【メイ:大学編】幸せのために選ぶ道①

(視差小説:第四十四話~四十五話)


 ふと目が覚めると、誰かの寝息が聞こえた。

 みんなと飲み明かすつもりが、いつの間にか眠ってしまっていた。正確な時間はわからないが、おそらくまだ夜中だろう。

 闇に目が慣れるのを待って起き上がり、部屋をぐるりと見回してみる。男女入り乱れて雑魚寝をしている様が、アザラシの転がる南極の映像を思い出させた。僕の隣にはヒマワリちゃんがいて、その向こうにハヤトの背中がある。ハヤトの腕の中にいるリコちゃんは、すっかり無防備な寝顔を晒していた。

 リコちゃんのお父さんが激怒する場面を想像して、口元が緩む。僕も最初はさんざん怒鳴られたんだ。まだ仲良くなりたての頃、玄関まで送り届けたところにお父さんが帰って来て、僕に向かって誰だと叫び、出迎えていたお母さんと漫才みたいなバトルを始めたっけ……あのご両親は、全力で娘を愛している。いい人たちだ。

 僕は高校生活の三年間をかけて、ご両親に「親友」なのだと認めてもらった。学校の外の世界でも、常に彼女の笑顔を守るため、どうしても必要なことだった。

 だけどもう、僕の役目は終わった。あの子を守る資格を持つのは僕じゃない。ハヤトにだったら任せてもいい。あいつはリコちゃんの為なら、自分の未来さえも捨てられる。その強さを認めているのだから、たかが嫉妬ごときで邪魔なんかしない。

 ハヤトと違って、僕には捨てられないものがある。五月家だ。どれだけ必死で逃げようと、必ず付きまとってくる。僕が「オノミチリコを欲しい」と願って、万が一それが叶ったところで、幸せにしてあげることができない。家の重さに潰されて、あの笑顔を失わせてしまうだけだ。大丈夫、僕はちゃんとわかっている。リコちゃんの幸せを願うからこそ、僕は「親友」の先など求めてはいけない。

 自分の幸福だけを追いかけて、早くに好意を伝えていれば、彼女はおそらく受け入れてくれた。そうすれば、青春のささやかな思い出くらいにはなっただろう。それはきっと、僕の不自由な人生において、たったひとつの輝きとなったはずだ。

 何もわからないフリをして、恋の衝動に従って、リコちゃんの手を取ってさえいれば――ああ、くだらない。ありえないことを考えたって、自分が惨めになるだけだ。

 溜息をつくと、喉の奥がピリッとした。空調のせいか、かなり部屋が乾燥している。自販機でスポドリでも買ってくることにして、みんなを起こさないように部屋を抜け出した。


 エレベーター横の自販機で、安っぽいスポドリのボタンを押すと、ガタンという音とともに背後から衝撃が加わった。誰かが背中に抱きついてる。今日ここにいるメンバーで、僕にこんなことをするのは一人しかいない。


「ヒマワリちゃん?」

「あったりー!」


 よくわかったねえ、とぴょんぴょん跳ねるヒマワリちゃんに、僕は人差し指を立てた。


「もう少し静かにね。話をするなら、そこの談話コーナーに入ろうか」


 廊下はかなり声が響くし、寝てる連中を起こすのは気が引ける。特にユズカちゃんなんて、あの小さな体でさんざん走り回っていたし……それに、あの子が起きた時には、騒音が倍になりそうだ。


「あっ……そうだよね、ごめんっ」

「気持ちはわかるよ。非日常の空間って、妙にテンション上がっちゃうよね」

「そうなんだよねー、にひひっ」


 底抜けに明るい笑顔を見せた彼女は、談話コーナーのロビーベンチに勢いよく座った。僕が隣に座るとためらいもなく、甘えるように寄りかかってくる。こういう迫り方は好きじゃないけど、今のヒマワリちゃんは微笑ましかった。どうしようもない不器用さが滲み出ていて、むしろ好ましいとさえ思う。

 彼女の全ては演技でしかない。本当はハヤトが好きなんだ、見ているだけで丸わかりだ。豆花園とうかえんで告白してきた時からずっと、彼女は必死で自分の気持ちを隠そうとしている。本当は、僕なんて興味もないくせに――そう思うと、少し意地悪を言いたくなった。


「どうせすぐ戻るのに、どうしてわざわざ追いかけて来たの?」

「えっと……二人だけで、話ができるかなって。ずっとみんなが一緒だったし」

「シーパラを回ってる時は、ずっと二人だったでしょう? 足りなかった?」

「足りなかったっていうか……私のこと、もっと知って欲しいなぁって。たとえば……こういうこと、とか」


 ヒマワリちゃんは僕の右手を握り、自分の胸に押し当てた。本人曰く「Fの70」というこの胸が、自分の最大の武器だと思っているのだろう。そんな浅はかさも、今の僕には魅力的に見えた。考えがわかりやすいというのは、弱点であると同時に美徳でもある。


「ずいぶん積極的なんだね」

「そうだよ。だって私、サツキのこと好きだもん……だから、触って?」

「触られ損になるかもよ?」

「いいよ……触られるだけで、私、嬉しいもん」


 ヒマワリちゃんが、か細い声で「触って」と繰り返した。どこかで見てきたような行為をぎこちなく真似して、自分は恋をしてると言い張る女の子。出典はテレビドラマだろうか、それともウェブコミックだろうか。

 僕と恋人になってしまえば、全てが上手く回ると思ってる。たったその程度の理由で、必死に僕を落とそうとしている。平然と残酷なことをする子だ。愛する人の幸せのため、自分さえも騙してしまう彼女は、目の前にいる人の幸せなんか考えもしていない。おそらくは「サツキタケルの幸せ」なんて、心底どうでもいいことなのだ。

 いくらハヤトを諦めたいからって、僕を選ぶ理由はなかったはずだ。あんなに親しいニッシーやカメヤンより、知り合ったばかりの僕がいいなんて、そんなことがあるわけはない。あの場で僕を選んだのは、リコちゃんから僕を引き離すためだ。

 残念だけど、僕はリコちゃんの「親友」という立場を捨てるつもりはない。ヒマワリちゃんの手をゆっくり解き、優しく「ごめんね」と声をかけた。


「きっと僕は、これからもずっと、リコちゃんのことが好きなんだよ」

「それでも諦めないって言ったら、迷惑?」

「迷惑だなんて思わないよ。諦められない気持ちは、わかるつもりだから」

「そう、だよね……サツキ、辛くなったらいつでも来てね? 私、ずっと待ってるからね」


 引き下がる気など微塵もないといわんばかりに、猫のように身体をすり寄せてくる。食い下がるなぁと感心した。いったいどこまで頑張れるんだろう。

 本音を言えば、ヒマワリちゃんはとても僕好みだ。愛らしい顔立ちも、存在を主張する大きさの胸も、ほとんど理想形に近い。そんな子に「好きだ」と言って迫られるのは、決して悪い気などしない。このアプローチを放っておいても、僕は全く困らない。

 僕のことも、みんなのことも、自分自身さえ騙せるのなら、上手に騙してみればいい。僕の気に入るようにやってくれれば、ほだされたフリをしてあげたっていい。

 そう、人を騙すっていうのは――性格がねじ曲がった奴の、特権だ。

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