【メイ:過去編】メイくんの初恋③

 駅に向かって大きな坂を下りながら、自分の感情に戸惑っていると、リコちゃんがじっと僕を見つめた。この視線を向けられると、ますます落ち着かない。


「ねぇねぇメイくん、お昼ご飯食べて帰らない?」

「……いいけど、親御さんが心配しない? いつもまっすぐ帰ってるでしょ?」


 何気なく言ったつもりだったけど、リコちゃんは小さく溜息をついた。こんな風に寂しげなリコちゃんは初めてだ、僕は何か地雷を踏んだのか。いつもわかりやすい彼女の事が、今回ばかりは全く読めない。


「ごめん、余計な事を言ったかな」

「ううん。うち共働きだから、昼間はどっちも家にいないの。本当は、一人でご飯食べるの好きじゃないんだ……子供みたいなこと言ってるね、私」


 ご両親ともに多忙なのか、意外だ。特に珍しい事ではないのだろうけど、彼女のイメージとは結びつかなかった。

 しかし、一人飯が寂しいだなんて、僕にはよくわからない。うちが家族全員揃って卓を囲むなんて、誰かの誕生日くらいだ。

 この子は温かみを知っている分、余計に寂しく感じるのかな。それはそれで不憫な事だ、どちらがマシというような話でもない。


「じゃあ、お昼ご飯は食べて帰ろう。夜は大丈夫?」

「いつもはお母さんがいるんだけど……今日は、遅くなるって言ってた。職場の歓迎会があるんだって」

「お父さんは?」

「長期出張中。うちのお父さん、すぐあちこち行くの」


 タイミング悪いよねぇ、とリコちゃんは力なく笑った。

 ようやく家に帰れるのに、家族が不在なのは、この子にとっては寂しいことだろう。元気がないリコちゃんを見ていると、こっちまで気持ちがしおれてしまう。どうにか笑顔にできないだろうか――考えながら歩き続け、そして僕はひとつの決心をした。足を止め、ねえ、と声をかける。

 プライベートに踏み込む覚悟を、決めた。


「一旦帰ってから、改めて会わない? 夜も一緒に食べよう、奢るよ」

「えっ?」


 僕を見つめたまま、リコちゃんは返事もせずに固まってしまった。

 困らせてしまっただろうか?

 不安が膨らみ始めた時、リコちゃんの口からは「ダメだよ」という言葉が漏れた。

 やっぱり余計な事だったか、嫌われてしまっただろうか……そう考えるだけで、全身がじわじわと硬直していく。

 しかし、リコちゃんの拒絶の真意は、僕が考えていたものとは違った。


「奢るなんて、ダメだよ!」


 彼女はどうやら、僕が「奢る」と言った事に拒否を示しているらしい。

 誘ったのは僕の方なのだから、僕が出すのは自然な事だと思ったのだけど……遠慮、してるんだろうか。


「いいんだよ。僕の家、お小遣い多めだから」

「それでもダメ! 一緒に食べるんだったら、絶対に割り勘!」

「……割り勘なら、いいの?」

「うんっ、奢るなんてダメなんだよ? 自分で稼いだお金じゃないんだから! メイくんのお父さんだって、私に奢るためにお小遣いをあげてるわけじゃないと思うよ!」


 リコちゃんが、真剣な顔で訴えてくる。誘い自体が拒絶されたわけではない事に安堵しつつも、正直に言うと少し気まずい。

 僕は使った分だけ補充される銀行口座が財布の代わりで、お金足りないかも、なんて心配は一度もした事がない。漫画でよく見る「昼食を抜いて貯めたお金で本を買う」とか「欲しい楽器を買うために親の手伝いをする」みたいな経験もない。

 おそらくうちの父親は、僕の金の使い道なんて興味すらない。たとえば性的サービスを買ったり、違法薬物を買ったとしても、全く気付かないんじゃないか。さすがにそんなものは買わないけど……リコちゃんと遊ぶ程度のお金なら、僕はいつでも気軽に払っていただろう。相手からそれを求められれば軽蔑するのに、気を許してしまえばこんなものだ。

 家の事情を知らないとはいえ、リコちゃんは僕の歪みを正してくれた。本当の意味で「育ちがいい」のだろう。彼女が一緒にいてくれたら、僕は間違えずに生きていける……かも、しれない。


「ありがとう。リコちゃんの言う通りだ」

「ごめんね、余計な事だったかもだけど、すごく大事な事だと思ったの」

「うん、大事な事だった。他人の分までお金を出すのは、本当に必要な時だけにするよ」

「うんうん!」


 リコちゃんは大きく頷いて、じゃあなにたべよっかー、とのんびりした声を出した。しかし再び歩き始めた途端、急にリコちゃんは僕の前へと回り込み、いいこと思いついちゃった~、と節をつけて言った。


「ねぇ、うちにおいでよ!」

「え?」

「一緒にご飯を作って食べたら、きっと楽しいよ!」

「……リコちゃんの家に、行くの? 僕が?」

「うん!」


 常識からズレてるのは、どうも僕だけじゃないらしい。焦る僕には全く気付く様子もなく、リコちゃんはニコニコと笑っている。

 それでいいのか、オノミチリコ。知り合ってまだ半月しか経たない、彼氏でもないただのクラスメイトの男を、そんな簡単に「家族が不在の自宅」へ招いて大丈夫なのか。

 この子の警戒心がゼロなだけなのか?

 それとも、世間ではこれが一般的なのか?

 僕はずっと、普通の人間関係を築けなかったから、自分の常識に自信が持てない。あれこれと思考をめぐらす間にも、リコちゃんはグイグイ迫ってくる。


「メイくんの最寄りの駅って青葉駅だよね? 電車乗る時にメッセくれたら迎えに行くから、スーパーに寄ってお買い物しようよ! お昼はワンダフルバーガーにしない? チョコパイの無料クーポン持ってるんだー、これはタダだから奢ってあげるね!」


 あまりの邪気のなさに、あれこれ考えるのがバカらしくなった僕は、彼女のバッグをひょいっと取り上げた。結構重い。

 自分のリュックを背負い、彼女のボストンバッグを右肩にかけた僕は、荷物持ちのジャンケンで負けた子供みたいだ。荷物持ちなんて一度もした事ないけど、こんな重みなら悪くない。

 

「これでよし、じゃあ行こっか?」

「わああ、なんで? 自分で持つよ!」

「チョコパイのお礼、先払いしておこうかなって」

「そんなのいいのに! もー、ちょっと待って!」


 構わずに歩き出した僕の手を、リコちゃんがぎゅっと掴んだ。

 そうか、周囲の視線もお構いなしに、こういう事を平気でしてしまうのか。本当にどこまでも無邪気で、警戒心なんかなくって……ああ、やっぱりこの子の頭には、ピカピカのお日様が詰まってるんだ。これだから、放っておけない。本当によくもまあ、こんなにも無防備に生きてこられたものだ。呆れてしまう程なのに、そんな彼女が眩しくてたまらない。

 この子はきっと、僕の人生を照らす存在になる。手を出すつもりはないけれど、離れる事も考えられない。

 彼女の「親友」という立場を、僕は決して手放すものか。


「リコちゃん、これから毎日一緒に帰ろうよ」

「いいね! じゃあ私、朝もメイくんに電車合わせちゃおー!」

「構わないけど、僕は朝早いよ? 混み合う時間を避けてるから」

「あー、あんまり早いのは厳しいかも……深夜枠のアニメ、リアタイで見てるの」

「それなら、僕がリコちゃんに合わせるよ。どうせならアニメも、通話繋いで一緒に観ない?」

「わー、それ楽しそうー! いっぱいお喋りしちゃおうね!」


 ほらね、これだもの。ちょっと話を振っただけで、疑いもせずに受け入れちゃう。こんな子を放っておいたら、いつか大変な事になるに決まってるんだ。

 だから、僕がそばにいる。

 この子を任せてもいいと思える誰かに出会うまで、ずっと隣で守ってあげる。


 ――手に入れたいと思う気持ちが、ないわけじゃ、ないんだけどね。

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