#14 男女平等への道

すべてを知りたい女・名越なごし彩美あやみに請われて、僕・茂部もぶ凡人よしとは家庭教師という新しいアルバイトを始めるに至った、わが家の経済的事情を彼女にあらかた話してしまった。


名越はいたって恐縮していたが、下手に隠しておたがいの気持ちに妙なわだかまりが出来るよりはマシだと僕は思っていたので、秘密を話すことにさほどの抵抗はなかった。


むしろ、赤の他人である名越に、この特殊な事情を他言しないよう守秘義務を課してしまったことを、申し訳なく思ったぐらいだった。


初めてふたりに「共通の秘密」が出来てしまった。

そうとも言えた。


笑顔を取り戻した名越は、ふと気づいたかのようにこう言った。


「わたし、おわびに、モブくんのために何か出来ることないかなぁ?


そうだ、居酒屋のアルバイト、もし出勤日を減らすことになったら、人手不足になる分、わたしが代わりに入るってのはどうかな?


いわゆる『トラ』ってやつだよ。


うん、われながらいい案だと思うよ!」


僕はちょっと驚いて、こう返事した。


「おいおい、名越さん。そう言ってくれるのはほんとにありがたいけど、もしそうなると花金はなきんにもアルバイトをすることになるんだぜ。


それって、大丈夫なのかい?」


すると、名越はにっこり微笑んでこう答えた。


「うん、大丈夫。金曜日だって平気だよ。そんなに週末いつも遊びまくっているわけじゃないから。


それにわたし、ここのところ、着るものとか物入りが多くてちょっと金欠気味なんだ。


少し働いて、お金を稼ぐ必要があるかなって思ってたところなの。


きょう、アルバイト先でモブくんの代わりの働き手が欲しいって言われたら、知り合いに名越って子がいて彼女が入れますって言ってね。


そうすれば、モブくんも金曜日に家庭教師をしっかりと出来るでしょ?」


「そうかい。そりゃあ、本当にありがたい話だ。


でも、名越さん、飲食業のアルバイトってけっこうハードだよ。やったことあるの?」


「居酒屋は、さすがにないわね。


でも、ファストフードのスタッフとか、喫茶店のウェイトレスとか、どれも短期間だけどやったことがあるから、接客のほうはバッチリよ。


厨房のほうも少しやらされたことがあるけど、わたし普段から自炊しているくらいだから、そちらも大丈夫なの。まかせといて」


「ふぅん、うちの大学の女子ってあまりその手のアルバイトをしているひとはいないって印象があるけど、名越さんは意外と経験があるんだね。初めて知ったよ」


「それは……東京出身の子たちのケースね。


わたしのように地方から出て来て、親からの仕送りで学生寮住まいをしているような子は、けっこうお金には苦労しているものなのよ。


いくら手持ちのお金が足りないからと言って、親に無制限にねだるわけにはいかないでしょ?


学費や寮費ならともかく、おしゃれ関係で仕送りの追加請求をするのは、やはり気がひけるわ。


水商売のアルバイトは親から止められているけど、ふつうの飲食業ならオッケーだから、そういうのをときどき短期的にやって、金欠をしのいでいるの」


「ふぅん、そうなんだ。えらいねぇ、名越さんは。


女子って、お願いすればたいてい親が言うことを聞いてくれるんじゃないかと思っていたけど」


名越はそれを聞いて、少し沈んだ表情になった。


「そう言われてしまうのが、わたしたち女子の不徳の致すところだと思うわ。


この日本くにで男女が法律上は平等、同権になってもう七十年以上も経つじゃない。


でも、実際はどうかしら。まだまだ、女子のがわは男子におごってもらうのが当然と考えている子が多いし、男子だって女子に払わせるのは恥だと考えているようなひとが少なくないように思うの。


女子の側にも、そのことについては言い訳があって、『平等のはずの日本社会でも、まだまだ男女間に賃金格差があるんだから仕方ないでしょ?』みたいに言うのが常みたい。


男女雇用機会均等法も作られて、同一労働同一賃金という原則もあるにはあるけど、実際には男女の雇用は同数ではないわ。特に大手企業では。


明らかに女子の正社員を少なめに『雇用調整』して、男子の既得権を温存しているわ。


そういう理不尽な状況なんだから女が男からおごられて当然、という考え方がいまも根強いの。


でも、そういう考え方のままだから、いつまでたっても男女平等の世の中が実現しないんだと言えなくない?


男性に上目遣いでネコ撫で声を出して甘える女性が、甘えることを潔しとしない女性よりも幅を利かせる社会じゃ、まだまだダメでしょ。


『権利の享受だけでなく、義務のほうも男性と同じように果たします』と女性側がはっきりと宣言しないと。


わたしが思うに、ほんとうの男女平等は法制度上で実現するのでなく、経済的に男女おのおのの持つ資産がフィフティフィフティになったときに、初めて実現したと言えるんじゃないかしら」


名越が思わぬところで、期待してもいなかった熱弁をふるってきたことに、僕はいささか面食らってしまった。


とはいえ、彼女が主張していることに論理的になんらの間違いはないように思う。


僕が今しがたうっかりしてしまった発言のほうが、古くからの男尊女卑的な思想によるものだなという気がして、少し恥ずかしくなった。


一見ギャルっぽい派手な外見からつい誤解されがちなのだが、名越は女子学生がいまだに少数派である経済学部の門を叩くだけあって、社会問題について常に鋭い視線を投げかけているひとなのだった。


「確かに、名越さんの言っていることは的を射ていると思うよ。


女性がみずから稼いだ金銭でなく、男性の持つ資産を当てにしているうちは、真の男女平等は生まれないのかもしれないな。


資産の均等化は、何代もかけて相続を繰り返すことによってようやく実現されるのだろうけど、だからと言ってそれを待っていると、あと半世紀はゆうにかかるような気がする。


むしろ、僕たち男性の意識改革こそ、急ぐべき課題なんだろうな。


今、自分たち男性が大半を保有している資産は、本来半分は女性に帰属しているものであると考え直していかないと」


「そうだね。そういうふうにちゃんとわかっている男性、実はとても少ないと思うわ。


でも、モブくんはわかってくれてたんだね。


今の発言を聞いて、ホッとしたよ」


そこでようやく、再び笑顔を取り戻した名越だった。


視線を落とすと、話にすっかり気を取られているうちにいつのまにか、ランチのメイン料理、ポークソテーがテーブルに運ばれているのに気づいた。


「おっ、料理が来てたね。冷めないうちに食べないと」


「そうね、いただきましょう」


ふたりはそれから、ナイフとフォークを使いながらメインディッシュを味わった。


「寮住まいって言ってたけど名越さん、場所はどこだったっけ?」


「いちおう二十三区内よ。イーストサイドというのかしら、江東区こうとうく白河しらかわにあるの。


大学にも三十分以内で来れるから、わりと便利がいいわ。


モブくんはベイエリア、港区みなとくしばあたりって聞いてたけど?」


「きみは僕のこと、よく知っているな。


たぶん、ナベあたりから聞いたんだろうけど」


僕は名越と共通の知り合い、教養で同じクラスの渡邊わたなべの通称を口にした。


名越はうなずいた。


「正解よ。アルバイトの話も、渡邊くんから聞いたわ。


学校にも近いし、都内どこにも出やすい場所でいいわね。おしゃれっぽいし」


「まあね。生まれてからずっとそこに住んでいるよ。


そういえば、居酒屋も近場を選んで、汐留しおどめにしたんだ。


某テレビ局とか、広告会社の社員とかがよくやって来る」


「そうなの。それは、わたしにとっても好都合だわ。


モブくんの代打になっても、そこなら地下鉄一本で行けるしね」


名越は無邪気に笑った。


もう、アルバイトの代打が確定事項のような口ぶりだった。


ふと気づいて、僕はこう口にした。


「そういえば、名越さんの連絡先とか、まだ知らなかったような気がする」


「そうね。これで今後はいろいろ連絡を取る必要が出てきたから、交換しないとね。


モブくん、スマホは何を持ってるの?」


「アイフォンSEだけど」


「わたしもアイフォン。XSよ。じゃあ、簡単ね。


モブくん、ふだんは迷惑防止でオフにしてるだろうけど、エアドロップをオンにしてね」


そう言って、名越は僕のよりはかなり大きめのスマホを取り出して操作を始めた。


僕もほとんど条件反射的にスマホを取り出し、設定を変更した。


ほどなく名越からのデータ送信を受けて、僕のアイフォンはエアドロップのダイアログを表示した。


「連絡先カードの共有」の「受け入れ」を、僕はそのまま承認した。


あっという間に、ふたりの連絡ルートは開通したのだった。


       ⌘ ⌘ ⌘


それからしばらく食後のコーヒーを飲みながら話を続けたが、午後の授業はふたりの科目が別々だということがわかった。


「じゃあ、もし、居酒屋の代打が本当のことになったら、連絡をちょうだい。


あ、そうだ。アルバイト採用にあたって、履歴書って必要になるわよね」


「うん、まあね。それを見て、落としたりすることは百パーセントないと思うけどね。


実家の身元さえはっきりしていれば、オーケーだと思う」


「わかったわ。ありがとう」


「いや、お礼を言うべきなのは僕のほうさ。


持つべきものは友達だな。感謝するよ」


そう言うと、名越は無言で大きくうなずいた。


「そろそろ、午後の授業も始まる時間だから、行こうか。お勘定をしないとな」


そう言って僕はヒゲのマスターを呼び、財布からお札を取り出して、二名分の食事代を払おうとした。


とたんに、名越から強めの口調でツッコミが入った。


「ダメよ、モブくん。さっきも言ったばかりじゃない。


世の中、おごられて喜んでいる女子ばかりじゃないのよ。


ここはきっちりと割り勘にしましょう」


そうだった。こういう「おごって当然、おごられて当然」みたいな考え方、やり方が、男尊女卑社会の存続を許しているのだった。


「ごめんごめん、つい習慣でやっちまった」


「はい。わかればけっこうです」


そう言って、名越は自分のぶんの食事代を僕に渡してくれたのだった。


「ポムドテール」を出て、僕と名越はキャンパスまでの道のりを並んで歩いた。


名越の背丈はだいたい平均ぐらいで、きょうは短かめのスカートに合わせて少しヒールの高いロングブーツを履いているので、同じく中背の僕との身長差は5センチ強ぐらい。


ちょっと視線を横にやると、コート越しながら先ほど僕をとまどわせた「谷間」がまた視界に入ってきてしまった。


ヤバい。ドキドキが再発してしまう。


なんとか視線を前方に戻して、何食わぬ顔で僕はこう言った。


「それにしても名越さんって、いつ見てもおしゃれだよね。


経済学部女子ではピカイチだと思うよ」


「そう? 特に気合いを入れておしゃれをしているわけではないけどね。


いたってフツーよ。強いて言えば、地政学的に有利ってことはあるかもしれないわね」


「地政学的に有利って?」


「『オタサーの姫』みたいなものよ。ただでさえ女子率が低く、しかも文学部女子あたりよりはお堅めの女子が多いこの学部では、ちょっとだけハデな格好をすればけっこう目立ってしまうってこと。


でも、本当におしゃれ命、みたいなひとと並べるとわたしなんてパチモンだけどね」


そう言って、名越は口を開けて笑った。


そして、並木道の一角で立ち止まって、僕を見つめた。


「わたし、これでも親元にいた頃は真面目一本やりの優等生だったのよ。三つ編みにメガネだったもの。


地方ってわりと閉鎖的な社会じゃない?


いつも『近所の目』を気にしないといけない。


だから、猫をかぶっていたの。


今は、ようやく本来の自分を素直に出せるようになってきたわ。


わたしだってひとの子。


おしゃれだって、恋だって、ひと並みにしたいの」


そう言って、名越は両手を飛行機の両翼のように広げ、身体からだをぐるりと一回転して見せた。


「モブくんも、人目ばかり意識せずに、生きたいように生きていったほうがいいと思うわ。


時には本能に忠実になったほうがいい、かもね」


名越はそこでいたずらっぽく笑った。


彼女の言っていること、というかなぜそんなことを言い出したのかが、僕にはまったく不明だった。


「ん? 本能ってどういう意味?」


僕の問いに、名越はこう答えた。


「説明しましょうか、こういうことよ。


きょう会ったときからモブくん、ずっとわたしの胸のことが気になっていたのは、知っていたわよ。


最初のうちは視線が泳いでいたし、そのうち、露骨にわたしの胸から視線を逸らすようになってしまっていたわ、不自然なほどに」


それを聞いた僕の顔は、一瞬にして仁王の如く赤く染まった。


ま、僕自身には見えるわけもないが、そうに違いない。


まるで、顔がメラメラと音を立てて燃えるようだったから。


全部、お見通し。そういうことだったのか。


名越は、言葉を続けた。


「そして、それを責めるつもりなんかこれっぽっちもないわ。


責めるぐらいなら、こんな格好、最初からしない。


わたしはね、モブくん、女子の側には『見せたい』という気持ちがあることを知って欲しいの。


だから、変に視線を逸らす必要はないわ。


もちろん、『どれどれ』と身を乗り出して覗き込んでこられたらドン引きだけど、わたしの胸、そして胸の谷間がモブくんの視界に入って来ることを拒否しないで欲しい。


見ていないフリなどしないで欲しい。


わたしの存在まで無視され、否定されているように思えて悲しいから。


次回からは、ちゃんと正視して欲しい。


わたしの願い、聞いてくれるよね?」


すいません、もう勘弁してください……。


先ほどから完全に戦闘能力を奪われていた僕は、一言だけ、力なく答えた。


「う、うん、わかった」


「ありがとう。じゃあまた、来週ね。


あ、サークルの本も楽しみにしてるから」


笑顔でそう言うと、名越はこれから授業がある校舎の中へ、そそくさと消えていった。


後には、取り残された僕ひとり。


「なんなんだろ。


女子の気持ちって、よくわからん……」


そう呟く僕に、午後の授業開始を知らせる鐘の音が聞こえてきたのだった。(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る