第5話 わだつみのこえ

 

 2018(平成30)年11月某日 岡山市内の某所にて


 このインタビューは、元よつ葉園児童であるZ氏が××ラジオ代表大宮太郎氏とアナウンサーでもある妻のたまき氏の両者の前で答えたものです。


 いやあ、こんな話、酒でも飲まなきゃやっていられません。あ、ボイスレコーダー回しといてくださいよ。ほな、早速、お話ししましょうか。


 私はいわゆる「私生児」で、乳児院で過ごした後、2歳で養護施設に預けられました。里親制度を重視しようとする今どきでさえ、こういうパターン、意外とあります。

 米河君のように両親が離婚して祖父母が相次いで亡くなって、という経歴を聞けば、これは行政によって作られた「孤児」だという印象を持ちますが、私の場合は、確かに「孤児」と言えるでしょう。終戦直後のような状況下じゃないとはいえ、「孤児」と言える子は、今なおいます。

 でもまあ、米河君はいい。父方に若い叔父がいて、いろいろ掛け合ってもらえて、結局、よつ葉園の移転を機に養護施設生活に終止符が打てましたからね。

 その叔父さんは学習塾をされていました。当時子どもの数も多かったし、経済的にも安定し始めた時期だったのがよかったみたいで。しかも、よつ葉園のあったのは岡山市内でも随一の文教地区といわれる地域でしたから、その地にも塾を展開予定だったこともあって、叔父さんがその地の家を借りて彼を引取ってくれて、私としては、うらやましかったです。


 私自身はというと、結局、大学合格までよつ葉園におりました。中学は移転先の地元の公立中学校に行きました。なんせ、自転車で20分ほど、数キロ先でしてね、これのおかげで、よつ葉園から少し距離を置けるようになりました。こういう「足」を持てたら、どこにでも行けるようになる。外出するとか何とか言って自転車に乗って外に出て行っただけでも、一時的であれ、よつ葉園という窮屈な場所から逃れられる。それだけとれば単なる「逃避」にもとれるが、そればかりじゃない。外に出ることで、自分の置かれている環境を見つめなおせました。

 特に鉄道趣味があるわけではないですが、私、鉄道を使った旅は好きです。特に一人旅がね。中学生になって以降、大槻園長が計画書を作ってくるなら認めてやると言われてね、本当にありがたかった。


 大槻さんは、人間性と社会性、今でこそどちらも大事だとおっしゃっていますけど、当時は、職員の皆さんに、社会性というものをものすごく重視した発言が多かったようです。私は、そのおかげでのびのびと社会性を高められたし、大学の入学金や授業料の免除申請などの保証人にも、ついでに奨学金の保証人にもなってくださったし、それは、大いに感謝しています。もっとも、それ故に恩着せがましいことは、言われませんでしたけどね。あとで伝え聞いたところによると、私が大学に合格する前々から、少々のことをしてやっても、それは焼け石に水程度のことにしかならないだろうし、さして感謝されないかもしれないが、この仕事をする以上は、それでもやらなければいけない、そんなことをおっしゃっていたようですな。

 ついでに言えば、私が大学在学中に、思うところあって、ジャガーズクラブという経営者の集まりにも入って、いろいろ活動をされ出した。社会性のなさすぎる養護施設を変えていくため、もっと言えば、寄付を受けやすくするためだ、とかなんとか。

それから大槻さんが昔に比べて人間が悪くなったという人もいるようだが、私に言わせれば、むしろまともな方向に向かって行ったな、と思えた。

 出来損ないの家庭論などをホザいて仕事した気になるより、その方が余程ましですわ。


 もっとも、ベテランの山上保母なんかは、私のそういう行動や人生設計に、いい顔はしていなかったですけどね。あの方、生きておられたら、もう90歳近くでしょうが、どこでどうされているかなど、全くわかりません。ま、そんなことは、私の知ったことではないですがね。

 彼女は、私の目からすれば、完全に時代に取り残されたようなところがありました。それは、若い職員の皆さんも同じように感じられていたようで、大槻さんが園長になられてしばらく処遇に頭を痛めておられたようですが、無理もなかったでしょう。


 彼女に限らず、他の職員らを見ていても、「人間としてよければ」などといった無能の浅知恵みたようなことを述べて私に物を言ってきた人たちが多かったですな。

 尾沢さんという男性指導員が最後の2年間、私を直接担当されましたが、彼の感覚は、山上さんほどひどくはなかったが、それでも、そういうきれいごとと、何より、新婚で子どもさんも生まれたこともあってか、家族がどうこう、わが子がかわいいの、そんなことばかり述べていた。ただ、私にとっては、そんなことに構っている状況じゃなかったし、そんな余裕など、必要ないものだった。

 彼の言動は、結局のところ、私にゆとりをもたらすどころか、怒りを増幅しただけでしたな。私に言わせれば、そういう論点のすり替えを行って、人の足を引っ張るだけの無能にしか見えなかった。彼には悪いが、それが、当時のよつ葉園という施設の社会性の致命的に欠けた状況の象徴にしか見えなかった。


 養護施設という場所はね、同じメンバーでいつまでもということになるかというと、決して、そうじゃない。確かに私のように幼少期から高校卒業までずっと、というパターンも以前は多かったし今もありますが、中には米河君のように途中で誰か親族に引取られたり、あるいは親元に戻ったり。そういう例も、多いですよ。

 引取られてどうこうとか、そういう話ばかりじゃない。施設内でも、同じことです。それぞれの子どもたちの住む「部屋」ですけど、同じ部屋でずっと、なんてことはない。おおむね新年度ともなれば、担当職員も変え、部屋も変える。うまく行っていなかったり、あるいは職員の都合でどうにもならなくなったりしたら、年度内でも変えることはある。毎日が学校の研修か寮生活みたいなもの、とでも言ったらいいでしょうか。


 ただ、それがいつ果てるともなく続く。子どもたちにとっての1年は長いですからねぇ。まあ、それ以上はノーコメントですわ。最近は、厳密な意味での「孤児」よりも、虐待などを理由での入所が多いから、途中で来て途中で去っていく子も、昔以上に多いですね。

 そういうところを見ると、確かに、これが本当に家庭と言えるものか、家族と言えるものか、という疑念も沸いて来ますね。

 もっとも、兄弟姉妹を別の家で育てるとか、あるいは離婚を機に兄弟が引き離されるとか、そういうこともままある話ではありますから、養護施設だけが特別何かというわけでもないと言えば、ないのかもしれません。


 よつ葉園の職員らは、養護施設という場所を子どもたちの「家庭」にしたいと言っていました。多くの兄弟姉妹のいる「家」だってね。公式にも「できる限り家庭的な処遇を」と、公言していました。殺伐とした居心地の悪い「施設」よりも、居心地のよくあたたかい「家庭」であるほうがいい。そんな思いをもって「生活」という「仕事」に就いている職員、特に若い保母たちには、このような理想は、何かと訴えるものもあったはずです。その後結婚して家庭を持って子どもに恵まれた時、当時の経験が随分役に立った方もいらっしゃるでしょうね。

 それ自体は、私も悪いことだとは思わない。

 ところで「養護施設は子どもたちの「家庭」である」という理念、「聞こえ」はいいが、いかに「家庭」とか「愛情」とか美辞麗句を並べ立てても、養護施設という場所は、所詮子どもたちには「かりそめの宿」に過ぎない。その宿の「宿泊費」の出所はともあれ、子どもたちにとって、そこは決して「自宅」たりえない場所です。ましてや、「仕事」としてそこに勤めている大人たちは、言うに及びません。いかに詭弁を弄してもね。マスコミが飛びつきそうな情緒的な理想論など、現実の前には無力です。それが証拠に、何か問題があって言葉に詰まった職員らは、子どもたちにこんなことを言うのが常でした。


 「ここは「施設」だから・・・」


ってね。他の職場なら、短大の新卒で20歳そこそこの女性のさせられる仕事なんて、お茶くみやコピー取り、あとは電話の受付かそこら。かわいい女の子扱いが精いっぱいでしょうよ。

 そんな彼女らでも「養護施設」という「職場」に来れば、子どもたちに「先生」と呼んでもらえる。

 同僚や上司からも、学校関係者や地域の人たちからも。


 しかも当時は、彼女たちはじめ職員の多くが施設に「住込み」で働いていました。

施設という狭い場所で密度の濃い形で子どもたちに接しているうちに、何やら権力でも得て偉くなった気になってしまうのかもしれません。その割には、のっぴきならない話になって自分たちの責任が何やら問われそうになったら、こんなことを言いだす者もいました。例の尾沢なる指導員さんが、まさに、その典型でしたよ。やれやれ。 その点、直接担当ではなかった山崎さんという、くすのき学園から来られた指導員は、そこは冷静に見ておられましたね。確かに彼の意見はもっともなところも多かった。ただ、それが私自身の役に立てられるのかというと、絵に描いた餅というか、気休めにしかならないところがあったのは、確かです。G君が彼の発言を「大本営発表」と言ったそうですが、ある意味、それもあたっていますね。

 それから、尾沢氏ですけど、よく、こんな枕詞を使って私に話していました。


 「一般の「家庭」でも、こういうケースでは・・・」

 「どこの「家」でも、そんな問題が起こったら・・・」


 要するにこれは、養護施設特有の問題ではなく、家庭という場所における一般的かつ典型的な問題であるという論法ですな。

 ここでまた「家庭」というものを引合いに出して、テメエらの不作為や不始末を覆い隠したついでの駄賃で、こちらに自分の言うことを聞かそうとするわけだ。

 職員らの「ご都合主義」なんて、その程度のものです。

 いっそ初めから、「ここは施設だ」で通せば、矛盾もなくそれなりに割切れるでしょう。「低次元の迎合」的な要素は感じますけど。

 とはいえね、なまじ善良な心で、高尚な「理想論」を公言している分、やり場のないところに落とし込まれてしまう。


 養護施設が「家庭」たり得るのか、所詮は「施設」に過ぎないのか?

 そんなものは、そこに住んでいる子どもたちにとって、不毛の論議に過ぎません。


 では、子どもたちにとって同じ施設に住む子は、お互い「兄弟姉妹」たりうるか?

 もちろん、共に暮らしていく中でそういう意識が生まれてくることもありましょう。そりゃあ確かに、同じ場所にいてそこで常時「寝起き」しているわけですから、そこで一種の「仲間意識」が生まれることを否定はしません。

 でもね、養護施設での人間関係って、そこを去ってしまえば、空しく消え去っていくものに過ぎない。養護施設での生活は、人生のほんのひと時の「夢」のようなものです。ま、「悪夢」かもしれんが。

 「同じ釜の飯を食った仲間」とか、それが施設で過ごした者の間で言うならともかく、何の関係もない人間がそんな言葉を気安く使ってきたこともありましてねえ。

 そんな戯言をほざくボンクラには、心底虫唾が走りますよ。

 

 養護施設の職員がいくら高尚なことを述べようが、情けない言い訳をしようが、要は、「自分の給料が大事」なだけです。

 「親代わり」なんてね、買い被りも甚だしい。

 

 そうそう、私が中学生の頃でしたか、昭和館とかいう、岡山市が運営している養護施設で、6歳の子がいじめで殺されてしまう事件が発生しましてね。

 あれも、ひどいものでしたな。

 私自身はネトウヨ的な要素を持った人間ですから、韓国・北朝鮮の半島筋や中国などにはあまりいい印象は持っていません。もちろん、在日の人とか、個人に対しては、別にすべてが悪いとは思っていませんし、付合いのある人はいくらもいますよ。

 まあ、それはそれでいいでしょう。

 ちなみに、その昭和館なる養護施設の「殺人事件」ですが、市の職員でもある彼ら職員は、誰一人、まともな責任を取っていません。岡山地裁の判決は、まさに彼らの全面「勝訴」ですわ。ちょっと回りくどくなりましたけど、その「殺された」女の子は、いわゆる「在日」の韓国人の子でした。

 いくら私がネトウヨだ、あの筋は気に入らないと言ってもね、罪のない子どもを殺していいわけがない。それは日本人だろうが朝鮮人だろうがキャベジンだろうが、一緒ですよ。それとこれとは、当然、話は別ですよ。


 私は、公務員にだけはなる気はありませんでした。今も、ならなくてよかったと思っています。私は、岡山県にだけは金輪際住みたくないと思ってね、大学卒業間もなく、岡山を離れて、兵庫県に出ました。どんなに詭弁を弄そうと、岡山という場所は、私にとっては押し付けられた場所。だったら、それをテメエで跳ね返して立ち去ってやるまでだ、と思いましたからね。

 何が「ふるさと」だ、笑わせるな!

 そう思っておりました。それは、今も変わりません。冗談じゃ、ない。

 ついでに言えば、私はね、兵庫県に移ってこの方、コギタネエ岡山弁を聞かされなくて済むようになって、本当に、清々しましたよ。群れようとばかりにまとわりつくようなあの言葉を聞くと、今も、心底虫唾が走りますわな。まあ、人が話すのは自由でして、別に、岡山弁の全部を否定はしませんが、私自身からは岡山弁を「抹殺」したいとさえ思って、高校時代から、意識して言葉を変えていきました。


 養護施設での経験もさることながら、中3から高校時代にあたる3年間の経験から、あんな連中と共に仕事をするなどとんでもない、という確信を持ったからね。

 もちろん、個人的には公務員をしている仲のいい人はいますよ、何人も。

 ですが、それはそれです。

 私が問題にしているのはねえ、公務員をしている個々の人の発言内容や考えや人柄人物像云々なんぞではない。そこで働いている「集団」としての「公務員」の姿勢であり、その典型的な意思・思想等について問題にしているのです。

 そういえば、「それはその人がたまたま」とか、わかったことをほざいたおめでたいおっさんがおったような気もするけど、人の好さもそこまでくれば本塁打級の阿呆ですな。

 私が問題にしているのはねえ、そいつの人となりだの個々の発言内容がどうこうなんかじゃなくてね、典型的なある業務に従事する職員全体の気質や問題点に関わることを述べているのだ。個々の職員個人の資質などを問題にしとるんじゃねえ、ってね。そんなこともわからん馬鹿が、多すぎますな。つける薬も飲ませる薬もない。


 最後に、養護施設の職員らの対応の後始末を述べておきましょう。

 もう具体例はいちいち言わないし経験談を延々する気もありませんが、私が中3から高校の時代に相当する4年間、いい加減な対応を積み重ねた挙句に、私が大学に合格後、彼らは何を言ったか?


 「今後はそんなことのないように・・・」


 まさにこれ、一般職公務員や首長級の特別職公務員が議会で議員に不祥事を指摘されて陳謝する言葉じゃないですか。

 それでこちらに何か補償なり償いなり、あったか?

 言葉はあっても、口パクだけなら、ジャリタレでも言えますわな。

 タラは北海道、レバは焼き肉屋、コンゴはアフリカですよ、ったく・・・。

 公務員にだけはならんと言ったのは、その手の無責任な愚か者と同列の仕事など、死んでもしたくなかったからだ。

 家族を養うにはいい選択肢ではないか、などと言ってきた御仁もおったが、だったら、家族なんか持たず、テメエ一人で生きられるようなインフラを自ら構築すればエエだけや。そんなこともわからんのか、ダアホが。

 日本国憲法の幸福追求権なんて、あの雑魚どもには理解できんのだろう。当時は私もいちいち腹が立っていたが、もう、ええ。あれらは情弱どころか、致命的に日本語力のないケダモノレベルの能無しだと思えば、今さら腹のひとつも立ちません。


 いやぁ~、私も、丸くなったものですな。

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