第6話 度重なった慰留

1977(昭和52)年1月中旬のとある平日 よつ葉園事務室にて


   1

 「玉柏さん、ちょっと、応接室にお願いできませんか。この事務室内でお話しするのはどうかと思うので」

 玉柏英子事務員は、昨月で55歳。この年度末で定年を迎える。1965年4月によつ葉園の事務員の仕事に就いて12年目だった。きっかけは、息子を関西の私立大学に行かせるための費用を賄いたいと思っていた矢先に、旧知の森川一郎前園長に乞われたためだった。かくして43歳のときから、彼女はよつ葉園に「書記」として勤め始めた。

 夫は国鉄職員で、岡山鉄道管理局内のある駅の駅長をしているが、55歳を迎えた年度末になるこの春をもって、定年退職を迎える。その後、さあどうしようかと夫は悩んでいる。国鉄の関連会社などでしばらく働くことも可能ではあるが、かねて思っていた趣味の時間が欲しいとも考えている。玉柏女史もまた、やりたいこともある。

お互い、老後は好きなことをして過ごそうと話していた矢先のこと。

 彼女は、東園長に呼ばれ、ともに応接室に行った。


  2

 東園長は、早速、来年度の彼女の処遇に関わる話を切り出した。

 「実は、玉柏さん、あなたには、定年後も何年か、引続き書記として勤めていただきたい。ご覧のとおり、よつ葉園は人手不足もあるし、書記を新たに雇うにも、あても目途もない。長年書記を勤められたあなたに引続きやっていただければ、うちは大いに助かる。もちろん、いつまでもしてくれとは言わん。後任のめどが立って、その人が独り立ちできたら、その段階でお辞めいただいて構わない。どうでしょうかな・・・」

 彼女自体は、定年を機に退職して、自身の趣味に没頭したいという思いがあった。加えて、大学を出て岡山県庁の職員をしている息子には、すでに子どもも生まれている。彼女からすれば孫ということになるが、その孫の世話もしないといけない。これまでのように朝から晩まで働くというのも、精神的にきつくなっていた。

 「申し訳ないですが、ちょっと、私もいろいろありますから、この定年を機に、やめさせていただきたいと思っておるところでは、あるのですが・・・」

 彼女は申し訳なさそうに、東園長の申し出を辞退しようとする。

 「どうなのでしょうか、あなたのご主人も、この春で退職ですね。おたくは息子さんも成人されてすでに社会人で、子どもさんもおられる。退職されれば、悠々自適に暮らせるとは思いますが、まだまだ、仕事できるだけの力を、あなたはお持ちですよ。お孫さんのお小遣いのためとでも思って、もう少し、お願いできませんかねぇ・・・」

 東園長は、懇願するように継続勤務を依頼する。まだ1月中旬。来年度の編成もあるので、早めに他の職員にも勤務継続の意思があるかを確認している時期ではあるが、今日に今日、決めてしまうというわけにもいかないものでもあり、また、先方だけでなく先方の関係者各位との関係もあるわけだから、すぐにすぐ、結論の出ることでもあるまい。


 「それでは、東先生、私に時間をいただけませんか? 主人とも相談して、どうするかを決めたいと思います。主人も主人で、いろいろ考えているところがありますので、そのあたりのすり合わせも、うちに持ち帰ってやってみたいと思います。来週末ぐらいまでには、御返答できると思います。遅くとも、1月下旬までには、結論を出しますので、それまで、待ってやってください」


 彼女は、回答を保留した。東園長も、それを了承した。

 翌週の木曜日、玉柏事務員は東園長に先日の話の続きをしたいと申し出た。再び、応接室に向かった。今度は、主任指導員の大槻和男氏も同席することになった。


   3

 実は、玉柏さん、先日、移転問題が理事会で上げられました。今の津島町ですが、目の前の国道X号線の交通量は日に日に増えておりますのと、何より、住宅地として近年大いに開発されて、文教地区として名高くなりつつあります。

 うちとしては、今のままの敷地では、いささか手狭でして、正直、子どもたちを育てていく環境としては、私個人としてはいいところだとは思うのですが、多くの理事は、もう少し広い場所で、ゆったりと敷地を使えるような場所に移転したらどうかという提案をされました。物理的にも、ここではさらに建替えようとしても、ちょっと、厳しいのではないかと思われます。

 これが私の就職する前ならいざ知らず、今どきの情勢では、この近辺の土地は相当値上がりもしておりますし、敷地拡張も厳しい。鉄筋の園舎はまだいいが、木造の園舎、今は職員の居室等に使っておりますけれども、こればかりは、もう、かなり老朽化しておりまして、地域の人たちからも、建替えたらどうかと言っていただいてはいますが、それだけの予算が調達できません。ただし、土地の安い郊外の広い敷地があれば、話は別です。この津島町の土地を更地にして売れば、確実に移転費用も賄えます。うまく行けば、余剰金も発生するかもしれません。

 現在、理事会では本園の移転について様々な案を検討するべく、検討会を立ち上げようという動きが出ております。

 

 大槻指導員が、理事会で提案された移転の件を熱心に説明する。彼女にしてみれば、その移転先がどこであれ、移転後までこのよつ葉園に勤められるとも思っていないし、そのつもりもない。ただ、一体何が起こっているのかを把握するのに、精一杯だった。

 「状況につきましては、今、大槻君が述べたとおりです。そこでですね、玉柏さん、できれば移転が完了するまで、そうでなくても、後任の事務員が就任して事務作業が軌道に乗るまでは、ぜひ、引続き勤務していただきたいのじゃが、どうでしょうか・・・」

 東園長の勧めに、玉柏事務員は答えた。

 「来年度のことを協議しましたが、主人はこの春の定年退職後、国鉄関連の業者の取締役営業部長として迎えられることが内定しました。任期は2年ですが、できれば4年ほどやってもらいたいと言われています。そういうことでしたら、私も、その程度の期間であれば、引続きこちらで勤務することも可能です」

 「そうですか、それはありがたい。それでは、これまでと同条件のまま、定年後も嘱託としてご勤務いただければ、幸いですが・・・」

 「同一条件で勤務ということは、週6日勤務ということですか?」

 「それがありがたいのですが、無理でしたら、日数や時間についての条件についてもご相談のうえ、短縮させていただくことも可能です。どうでしょうか?」

 「私としては、週最大5日程度、半日勤務の日をいくらか入れていただければと思います。正直、私としては時給でも構いません」

 さすがに、これまでと同一条件で勤めてくれというのは厳しいか・・・。

 東園長と大槻指導員は、ここですぐ結論を出すこともなかろうと判断した。


 「その点につきましては、追って協議させてください。玉柏さんのほうでも、御主人と意思疎通をおはかりいただいて、いい形でこれからもお勤めいただけるように、うちとしても配慮させていただきます。といいますか、正直なところ、いていただかないと、仕事も回りませんし、今から新任の事務員を雇うのは、いささか厳しい状況になっておりまして・・・。短大卒の保母の中で、事務員をしてもいいという人物がいればいいかもしれませんが、仕事に慣れるのには、時間がかかりますからね。特に若い人は・・・」


 とりあえずここで、来年度も玉柏女史によつ葉園の事務を引続き執ってもらえることだけは確約できた。東園長は、これでやっと一息つくことができた。時間を短縮するなどの労働条件を「労使」双方で見直し、玉柏事務員は引続き、よつ葉園の嘱託事務員として勤務することになった。定年なので、ここでまとまった退職金も支払われた。特に定年退職届を出す必要はなかったが、退職後の勤務条件の覚書を相互に交わし、署名捺印した。


   4

 それから3年近く経った1979年11月、玉柏事務員は東園長に、30歳前後の若い男性を紹介された。古村武志という、東園長の小学校長時代の教え子だった。彼は商業高校を卒業後、岡山に本社のある会社に10年ほど勤めており、そのうち8年ほど東京に赴任して、主として営業を担当していた。しかし、彼には経理の経験もあった。東園長の勧めで同級生と結婚し、岡山に戻ってくるという。もちろんその職場にいたままでもいいのだが、単身赴任などであちこち出回るのもどうかと、東園長が口説いて、よつ葉園の事務員に採用する予定だという。

 彼はいささか癖がありそうな人物ではあるが、事務員としては有能であるし、また、営業などの経験もあることから、良くも悪くも養護施設の職員らしくないところが見受けられた。東園長もさることながら、大槻主任指導員もまた、彼のそのような部分を買って、採用を決めたという話である。


 「やっと、辞められるかしら」

 彼女は、その場で東園長に「進退伺」を提出した。

 「まあ、待ってください。古村君が独り立ちできるようになるまで、いてやってください。勤務時間をさらに短縮していただいても構わん。とにかく、彼をお願いします」

 東園長の慰留によって、彼女はまたしばらく、よつ葉園に勤めることになった。その代わり、勤務は週4日を限度とすることになった。再び、勤務条件の変更に伴う覚書を再作成し、双方が署名もしくは記名の上、捺印した。

 翌1980年1月から、古村氏は事務員としてよつ葉園に就職した。彼は運転免許を持っていた。彼のおかげで、よつ葉園の事務処理能力は、速さと正確さの両面において、著しく向上した。彼女は、自宅から20分ほどかけて、自転車で通勤していた。この年代の女性の一般的傾向通り、自動車はもとより、自動二輪車の運転免許証も持っておらず、取得した経験もなかった。もちろん、今さらそんなものを取りたいという気もない。


 「もう、なし崩しでだらだらと引き留められなくても大丈夫かな」

 彼女がそう思えるようになったのは、1980年の年末も近づいたころだった。

 1980年の年度末をもって、よつ葉園は郊外の丘の上に移転することがほぼ正式に決定した。彼女は1月初旬、今度は、昭和55年度末をもっての「退職願」を提出した。

 このときも彼女は、東園長に慰留された。

 移転が数か月遅れることがほぼ確定的になったのが、その理由だった。


   エピローグ

 その年の2月末、ようやくのことで、5月下旬をもって、郊外の丘の上へと全面移転することが正式に決まった。

 3月初旬のある日、彼女は、改めて、東園長に封筒入りの文書を提出した。

 その封筒と便箋の見出しには、それぞれ、「退職届」と書かれていた。


「長いこと御引止めして、申し訳なかった。お世話になりました。ありがとう」


 今度は即刻、東園長に受理された。


 彼女はその届に記載した通り、1981年5月末日をもって、正式によつ葉園を退職することが決まった。しかしながら、実際にはそれより幾分早く、移転日の1週間前の土曜日をもって、彼女はよつ葉園を退職した。彼女は何度か、丘の上に建設中の新園舎を見に行ったことはあるが、すべて、古村事務員の乗用車に東園長らと同乗して行っただけ。

 退職の日以降、園舎として使われるようになったよつ葉園を訪れたことは、ない。

 夫はすでに、4年間勤めた業者を退職し、一足先に悠々自適の生活に入っていた。

 彼女は一足遅れて、夫と同じ道へと進んでいった。

 彼女は夫とともに、「老後」を、じっくり楽しんだ。

 21世紀に入ってしばらくした頃、夫婦そろって、天寿を全うしたという。

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