【メイ:過去編】メイくんの初恋②

 それから二週間ほどが経ち、僕たちは学年ごと山奥に押し込まれた。

 宿泊体験学習という名の、三泊四日の山篭り。山に登って飯盒炊爨はんごうすいさんをしたり、グラウンドで校歌や行進の練習をさせられるという、新入生教育の意味合いが強い合宿だった。宿舎は古びた教育用施設だし、出てくる食事は質素極まりないけれど、誰にも疎まれないというだけで十分に快適だ。

 班は男女別で、出席番号順に区切られただけの味気ない班編成だった。

 リコちゃんにも何人か親しい女友達ができたようだったし、僕の方も友達というほどではないけど、それなりに言葉を交わす相手ができた。

 ここでなら、僕は上手くやっていけるかもしれない。

 穏やかに迎えた最終日の夜、同室の連中と他愛もない話をしていると、お約束のように女子の話題になった。


「風呂上りとかすげー感じ変わるよな」

「ジャージ着てるだけなんだけどなー」

「今日気付いたんだけどさ、モリシマ可愛くない?」

「あいつアホの子じゃん。俺はマツダのがいい、あの猫目はポイント高い」

「マツダはちょっと気が強そうなのがなー」

「オノミチとかどう、完璧に意外な一面じゃん」

「あー、髪ほどいたオノミチめちゃくちゃ可愛かったな」

「あれは惜しいよな、普段がひどすぎなんだよなぁ」


 自分のスペックは棚に上げて、みんな言いたい放題だ。こういう品定めのような会話は不快になる。自分はずっと、嘲笑される側だったから。

 苛立ちを飲み込みつつ、二段ベッドの下段に座って話を聞いていたけれど、消灯時刻を過ぎても会話が止まる気配はない。しばらくすると、他の連中は一通り意見が出尽くしたのか、サツキはどうよとこちらへ話を振られてしまった。

 こういうのは面倒臭い。

 正直に打ち明けてやる義理もない。

 適当に受け流してもいいけど、リコちゃんの名前が出てくるのは気に入らない。どうにかこいつらを黙らせる事はできないものか。この下衆な口から「オノミチ」という名前が出なくなるようにしてやりたい。


「僕は、リコちゃんの友達だからさ」

「お?」

「あの子を守ってあげたいから、他の女子には一切興味が持てないんだ」


 ぽかん、といった顔で全員が僕の方を見てる。なんだこいつ、みたいな。


「確かにサツキって、オノミチと仲いいよな。付き合ってんの?」

「違うよ。でもリコちゃんって驚くくらい素直でしょ? 放っておけないんだよね」

「まぁ、オノミチって天然なとこあるよな」

「でしょう、だから変な男に渡したくないんだ。もしもあの子に下衆な視線を向けるやつがいたら、僕は一人残らず刺してやりたいくらいだね」


 言葉にすることで、曖昧だった自分の感情が、ハッキリと形になってくる。気分は完全に宣戦布告だ。自分がこいつらにどう思われるだろうとか、そういう事は本当にどうでも良かった。ついでに自分の感情も棚上げだ、僕だって心の奥で品定めをする事くらいはある。ただ、それを口にするかどうかに、品性が出ると思ってるけど。

 あのさ、とベッドの上段にいた飯島イイジマが、逆さまになってこちらを覗きこんだ。


「……その、変な男って、俺らのこと?」

「他に誰かいる? 偉そうに女子の品評会を始める男なんて、だいたいロクな奴じゃないでしょ」

「うっ」

「ま、僕が潔癖なだけかもね。僕らも女子に言われてるのかもしれないし、そんなにギスギスしなくてもいいのかな。もしもそうだとしたら、いったい僕らはどんな事を言われてるんだろうね?」

「あー……」

「ちなみに僕は、地味とかオタクとか言われるかなって思ってるよ。みんなは自信あるんでしょ? 聞かせてよ、自分は何て言われてると思う? もちろん需要がある側だと思ってるんだよね?」

「わかったわかった、俺らが悪かったよ」


 みんな呆れたように僕を見て、それぞれのベッドへと潜り込んでいった。悪態をついてくるやつがいないのは「さすが県立筑原」と言っていいのかもしれない。前の学校だったらどうだっただろうかと、どうでもいい考えがよぎる。心底どうでもいい。


「サツキ、オノミチにガチ惚れなのな」


 誰かの声が聞こえたけれど、返事をしてやる義理はなかった。


 翌日、僕らは寝る前の会話を引きずる事もなく、つつがなく下界に帰還した。

 学校の校庭で解散式をした後、ボストンバッグを抱えたリコちゃんがパタパタと駆け寄って来る。普段通りにきっちり結われた三つ編みが揺れて、当分は安心しててもいいかな、なんて叱られそうなことを考える。


「メイくんっ、一緒に帰ろう!」

「あれ、モリシマさんは一緒じゃないの?」


 モリシマさんはリコちゃんと仲の良いクラスの女子で、最近の二人はいつも一緒にいる。僕を含めた三人で仲良く下校がお約束になりつつあったのに、今のリコちゃんは一人だった。


「ミキちゃんは、マッちんたちとカラオケ行くんだって!」


 リコちゃんは笑顔だけど、僕は背筋が冷えた。モリシマさんはリコちゃんを誘わなかったのか? まさか入学早々、いきなり仲間外れにされたのか?

 いや、あるわけがない。この子は僕とは違うんだから、そんな簡単に嫌われたりはしないはずだ……でも、人の感情なんて理屈じゃないだろう? 特に女子同士の人間関係は、僕にはよくわからない世界だし、実は意地悪されてたりするんじゃないのか?

 彼女の事情に立ち入る権利はないけど、心配くらいはしても許される……よな?


「リコちゃんは、行かないの?」


 その一言を言うだけで、自分の過去のことを色々と思い出して、胃のあたりに不快感が溜まっていく。


「えへへ、私、アニソンしかわかんないから断っちゃった!」


 僕の不安は、即座に笑顔で跳ね飛ばされた。良かった。良かったけど、僕は何をこんなに振り回されてるんだ!

 正直、すごく疲れる。それなのに気になる、放っておけない。この子の表情が曇る事を考えるだけで、胸が締め付けられていく。恋ってこんなに面倒なのか……いや、僕が歪んでいるだけだな。世の中を信用できない僕が、天然娘を守りたいだなんて、大それた事を思っているからだ。

 仕方がない、受け入れるしかない。そういう彼女に惹かれてしまった僕の負けだ。


「そっか、流行りの曲とか興味ないんだね」

「高校受験が終わるまで、テレビもラジオも我慢してたから……どうしても、うちの高校に入りたかったの。両親の母校なんだ」

「ああ、なるほどね。それでもアニメは観てたんだ?」

「アニメは親が好きだから、一緒に観るのがコミュニケーションみたいなところがあって……あ、あと漫画とかゲームとか、そういうのも」


 彼女の話を聞けば聞くほど、親に愛されて育ったんだな、と思う。最初は妬ましいと思う事もあったけど、今は純粋に羨ましいだけだ。

 変わってるよね、と言ったリコちゃんは、恥ずかしがっているように見えた。


「いいんじゃない? 僕もそういうの好きだよ」

「本当に?」

「本当、通学のお供はラノベだしね。最近だと、まほペンの最新刊を買ったよ」

「わー、同じ趣味の人がいたー! ねぇ、私たち、もう親友だって言ってもいいよね!」


 花が咲くように、リコちゃんが笑った。

 その瞬間、うっかり右手を差し出しそうになる。それが当然の事みたいに、自然に彼女の手を取ってしまうところだった。

 手なんか握れるわけがないだろ?

 親友って、そういう関係じゃないだろ?

 いったい何なんだ、今の僕は絶対におかしい。彼女に言われた一言が、単純に嬉しかっただけなのに。たったそれだけの事なのに、どうして彼女に触れたいなんて思ったんだ?

 僕は、そんな事が許されると思っているのか?

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