第32話  行き倒れ 後編1 育った街の片隅で

 1996(平成8)年4月中旬 岡山駅前商店街のパチンコ屋軒先から


「ありゃー、こんなところに人が倒れとるがなぁ」


 1996年の春先のある日の、朝5時前。早朝からの勤務となっていた駅前のサウナの従業員D氏が、職場のあるサウナの下にあるパチンコ屋のシャッターの前に、ジャンパーを着てうずくまるように寝ている若い男性を発見した。

 このあたりでは見かけない人物だなと、彼は思った。

 とりあえず、職場の事務室に行ってタイムカードを押し、引継ぎを兼ねて深夜勤務の男性従業員F氏と連れだって階段下の若い男が寝ているところに行こうとした。

 ちょうどそのとき、顔見知りの中年の男性客が店にやってきた。

 彼はその日、朝7時台の新幹線で東京に出張に出向く前に、サウナでひと風呂浴びて行こうとしていた。


 「おい、あんた、階段の下で、若い男が寝とるで」

 その男性客も、パチンコ屋のシャッター前の路上で寝ている若い男を見かけていた。


 「やっぱり、まだいますか。とりあえず、今から警察を呼びますわ。そうじゃ、D君。外はまだ肌寒いから、着替えるのはあとでいい。警察が来るまで、その服のままでいいから、下で待機して、警察の人が来たら事情を話しといてくれるかな?」

 

 春先とはいえ、早朝はまだ肌寒い。仕事着に着替えてしまうと、とてもではないが外で長時間耐えられるとも思えない。まだ着替えていない彼にしばらく立会ってもらえば、警察が来るまで何とかなるだろう。

 こちらも、フロントの仕事をしないといけない。


「わかった。じゃあF君、フロントをよろしく」

 深夜番のF氏は、中年の男性客のチェックイン手続きを手早く済ませるとすぐに、フロントの電話から110番通報をした。

 

 まだ仕事着に着替えていない早番の従業員D氏は、そのまま下に降りて、警察の到着を待った。さっきの客は、ロッカーで服を脱いで、サウナ室に入っていった。

 程なくして、数人の警察官が、パトカーに乗ってやってきた。早朝で交通量もほとんどない。到着まで、わずか数分のことだった。

 事が事だけに、彼らはパトカーをサウナとパチンコ屋がある建物の前まで乗り付けた。早朝で特に出店などの準備もなく、人を運ばねばならない状況下だから、止むを得まい。駆けつけた警察官は3人いた。

 運転手以外の二人が手分けして、一人は従業員に事情を聴く一方、もう一人は寝込んでいる若い男を起こし、パトカーに乗せて所轄の警察署へと連れて行った。特にサイレンを鳴らすほどのことでもない。パトカーは、静かに駅前商店街のアーケードを進み、所轄の警察署へと去っていった。

 早番の従業員D氏は、警察が去ったのを見届けて、サウナの仕事場に戻った。


 新年度への体制移行もほぼ終了し、落ち着きを取り戻しつつあったよつ葉園に、再び、とある警察署から電話が入った。

 今度は、地元の岡山市内の、それもよつ葉園のある場所を管轄している岡山X警察署からだった。電話をかけてきたのは中年の警部補で、しかもよつ葉園と幾分縁のある人物だった。品川克也警部補は、前回の高田警部補よりは幾分若く、山崎指導員より数歳年上。彼もまた、岡山市内の私立の伝統ある男子校を出て、高卒後すぐに岡山県警に採用されたという、たたき上げの警察官だった。

 「わたくし、岡山X警察署の品川といいます。山崎先生はいらっしゃいますかね?」

 「はい、山崎は本日出勤しております。少々お待ちくださいませ」

 トイレに行っていた山崎指導員は、女性事務員に促され、電話に出た。

 その時すでに、16時過ぎ。そろそろ、子どもたちも相次いで帰ってくる頃。


「お待たせしました。御無沙汰しています。山崎です」

 

 品川警部補は、今回の電話の用件を話した。山崎指導員とは旧知の間柄で、くすのき学園の時代から入所児童のことでお世話になることが時々あった。くすのき学園の頃の管轄はW署だったが、今のよつ葉園の管轄はX署。なぜか、山崎指導員の職場のある場所と勤務先の所轄が同じ時が多く、施設がらみのことでたびたび接点がある。


 山崎先生、ご無沙汰しております。くすのき学園がらみでW署でよくお世話になった品川です。お久しぶりです。

 実はね、先生、御存じの人物だと思いますけど、宮木正男という26歳の男性が、岡山駅周辺で行き倒れになっておりましてねぇ。昨晩から駅前のサウナの前でへたり込んでおりまして、今朝の5時ごろにたまたま通りかかったサウナの従業員の方が発見して、うちに連絡をくれました。

 とりあえずうちで休ませて、事情をいろいろ聞いて、こちらもいろいろ調べておりましたところ、よつ葉園さんの出身の男性だとわかりましてね。

 それはいいのですが、彼、聞くところによりますと、一度兵後県北のT市でも行き倒れになって、そのときは父親を頼って大阪に出たと言っておりますが、そのときにも山崎先生に電話をかけて身元引受をやってもらおうとしたと、担当だった高田正三さんというT署の方から照会がありましてね。

 ええ、その件は、今朝T署に照会を求めましたら、ちょうど、高田さんもおられて、事情をお聞きしたら、事実だとわかりましたわ。

 その後彼、大阪に戻って、しばらく父親のもとに身を寄せていたそうですけど、結局、居辛くなったのか、また岡山に出てきて、昨晩あたりから、岡山駅近辺をうろうろしていたようです。所持金も今、手元に200円あるかないかです。

 それでもって、今朝からいろいろ彼に話を聞いておりますと、どうも、中学時代からの知合いに会おうとしても会えなかったり、相手にされなかったりで、いよいよ頼る場所がなくなったからどうしようかという話でしてね。


 何はともあれ、誰か身元を引受けてくれる人がいないものかと思いまして、彼に聞きますとね、山崎先生のお名前を述べるわけですよ。

 大槻先生や尾沢先生のお名前が出るかと思いきや、お二人には頼み辛いのか、あるいは余程気に入らんことでもあったのか、気に入られてないのか、それはやめてくれとまで言うわけですよ。それで、またここでも山崎先生のお名前を出すものですから、申し訳ないですけど、このたびも電話させていただいた次第です。

 山崎先生のほうにも御事情があるでしょうし、正直、下手に受けられると後々厄介なことにもなりかねませんから、身元引受をしてくれともこちらからは言い辛いのですけど、おいかがでしょうかね?


 品川克也警部補は、岡山市内の商売人の家の出である。兵庫県警T署の高田正三警部補の実家同様、それほど裕福な家庭ではなかった。

 大学に行こうと思えば行けないこともなかったのだが、さして勉強が好きではなかったことと、できるだけ早く社会に出て稼ぎたいという思いがあって、高校卒業と同時に警察官になって20年以上になっていた。

 警察官になったのは、高校まで剣道をしていて、警察関係者と一緒に稽古をすることがあっていろいろ話を聞いていたというのもあるし、実際、彼の通っていた高校の先輩に、高校卒業後警察官になった人が何人かいて、推薦してくれたからというのが、その大きな理由である。

 警察官になった後も剣道を続けており、国体出場経験こそないものの、剣道の大会でも県レベルならそれなりのところまで行くだけの力があった。現在もなお、近所の剣道場で少年たちに剣道を教えていると同時に、県警の柔剣道の師範もしている。

 よつ葉園の山崎指導員の同僚の尾沢康男指導員とも面識があるが、こちらは、剣道の練習試合や大会などで会うことが多い。


 彼は数年前、いわゆる「厄年」を、何とか無難に乗り切った。40代半ばであるから定年を考える年齢でもまだないが、先はおおむね見えつつある。

 何より彼は、警察官という仕事が「好き」である。捜査の第一線にいたこともあるが、今はそれとは少し外れた部署にいる。

 彼には息子と娘が一人ずついて、それぞれ大学生と高校生。もう少しで、二人とも社会に巣立つところまできた。

 実家は、弟が継いでいる。彼は大学まで行った。それで得られた人脈は、確かに、今の商売に役立っている。そのおかげで、順調に商売できている。

 弟もすでに結婚していて、今は小学生と中学生の息子と娘2人がいる。特に家庭生活でのトラブルはない。もちろん、自分のほうにもそういう者はない。


 宮木青年のよつ葉園時代の同級生には、大学まで進んだ者が少なくとも2人いる。高3までいたZと、津島町から移転するとき小6で叔父に引取られた米河清治。彼らの居場所を知っていたとしても、宮木は行きようがないだろう。

 彼らと同級生で、このよつ葉園の当時の雰囲気になじんでなかった彼らに小学生の頃ちょっかいをかけていた宮木など、彼らが相手にするはずもない。

 中学、高校と学年が進むにつれ、さすがにそういうことはなくなったが、子どもの頃のことは、彼等にとっては思い出したくもない黒歴史以外の何物でもない。

 そんな彼らに、同じ釜の飯を食った仲間なのだから云々と、養護施設の職員の権限で要請などできるはずもない。

 他にも彼の同級生は何人かいた。高校を中退して17歳で交通事故死したQ君以外の子たちは、すでに結婚して子どももいる者ばかり。


 彼らに対して、かつての仲間なのだから面倒を見てやってくれなどと、言えるか?

山崎指導員もまた、何とも言えないやりきれなさのような感情を味わっていた。

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