#13 好奇心の強い女

名越なごし彩美あやみに、僕が過去にライト文芸サークルで書いた小説を読みたい、それが載った本が欲しいとねだられ、次の経営学の授業には持って来ざるを得なくなった僕、茂部もぶ凡人よしとだった。


名越って本っ当に好奇心が強いんだな、参ったなー。


いきなりの依頼に泡を食っていた僕に、名越は追い討ちをかけるようにこう言った。


「ところでモブくん、来週、どこかいている日ってない?」


僕は一瞬、返す言葉を失った。


……沈黙。


ひと呼吸おいて、ようやくこう答えた。


「えっ、今なんて言ったの?」


「来週、空いている日がないかって聞いたのよ」


ざわ、ざわわ……僕の心の乱れはさらに拡大した。


ま、まさかの……?


恐るおそる、彼女にこう確かめてみた。


「そ、それって、もしかしてデートかなんかの誘い、なの?」


すると名越は、急に体をらしてアハハハと笑い出した。


「なぁに言ってるのよ。そんなんじゃないわよ。決まってるじゃない」


見ると、確かに彼女は顔色ひとつ変えていない。


もし、デートに誘おうというのが本心なら、ここはひとつ顔を真っ赤にするところなんだろうが、まったくそんな感じではない。


僕は半分がっかり、半分ホッとするという複雑な心境で名越の説明を聞いた。


「来週のあたまからイベントが始まるのよ。『ビジネス・アヘッド ー2050年の産業トレンド−」というタイトルで、これからのビジネスがどう変わっていくのかを予測する展覧会がお台場であるのよ。


どう、面白そうだと思わない? それに一緒に行こうって提案よ」


なるほど、ひと組の男女が行くところとしては、まったくロマンティックさのかけらもないイベントではあるな。

およそデート向きではない。


しかし、なんで僕に声をかけたんだろ?


その疑問をふところいだきながら、僕はこう答えた。


「それは確かに、とても面白そうなイベントだね。


でも、名越さん、仲のいい女子が何人かいるじゃない。


たまに学部の校舎ですれ違うから、知ってるよ。


なぜ彼女たちとは行かないの?」


名越は、うんうんとうなずいた上で、僕を見つめ直してこう答えた。


「だって、わたしの友達って、そういうことに興味を持っていないひとたちばっかりなんだもの。


お洒落とか、美味しいもの情報とか、芸能人のゴシップとかの話ばっかり。


そりゃ、わたしだって女性だから、そういうことにもふつうに興味はあるけど、せっかく大学、それも経済学部に入って勉強しているんだから、ビジネスや社会について男子学生と同じように広く関心を持って研究していかないとダメなんじゃないかと思うの。


大学の前半は受験から解放されて遊びまくり、後半は就職活動に追いまくられて、あっという間に四年間が終わり。


どこに学生の本文の「学問」があるのっていうひとが多すぎるわ。


これからは女子からも起業家がどんどん出て来るべき時代なのに、知っている女子の話を聞く限りでは、『働きたくなぁい』とか、『将来の夢は、勝ち組すなわち専業主婦よ』とか、そんな時代と逆行するような希望を語る子が多いの。なんか、トホホだわ。


だから、わたしは今回のイベントも女友達とではなく、ちゃんと社会に関心があって展示内容について語り合うことの出来る男子と行きたいのよ。


そこで、モブくんなの。


なんと言っても、モブくんのお父さんは時代の先端を行くIT企業の社長だしね」


そう言って、名越は白い歯を見せて笑った。


「そうか。理由はよくわかったよ。そういうことなら、納得がいくな。


でもさ、僕、来週はかなり予定が混んでて、時間が取れそうにないんだ。


せっかくの誘いだけど、行けそうにない。ごめん」


僕がそう言うと、名越はにわかに膨れっ面になった。


いかにも納得がいかず、不服そうな感じだ。


「えーっ、なんで? モブくんって、アルバイトだってそんなにやっていないんじゃない?


たしか、居酒屋の夜のアルバイトを週に二本ぐらいじゃなかったっけ?」


えっ、そんな話、名越にしたことあったっけ?


たぶん、してないよな。


うん、してないはずだ。


なんでそんなに、きみは僕の個人情報に詳しいの?


ちょとコワい。


おそらく、情報は僕の男の友人から流れていったに違いないけど、そういう些細なことをしっかりと覚えている名越は、好奇心が強いにもほどがある、そんな気がしてきた。


それはともかく、まずは彼女に僕が急に忙しくなった事情を説明せねばなるまい。


「いや、これまではそんな感じだったけど。


居酒屋のシフトも、多くて週三本止まりだった。


でも、今週、新しいアルバイトを追加でやることになったんだ。


つい昨日、決まった話なんだがな」


その言葉を言い終わらないうちに、名越は口を開いた。


「それって、どんなアルバイトなの、モブくん。


同じような飲食関係?」


ああ、そういうツッコミは来ることは、予想していたよ。


ほかならぬ名越だからな。


こうなりゃ、隠しだてしてもしかたがない。


彼女が納得するまで、とことん説明するしかないだろう。


「それは、いわゆる家庭教師ってやつだ」


「家庭教師? そうなんだ。


で、教える相手は?」


質問、凄くテンポよく畳みかけて来るよな、名越サン。 


被疑者を取り調べる刑事ばりだ。(苦笑)


「高校生だ」


「男子? それとも女子?」


「う…女子です」


そこでいったん、名越による取り調べは小休止になった。


なんでだろう、意図的なものを感じる。


実はもうひとつツッコミを入れたかったのだが、あえて控えたんじゃないかという感じがする。


しばしの沈黙の後、名越は話を再開した。


「そうだったのね。それで来週は何本か、家庭教師のアルバイトが入ってしまった。


そういうことなのね」


「ああ、その通りだ。とりあえず、月・水・金の三本は決まっている」


「で、居酒屋のほうは、どうなるの?」


「火曜日は今まで通りのシフトでいくことになると思うよ。


金曜日のほうは家庭教師とバッティングしてしまう。


きょうの夕方、お店に出勤してから店長に事情を説明して、別の曜日に変えてもらおうと思っているよ」


「ふぅん、調整がなかなか大変そうね。


特に、お店が忙しい金曜日から別の日に変更するって」


「そうなんだ。それが目下、いちばんの悩みごとだな。


店長の寛大なお人柄にすがるしかない」


「そういうことだと、来週は下手すると、月曜日から金曜日までベタで埋まる可能性もあるし、そうでなくてもせいぜい一日しか空かないってことになるわね」


僕は彼女の総括にうなずいた。


「その通り。で、実は……」


「実は、なに?」


「決まったばかりのそれ以外にも、別口の家庭教師もやることになるかもしれないんだ」


「えっ、またさらに?」


名越の大きな目がさらに大きく見開かれた。


驚きを隠し切れない感じだ。


「ああ、今回の家庭教師の口を紹介してくれたひとに、別件も頼んである。


もし決まれば、週にあと二本はやることになりそうなんだ」


「じゃあ、アルバイトを休みなくほぼ毎日やることになるわけ?」


「そう。当分はね」


「それって大変過ぎないかしら。モブくんの身体がもつか、心配だわ」


「ありがとう。でも、こう見えて体力にはけっこう自信があるほうなんだ。


最悪、スケジュール取りが難しくなったときは、これまでやってきた居酒屋に頼みこんで、シフトを週一に減らしてもらうことも考えてる」


名越はそれを聞いて、しばし口をつぐんでいた。


いろいろと考えているみたいだった。


そして、こう話し出した。


先ほどとは打って変わった、緊張感に満ちた面持ちで。


「ごめんなさい。これから、ちょっと立ち入った質問をさせてもらうわ。


気に触ったら、ゆるしてください。


でも、わたしの性分として聞かないままで済ませるということが出来ないの。


だから、あえてお尋ねするわ」


その言葉を聞いて、僕の方にも強い緊張感が走った。


「そこまで、家庭教師の仕事をいくつも引き受けるからには、モブくんにどうしてもそうしないといけない事情があるからだと思うの。違う?


わたしの知るモブくんは、基本とてもマジメなひとなの。


授業は滅多にサボらない。アルバイトも、学業に支障のない範囲でやるというひと。


クルマとかデートとか、遊び好きなひととは思えないから、家庭教師で稼いだお金をそういう使い道にまわすとは到底思えないわ。


だとしたら、学生でいるうちに会社を起したいということかしら?


そういうふうにも見えないわ。


だって、そういうひとって、大学の授業を受ける時間ももったいないとか言って、大学に来ないで仕事のほうにもっぱら時間をさくもの。


となると、わたしにはまるで想像もつかない理由で、アルバイトの掛け持ちを始めたんじゃないかって思う。


その事情、その背景を知りたいの。


もちろん、わたしのこの質問に、真っ正直に答えないといけないなんて決まりはないわ。


いやならば、回答拒否してもいいの。


でも、こんなわたしでもモブくんの力になれるのならばなりたい。


だから、教えてください。お願いします」


こう言って、名越は僕に向かって丁重に頭を下げた。


「おいおい名越さん、頭を上げてくれよ。


僕はアルバイトを増やした理由を、どうしても言いたくないってわけじゃない。


今から、ちゃんと話すから」


聞かれない限り、僕はわが家の事情を話すつもりはなかった。


が、こと名越彩美という「すべてを知りたい女」が相手となれば、最後まで隠し切るのは実に無理があった。


当然のごとく情報開示を拒否したところで、今度は僕のがわに精神的なしこりゝゝゝが残ることは、間違いない。


僕は覚悟を決めて、説明を始めた。


「父の経営する会社、モブアンドカンパニーがこの七月末で解散することになってしまったんだ。


昨日の朝、決まったばかりのことだ。


解散理由は、ライバル会社に下請けの扱いを奪われての業務不振。


うちの家族や社員へのダメージを最小限に防ぐため、支払い能力のあるうちに解散ということになった。


そういう事情で、会社の資金をまわせなくなり、来月末までに払う僕の学費は僕自身が稼がざるを得なくなった。


いちばん効率的に稼げる家庭教師を複数口受けることで、なんとかこの急場をしのげるだろうと考えて、一年のときにも世話になった伯母に頼んで紹介してもらった、そういうわけさ」


その説明を聞き終えた後、名越はしばらく沈黙していた。


そしてゆっくりと話し出した。


「おうちにそういう大変な事情があったのね。


ごめんなさい。わたしったら、まったく考えもつかなかったわ。


それにさっきはモブくんのこと、御曹司だとか無神経な呼び方をしてしまったわね。


それもどうかゆるしてください」


名越の謝罪を聞き終えた僕は、静かに口を開いた。


「名越さん、僕はきみの言ったこと、別に気にしてはいないよ。


事情を知らなければ、そういう言い方をしてしまってもしかたがないと思う。


そもそも僕自身、昨日きょうのことをリアリティを持って受け止められていないように思う。


いまだに、これって夢の中の出来事じゃないかと思っていたりする。


でも、まぎれもない事実なんだけどね。


だから、名越さんが想像さえもしなかったということ、よくわかるんだ。



この解散のことは、まだメディアでは報じられていない。


父はいま、公表すべき時機をうかがっているはずだ。


事業の清算を有利に進めるために、情報開示のタイミングって重要だからね。


今、名越さんにお願いしたいことはただひとつ、この解散情報を他言しないこと、それだけだ。


父から特に命じられたわけじゃないけど、そのくらい経済学、ビジネスを知る者のひとりとして、当然のことだと思うのでね。


よろしく頼みます」


そう言って、僕は名越に頭を下げた。


名越はあわてて、手を振ってこう答えた。


「もうモブくん、申し訳ないのはわたしの方なんだから、頭を上げてよ。


もちろん、このことは一切口外しないよ。


名越彩美、神かけて誓います!」


立ち上がり、右手を高く掲げたポーズで宣誓する名越。


狭いお店の中でそんなことをしたら、目立つって。


でも、なんだか愛嬌があって微笑ましい。


僕もこう返した。


「ありがとう、名越さん。安心したよ」


そこでようやく、僕にも名越にも笑顔が戻ったのだった。(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る