第7羽 トロイカシュレップ

アイシャが戻ってくる頃には朝食の時間が近付いており、三人は食堂へと向かった。

幸いにもフェリシアの食欲は回復しており、食後には顔色も改善を見せていた。

その後猛烈な眠気がフェリシアを襲ったため、結局その日は一日休息とし、問題解決は翌日以降に持ち越す事になった。


そして翌日。

騙し騙しとはいえ体調を整えたフェリシアは、ルドミラとアイシャと共に『治療』を始めようとしていた。

「ところで、この縄は何なんですか…?」

「あら、なんとなく予想は付かない?」

「え?えぇ…」

当然のようにフェリシアを縄で固定した二人は、手の動きで内容を示す。

それは明らかに牽引飛行を示していた。

「色々考えてはみたんだけど、結局この方法が一番なのよね」

「アタシ達にできて、しかも理屈のわかる方法なんて他にないもんな」

着々と支度を進める二人に、フェリシアの不安は増すばかりだった。

「ちょっと待って、待ってください。本当にこんな方法しか無いんですか?昨日任せておけって…」

「だから任せておきなさいな」

抗議するフェリシアだったが、今更抵抗しようとしても縄は固く結ばれていた。

「ほ、ほんとに大丈夫なんですか…?」

「安心しろ新入り。アタシ達は牽引飛行で誰かを落とした事は一度も無いんだ」

「そうよ。三回中三回とも大丈夫だったわ」

「大した回数じゃないじゃないですか!」

フェリシアの悲鳴が虚しく響き渡る中、いよいよ準備が完了した。


「いくぞ新入り、舌噛むなよ?」

「とにかく身を任せなさい。それで大体のことはわかるから」

「うぅ…はい!わかりました!」

こうなればヤケだとフェリシアが覚悟を決めると、二人は躊躇いもなく飛翔した。

「うっ…」

最初の引きこそ強かったものの、縄による固定はしっかりしており、フェリシアは空中で姿勢を保つことができた。

そんなフェリシアを、ルドミラがアイシャとペースを合わせて飛行しながら器用に観察する。

「ちょっと羽ばたいてみなさい」

「はい!」

ルドミラの言う通りにフェリシアが翼を動かそうとするが、それは羽ばたきというには余りに弱々しかった。

「次、降下するから翼をたたみなさい!」

「は、はい!」

言うが早いか、ルドミラとアイシャは完璧にタイミングを合わせて降下。

「ぐぇっ…」

一方のフェリシアはなんとか翼をたたむも、降下を終えるタイミングで開き損ない、縄が容赦なく身体を締め付けた。

「なるほどね…次は左右に振って飛ぶから、うまく身体をいなしてみなさい」

「はいぃ…」

言った通りに右へ左へと蛇行して飛ぶ二人。

フェリシアは死に物狂いで体勢を整えるが、不自由な翼では限界があった。


そんな飛行は10分ほど続き、どうにか地上に戻ったフェリシアはすぐにへたり込んでしまった。

「はぁ…はぁ…もう…限界…」

「お疲れ新入り。おかげでなんとなく原因がわかって来たわよ」

フェリシアを労いつつ、ルドミラはアイシャにあるものを取って来させた。

それは、あの時フェリシアが使ったのと同じ短機関銃だった。

「それは…」

「弾は抜いてあるから安心しなさい。さぁ、持って」

アイシャから短機関銃を受け取ったルドミラが、それをフェリシアに手渡す。

どうにか抱えようとするフェリシアだったが、途端に両手が震え出し、取り落としてしまった。

辺りに鈍い金属音が響く。

「…やっぱりね」「あー、このパターンか…」

「えっと、どういう事ですか…?」

納得する二人に、フェリシアは尋ねた。

「結論から言うと、アンタの身体は殺人に対して強烈な拒否反応を起こしているの」

「それは…わかりますけど」

「だから、それに繋がり兼ねないことを無意識に押さえつけてるのよ」

落ちた短機関銃を指で示し、ルドミラは続けた。

「じゃあ、一体どうすれば…?」

「銃に関しては誤魔化しが効くわ。私達もフォローするから安心して」

ルドミラの言葉にアイシャも肯く。

「問題は飛べない事の方よ。こっちはどう足掻いたって誤魔化しようがないもの」

「目に見えない縄でもあれば別だけどな」

「はい…」

アイシャの軽口は聞き流し、フェリシアはそっと自分の翼に触れた。

「でも、さっきの飛行で一つ希望が見えたわ」

「希望…?」

「えぇ、そうよ」

藁にもすがるような顔のフェリシアに、ルドミラは微笑んで肯いた。

「アンタの翼はアンタの身を守る為なら動ける。だから…」

「だから…?」

「ちょっと荒療治になるわ」



「いやぁあああ!…ぐぇっ」

数分後、ルドミラとアイシャはフェリシアを牽引しながら急降下と上昇を繰り返していた。

「どう、新入り?動いた?」

「全然!動きませんよ!もう!勘弁してください…」

度重なる急降下によって縄はフェリシアの身体に深く食い込み、かなりの苦痛を与えていた。

「これでもダメか…思ったより強敵ね」

「とりあえず休憩にしようぜ?新入りもボロボロだしさ」

「そうしていただけると助かります…」



地上に戻ると、ルドミラとアイシャはフェリシアの縄を慎重に解き始める。

それもそのはず、食い込み擦れた縄がフェリシアの白い肌に赤く痛々しい跡を残しているのが、服の隙間からはっきりと伺えたのだ。

「ごめんなさい、こんなになるまで…」

「いえ、私の為にやってくれてる事だってわかってますから」

思わず謝罪の言葉が出たルドミラ。

それほどまでに痛々しい疵だった。

「根性あるよな、新入り。アタシだったら諦めてるかもしれないや」

「アイシャさん…?」

フェリシアが聞き返してはじめて、アイシャは自分の口からこぼれた言葉に気付いた。

「いや、アタシは新入り病になったことがなくってさ。あ、ミルカはなった事あるから安心していいぞ」

「そうなんですか…」

「まったく羨ましい限りよね。繊細さが足りないんじゃないかしら?」

「まぁそう言うなって」

繕うようなアイシャを見て、ルドミラは呆れ顔だ。

「なぁ、新入り。もう一度飛ぶ為なら、どんな事でも耐えられるか?」

「え…?」

いつになく真剣な声で放たれたアイシャの問いに、フェリシアは怯む。

「ちょっとアイシャ、まさか…」

「まぁ待てって、ミルカ。アタシは今、新入りに聞いてるんだ」

アイシャは手を向け、ルドミラを制す。

「…はい」

覚悟の篭った声だった。

「よく言った。じゃあミルカ、『あの手』をやるぞ」

微笑むアイシャにルドミラは一瞬頭を抱えるが、直ちにフェリシアに向き直る。

「そうね。新入りにそこまでの覚悟があるのなら、いいわ」



しばらく後、再びフェリシアに縄を括り付け、一行は町の近くの川の上を飛行していた。

「ところで、『あの手』って一体…?」

「そうね、そろそろいいかしら」「だな」

頷き合うルドミラとアイシャ。

「新入り、私は貴女のことを信じてるわ。だから…」「鳥になってこい!」

次の瞬間、二人は縄を切り離した。

「きゃぁぁあああああ!?」

絶叫しながら落下するフェリシア。

「…やっちまった。なぁ、大丈夫だよな?」

「アイシャが言い出したことでしょ…大体、それ落としてから聞く?」

心配げなアイシャをいなすルドミラ。それは覚悟の表れでもあった。

そんな二人をよそに、フェリシアと水面との距離はどんどん近付いていく。

「もう『落とした事はない』とは言えなくなっちまうな…」

「頼んだわよ、新入り…!」

祈る二人。

「このっ…動けっ!動いて…!」

なんとか羽ばたこうともがくフェリシア。

しかし無情にも翼は動かず、視界には川面が広がっていく。

(あぁ…もうダメだ…)

そう思ったフェリシアの脳裏に、これまでの人生が走馬灯のように流れ始めた。

初めて家族に祝って貰った誕生日。

翼が生えてからも自分を愛してくれた両親。

戦場に行った兄達。

汽車から眺めた、遠く小さくなっていく故郷。

もし自分が帰らなかったら、家族はどうなるだろうか?

自分だけでなく、兄達も帰らなかったら?

(そんなこと決まってる。)

(それにミルカさんは、私を信じてるって言った…だから!)

水面に叩きつけられる寸前、フェリシアは力強く羽ばたいた。

風圧が水を巻き上げ、フェリシアの衣服を濡らす。

それを気にも留めず、フェリシアは羽ばたき続けた。

「飛べる!飛べた!やった…!」

小さな奇跡に喜びを隠さず、右へ左へと飛び続けるフェリシア。

「やったな新入り!ダメかと思ったぜ」

「アンタなら出来るって信じてたわ、おめでとう」

飛び込むようにやってきた二人が、フェリシアの周りで小躍りする。

「アイシャさん!ミルカさん!ありがとうございます!」

「なに言ってんの、アンタの努力の成果よ。私達は大したことしてないわ」

「ミルカさん…」

「えー、私達も結構大変だったと思うけどな」

先程の狼狽はどこへやら、アイシャの軽口が飛び出した。

「アンタがそれを言うわけ?まったく、さっきまで…」

「あー!待った!言うなって!」

「ふふっ…」

そんな二人に、フェリシアは微笑みを浮かべていた。

(また三人で飛べて良かったです。本当に…)

その後フェリシアの気が済むまで空を飛び続け、三人は宿舎へと戻った。

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有翼戦線異状なし ストロー=クーゲルスタイン @Straw-Kugelstein

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