第47話 シリーズ 4 クズと目されて

 もう一人、Z君という子がいまして、彼もまた、学年どころか誕生日まで同じという米河君同様、よく勉強できる子でした。彼は米河君以上に冷めたところのある子で、結局、O大学に合格するまでよつ葉園にいました。もうしばらく「措置延長」をしてよつ葉園の経営面も潤し、それとともに彼の生活面でもいろいろとサポートできればとは思っていましたが、彼は大学合格後、よつ葉園の生活に見切りをつけてしまいました。


 その後、何かの折でよつ葉園に来るたびに、私たちに、社会性のない者が子どもを指導とか片腹痛いと、よく言っていました。アンタラが一流なのは、「子供だまし」だけだ、これなら掛け値なしに超一流ですよ、とまで言われたこともあります。ですが、言われる私たちにも、思い当たる節はいくらもありましたし、彼に腹を立てて怒鳴りなどしようものなら、その時点で私たちの「負け」なんですよね。彼の上手なところは、私がそういう言葉を言いそうになる寸前に、いわゆる「寸止め」をしてくることでね。彼との話、一時期本当に苦痛でした。そもそも、彼が高校入試に失敗して大学に合格するまでの3年間、彼に対して、何のビジョンも出せなければ、彼のやろうとすることに対する「対案」さえも出せていなかった。その責任の一端は私にもあります。私たちは確かにZ君には何もしてやれていない。彼が大学に進学するために私たちに何ができたか? そう問われると何一つない。むしろ、足を引っ張る言動ばかりし続けてきた。彼の大学進学後もそうだった。彼が生きていくために必要な何かを提供できたか? お世辞にもできたとは言えない。


 確かに、よつ葉園の卒園生たちの中には、よつ葉園で「鍛えられた」から、社会に出てから実に楽で、少々のことは何ともないと言ってくれる元児童もいます。その「鍛えられた」という言葉の中身は、施設内だけ見ても、年上の子からの理不尽な暴力とか、保母や指導員である私たち職員の対応など、いろいろあったでしょう。その言葉、私自身は額面通り受け止められないところもありますけど、ある意味清々しさは感じられます。でも、Z君を本当の意味で鍛えられた職員は、少なくとも彼の中学・高校時代に誰かいたかというと、誰もいなかった。私は最後の2年間、彼を直接担当しました。正直「尻ぬぐい」的な要素のある仕事でした。Z君は、生きていくうえで何よりも「社会性」を身に着けることが大事であるという信念を持って動いていた。普通科高校の入試に失敗し、定時制高校を足場にしつつ、大検という制度を見つけて、それを利用して大学に合格した。

 その過程で、私たちのしたことは何だったか。


 「あなたたちの私に対する仕事は、私にくだらない情緒論や安っぽげな家庭論を述べて精神的側面から足を引っ張っただけだ。素人考えのできないことねだり、それも「仲間ごっこ」ごかしを並べただけ。自分自身の足で情報を得てそれをもとに道を切り開いていくという姿勢が致命的に欠けている。今は「まし」になったと言われるかもしれないが、そんなもの、私の前では免罪符になどなりませんよ。今後はそんなことのないように、と、私に言いましたね。タラは北海道、コンゴはアフリカだ。笑わせるんじゃない!」


 彼の主張は、ざっとこんなところです。グウの音も出ませんでした。彼は怒鳴ったりすることはないのですけど、静かに、しかし辛辣なことを言う。


 彼が中3から高1の頃を担当していたのは、短大を出たばかりのM保母と、紡績会社で働きつつ短大の夜間部を卒業したT保母でした。実名は挙げませんね。特に後者なら、定時制高校に行くことになった彼にいい指導でもできるのではないかと大槻あたりは踏んだのかもしれません。私も最初はそう思っていましたが、完全な逆効果でした。Z君にとっては、そんな程度で苦労しましたなどと言っているだけの保母の話など聞く必要性もないし、全く信用に値しない、人の人生をおまえら何だと思っているのだと、後に本気で私たちに怒りをあらわにしてきました。

 確かにその時期、私は彼の直接の担当ではなかった。しかし、彼女たちに彼の肝心な時期を「丸投げ」みたいな形で任せたのは、いくら人材がいないからと言っても、言い訳できません。T保母はZ君に対し、今でいう「上から目線」的な言動が多かったと聞いています。そのことでZ君は、山崎さんや私を標的に、何年にもわたって、何かのきっかけでよつ葉園に来るたびに、その件を持ち出しました。あんな粗悪な欠陥商品を売りつけるような真似をしやがって、という調子でね。私たちは、彼の罵倒を黙って受け止めるしかありませんでした。


 たまりかねて、そんな話はもう聞きたくないと私が言った時、彼はこう言いました。

 「そうですか。あなたたちと話しても何ら得られるものがないと分かった以上、この地には用事のない限り参りません。貴重な時間と労力の無駄ですから。津島町からこんな丘の上「くんだり」まで30分以上もかけて自転車をこいで無駄に体力を浪費してまで来るに見合うものなど、ここにはもはや、何もありませんから」

とね。彼が大学の2回生だったと思います。

 その日を境に彼は、私たちに会いによつ葉園に来ることがなくなりました。電話も特に入らない。年に2回ほど授業料の免除などの申請に必要な書類を整えるために大槻園長を訪れるぐらいで、私たちとは数年、特に話もしませんでした。もし、大槻が彼のO大の授業料免除の申請に関わっていなければ、Z君もまた、後にお話しするG君同様、よつ葉園と完全に縁を切ってしまったでしょうね。


 私は、彼が来たらよつ葉園で食事でも食べてもらってゆっくりしていってくれれば、ということで、好意を示していたつもりだった。よつ葉園の給食は大人数分作りますから、一人分の食事ぐらいなんてことはない。そのついでに、よもやま話でもしてリラックスしてくれたら、そんなことを思っていました。

 動機自体は、「悪」と言える要素は特にありませんよね。

 ですが、そんなものは彼にとって必要のないものだった。

 彼は世の中を渡っていくために必要なことなら何でもする人間であり、そこに情緒論や感情論や人間性論の入り込む余地など一切ない。勝つためになら何でもするという、中日監督時代の落合博満さんのようなイメージでしょうかね。彼がそういう人間だと気づくのに、随分時間がかかってしまった。

 彼の罵声が途絶えたからと言って、ほっとしたわけじゃありませんでした。心の中の澱みが「発酵」していくような感じが、日を追うごとに高まってきました。そういうときには必ず、そのことを補強するような事実が私の耳に入ってきた。「つかちゃん」いますよね。あの戸塚君があなた方に、Z君の中3時の担任だった二宮先生のことを話したと伺いましたけど、その先生がどんな人でどんな言動をしていたか、なぜZ君と彼との間に確執が生まれたのか、いろいろなところから話が入ってきました。


 彼が大学を卒業する少し前、不意打ち的になったのは申し訳なかったけれども、彼がよつ葉園に来た時、そのことで謝りました。

 でも彼は、そんな謝罪を正面から聞くことなどしなかった。

 「三流教師も満足に見抜けないで人を指導とか、片腹痛い。あなたがよく私に言っていた、そんなことでは社会に出て通用しないとか、何ですかその言葉。田舎街の養護施設の中ごときで通用したって何の価値もない。あなた方のおっしゃる社会など、広くてせいぜい目の前の小学校区程度でしょう。にしても、よくあんな言葉が出てきたものですよ。まあいいです。二度と、そんなことは私の前で話題にしないでください」

 その反面、彼はこんなことも言いました。いささか意外ではありましたけどね。


 「これからも、機会を見てよつ葉園に伺わせていただきます。この場所がどのような変貌を遂げていくのか。それを見届けるのが私のライフワークです。私はこのよつ葉園を、家庭とも、「帰るべきふるさと」とも思っておりません。「寂しい話」もクソもない。これが現実だ。ここはあくまでも養護施設であり、私Zが幼少期に生活したという事実は否定しません。この場所がどう変貌を遂げていくか、あなた方がどのように変わっていくか、しっかり見届けていきたい。もっとも、この地をよくしようとか、そういうことは私の仕事ではありません。あと、申し上げておくことが一つ。私は、大学卒業後は、二度とO県内に居住することはありません。H県内の学習塾に参ります。なぜ学習塾に勤めるか。名指しはしたくないが、T保母のような無能な人間をつくらないためです。これだけはこの際、はっきりと申し上げておきます」


 私にはもはや、彼を「指導」できる余地などない。

 それまでだって出来ていなかっただろうと言われればそうですが、それをはっきりと宣告されたようで、その日は、自宅、と言っても、よつ葉園の敷地内にあった職員住宅でしたけど、部屋にこもって人知れず泣きました。妻や子どもたちには、その日その部屋には一切入らないようにと厳しく言い渡してね。男泣きに泣きました。後で述べますが、それより少し前にG君の件で徹底的に打ちのめされる事件もありましたしね。

 自分自身の無力さを、その日、いやというほど感じました。それと同時に、Z君の言う「一人の時間」というものの大事さが、改めて骨身に染みました。彼は高校時代から、つまらない人間と付き合う暇があったらプロ野球の本でも読んだほうがよほど人生の糧になると、かねて言っていました。ある投手の書いた本に「一人の時間」をどう過ごすかがプロ野球選手として成功するかどうかのカギとなるという趣旨のことが書かれていたそうで、彼はその言葉に感銘を受けて、大学受験生としての生活をあの地で送りました。一方の私は、その重要性が全く分からずに仕事をしていた。仲間と喜びを分かち合い、時には悲しみを分け合ってとか、彼のいう「仲間ごっこ」のようなものを、私は当時30代に達していましたけど、無邪気に信じていた。一方の彼は、「群れる奴はクズだ」、人はいずれ独り立ちしなければいけないと、常に言っていました。家族だの仲間だの友達だのといったものを引き合いに出してそこをごまかすなとも言っていました。

 その基準でいけば、私もまた、彼のいう「クズ」の典型だったのかもしれません。

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