第6羽 塹壕症候群

窓から差し込む光が朝の訪れを告げた。

「……」

結局、フェリシアは一睡も出来なかった。

脳裏に焼きついた昨日の、特に人を撃った記憶は、時間と共にむしろ鮮明になるようだった。

無論それは妄想による補完に過ぎないが、しかし確実にフェリシアの心を痛めつけるものだった。

「もう…嫌…」

呟いた事にも気付かず、フェリシアは両手で顔を覆った。


しばらくすると、誰かの起きる気配を感じた。

「あら、起きてたの?」

ルドミラがフェリシアに声をかけた。

「ミルカさん…。」

フェリシアの目線に、ルドミラはぎょっとした。

「ちょっと大丈夫?目が真赤じゃない」

「すみません…ちょっと寝れてなくて」

言いながら、フェリシアは半身を起こす。

「そう…」

概ね何があったかを察し、ルドミラの目線が遠くなる。

「あまり無理はしないことよ。なんて、言われて出来たら苦労しないわよね…」

そう言うと、ルドミラは身支度を始める。

「あれ、出かけるんですか?もしかして訓練…」

言いかけたフェリシアをルドミラが制する。

「バカね、今日は非番でしょう?コーヒーの研究のために野草を摘みに行くのよ」

「そうでしたか…」

今日が非番だと忘れていたフェリシアはそれを聞いて安心した。

「……」

表情を少し緩めたフェリシアの顔を、ルドミラが覗き込んだ。

「な…なんででしょうか?」

吸い込まれそうなほどに澄んだルドミラの瞳にフェリシアはたじろいぐ。

「…アンタも来る?」

「野草摘み…ですか」

フェリシアは前に飲んだコーヒーのことを思い出す。

あれは酷く飲み難いものだったが、コーヒーについて熱心に語るルドミラのことは好ましく思っていた。

それに、いい気分転換になるかもしれない…フェリシアは働かない頭でそう考えた。

「本当に、ついて行ってもいいんですか?」

「もちろんよ、アイシャは誘っても最近は来てくれないし」

ルドミラは少し笑ってそう答えた。

「先に行って待ってるわ。支度を済ませてしっさと来なさいね」



「すみません、お待たせしました。」

しばらくして身支度を終えたフェリシアは、外で時間を潰していたルドミラと合流した。

「来たわね、それじゃ行きましょう」

「どのあたりまで行くんですか?」

「そうね…逃亡と思われない程度の範囲だから、あの山の麓あたりかしら」

フェリシアはルドミラが指さした先を眼で追った。

「結構近いですね」

率直な感想だった。

「飛んで行くなら、ね。翼のない連中には十分な距離だと思うけど」

言いながら、ルドミラは翼を広げた。

「そう…ですね」

フェリシアは歯切れの悪い返事をした。

もし、自分に翼が生えなければ…フェリシアはそう思わずにはいられなかった。

「…じゃ、行きましょうか。少し飛ばしていくわよ」

「え、野草摘むのって急ぎの用事なんですか…?」

戸惑いつつフェリシアも翼を広げる。

「せっかくだから訓練も兼ねて、ね?」

ルドミラは勢いを付けて飛び上がった。

(少し勢いをつけすぎたかしら…?)

高度を上げながら思うルドミラ。

(まぁでもあの子も力を付けているし、これくらい…)

そう思い、ルドミラは振り返った。

「…え?」

しかし、そこにフェリシアの姿はなかった。

まさかと思いルドミラが地上を見下ろすと、ちょうど自分が飛び上がった場所で翼を広げて地面に突っ伏すフェリシアが見えた。

「何してるのよ…」

そう呟いて舞い降りるルドミラ。

フェリシアは顔から地面に突っ込んでしまったらしく、全身土まみれになっていた。

「ちょっと、どうしたの…」

「…飛べないんです」

起き上がったフェリシアの顔は土と鼻血と涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「え…?」


慌てたルドミラはフェリシアを連れ部屋まで戻り、アイシャを叩き起こすと翼を調べ始めた。

「ふむ…」

起こした当初は不機嫌だったアイシャも、事の次第を聞くと文句一つなく力を貸してくれた。

「ちょ、くすぐったい…」

アイシャの触診は丁寧であったがルドミラのそれよりは雑で、フェリシアは身体を震わせていた。

「今はそれどころじゃないでしょ、我慢なさい」

アイシャとは反対側の翼を調べながら、ルドミラが言う。

「あい、こっちは終わったぞ。ミルカの方はどうだ?」

「ちょっと待って…はい、完了よ」

二人ともフェリシアの翼から手を離す。

「ど、どうでしたか…?」

恐る恐る尋ねるフェリシア。

「アタシの分かる限りでは完全に無傷だな。骨も折れてないし、風切羽もちゃんとしてる」

「こっちもそうね。ということは、やっぱり…」

「やっぱりってなんですか…?」

なぜか納得する二人に、フェリシアは慄く。

「新入り病ね」「だな」

「なんですかそれ!?」

耐え切れず叫ぶフェリシア。

「新入りがよく罹る病気みたいなもんだよ。飛べなかったり、撃てなかったり、眠れなかったり食べれなかったり?」

「…精神への強い負荷が原因で普段できることが出来なくなる症状のことよ。確かシェルショックとか呼ばれてたかしら」

アイシャの説明に軽く頭を抱えながら、ルドミラが捕捉する。

「そ、それはどうしたら治るんですか…?」

すがるような気持ちでフェリシアは尋ねる。

「これといった治療法はないわね。ゆっくり休んで良くなる子もいれば、何をやっても治らない子も…」

「そんな…」

肩を落とすフェリシアの脳裏に、飛べなくなった仲間がどうなったかが浮かぶ。

「私、後方なんて嫌です…」

その言葉にルドミラとアイシャはハッとする。

「まぁ落ち着けよ新入り。たまたま寝不足で調子悪いだけかもしれないだろ?」

「そうね…とにかく貴女には休息が必要よ。考えるのは後にしなさい」

「でも…!」

思い思いの言葉を掛けた二人だったが、フェリシアには気休めにしか聞こえなかった。

「焦る気持ちはわかるわ、私達も通ってきた道だもの。でも…いや、だから焦らないで。必ず方法はあるから」

「…」

ルドミラが諭すが、フェリシアは答えない。

「まずは顔を洗って着替えましょう。かわいい顔が台無しよ。ね?」

「はい…」


ルドミラに促されるまま顔を洗うと、フェリシアは少しだけ気分が晴れた気がした。

「いい顔になったじゃないか、新入り。どれどれ…」

言いながら、アイシャがフェリシアの翼に跳ねていた泥を落としていく。

「ありがとうございます…」

「気にすんなって、昨日の詫びだよ」

身を清めて着替える部屋着だったが、フェリシアにはそれが死装束のように見えた。

「まだ洗濯の時間には間に合うな…アタシちょっと行ってくるわ」

そう言い置くと、アイシャは泥塗れの服を手に部屋を後にした。


束の間、部屋に静寂が訪れる。


「…ミルカさん、私思ったんです。もしこの背中に翼が生えなかったら、こんなに辛い思いをしなくて良かったのかなって」

先に口を開いたのはフェリシアだった。

「奇遇ね。私もずっとそう思ってるわ」

「えっ?」

意外な答えに、フェリシアの口から驚きが溢れた。

「こう見えて私ね、そこそこ良いとこのお嬢さんだったのよ。何不自由なく育って、きっと良いとこの誰かのお嫁さんにでもなるんだろうなって思ってた。でもね、翼が生えてから何もかも無くなっちゃった」

「ミルカさん…?」

突然語り出したルドミラに、フェリシアは戸惑いを隠せない。

「…って言ったら、信じる?」

茶化すように微笑み、ルドミラは尋ねた。

その横顔はどこか物悲しげに見えた。

「…はい。信じます」

それ以外の言葉が浮かばなかった。

「…アンタは本当に良い子ね。こんなところは似合わない…」

そこで言葉を切り、ルドミラはフェリシアに向き合う。

「いい?アンタの新入り病は私が必ずなんとかする。なんとかしてみせる。だから、アンタも絶対に諦めないで」

「…はい」

強い意志の籠もったルドミラの瞳に見つめられ、フェリシアは肯定する他なかった。

そして少しだけ、この先輩に頼ってみようと思ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る