最終話

 家に帰る途中、いつもの公園にやって来た。

 私とアオはそれぞれ別のブランコに座った。


「さっきは手伝ってくれてありがとう」


「私の役割は、咲さんが快適な毎日を過ごせるようにお手伝いすることですので」


 アオがいつもの調子で答えた。「そうだね」と私は小さな笑みを浮かべた。


「一人で強く生きる、私はそう決めてこの街へやって来た」


 私は大きく息をはく。


「私は暗い性格だからか、幼いころから友達ができなかった。中学生のころ、ようやくできた友達も些細なことで許せなくなり、自ら手放してしまった。私は傷つけられることが何よりも怖かった。新しい携帯を手に入れたとき、これがあれば私を傷つけるすべてのものをブロックできると思った。それはとてもうまくいっていると信じていた。私は水槽の中で優雅に泳ぐ一匹のクラゲのように、強く生きているのだと」


 今日、私は再び傷ついた。

 危険が迫ってもフィルタリングを解除しないようにすれば、今度は傷つかずに済むかもしれない。だが私はあることに気づいた。


「何かをブロックしても、私を傷つけるものはすぐに現れる。そしてブロックし続けた結果、最後に残るのは私自身。でも私しか存在しない世界でも、私はまだ傷つく。そう、私が私を傷つける。なぜこんな孤独に生きてるんだって」


 私は隣に座るアオへ聞く。


「ねえ、私はこの先どうすればいいんだろう」


 アオはしばらく真剣な目で何かを考えた後、ブランコから飛び降りる。


「ちょっと待っててください」


 アオは公園の外へ走っていった。しばらく待つと、仮想上の猫は何かを抱えて戻ってきた。アオは私にそれを手渡す。冷たいコーヒーの缶だった。


「私が好きなのは温かい紅茶。覚えておいてよ」


 私はアオの心遣いに苦笑した。


 ――待て。何かがおかしい。


 アオは私がいつも温かい紅茶を買っているのを見ているはずだ。それに優秀なAIであっても、物理的な現象まで起こせるはずがない。

 私は声を震わせながらアオへ指示する。


「……フィルタリングを解除して」

「承知しました」


 すると隣のブランコに一人の男の子が現れる。結城だ。

 私は言葉を失う。私は携帯を操作し、フィルタリングを解除した今日の映像を再生する。そこには結城の姿が映っている。


 誰もいない教室、結城は休講を知らずに待っていた私を遊びに誘った。

 小さな水族館、二人で並んでクラゲを眺めていた。

 スーパーでは重い荷物を持とうとしてくれた。近づく自転車に気づいて声を上げ、散らばった食材を一緒に拾った。そして冷たいコーヒーを私に手渡した。


 アオがしてくれたことは、すべて結城がやったことだった。混乱する私を見て、彼は首をかしげた。

 黙っているわけにはいかないだろう。私は彼にアオのことを話した。


「――なるほど。今日の君が、僕にとても親しげだった謎が解けた」


 私は顔を赤らめる。


「さっき君は言った。一人で強く生きると」

「うん」


 と私は短く答えた。


「昔、僕も同じように思っていた。中学生のころにいじめられて、高校では周りに対し強固な壁を築いた。他者と関わるからいじめられると思ったんだ。それはとてもうまくいき、孤独でも平穏な日々を過ごしていた。だが一人の男の子が僕に話しかけてきた。『お前、面白いやつだな』って。適当にあしらってたけど、飽きもせず話しかけられるうちに、彼のくだらない冗談に笑ってしまった。僕の強固な壁は完全に破壊されたよ。それから僕は周りから干渉されることを選び、干渉することを選んだ。傷つくこともあったけど、それ以上に楽しいこともあった」


 結城は懐かしそうに微笑む。


「はじめて君を見かけたとき、昔の自分を見ているようだった。もし君も変わりたいのであれば、その手助けをしたいと思った。教室にいるときの君は僕より強固な壁を持っているように見えたけど、一人でいるときの君は壁が少し薄くなっているように見えた。だから君が一人でいるときを見計らい、声をかけることにした。何度も壁を叩くうちに、きっと届くんじゃないかって。バイトをはじめたせいで、その機会がなくなってしまったから、今日一人で教室に座る君を見かけたとき、最後のチャンスだと思ったんだ」


 私は隣に座るアオを見た。

 もしアオではなく、結城に直接誘われていたら断っていただろう。


「一人で強く生きていくのは悪いことじゃない。でも君が本当に望んでいるものは何だろう。君は今日こうも言った。『とても楽しかった』と。僕はその言葉がとても嬉しかった。残念ながら、君は僕と関りをもってしまった。すでに一人で生きるという目標は失われている」


 結城はブランコから立ち上がる。私は何も言えず、彼を見た。


「君はもう強がらなくていいんだ」


 久しぶりに他者から浴びた強い言葉。それは私の心をつらぬく槍のようなものだ。槍は私の壁を砕き、中から人間らしいものを溢れさせる。


 私は声をあげて泣いた。

 その声はブロックされることなく世界に届く。彼は何も言わず、私の涙が枯れるまで空を見上げていた。


 部屋の前で結城と別れた後、私はアオに文句を言った。


「他人の親切を自分の手柄にするなんて。私は君をそんなふうに育てた覚えはないよ」


 アオは顔をぷいっとそむける。


「咲さんは素直じゃありませんので、彼の親切をそのまま受け取ることはできなかったでしょう。どうすれば咲さんがこの先の人生を快適に過ごせるか、私なりに真剣に考えてみました。これは、売れ残った私を飼ってくれた恩返しです」

「生意気いいやがって」


 枯れたはずの涙がどこからかやって来る。私は仮想上の猫の背中をなでた。

 こちらこそありがとう。君のおかげだ。私は心の中で何度も繰り返した。


 次の日、私はいつものように大学へ向かった。マンションから出たとき、後ろから声をかけられた。


「おはよ」


 隣の部屋に住むクラスメイトが私に挨拶をする。

 大通りに出ると、並んで歩く私たちをたくさんの人が通り過ぎていく。私は目を開き、耳をすます。

 温かい、私はそう感じた。

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我が友は仮想世界の猫である 篠也マシン @sasayamashin

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