漢字抜きで書くわけにもいかない。


ある程度は、漢字の熟語を使う必要がある。


そこでだ。漢字の間違いを出来るだけ減らす、いちばんラクで効率的な学習法を僕が考えてみた」


「それは、どんな方法なんでしょうか?」


姫子が興味を持って来たことが、その目の色の変化で感じ取れた。


「これまでの全科目の答案を総ざらいして、減点された箇所はいうまでもなく、すべての記入ミスを全部ピックアップしていくんだ。


僕はそれに正しい答えを赤入れするから、きみはその横で二度と同じ間違いをしないよう、しっかりと覚える。


いやもう、丸暗記するって感じかな。


漢字は常用と呼ばれるものだけでも2000字以上あるけれど、試験によく出て来るものと、さほどでもないものがある。


前者だけなら千数百字ぐらいで済むと思うし、さらにきみがすでに正しく覚えているものを除くなら、これからマスターすべきなのはその何分の1かに絞られるだろう。


そう考えれば、そんなに大変なことではないだろ?


すべての常用漢字とその使用例をおさらいすることに比べれば、4分の1か5分の1ぐらいの時間で済むんだから。


もっとも、それで100パーセントをカバー出来るわけではない。漏れるものもある。


だが、全体から見れば、1、2パーセントぐらいだ。


仮に試験に出て来て間違えたとしても、致命傷になることはまずない。


受験勉強というのは、限られた時間内にどれだけ多くの情報を仕込むことが出来るかで勝敗が決まるものだから、貴重な時間を節約するためにも、こういうショートカットは大いに見つけるべきなのさ」


僕の念入りな説明が終わると、姫子はいたく納得したような様子でこう言った。


「先生、それとってもいいアイデアです。


自分だけで漢字を勉強しようとすると、どこが間違っているのかよくわからなくて、余計に時間がかかると思うんです。


間違ったところを再び間違えないようにするだけというそのやり方だと、時間がうんとセーブ出来ます。


モブ先生、さすがですね」


「いや、これって特別なことではないよ。


同じ間違いを繰り返さないよう、どこが間違っているのかを必ず確認し、しっかりと頭に叩き込む。


これは、志望校に受かっているひとの全員が実行していることなのさ」


「ふぅーん、そうなんですか。なるほどー。


とにかく、姫子の志望校に合格されたかたなんですから、モブ先生が高校時代になさった通りにやっていれば間違いはないってわたし、思っていますよ」


「そう言ってもらえると、うれしいね。ありがとう」


僕は姫子に向かって微笑んで見せた。


こんな感じでとりあえず、僕は姫子の指導役として、本人による審査は無事パス出来たようだった。


前回に比べると、えらくあっさりとした審査で済んだ。


話が早くて助かる。


       ⌘ ⌘ ⌘


それから僕は、その日本語力強化プログラムは漢字だけでなく諸々の熟語や慣用表現などにも応用出来るので、そういったものでもブラッシュアップを実施していくつもりだと伝えた。


「日本語力以外ではどんな実力アップ計画が必要か、考えていらっしゃいますか?」


ここで姫子にそう尋ねられたので、僕はもうひとつの目論見もくろみについて話すことにした。


「日本語力に比べればさほど急を要するわけじゃないんだけど、世界史の答案を見て気づいたことがあるんだ。


西暦何年に何が起きた、誰それが何をやったみたいなデータは、きみも結構正確に覚えているようだね。


それはそれで歴史の勉強の基本だから、大事なことではある。


しっかり覚えておいてほしい。


でも、最近の出題は論述式が中心になって来ていて、基本データの丸暗記、みたいなことだけでは対処しづらい設問が増えているのも確かだ。

そのあたりの対策は、まだ不十分かなって感じたんだ。


例えばかつての出題に多かった、西洋と東洋それぞれの歴史、みたいな切り口ではなくて、農作物とか塩胡椒とか紅茶とか伝染病とかいった『モノ』を介しての東西の交流、そういう観点での設問が増えているんだ。


そしてそれこそが、本来の『世界史』の試験問題なんじゃないかって気がする。


そういう今どきの問題を解く上で役に立つような、断片的な知識というよりは『物の見方』みたいなトピックスを、毎回趣向を変えて話していこうかなと思っている。


歴史の縦軸だけじゃなく、横軸、あるいは斜めの補助線とでもいうべき視点を身につければ、世界史の全体像がよりクリアに見えて来るはずだよ」


「うーん、それってスゴーく面白そうですね。


お金を払ってでも聴きに行きたくなる、みたいな」


「ハハハ、当然お金はいただきますよ。


プロの家庭教師ですから」


この僕の軽口には、姫子の口からも思わず「フフッ」という笑いがこぼれ出た。


いい感触だ。


「ところで先生、これからの方針もだいたい決まったことですし、気分転換にちょっと姫子の話とか聞いてくださいよー」


姫子がそう言ってきた。まぁ、いいかな。大まかなロードマップも出来たことであるし。


適度な息抜きを挟むことで学習効果が上がるとか、よく言われるしね。


「いいよ。どんな話だい?」


「モブ先生は大学2年ですよね。ということは、二十歳はたちになったばかりぐらいですか?」


なんだ、きみの話というより、僕の話になっちゃってるじゃないか。

そうツッコミを入れたくなる気持ちを抑えて、彼女の質問に答える。


「あぁ、そうだよ。一応、現役で入学しているんで、去年の10月に二十歳になった」


「そうなんだ。じゃ、ぴったりかも……」


「なんだい、話が見えないぞ」


「あ、ごめんなさい。こちらの話です……」


「まぁいいや。で?」


「いや、実はですね。姫子はもともとずっとひとりっ子で、父とふたり暮らしだったんですが」


「うん、それは僕も聞いているよ、三山みやま先生から」


「去年、新しいママがやって来たんです、先生もさっきお会いになった。


で、ママだけでなく、新しくお姉ちゃんも出来たんですよ」


「それも聞いた。お母さまの連れ子さんだね」


「はい。で、そのお姉ちゃんがとっても素敵なひとなんです。


姫子みたいなオテンバと全然違って、ものスゴくおしとやかなんです。


例えていえば、今の日本では絶滅危惧種といってもいい『大和やまと撫子なでしこ』なんですよ。


全体的にふわふわ〜って感じがしてて、顔立ちも性格も完全に癒やし系。


血は繋がってませんが、姫子自慢のお姉ちゃんなんです。


年齢は二十歳ちょうど。モブ先生とおんなじですよ」


「ふーん、そうなんだ」


僕の反応がいまいち薄いことが、姫子には気に入らなかったようだ。


しつこく食い下がって来る。


「どうですか、ちょっと興味湧きませんか?


ねぇねぇ、どうですか。気になりませんか?」


そう言って姫子は、片手で僕の上着ジャケットの袖をつかんで来るのだった。


それもかなり強めの力で。


ふと見ると、彼女の目つきは完全に「お姉ちゃん大好きで姉のためなら何でもやりかねないアブない人」のそれになっていた。


こういう恋愛脳な女子、頭の中がピンク色な女子って、僕はとても苦手だ。


まぁ、姫子自身から誘惑されているわけじゃないから、実害はないとも言えるが、僕と彼女がもつれ合うさまは、他人から見ればかなりヤバい絵柄だっただろう。


どうこのジャジャ馬、じゃなかった姫子をいなしたものか、途方に暮れる僕だった。(続く)

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