第46話 シリーズ 3 生活「保障」の仕事

 ここからは、もとよつ葉園職員・尾沢康男氏のインタビューです。


 私がよつ葉園に就職が決まったのは、大学の卒業式が終わるかどうかという時期でした。公務員試験や教員採用試験を受験しても合格できず、もう、就職浪人を覚悟していました。知り合いのO大の司法試験の受験生をしていた鴨沢君のように「自主留年」という手立てを「戦略的に」とるわけにもいかないし、親からは、どこでもいいから就職先を見つけろ、これ以上学費も生活費も出せないぞと言われていました。

 そんなとき、O大やO文理大の近所にある養護施設のよつ葉園が、新卒の児童指導員を募集していることを知りました。


 この際背に腹は代えられない。着慣れないスーツを着て自転車をこいでよつ葉園に履歴書を持参しました。「トーコー先生」こと園長の東と主任指導員の大槻の面接を受け、4月から早速来なさいと言われました。

 下宿も引き払うことになっていて、とりあえず、H県西部のK町の実家からここまで通うのもどうかと思っていたら、うちには個室で「住込み」もできる職員宿舎があるから、そこに住めばよいと言われました。しかも食事つきですよ。一応、職員は給与から食費がある程度「天引き」されますが、それでも、毎日仕送りやアルバイトで得たお金でやりくりして、なんて苦労からは解放されます。衣類にしても、スーツやワイシャツを何着も用意しなくてよいとのことですから、助かりました。

 これは実に、願ってもない話でした。その代わり、君の仕事は基本的に子どもたちと「生活」することそのものだ、というわけです。労働時間とか何とか、そういう概念を持ち合わせにくい場所だな、とは思いました。でもまあ、子どもたちが学校に行っていたりすればその間は適当に休めるし、そのあたりは上手にやればいいとも言われました。世の中にこんな仕事もあるのかと、いささか不思議な気持ちになりましたけど、これでめでたく私は仕事と住居の両方にありつけ、学生時代以上に食事に困らなくなったというわけです。


 当時のよつ葉園はO大近くの津島町にありまして、建物がすでに老朽化していました。その一方で、近所はそれまで以上に「文教地区」として人気が出始めていました。田んぼはどんどんと宅地になっていき、転勤族や勉強熱心な層の転入も増え始め、目の前の国道も交通量が増えました。

 その頃は、先代の園長の頃から地域の理解も十分あり、文教地区と言われるだけあって、施設の子どもたちへの偏見もほとんどなかった。ですが、住宅が密集し始めており、ここでは手狭で広げようにも無理だということで、郊外への移転話が持ち上がりました。幸いその土地を売った資金で郊外の丘の上の土地と建物一式が用意でき、さらにいくばくかの余剰金も出ました。

 私が就職して3年目、よつ葉園は長年あった津島町から、郊外の丘の上に移転しました。運営面でも「大舎制」から「中舎制」へと変えて三つの「寮」にわけ、そこに高校生から幼児までの20数名ずつを割振りし、担当の職員をつけ、「家庭」のような場所を作る。そういう理想に燃えて、よつ葉園は郊外の丘の上へと移転しました。私自身もその寮のうちの一つの責任者となり、そこを一つの「家庭」にするのだと、大いに意気込んでいました。


 もっともそんな理想は、重い現実の前にもろくも崩れ去っていきました。その「理想」を崩した「犯人」がいるとするなら、それは、子どもたちを取り巻く「現実」というものでしょうか。それに加えて、閉鎖的な環境の中で、職員らが子どもたちを「指導」と称して、あたかも子どもたちの支配者のごとく振舞う。私たち職員にそんなつもりはなかったけれども、気づかないうちに、そういうことをしていたのだと思います。


 忘れもしません。

 移転に当たり、米河君は、見かねた父方の叔父の元に引き取られました。私より数歳年上の方でしたが、津島町に学習塾を出す予定で、そこに住居も構えようとしていました。よつ葉園に甥がいることを知っていましたので、移転を機に、このおじさんが引き取ると言って約1年前から交渉をしていました。

 そのおじさんは、兄である米河君の父親の電気屋の仕事を手伝いながらO大学の二部を卒業した人で、倒産した兄の電気屋の後始末をした後岡山に出てきて、街中で学習塾を始めました。勉強熱心な人ですから、甥のことは気にかけていました。

 私たちとしては、高校を出るまでは彼をしっかり面倒見ますと言いましたが、その叔父さんは、まったく聞く耳を持ってくれませんでした。

 まあ、持てと言われるほうが怒りますよね。


 何が高校卒業までだ! あんたら、うちの甥に大学に行くだけの力を身につけさせられるのか? できもしないことをできるかのように言わないだけましだが、たかが田舎県の高校ごときの卒業資格で何ができるか! あとはうちで私が面倒を見る。移転先は郊外の丘の上? そんなところで何の社会性が身につく? 笑わせなさんな!


 そんな調子で、東園長や大槻の前で、怒鳴るでもなく淡々と、彼は、甥の「措置解除」を要求し、児童相談所にも駆け込んでいきました。

 大学時代に知り合った弁護士にも頼んで、訴訟でも起こそうかという勢いでした。 児童相談所も、そういうことをされてまで彼をよつ葉園で「措置」し続けるわけにもいかないと判断しました。結局、よつ葉園が移転すると同時に、叔父は米河君を引き取りました。

 それまでも米河君はよく勉強していましたけど、その後、文教地区の津島町に住んで、叔父に諭され、それまで以上に勉強するようになりました。地元の中高一貫校にも合格し、O大の法学部にも現役で入学しました。その後は塾をやったり作家になったり、いろいろやっていますね。よつ葉園に引き続き在籍していたとしても、私たちで彼を伸ばすことなどできなかったでしょう。

                              (つづく)

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