#16 気になる美女たち

アルバイト先の居酒屋の店長、櫻井さくらいに家庭教師の件を話し、金曜日に代役として名越なごし彩美あやみに入ってもらうという条件で彼の了解が取れたことで、僕はようやく不安な気持ちが落ち着いたのだった。


あとはきょうの閉店まで、フルに働く。それだけだった。


名越にはアルバイト決定の件を、閉店後にメールで伝えておけばいいかな。


さっそく、僕は店内の掃除やら食器の仕度やら、開店前の準備を始めた。


店長も、食材の在庫チェックや注文の電話や何やらで、やたら忙しそうだ。


三十分余り経つと、開店時間の午後五時になった。


花のフライデーナイト、いよいよ本番である。


       ⌘ ⌘ ⌘


やはりというか何というか、いつも通り、あるいはそれ以上に忙しい金曜日になった。


初っぱなから四、五人のグループ客が数組、店内になだれ込んできて、店長以下七人のスタッフはほぼフル稼働状態になった。


おまけに六時からは十人ほどの団体客の予約も入っていて、店長はそのコース料理の準備も始めていた。


まあ、そのへんは熟練のシェフ、手際の良さははたから見ていても惚れぼれとするほどだった。


アトランダムにやって来る、お客の諸々のオーダーを片付けながらも、その一方でコースもきちんと人数分準備していく。


とても素人の僕には出来ないワザだなと、感心するばかりだった。


そんな状態がしばらく続いたが、六時半を回ったあたりのことだった。


吹き荒れていたオーダーの嵐がいったん止んで、凪のような時間がぽっこりと生まれていた。


とりあえず厨房の片隅に立ってひと息ついていた僕に、店長が意味あり気な目配せをして、こう言ったのだ。


「あれ? あそこにいらしているお二人さん、モブくんのお知り合いじゃなかったっけ?」


店長が指差す先を見ると、見覚えのある二人の若い女性がレジのところに立っていた。


ともに髪はセミロング、仕立てのいいスプリングコートを着ていて、いかにもお給料のいい会社に勤めているOLふうだ。


一人は僕の従姉いとこ、つまり佳苗かなえ伯母おばさんの一人娘、三山みやま深雪みやき


もう一人はその友人で、名前は確か篠山しのやまレイとかいっていたと思う。


「じゃあ、案内よろしくな」と店長に促され、僕は二人のもとへ早足で歩み寄っていった。


「深雪ねぇ、どうもありがとう。


僕がここで働いているのを気にかけてくれていて。


篠山さんも、ご来店どうもありがとうございます」


そう二人に挨拶すると、深雪姉(僕は彼女をもっぱらこう呼んでいるのだ)は、いつものサバサバとした調子で、口を開けて笑いながらこう言った。


「いえいえ、どういたしまして。こちらこそ、なかなか来れなくてごめんね、ヨシト。


相変わらず、仕事がめちゃくちゃ忙しくてさぁ。


でもきょうは校了こうりょう明けでわりとヒマだったから、久しぶりにレイを誘って飲みに来ちゃった。


普段は無理だけど、きょうはフツーのOLみたいに花金を満喫するんだ」


続いて、篠山嬢がこう言った。


「ヨシトくん、お久しぶり。前回は去年の秋、三か月くらい前だったかしら」


僕は無言でうなずいた。


「深雪と会うのも久しぶりなの。きょうはよろしくね。


それから、わたしのこと、苗字じゃなくてレイでいいよ。


深雪はヨシトくんに下の名前で呼んでもらえるのに、わたしは苗字とか、距離感ありありなのよね」


と言って、悪戯いたずらっぽく笑った。


僕はこう答えた。


「分かりました。レイさんと呼ばせていただきます」


そこに深雪姉が、割って入った。


「ふぅん、オトコとの距離の詰めかたとか、レイってそういうところ、上手うまいよねぇ。


不器用なわたしは、参考にしないと」


「何言ってんのかしら、深雪」


「ハハハ」「フフフ」


そこで二人は無邪気に笑いあった。


以前にも少し触れたことがあるのだが、三山深雪は西北せいほく大学を昨年三月に卒業して、今は神田にある大手の出版社、市民社しみんしゃに勤めている。


そこの看板雑誌である「ファム(FEMME)」という女性誌の編集者をやっているのだ。


所属はヒューマン班。いわゆる著名人のインタビューが中心の仕事担当だ。


女性誌というとファッション、ビューティみたいな実用的なジャンルの記事がメインと見られているけれど、一方でジャーナリスティックな記事もちゃんとあるのだ。


これは、誰にでもできるという仕事ではない。


この国でトップにいる人たちに話を聞く以上、聞き手にも幅広い知識、高い見識が求められるのだ。


深雪姉は目力の強い、鼻筋も通ったいわゆる美人タイプで、十分に女性としての魅力はあるのだが、性格的にはわりとサバサバとしていて男っぽいところがある。


その辺はやはり佳苗伯母さんの娘、ということになるのかな。


そういう、思い切りのいい性格や社会問題に対する関心の高さを買われて、入社一年目の若さにもかかわらず彼女はヒューマン班に選ばれたのだろう。


でも、出版社の仕事はとんでもなく忙しいらしい。


伯母さんから聞いたところでは、週の大半は深夜まで残業をして、タクシーで帰って来るのがデフォルトだという。


きょうみたいに一般的なOLのごとく居酒屋で友人と飲み会、なんて滅多に出来ないことなのだ。


深雪姉のテンションがいつになく高いのも、納得がいく。


一方、篠山レイは、深雪姉に比べるともう少し普通のOL寄りの仕事をしている。


彼女も深雪姉同様、西北大学卒なのだが、何か特別な伝手つてでもあっただろうのか、大手広告会社の「メトロポリタン・アドバタイジング」に勤めている。


その本社ビルは汐留にあり、この店のすぐそばだった。


そこは大企業の幹部クラスの息子たち、娘たちが数多く入社しているので有名な会社なのだ。

口の悪い人々によれば「コネのメポ」とも言われているとかいないとか。


まあ、それはともかく、彼女は媒体局という部署でアシスタントという名の雑用係をやっているそうだ。


深雪姉と違って、アフターシックスのスケジュールはたいてい空いているので、夜はもっぱら合コン三昧らしい(深雪姉情報による、念のため)。


篠山嬢も、客観的に見るとなかなかの美形である。


深雪姉に負けず劣らず目鼻立ちがはっきりしている上に、化粧品などを扱うことの多い職業柄だろうか、メイクもなかなかうまい。


深雪姉はどちらかと言えばナチュラルメイク系であるのに対して、篠山嬢は欧米風というかハリウッド風の「メリハリ命!」なメイク。


オトコ受けはどちらなんだろう。僕的には、ナチュラルなほうがわりと好みではあるが。


そんな美形二人組が登場したことで、それまでは男性サラリーマンのグループだらけで、オトコくさい雰囲気だった店内にも、ちょっとした華やぎが生まれたように僕は感じた。


つい、美女二人のやり取りをニマニマしながら眺めていたのだが……。


と、いけないいけない、いつまでも友達モードで接していては。


今は仕事中だ。席への案内を忘れるな!


僕は気を引き締め直して、二人に丁寧な口調で尋ねた。


「すみません、きょうはこんな感じで席が非常に混んでおりまして、カウンター席しかご案内出来ないのですが、よろしいでしょうか?」


すると、深雪姉が「もちろんだとも」と言わんばかりに首を縦に振った。


「オッケーだよ。むしろそちらの方が落ち着くぐらいだよ、ねえレイ?」


「そうね。わたしもカウンターでまったく構わないわ」


「ありがとうございます」


僕は二人を、厨房がガラス窓越しに見えるカウンター席に案内し、さっそく飲み物のオーダーを聞いたのだった。


       ⌘ ⌘ ⌘


深雪姉と篠山嬢は、僕が運んでいったジョッキ入りの生ビールを手に、話に花を咲かせていた。


そりゃあ、久しぶりに会えば、話題は積もりに積もっていることだろう。


だが、僕はそれを厨房の中からガラス越しに眺めることは出来ても、さすがにその中に加わることは出来なかった。


もちろん勤務中であることがその一番の理由ではあったが、かてて加えて、僅かな会話を交わす時間さえ取れないくらい、その日の客数は半端なく多く、忙しかったということだ。


きょう深雪姉が他の店ではなくここに来たということは、篠山嬢と話をするためだけでなく、おそらく僕にも何かしたい話があるのではないかと思う。


でも、この混みようでは、そういう私的な会話はとても無理なように思えた。


あと、そういう行動をためらわせる理由としては、店長の日頃の言動によるところも大きかった。


これまでのアルバイトたちの中には、自分の友人や知人に客として来てもらい、店に貢献しているつもりのやつがけっこういたのだが、その結果、お店がアルバイトとその友人知人たちとの雑談の場所になり、店の雰囲気が悪くなってしまったことを、店長はおよそ歓迎してはいなかった。


持ち場を離れて客と長話をしているアルバイトに、店長は遠慮なく注意した。


「ここはきみの仕事場なんだ。いくらヒマだからと言っても、プライベートなノリを持ち込まれては困るな」


「友達とのそういう話は、仕事を完全に離れたところでやってくれないか」


何人かはその注意を聞いて行動を改めたのだが、中にはそれを不服としてアルバイトを辞めた者もいた。


そんな場面を何度となく目撃している僕としては、お客との私的な会話は、極力慎まざるを得ないのだ。


そんなことをボーッと考えていると、厨房の片隅にあるボードに、オーダーが来たことを示すランプが点灯した。


3番テーブルだ。さっそく行かねばならない。


そんな感じで、時間はどんどん経っていった。


深雪姉たちがやって来てからも二時間以上が経ち、予約のグループ客の会合もお開きになると、それまでの驚異的なまでの忙しさはようやく和らいで来た。


深雪姉たちも、食べるほうはあらかた済んだようで、飲み中心のモードに入っていた。


「あ、オーダーお願いね!」


他のテーブルに料理を運んでいた僕に、後ろから声がかかった。篠山嬢の声だ。


すぐにカウンターに向かうと、深雪姉がこう言った。


「バーボンソーダふたつ、追加ね。


それにちょっと、お願いがあるんだけど……」


「なに、深雪姉?」


「うーんと、仕事中悪いんだけど、五分でいいからヨシトと話がしたいから、店長に許可をとって欲しいんだけど」


「ホントは店長とも話がしたいんだけど、それはどう考えても無理でしょ」


照れくさそうに、篠山嬢が付け加える。


そうそう、店長って二十代の女性に絶大なる人気があるんだよなぁ。


その手のお客が、ガラス窓越しに見える店長を見てうっとりとした表情を浮かべているのを、何度目撃したことやら。


でも彼はどんな美人にだって、自分のほうからすり寄っていったりはしない。挨拶にさえ来ない。


「お店の代表者、みたいなふうを装うのは僕の好みじゃないのさ」とかその理由をいつか言っていたな。


そういうクールなところが、ますます店長の人気を高めているのかもしれない。


篠山嬢、あんたも店長推しだったのかよ。

まったく、けるね!


ともあれ僕は、深雪姉にこう答えた。


「今なら仕事にゆとりがあるから、大丈夫かもしれない。


ほんとに、五分だけってことならね。


店長にお願いしてみるわ」


それを聞いた深雪姉は、両手を合わせて謝意表明のポーズをした。


僕は厨房に戻り、ドリンクのオーダーを伝えるとともに、店長にこう報告をした。


「カウンター席のお二人に、僕に五分だけ話の相手をしてほしいというオーダーを頂戴しました。


延長なし、本当に五分きりということですので、お相手してよろしいでしょうか?」


おずおずと尋ねて店長の顔つきを見ると、彼は軽くニヤッと笑ってこう答えた。


「わかった。いいよ。本来は望ましいことではないけれど、きみの日頃の働きぶりに免じて、今回は許してあげよう。


他のスタッフの目を意識して、目立たないようにうまくやってくれ」


「ありがとうございます」


そうやって店長にお墨付きをもらった僕は、ガラスの向こうの二人に、指二本でOKサインを作って見せたのだった。(続く)

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