第4話 ミスマッチ 2

 1986(昭和61)年2月上旬 よつ葉園事務室にて


 養護施設よつ葉園では、定例の職員会議を毎月第一月曜日の朝から行っていた。この日もまた、朝から夕方近くまで、様々な項目についての議論が行われた。保育や炊事に関わる一部の職員を除き、その会議には、園長以下ほとんどすべての職員が参加する。


 「園長先生、今から園長室に伺ってもよろしいでしょうか?」

 職員会議が終るとともに、高部友子保母は、大槻和男園長に尋ねた。

 「ちょうどいい。あなたにお話ししたいことがある。是非とも、いらしてください」

 彼女の担当する寮の責任者である梶川弘光指導員が、その事態に反応した。

 「園長、私も行ってよろしいか、Zのことですよね?」

 梶川指導員は高1になる児童Zの直接の担当ではないが、昨年度の前川保母、そして今年の高部保母のサポート役として、Z君の指導も手掛けていた。

 「いや、Zは関係ない。彼女個人に関わる話じゃから、梶川君はよろしい」

 「そうですか・・・」

 梶川指導員なりに、何か思うところはあったようだが、そこは、引き下がった。

 やがて、他の職員らはそれぞれ、担当の寮などへと散っていった。そろそろ、子どもたちが学校から帰ってくる時間帯だ。事務所には、古村事務長と安田事務員、それに、梶川指導員ら男性職員3人が残った。

 大槻園長と高部保母は、園長室へ入っていった。


 「早速じゃが、高部さん、あんたの来年度のことを話そうかな?」

 高部保母をソファに座らせ、自らも向かい側のソファに座った大槻園長は、少し間をおいて、ゆっくりと、話を切り出した。


 なぜ、今日このとき、園長室に呼びだされたのか? 

 大槻園長の真意を、高部保母は測りかねていた。岡山県西部の同じ町の出身ということもあって、大槻園長は3年前、X県の短大の二部を紡績会社で働きながら卒業した高部保母を採用した。彼女には、中高生の男子児童を担当させたらいいだろうと思ってのことだった。保母資格を短大在学中に取得しているが、大槻園長の見立てでは、彼女はどうも、保母という仕事に向かないと思われる要素がある。

 それが、初対面のときから気にかかっていた。

 もっとも、それが直ちに養護施設という職場の保母としての適性がないことになるのかというと、必ずしもそうでもないところも見受けられた。だからこそ、彼女を採用したのだ。決して、同郷出身のよしみだけで採用したわけではない。現に、彼女の親族と大槻園長の親族間の交流はなかった。そもそも、住んでいる地域も職業も、まったく別だった。ただ、そういうこともあるからこそ、彼女には、他の保母と違って、かなり気さくなしゃべり方をすることが多かったことも確かである。


 「わしはな、正直、あんたは、養護施設に限らず、そもそも、保母という仕事には向いていないと思っておる。この3年間勤めてもらって、そのことをしっかりと実感した」


 高部保母は、そのような言葉が大槻園長から出てくることには、それほど驚きはしなかった。本音を言えば、高校を出てすぐにどこかの役場にでも就職したかった。しかし、両親が「花嫁修業」がてらに短大に行けというものだから、やむなく、県外の短大に進学した。さほど興味もなかったが、幼児教育学科に進み、昼間は紡績会社で仕事をしながら、夜は短大に行って学んだ。卒業までには、3年間かかった。

 卒業後岡山県に戻り、本来1学年下の村木美奈子保母と同時に、3年前、このよつ葉園に就職した。3年間、岡山市郊外の丘の上にあるこのよつ葉園に住込み、働いた。


 あんたは、幼児や小学生でも低学年あたりの子の担当は、向かない。中高生の女子児童なら、まあ、できんこともない。じゃが、中高生の男子児童なら、他の保母らに比べても適性があるのではないかと、わしは思った。

 わしも梶川も、去年高校入試に失敗したZのような子に対して、短大を苦労して卒業したあんたなら、ええ指導もできるかと思ったが、それは大きな間違いだった。

 わしらの見立てが、浅はか過ぎた。

 Zはな、あんた程度の経験で苦労しましたなどと言うような人間を信用するほど甘い人間じゃない。社会性についても、あんたじゃ、残念ながら太刀打ちできん。

 Zはな、梶川やわしでさえも、下手すればやられるほどの力を持っている。あんたは、そのことに、まだ気づけていないかもしれんが・・・、それが、現実じゃ。


 「Z君はともかく、他の子については、どうでしょうか・・・」

 いささか力のこもっていない声で、高部保母は大槻園長に尋ねた。高部保母は、大槻園長の意図をまだ理解しきれていないように思われた。

 大槻園長が、話を続けた。


 そこについては、可もなく不可もなくじゃ。やっぱり、あんたは、役所のようなところで事務員として勤めたほうが、よかろうなぁ。

 わしは、一言で言って、高部さん、あんたを買い被っとったようじゃ。

 Zはな、大検こと大学入学資格検定という制度を自らの足で調べ、それをどう利用すれば自分の将来に役立てられるかを読みとり、今年にも受検しようとしている。彼はその制度について知るために、県庁の本庁にある教育委員会の学事課にまで足を運んで、資料を取り寄せた。

 彼は定時制のU高校に行っているが、この1年間で、2科目の免除科目が発生することをすでに把握している。U高校の先生方も、彼が大検を利用して大学に行くことには大いに賛成されているどころか、学校として大検を利用することを推奨さえしている。全日制の普通科高校を再受験などするのは時間の無駄だと、彼は言っている。

 長い人生、1年ぐらいの遅れはたいしたことはないとか何とか、あんたや梶川らは相も変わらず言っているようだが、そんな程度の戯言は、彼には通用せん。

 あんたは彼に、「現実を考えなさい」と何度も言ったそうだが、彼の調べたことが実は現実じゃ。あんたの言動はなぁ、一言で言えば、『わめいとるだけ』。

 何も県庁まで行って資料を取り寄せて分析しろとまでは言わないが、高部さん、あんたは、大検という制度のことを、自らどのようなものか、調べようとされたかな?

 

 大槻園長の声は、徐々にだが、厳しくなってきた。

「調べようとも、しませんでした・・・」

 いささか背の低い、ぽっちゃりした体形の彼女は、気弱そうな小さな声で答えた。


 そうでしょう。聞くだけ、野暮だったようだ。

 そんなあなたには、保母としてここに勤める資格は、今のままではない。

 Zは、間違いなく、このよつ葉園から2年後には大学に進学します。そのために何をしてやるべきか、真剣に考えています。彼からは、私ができる限りのことをしてやったとしても、さほど感謝もされないだろうね。そんなものは園長として当然の責務だという認識を持たれるかもしれません。それでも、いいのです。それが、私の仕事ですから。できて当然、できなければ罵声では済まない。あんたたち保母諸君が子どもらに言う「一生懸命」など、私には、通用しないのです。


 高部保母は、大槻園長の叱責をぐっとこらえて聞いていた。

 「でしたら、私にZ君の担当をさせた園長や梶川先生がよつ葉園を辞めるべきです。私に至らぬところが多々あったとしても、そんな保母に過重な負担をかける仕事を押し付けた責任は、あなたたちにあるのではないですか?!」

 少し前の期弱そうな声とは一転し、彼女は、いささかヒステリック気味に、大槻園長に食って掛かった。Z君や他の担当児童らに注意をするときのような口調だった。


 「梶川はともかくとして、少なくとも私は、辞めるわけにはいきません。やめるのは今すぐにでもできるでしょうが、そうしたら、この施設自体が運営できません。他の職員の雇用や、取引先との関係にも悪影響が出ます。それより何より、子どもたちを危険にさらしてしまいますからね。それはともかくとして、ひとつお聞きします。あなたは来年度も、このよつ葉園で働きたいですか?」

 彼女のヒステリックさに比例して、大槻園長の声も、さらに厳しくなった。


 「無責任な園長や指導員のいるこんな職場、こちらから・・・」

 そこまでまくしたてた高部保母は、感極まって、泣きだした。

 大槻園長は彼女の泣き声を、しばらくの間、止めるでもなく聞いていた。

 

 「高部先生、あなたは、子どもたちに「感謝される」仕事が、したいですか?」

 「・・・はぃ・・・」

 泣き止みかけつつも、彼女は、精一杯の声で答えた。

 「そうですか。じゃあ、子どもたちに嫌われたいか、それとも好かれたいか?」

 「嫌われたくないです。もちろん、好かれたほうが、うれしいです・・・」

 少し間をおいて、大槻園長は、彼女に諭すように話し始めた。

 

 そうでしょう。

 だが、あなたのこれまでの言動を見ていますと、とてもではないが、子どもたちに好かれるようなものとは、言えないところが多々ありました。それでは、子どもたちのためになるかと言えば、そんなこともない。

 あなたは、大声をあげて子どもたちに指示することが、少なからずありますね。確かに私も、そういうところはある。それどころか、よほどひどい言動をした子を殴ったり、蹴ったりしたことだって、幾度もありました。さすがにこれではだめだと思って、そういう言動を控えるように努力を始めました。ところであなたは、担当であるなしを問わず、中高生の男子児童に対して、いかにも私が指導者ですと言わんばかりの言動が多い。複数の子から、そういう声が入って来ています。

 

 「だって、みんなぁ、私の言うこと・・・、素直に聞いてくれないから・・・」

 思わず言い返した高部保母に、大槻園長の怒りは、頂点に達した。

 

 高部さん、それが「プロ」の言葉か!

 すねた女学生のような言葉を使って私の前でごまかそうとしても無駄じゃ!

 何が「素直に聞いてくれない」だ。馬鹿も休み休み言いなさい!

 おまえは、人の人生を、どれだけ舐めくされば気が済むのか!


 突如の罵声に、高部保母は、もはや、泣く力もなくなったかのように、唖然として、大槻園長の言葉を聞いた。大槻園長の口調は程なく、いつもの穏やかなものに戻った。


 あのなあ高部さん、Zあたりに言わせれば、高校生にもなって「素直」などが評価されるようでは先が思いやられるとか、そんなところかもしれん。彼はまあいいとしても、他の子らに対しても、同じことが、あんたには言えるぞ。

 そもそも、相手を見て、適切に導くという姿勢が、致命的に欠けておる。

 田舎役場で前例に従って上司の言うままに仕事しておればいいのならそれでもいいが、ここは子どもたちを育てる「家」の機能を持った養護施設じゃ。

 そういうわけには、いかんのだ! 

 でもまあ、これまでのことは仕方ない。問題は、これからのことです。

 よつ葉園のことはともかくとして、高部さん、あなた自身のことを、少しばかり、同郷の先輩として、ともに、考えてみましょう。


 いくらか意図的に激情をほとばしらせた大槻園長は、さらに、言葉を続けた。

 「単刀直入にお聞きします。あなたは、来年度、このよつ葉園で勤めたいですか?」

 高部保母は、黙っていた。返答に困っているようだ。


 ここで「はい」と言ってしまえば、もう1年、ここに住込みで住め、衣食住も保証されて、「生活」という名の仕事をしていれば時が過ぎていく。給料もそれなりにもらえる。でも、辞めてしまえば、実家に帰るにしても仕事がないし、岡山市内に住むとしても、仕事がすぐにあるとは限らない。

 結婚するという選択肢もあるにはあるが、今すぐに相手もいないし、実家の両親も、見合いをしろとは、まだ言って来ない・・・。


 彼女の考えていることは、おそらくそんなところだろう。それを見越した大槻園長は、少し間をおいて、さらに彼女に問いかけた。

 「勤めたいかどうかという質問は、いったん、撤回しましょう。あなたは、来年度、このよつ葉園で働くことが可能であると思っていますか? あなた自身のこと、私たち他の職員、それに何より、子どもたちの様子などを考えて、答えてみてください。どうかな?」


 少し間をおいて、高部保母は答えた。

 「無理だと、思います・・・」

 「私は、あなたを解雇する気はない。勤めたいなら、その意思を尊重してあげたい」

 「園長がそう言ってくださったとしても、子どもたちが相手にしてくれません。年が明けて特に、そんな雰囲気を感じることが多くなりました・・・」

 「そうですか。そんな雰囲気の中で、あなたがこのよつ葉園に居続けることは、子どもたちや他の職員にとって、どうでしょうかね・・・」


 やっとのことで、彼女は自らの意思を表示した。

 「申し訳ありません。今年度末をもって、よつ葉園を退職させてください・・・」

 その言葉を聞いた大槻園長は、少し間をおいて、返答した。

 「そうですか。短い間だったが、ご苦労様でした。あと2か月、子どもたちとともに、この地で暮らしてください。4月からのことは、有給休暇もあることですから、それをうまく消化して、仕事を探してください。県庁や市役所などの公務員関係の仕事も、期限付きのものであれば、まだ、どこか応募がなされているでしょう。まずは、そのあたりの情報を集めることです。いいかな、高部さん。今からあなたがやるべきことはね、あのZ君がしていることと、まったく、同じことなのですよ」


 大槻園長は、デスクに置かれている便箋1枚とボールペンを彼女の前に差し出した。

 「今あなたは、認印を持っておられるね」

 「はい。出勤簿に押印しましたので、持参しています」

 「まずはこの便箋に、退職届をお書きください。文面の内容は、よろしいか?」

 「書いたことがないので、どう書けばいいか、わかりません・・・」


 3年前に短大を卒業するとき、昼間勤めていた紡績会社に対して退職届に署名捺印したことがあるにはあった。

 しかし、便箋などの紙に本文を手書きしたものを書いた経験はないし、そもそも、どんなことを書いてあったかなど、彼女はすでに失念していた。

 「それなら、お教えしましょう」

 大槻園長は、文例を別紙に示して、高部保母に退職届を書かせた。

 

社会福祉法人 よつ葉の里 御中

よつ葉園園長 大槻和男 殿

 退職届

 一身上の都合により、来る昭和61年3月末日をもって、よつ葉園を退職いたします。

 昭和61年2月X日 

                     よつ葉園 保母 高部 友子


 高部友子保母は、自ら記した退職届に、園長室の応接テーブル上に置かれていた朱肉を借りて、自分の認印を、しっかりと押印した。

 朱肉が新しいこともあってか、鮮明な印影が便箋に強烈なアクセントを添えている。


 その年の3月末、高部友子保母はよつ葉園を退職し、丘の上の住込みの部屋を去っていった。退職と同時に、彼女は岡山市内の中心部付近のワンルームタイプのアパートを借りて、そこに住み始めた。そのための資金は、短大卒業後3年間、実家に仕送りしていた金で賄われた。程なく彼女は、事務職の公務員の仕事を手にした。

 彼女は今、定年までもう少しの年齢に至っている。

 両親は一時期見合いを勧めたが、彼女は、結局のところ結婚しないままである。見合いもするにはしたし、恋愛もないわけではなかったが、いざ結婚となると、ことごとく「破談」になった。なぜかは、わからない。

 彼女は現在も独身のまま、岡山市内のアパートに一人住まい。

 実家は、年老いた両親だけである。高部友子という名のよつ葉園元保母は、退職後、保母の資格を必要とする仕事には、一度も就いていない。そのような声もかからなかったし、その資格を生かした仕事に就きたいとも思わなかったからである。


 彼女にとって、「保母」という資格は、何だったのだろうか?

 その資格は、彼女に、何を与えたのだろうか・・・。

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