#22 未来へのロードマップ

辰巳たつみ姫子ひめこが机上に出してくれた彼女の答案用紙類は、両手でやっと持てるぐらいのけっこうなボリュームがあった。


ざっとチェックするだけでも、30分くらいは軽くかかりそうだ。


『これを雑談をしながらきちんと見る、というのはちと無理があるな』と感じた僕は、


「悪いけど、ちょっと作業に集中したいので、30分ほど自習していてくれないかな、姫子くん」


そう頼むと、姫子は素直に「分かりました」とうなずき、手元に世界史の参考書を広げて、黙読を始めてくれた。


それを見て僕は安心し、さっそく作業に取りかかった。


まずは、英語からだ。


和文英訳、これは50満点中の50点。


文句なしのパーフェクトだ。


それも僕にはとても思いつかない、ネイティブ・スピーカーでなくては知らないような文章表現をしている。


さすが、バリバリの帰国子女だな。


「姫子くん、アメリカは何歳から何歳までいたんだっけ?」


答案をめくりながら僕が尋ねると、姫子はこう答える。


「生まれてから小学4年くらい、つまり10歳ごろまででしたね」


「そうかぁ、きみは言語形成期の大半をアメリカむこうで過ごしたんだ。


そりゃ英語は出来て当然だよな」


「えっ、まぁ、そうですね。


でも、肝心の日本語のほうがちょっと怪しいんですけど」


そう言って、舌をチロリと見せた姫子だった。


続いては、英文和訳。


こちらは50点満点中48点。惜しい!


よくよくチェックすると、その2点の減点は文章表現の間違いというよりは、表記の間違いによるものなのである。


具体的に言うと、experimentの訳を「実験」と書くべきところ「実検」と書いてしまったり、sunnyを「快晴」でなく「快清」と訳してしまったりしている。


たしかにふたつとも誤った表記なので減点対象になってしまうのだが、それにしても「もったいない」の一言だ。


そんな些細なミスさえしなければ、100点満点が取れたのだから。


ほかの答案もおおよそそんな感じで、姫子の実力のほどがうかがえたが、やはり残念なミスも必ず何か所かあった。


『うーむ、英語の能力はほぼ完璧。でも、解答を書く段階で日本語を間違えてしまうとはな。


思わぬ死角があったもんだ』


僕は心の中で、深く溜め息をついた。


検査インスペクションはさらに続く。


英語の次は国語である。


現代国語は、英語に比べるとさすがにパーフェクトというわけにはいかなかった。


英語のときにも見られた表記の誤りをはじめとして、表現の誤り、例えば「うさんくさい」を「水臭い」の代わりに使ってしまうような間違いがいくつも見られた。


日本での生活期間が短い、それゆえに日本語ならではの表現を使い慣れていないことが、明らかに不利に働いているのだろう。


文章の読解力そのものはそれほど低くないようなのに、アウトプットの部分で相当損をしているように思えた。


あと、漢字を正確に書くのはとても苦手のようだ。


横線を三本書くべきところを二本で済ませてしまったり、はねるべきところを止めてしまったり、点の置き場所を間違えていたりと、枚挙にいとまがない。


僕はわりと「漢字博士」なひとなので、そういうのってとても気になるのだ。


採点者もそれらのミスをすべて指摘して減点対象にしているわけではないからいいようなものだが、もし採点者がえらく神経質なひとだったり、あるいはその日夫婦喧嘩をしたばかりで虫の居どころが悪かったりしたら、大幅減点を免れないだろうな。


結果、現国の得点は60点台からよくて70点台。


ちとお寒い。


姫子の日本語の文章や漢字・熟語関係には、まだまだ改善すべき点が多いな、そう感じた。


一方、古文はどうかというと、こちらは現国以上につらいものがあった。


現代語訳は、半分以上古語の意味がわかっておらず、意味不明な訳文が続き、頭を抱えてしまった。


長年、日本語の文章を書物で読み慣れていれば、ここまで珍解答を書かずに済むはずなんだろうが。


土台である現代語自体がかなりテキトーなので、まして古語をや、なのである。


古文の得点は、赤点こそ取ってはいないもの、5〜60点台が多い。


ついでに言えば、漢文も似たようなレベルである。


漢字が苦手なんだから、いいわけがない。


そんな感じで、この国語力だと普通、私大文系それも上位校を狙うのは相当無理があるのだが、ひとつだけ姫子にとって、大きな福音があった。


なんと彼女が志望する(そして僕の母校でもある)明応めいおう大学には、受験科目に「国語」がないのだった。


それもすべての学部で。文学部にすらない。


こんな大学、フツーないよね?


僕が大学を受験した2年前に、誰かほかの受験生が言っていたのを聞いたところでは、


「日本人なら日本語が出来て当然のことだから、あえて受験科目から外してるみたいだぜ」


とのことだったが、真偽のほどはよくわからない。


僕の個人的な意見では、国語は公平な採点基準を決めるのが他の科目より難しいからじゃないかって気がする。


もちろん、その分析にも大した根拠はないが。


でも、きょうこうして、姫子の答案をチェックしているうちに気づいたことがある。


特に「国語」という受験科目がなくても、他の科目でも十分、受験生の国語力を知ることが出来るんじゃないかって。


英語だろうが社会だろうが、あるいは理科系の科目でも、答案の大半は「日本語」によって書かれるのだから、どの科目でも国語力は必須なのである。


大学側はそのことに気づいたからこそ、あえて国語を受験科目から外したのではないだろうかと、今の僕はそう思っている。


文系学部でも国語の試験がない、特に苦手な古文・漢文がないということは、英語が飛び抜けて出来る姫子にとっては間違いなく有利な条件だ。


これを活かすしかない。


とりあえず、受験以外の科目の補強は考えなくていい。


極端な話、卒業さえ出来れば、赤点さえ取らなければいいのだ。


もちろん、推薦枠入学を狙う手合いならばそんな適当なことではダメだろうが、姫子はそんなことを考えているとは思えない。


おおよそ、僕の腹は決まった。


英語に関しては、ほとんど不安点はない。


一部補強は必要だが、それは英語力というより国語力の問題。


受験での残る一科目でどれだけ点が稼げるかということが、合否の決め手となるだろう。


そこで、次は社会科の試験結果を見てみる。


姫子の通う高校は私立ということもあってか、かなりフレキシブルなプログラムを組んでおり、世界史や日本史も一年次から指導を始めているようだ。


一年より二年かけた方がより深いところまで習得出来るから、ということだろう。


僕が思うに、女子生徒たちは明らかに地理や政経、倫社あたりよりも歴史を好んで選ぶ傾向があると思う。


そこに彼女たちのロマン志向、文学趣味をかき立てるものがあるからだ。


姫子は模試では世界史を選んでいた。


日本人として生まれてきてはいるが、日本での生活の短かさから考えても、これは彼女としてはごく自然な選択なのだろう、そう感じた。


果たして、点数は70〜80点程度とかなり高い。


これはかなり期待大である。


世界史以外の社会科は、かなり点数が低めだ。


学校の試験にせよ、模試にせよ、おおむね60点台。


さて、残るは理科系だが、それはしょせん受験科目外。


今後、追々見ていくのでもいいんじゃないかと思う。


時間も既に30分ほど経ったので、僕はひとまず答案用紙を整理し、紙袋にしまってからこう言った。


「受験に直接関わってくる科目は、ほぼ全部見させてもらったよ、ありがとう。


これからの対策も、しっかりと見えてきた。


大学受験までの、ロードマップってヤツさ」


それを聞いて、姫子も興味津々といった表情で大きな瞳を僕に向けてくる。


「とりあえず当分の間は、日本語りょく強化月間にしよう」


僕のその言葉を聞いて、姫子の両目がハテナマークになったのは言うまでもない。(続く)

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